サハリン=樺太。
樺太は、日本名。サハリンは、ロシア名。
文化的には、北海道、千島列島、樺太が同じアイヌ文化圏。
帝国主義時代に入って、領土拡張したいロシアと、
ロシアの南下を食い止めたい日本のせめぎ合いの土地となるが、
最初に測量を行ったのは、日本だし、
昔から漁業でこの土地に移入・開拓していたのも、日本人。
ロシア人ですら認めてる。
「日本人が居住していたのは、
彼らがすでに(1868年当時から) 半世紀以上も (前に) 開拓していた 、
まだ国境の確定されなかった サハリン 」だったと。( 『ロシアに渡った日本人』)
「古来より、日本と深い関係を持っていたことを知」(『絵で見る樺太史』)りつつ、
「可能であれば、その土地(樺太)をロシアに編入しようと考えてい」(『絵・・』)た
ロシアは、安政元年(1855年)、日露和親条約で、
樺太の北半分を手に入れる。
艦隊率いて武力ちらつかせて奪い取ったその土地に、
ロシアは次々と 囚人たちを送りこんだ。
近代国家になるためにあらゆるところで必死だった日本は、
北海道を一大農業国に発展させることにいっぱいいっぱいで、
樺太の開拓まで、正直手がまわらなかった。
ロシアの進出速度に追いつけないと感じた政府内には、
もう、あの土地いらねんじゃね?と”樺太放棄論”が飛び出す始末。
ついに明治8(1875)年、千島樺太交換条約で、
北千島十八島と引き換えに、樺太を放棄。
地図見ればわかるけど、樺太と、千島列島なんて、
くえらべものになんてなりゃしない。
事実上の、武力併合。
樺太を流刑地としてしかみていなかったロシアのもとでは、
産業も何も発展せず、「樺太の漁業は、日本人がほぼ独占しており、
樺太には、数百名以上の日本人が居住していました。」『絵・・』
「ロシア極東において漁業は始まったばかりであり、
ロシアの漁師は日本に太刀打ちできなかった。」『ロシア・・』
「日本がこの地に加わったことが、このロシアの辺境の地の経済開発や発展を促進したことは否定できない。」『ロシア・・』
チェーホフの『サハリン』は、この頃書かれる。
流刑島である樺太を、チェーホフは ”地獄” と呼んだ。
一方、日本人にとって、樺太は資源豊かな ”宝島” だった。
日露戦争(1904年)で、一瞬だけ樺太奪還するも、
ルーズベルトのおかげでポーツマス条約(1905年)で、
北樺太を再びロシアに譲渡。
南樺太に住んでいたロシア人が、「俺たちここに住みたいし」とかごねたので、
優しい優しい日本人は、残留を認めることに。
このロシア人たちが、「 自分たちをロスキーと呼んだため 、
日本人は、彼らを露助、彼らの村を露助村と呼びました。
樺太の「露助」は、ロスキーの訛りで、非差別用語 です。」『絵で・・』
対して、ロシア人学者
「何万人もの日本人を強制的に収容所に拘束したソ連への反感は、
日本人がその人種に関わらずソ連の人々に使った
「ロスケ」という一般化された蔑称 に表れていた。」
なんというか・・被害妄想こじらせて、逆ギレ?
樺太の針葉樹林の利用で、 王子製紙 は世界を代表する製紙会社になり、
樺太の無煙石炭は「 黒いダイヤ 」と呼ばれ、
炭坑町では生徒数三千人という、 日本最大 の小学校が出来た。
島にはJRが走り、本州からの観光客も来るほどの賑わいを見せる。
戦後、日本人が好きな物といわれた「巨人・大鵬・卵焼き」の
横綱大鵬は、樺太の出身 だし、
『南極物語』で日本人の涙を絞り取った タロ・ジロは、樺太犬 だ。
シベリア出兵(1920年)で、日本はもいっかい樺太全島回復するも、
1925年には、再び北樺太放棄。
昭和20(1945)年、8月9日、日ソ中立条約を無視して
ソ連軍が、 国境侵犯、武力併合 。
アメリカとの停戦交渉の橋渡し役にソ連に送っていた使者を殺害して
行った違反行為、
日本にもう戦う意思のないことを確認した上で行った火事場泥棒。
東京大空襲と同じように、民間人しかいない豊原市(北海道における札幌)に
空襲をしかけ、絨毯爆撃。
避難民を満載した船を次々に攻撃、避難民一七〇〇人以上が死亡。
これを、ロシアの学者はなんと、「 日ソ戦 」(『ロシア・・』)と言いやがる
現在、南樺太は 所属未定地 とされ、
北方領土にも、数え上げられていない。
といわれているが・・・
日本領土だろうよ?!
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