あしなみ揃えて! ~日蓮大聖人様に寄り添いながら~

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中有に関連した御指南


     撰時抄(十)
                    昭和五十六年十一月十一日
                    興道寺本堂・庫裡改修落慶法要の砌

 そこで「六道・四生・三世の事を記し給いけるは寸分もたがはざりけるにや」――六道、四生というような形での因縁、因果の相ですね。どうして人間として生まれてきたか、また、人間として生まれたなかにも、富んで生まれる人もあれば、貧乏なところに生まれる人もあります。あるいは非常に病気の多い人もあれば、健康な人もあります。その他、人間のなかでも千差万別ですが、さらに「六道」ということからみると、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界という六つの区別は実に――これは一往、六つに簡単にいえますが、よく考えてみると、畜生だけでも何百種、何千種、何万種と分かれております。ですから、それらのものはみんな因縁が違い、色々と特性が違います。しかし、それもやはり皆、けっして偶然ではなく、仏法の上からいけば、そういった一つの、過去からの然るべき因縁の相によって、原因、結果の法則があって生まれてきておるのであります。けっしてただ単に、簡単に生まれてきておるのではありません。そこで、この六道の相の、色々な因縁、因果のことも、こういう広い法門のところでは説かれてあるということであります。
 また「四生」というのは、皆さんも御承知と思いますが、卵生、湿生、胎生、化生という四つであります。いわゆる卵から生まれる、それからジメジメした湿気のなかから生じてくる、胎生といってお母さんのおなかのなかから生理的な――人間とかその他、一部の動物のような形で生まれてくる、それから化生といって、生理的な方法でなく突然、ある因縁によって生まれてくるという衆生の四つであります。
 この化生ということについて少し話しをしておきますと、これは化け物の「化」と書きますが、つまり生理的な現象によらないで突然、生じてくるということであります。また、それが存続したり、いるかと思うとまた、消えてしまうのです。
 それで、だいたい、どういうところにこの化生の命があるかといいますと、六道のなかで地獄界は化生の命であります。それから、天界も化生の命です。それから「中有」といいまして、人間でも何でも死ぬと、次の生が決まるまでの間、ある期間、どうにも決まらない場合があります。善根功徳によって最高の功徳を積んだ人はスッと善い所へ行ってしまうのです。そういう切符をもらってあるわけです。ところが悪い人は、これもまたすぐに地獄とか餓鬼とか畜生に行ってしまいます。
 ところが、善いこともしたが悪いこともしたというようなことで、どの辺に行くのか、すぐ決まらないような場合があります。そうすると今度は、縁が大事ということになります。つまり、そういう人は追善供養というような善によって――自分の力では出来ませんけれども、縁のある人の善根によって自分の因縁、因果以上の善い所へ行って幸せになることができるという意味がありますが、その決まらないうちを「中有」というのです。ですから、そういう場合も、これは一つの、命が無いようで有る、有るようで無い――しかし、実際は有るのですけれども――これも一つの生ではあり、化生ということであります。 化生などというのは普通、今の物質文明のなかで、物ということだけに執われ、目に見える物以外は絶対に信用しないような今どきの近視眼的な科学者等の目から見たならば、訳が解らないかも知れませんけれども、やはりきちんと存在するのであります。
 そういうことの因縁の相が――こういうことは論じていけば、きりがないのですけれども、そこに過去、現在、未来の三世の相がまた存在するのであります。
 そしてしかも、特にこの三世ということについて、大集経においては特に仏法流布の相が五箇の五百歳において厳然と予言されておるということが言われるのであります。すなわち、世の中の人々の相から、衆生の因縁、因果の相、三世の相、さらに仏法流布の三世の相というものが説かれておりますけれども、それらはまことに寸分も違っていないということです。
(大日蓮昭和59年8月号)

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