2007年10月19日
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 10月のこの時期になると、相場の世界では、しばしば「ブラック・マンデー」のことが話題になる。今年は「サブプライム」という恐怖のタネが、既に見えているので、同じような急落はかえって起こりにくいだろうが、当時の記憶と、最近の新聞記事(10月18日付「東京新聞」朝刊の記事を参考にした)を参考に、思うところを書いてみたい。


■朝の驚き

 1987年10月19日が、後に「ブラック・マンデー」と呼ばれた米国株価大暴落の日だった。ニューヨークダウの幅にして508ドル安、率にして何と前日比22.6%安の暴落だった。508ドルというと今でも大きいが、ダウそのものが2200ドル台なのだから、その凄さは、なかなか想像しにくいかも知れない。翌日の日経平均も14.9%下落した。

 筆者は当時28歳だが、某生命保険会社に転職して、運用部門に いた。ブラックマンデーの当日は、中途採用者10名程度を対象にした1週間の研修のために大阪のホテルに泊まっていた。ブラックマンデーを知ったのは、研修 2日目の朝、テレビで前日の相場をチェックしたときだった。さすがに、508ドル安というのは、さすがに驚いたが、「これは面白いことが起こった」と思ったのを覚えている。ただ、当時、日本株は本来の価値に対して大幅に割高だから (日経平均は2万5千円台だった)これぐらい下落しても一向に驚かないという積もりだったが、下落が米国から始まったのが少々意外だった。

 こういうときは、ともかく、だれかと話したくなる。隣室のドアを叩いて、まだ眠っていたファンドマネジャーを起こした。大手証券会社から転職してきて、特定金銭信託、通称「特金」の運用をしていた。「○○さん、おはようございます。ニューヨークの株価が508ドル安ですよ!」とドアの外で叫んでみると、「えーっ」と言って、彼はパンツ一丁で廊下に出て来た(おそらく彼の就寝スタイルだったのだろう)。「こんなことがあるんだ」。「あるんですね」。どっちがどう言ったか正確に覚えていないが、そんな話以外に話すことがなかった。二人で顔を見合わせて、げらげら笑い合ったのを覚えている。特に「特金」のファンドマネジャーだった彼は、無理にでも笑って、自分を励ますしかなかったのだろう。

 その後、東京の運用部門と連絡を取ったが、ともかく様子をみるしかない、ということになった。当然ながら、研修にはさっぱり身が入らなかった。


■ポートフォリオ・インシュランス

 ブラック・マンデーの初動の原因には諸説あるが、下げ幅・率がこれだけ大きなものになった原因としては、「ポートフォリオ・インシュランス」と称する運用手法がアメリカの機関投資家に普及していたことがあげられる。

 ポートフォリオ・インシュランスとは、運用額が一定の時期に一定の価値(たとえば元本の80%以上)を維持するように、株式などリスク資産の「エクスポージャー」(実質的な組み入れ率、リスクのこと)を調節するプログラムで、オプション価格理論を使ったコールオプションの複製の考え方を応用するテクニックとしてもてはやされていた。

 しかし、運用手法としての実質を考えてみると、将来の株価の動きに応じて、その理由に関係なく、自動的に損切りをする仕組みと株価が上昇したときには株式を買い増しする、何とも愚直な順張りプログラムであって、それ自体、感心すべき対象ではなかった。だが、オプション価格理論のある程度複雑な数式と手法のネーミングの上手さで、当時は、それなりに運用手法として認められていて、これを専門に提供する投資顧問会社もあったのだ。

 それでは、ポートフォリオ・インシュランスが無事に機能したかというと、ポートフォリオ・インシュランスを使っていた多くの運用資金が、予定以上の損失を出してしまった。



 ポートフォリオ・インシュランスは、昔のように「高級なノウハウ」のような捉えられ方はしなくなったが、それでも、同様の考え方、行動は機関投資家の運用の中に潜んでいることがある。

 一応、常識の見地からこれを批判しておくと、最大のポイントは、株価の下落には、何らかの理由があるはずで、これに関わりなく株を(予め決められた量だけ)売る、と「先に決めておく必要はない」ということだろう。


