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2010年05月18日
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カテゴリ: カテゴリ未分類



私の3歳下の妹は生まれたときから小児麻痺で両親には医師から「子の子は長くて7歳ぐらいまでしか生きれないだろうと」と宣告されていたそうです。
親戚などからは妹を私もまだ小さくて手がかかるから、施設に預けた方が良いと言われていたそうですが、自分で産んだ子供なんだからと必死で育てていたそうです。
そうこうしているうちに又妹と、弟が生まれて5年の月日が流れとうとうどうしようも無くて泣く泣く施設に預ける決心をしたそうです。それでも母は毎日時間のある限り妹の所へ行っては介護を献身的にしていたのを幼い私でしたが覚えています。
それか一年後の年末に多分もう予断は出来ないだろうということで、外泊をさせて家に妹を連れて帰ってきました。その数日後に妹は眠るように静かに父と母の胸の中で息を引き取りました、そんな母に周りの人たちは妹が「親孝行をしてくれたんよ!」と泣きながら母を慰めてくれてたのを覚えています。それからの母は暫くおかしかったのですが、残された私達のために頑張って明るく亡くなった妹の為にも精一杯生きようと思ったそうです。
それからの母は本当にいつ見ても疲れていても私達の前では常に笑っていてくれました。
そんな中今度は5歳下の妹が腎臓病になり5年間入院生活を余儀なくされました。それでも母毎日病院へ行き帰って来ては店をしていたので店の準備に追われと何時も大変そうでした。
まだ幼かった8歳下の弟の面倒はほとんど私が見ていました。それから数年後に夫婦のことは分かりませんが、両親は離婚していまい、このとき私は高2で妹は12歳、弟は10歳と言う年で皆母へついていきました。
それからの母も昼夜働きながらそれでも何時も笑顔で時間があれば弟がまだ小さかったのもあり近くの学校へ行き沢山遊んでくれていました。

それなのに今度は私が癌になるなんて!いったい母にどんな風に伝えればいいのか?それでなくても一人かけがえのない子供を失っているのにと思うと中々伝えることができなかったのです。





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Last updated  2010年05月18日 10時06分37秒
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