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あしなみ揃えて! ~日蓮大聖人様に寄り添いながら~
生死一大事血脈抄
生死一大事血脈抄
昭和六十三年九月二十九日
護念寺移転新築落慶法要の砌
次の第三番目の釈の指南は「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏手・令不恐怖不堕悪趣』」、これはどのように読むかと言いますと、「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず、悪趣に堕せざらしむ」と読むのです。続いて「と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し、法華不信の者は『其人命終入阿鼻獄』と説かれたれば・定めて獄卒迎えに来って手をや取り候はんずらん浅?浅?、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。今日蓮が弟子檀那等・南無妙法蓮華経と唱えん程の者は・千仏の手を授け給はん事・譬えば?夕顔の手を出すが如くと思し食せ」とあります。
この所は生死一大事のうちの死ということを中心にして、生から死に移る段階、すなわち臨終の時のことを御指南です。簡単にこの御文を拝するならば、臨終について述べて、結局、法華経を信ずる人は必ず多くの仏様がそこに御出現になり、勝れた相好の境界が顕れてきて、我々を本当に幸せな所に連れて行ってくださる。法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えれば、絶対にそういう大きな功徳が臨終の時に顕れてくる。
ところが法華経を信じない者は、ここに「其人命終入阿鼻獄」と説かれてあるから地獄に堕ちる。そうすると、仏様が迎えに来ないで獄卒が迎えに来るのです。角が一本出ているのや二本出ている鬼もある。そういう鬼がやって来て、鷲づかみにして地獄に連れて行く、あるいは餓鬼に堕ちるというようなことになる。必ず臨終の時にそういう区別が出るのであります。
この臨終ということを論ずるとたいへん長くなってしまいますけれども、だいたい「正念」ということを言うでしょう。臨終正念、正念でなければいけない。正しいことを正しく念じ、心に定める。正しいにも色々段階があるけれども、法華経を持ち、法華経を信ずるということは一番正しいことである。この正しいことを信ずるならば本当の正念になるのです。
この正念に対することとして「乱心」ということがあります。心を乱すということがまた、いけないのです。だから「臨終の一念は多年の行功」と申しまして、やはり、いざという時のためには普段の訓練が大事なのです。ですから普段、南無妙法蓮華経と唱えている人は死ぬ時に自然にお題目の心が生じてくる。
死ぬ時に妻子眷属のことを思うのは一番いけないと言います。しかし普段は、お題目をしっかり唱える上において妻子眷属のことを思ってもいいのです。普段は生活の中ですから妻子眷属のことを大いに思ってもいいのです。夫は妻を大いに愛し、妻は夫を愛し、親は本当に子供に慈悲を持ち、子供は親に常に心を注ぐ、こういうことは人間にとって大事なことなのです。けれども普段、お題目を唱えながらやっていればいいのだけれども、臨終の時に妻が夫を思い、夫が妻を思うということになると、これは困るのです。
これは地獄、餓鬼に堕ちる原因になるのです。つまりこれは心が乱れる。お題目を唱えていって自然の姿の中で、大きい心の中で妻子のことを大慈悲をもって自然に思うということは、これは執われていませんからいいのですけれども、執われて「恋しい、恋しい」とか「別れるのが嫌だ」とかいうようなことを思って死ぬと、それが臨終の一念の障りになるのです。だから臨終の一念の障りは充分に気を付けなければいけない。
そのほか色々ありますが、散乱のために断末魔の苦しみが来るから、これからも充分、気を付けなければならない。
断末魔の苦しみを助けることは、普段、善いことを修していくこと、他の人を必要以上に傷つけないことである。必要があって、大慈悲の上から傷つける形になることはやむをえないけれども、特に「言葉の剣、諸人を断つ」という言葉があるように、自分の怒りや何かでしょっちゅう人を傷つけているような人は、臨終の時に断末魔の風が身体の中に入って、断末魔というのは風という説もありますが、そうすると風が刀の如く身体をさいなむのです。千本の鋭い刃で身体を切り刻むような痛みを覚える。そうして苦しみながら、のた打ち死ぬということです。だからこの臨終ということは大事なのです。
そこで、臨終の時は普段信心している人は必ず耳元でお題目を唱えてあげることが大事です。いかに信心している人でも、過去の悪業の因縁もあり、何かの時に取り乱さないものでもないから、必ずあなた方の妻子眷属、あるいは親が亡くなる時には耳元でお題目を静かに唱えてあげる。大きな声を出しては駄目ですよ。なるべく静かに、相手の心の中にスーッと入るようにお題目を唱えてやるべしということが日寛上人の『臨終用心抄』に示されてある。だからやはり臨終は非常に大事であります。しかし、それもやはり普段の行業が大事なのです。
それから断末魔のほかにも色々な魔が襲ってくる人がある。これは外から来るのですが、この魔がまた怖いのです。しかし、この魔も普段、お題目を唱えていますと魔などというものは、みんな手の上に乗せた犬ころみたいにおとなしくなってくる。だけれども普段、本当にお題目を唱えていない人はこの魔がいたずらしまして、様々な用きをして臨終正念を打ち破るということがある。