■機関投資家のデイトレ

 東京新聞の記事には、当時ファンドマネジャーだった方の回想が出ている。この方だったか、誰だったか覚えていないが、1987年当時、機関投資家の一部では、新日鐵のような流動性の高い銘柄で、当日中に売り買いするような、現在のデイトレに近い取引を行っていた。当時の雑誌だったか、新聞だったか忘れたが、電話の受話器を手に括り付けて、腱鞘炎になりながらも、売り買いに没頭するファンドマネジャーの話が出ていて、さすがに同僚達と呆れたのを覚えている。証券会社から見ると彼は、神様以上に御利益のある「歩く手数料」であった。

 当時は、まだ固定手数料の時代だったし、機関投資家の場合、マーケット・インパクトも大きいので、このような取引が上手く行き続けるはずがないことは、少し考えてみると分かりそうなことだったが、機関投資家とはいっても、株好きの個人投資家と大差なかったのだ。現在の練度の高い個人投資家の方が、当時の生保の特金のファンドマネジャー(もちろん個人差はあったが)よりも遙かに洗練されていると思う。

 日本の機関投資家は、ブラックマンデーが反省材料になって、運用を見直し、この種の運用を止めておけば良かったのだが、翌年、下落を取り返してぐんぐん上がり始めた株価は、結果として、彼らに誤った自信を植え付けて、バブルはさらに強化されてしまったのだった。


■政策当局の間違い

 東京新聞の記事で興味深かったのは、ブラックマンデーの当時、対策を検討した、元大蔵官僚(以下、「X氏」とする)の回想が載っていることだ。

 当時の大蔵大臣は「政界きっての経済通」といわれていた故宮沢喜一氏であった。まだ、相場が不安定であった88年の年初、X氏は、宮沢大臣に、特定金銭信託の会計処理にあって、含み損の計上をしなくていい(要は取得原価で評価していい)とする特例措置の発動を進言したという。直後の3月期末にかけて、処分売りが出ることを恐れ、これを止める措置を取ると、株価が反発するのではないかと考えたようだ。

 記事によると、「効果はあるんですか」(宮沢)、「はい、必ず株価は上がります」(X氏)というようなやりとりがあって、結局、この措置が発表され、1月6日の株価が前日比1215円も上がったという。

 このエピソードは、日本の株価下落を水際で止めた美談として紹介されているのだが、筆者は、あまり感心しない。

 実際に値下がりしたものを「見ないことにする」会計処理が、正しい経済判断を生むはずがない。将来価格が下落しても、それを会計上認識しないで済む、というのであるから、株式に対するリスク判断が正しく行われなくなる。

 そもそも、株価が急落した時点で、その株価水準が妥当なものであるかどうかを考えるべきだろう。妥当な水準の株価よりもまだ高いのであれば、それを一時的に持ち上げることは、悪質な問題先送りだ。筆者は、このケースについて、政治家や官僚の「見識」とは、所詮この程度の頼りにならないものである、という悪しき教訓として、このエピソードを理解する。



 その後1980年代の終わりまで続いた、日本株の大バブルは、ブラックマンデー以後の日銀による過剰な金融緩和が大きな原因となったというような通説があるが、これは、これとして認めるとしても、本来あるリスクを、リスクとして認識しない、「リスクの誤認」が大きな原因となったことを強調しておきたい。

 当時、信託銀行のファンドトラストや、証券会社の営業特金といった金融商品では、顧客が借り入れられる金利(たとえば「長期プライム」)の「ポツイチ上」(0.1%上、ということ)で利回りを「握って」(要は利回り保証して)、セールスを展開していたのだからたまらない。ファントラであれば、信託銀行がお金を貸してくれて、さらにその利回り以上で運用利回りを保証してくれるというのだから、兆円単位の運用にのめり込んだ会社(商社に多かった)があったのもやむを得ないし、株価がさらに上昇したのも無理はない。

■教訓

 個人投資家にとって、ブラックマンデーの教訓は何だろうか。当たり前だが、株価とは頼りないものだし、大きく下落することがある、と知っておくべき事と、事実をごまかして認識してはいけないという事の二つだと筆者は思っている。





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最終更新日  2007年10月19日 18時44分41秒
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