それから、先程言った妻子眷属への執着、これは三障四魔の三障のほうです。煩悩障等の障りによって魔に臨終正念が破られる、心が乱れることによって地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちるということがありますから、充分に気を付けなければいけない。
それで今拝読した所は、この臨終のことを特に言われて、法華経を信ずる人は必ず多くの仏様、菩薩方の来迎を得て、幸せな境界を開いていくことができるということを大聖人様が御指南であります。
次に第四番目の解釈指南として「過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず、過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、謗法不信の者は『即断一切世間仏種』とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり」と、同じく臨終に間違して三世ということをお説きであります。
生死というものは三世にわたるのであって、これは十二因縁という法門がそれなのです。つまり無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死とこれが三世両重の因果と言われまして、過去の無明によって行がある。これが過去の二因です。それによって今世の命を受ける。それで今世が識・名色・六入・触・受と赤ん坊がお母さんのおなかに宿った状態から、だんだんお母さんのおなかの中で大きくなっていく状態、そして生まれてくるのが現在の五果である。それから今度はだんだん大きくなって愛・取・有の現在の三因によって生・老死という結果がきて死を迎える。それで、その死がまた元の無明へ帰る。ですから悟らない人は、苦しみながら、ずっとぐるぐると三世を回らなければならないということです。
だから、我々は過去・現在・未来の三世ということが、生死ということから考えて非常に大事である。この三世にわたって、つまり「過去の生死・現在の生死・未来の生死」、三世にわたる生死の中で常に南無妙法蓮華経という、法華経を忘れないところがそのまま成仏の境界を常に開き、常に幸せな境界を得て衆生を導く生命、勝れた幸福な生命となるところの仏様からの立派の相承であるということをここに御指南であります。つまり妙法受持ということが三世にわたる生死の上の血脈であるということを御指南であります。
次に第五番目の妙法の指南として「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する所の処詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」とありますが、この御文は皆さん方がもう常に聞かれておるでしょう。
この御文は、この生死一大事血脈の解釈の中で、末法の弘通に約して御教示である。つまり末法弘通ということが仏様の一切衆生を導くための、生死一大事を解決せしめるためのお振る舞いです。仏様のお振る舞いが末法広宣流布ということなのです。その弘通に約して、そのためには異体同心にして南無妙法蓮華経と唱えることが生死一大事の血脈である。これは生という面です。先程の臨終ということは死のほうでしたけれども、今度は生きている上の価値は何かというと、正法を受持していくことである。そしてその正法を人に教え弘めていくことである。その広宣流布、正法弘通の上においては何が大事かというと異体同心ということが大事であるということです。
この異体同心をまた他宗の人達はずいぶんおかしく考えているのです。何でもかんでも気持ちが一つになるのが異体同心だと言うのですが、そうではないのです。それでは一体どこが基準になって異体同心になるのか。なるわけがないのです。そうでしょう。ある人は「三角が好きだ」、ある人は「四角が好きだ」、「いや、私は丸がいい」とみんな言うでしょう。だから人によって考えも何もかも違うのだから、異体同心になるわけがないのです。
だから異体同心はどこを基準にするかということが大事なのです。この基準を「日蓮が弟子檀那」とあるから、日蓮大聖人をのけものにしてしまって、弟子檀那だけが異体同心になればいいのだというように思っている。これはやはり一番根本はそうではない。大聖人様と異体同心になることが根本なのです。御本仏様のお心に異体同心になる。それがまた現在は、正しい大聖人様の法を信受し、本当の広宣流布のための信念を持ってやっていく僧侶、乃至信者、そういう僧俗の気持ちの中にみんなが一つになっていくというところが本当の異体同心ということになるのです。
その中で「水魚の思」をなして自他彼此の心なく南無妙法蓮華経と異体同心にして唱えていくところに生は生の上の本当の成仏の境界が顕れるのである。生死ということは生という意味と死という意味と、また三世にわたる意味とすべて存するのだけれども、生活していく上の真の意義は妙法を受持するところに本当の幸せがあり、楽しみがある。その上からの一大事は大聖人様のお心にかない、そこのところを一番根本の基準としての異体同心になって、「水魚の思」をなして、水と魚の如くに一体になって、この法を信心修行し、また弘めていくべきである。それから、異体異心の者があれば「城者として城を破るが如し」という戒めが示されてあります。
これは、したがって末法の弘通に約して異体同心の唱題、信心修行をもって、そこが生死一大事の血脈であるということをお示しであります。
(大日蓮平成2年9月号)
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