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中学3年生の教科書を4月13日にもらって帰ってくるので1,2年の教科書を保管するスペースを作る為に本棚の整理をしていたら、出てきました。本屋で買うと必ずブックカバーを付けていただくのでブックカバーが付いていて、タイトルが隠れていたので今日まで気づきませんでした。2018年に本屋で買っていました。2019年5月に「HSC」についてブログに書いていますが、この本は、そのHSCの大人版。HSC・・・・ハイリーセンシティブチャイルドHSP・・・・ハイリーセンシティブパーソンわたし、自覚があって学んでいたんです。でも、すっかり忘れていました。そしてこういう人たちをスピリチュアルの世界では、特殊は感覚を持った「インディゴチルドレン」「クリスタルチルドレン」「レインボーチルドレン」などと呼ぶそうです。そして世界のリーダーたちの多くはHSP気質。その代表は、「ユング心理学」で知られるスイスの精神科医・心理学者ユングまた、第16代アメリカ大統領の リンカーン、天才物理学者の アルベルト・アインシュタイン、マイクロソフト社の ビル・ゲイツ、投資家の ウオーレン・バフェット、インドの指導者 マハトマ・ガンジー、映画監督の スティーブン・スピルバーグ、ハリーポッターシリーズの作者 J・K・ローリング、スヌーピーの生みの親 チャールズ・シュルツ、Googleの共同創業者 ラリー・ペイジこのような著名人もHSPだと著者の精神科医 長沼睦雄先生は書かれています。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~ コロナウイルスが出始めの頃、セカイが変わろうとしていることに気づきました。男性であること女性であること男の子だけどスカートを履く。女の子だけど丸刈りをする。こういうことが普通になってゆく。偏見を無くさないと、令和って時代が成り立たなくなる。だから、今コロナ感染した人を誹謗中傷する人がいますよね、それを無くすために、そういう偏見を無くしたくてコロナが蔓延してるんです。差別、偏見、そういう見難い心が無くならない限りなかなか終息しない、そんな気がしています。
2020年04月11日
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HSCについて調べていくうちに、HSC気質を持っているお子さまへの関わり方など、詳細に書かれていらっしゃるブログに繋がりました。早速、筆者に連絡して私のブログでご紹介させていただくことに了承いただきました。とても分かりやすく書かれていらっしゃるので、内容を共有したいとの思いからリンクを貼ります。『それでも彼と未来をさがして』HSC母のbloghttp://christmassrose33712.seesaa.net/
2019年05月24日
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思春期の子供たちには、「何を言うか」よりも。「何を言わないか」に気を配る。思春期の子供の多くは、「社会は間違っている」「大人は信用できない」「常識には縛られたくない」「親のようにはなりたくない」このように感じている場合が多いそうです。さらに、「自分は大人と対等」 「大人よりも上」だと考えていることも多いそうです。つい、最近の娘との会話でもそう感じました。そんな彼女に話す際、特に気をつけたいのが、「AではなくてB」つまり、「NotA,But B」という話し方を辞めること。子どもが今夢中になってやっていることを否定(STOP)して、親の意見(B)をやりなさい!と命令してしまうこと。根本には、「Bをして欲しい」という親の欲求が有るのですが、つい、今やっていることの手を止めて、親の想うことをやらせようとする。この時期の子供には通用しない話し方のようです。どうやればいいか・・・こども自身が、「Bの方がいいな」と思えるような事柄をつけたして「Bをしてほしい」と言えばいいだけ。始めに否定する言葉を持ってくると、心を閉ざすそうです。「思春期の子とのコミュニケーションに悩んだら読む本」思春期専門カウンセラー 大塚隆司 著を熟読して学んだ内容です。まだ、完全に自分のものとなっていませんので書いた内容を読み返し、自然に言葉にできるよう日々実践あるのみです。
2018年09月14日
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CHICO&HONEY WORKS「聞こえますか」初めて聞いたのが、私の友達、私、娘、私の友達の娘さんの4人でカラオケに行った際、友達の娘さんがカラオケで歌われて。当時、友達のお子さんはちょうど中学1年生だった。娘はこの曲が今、癒しのようです。
2018年09月05日
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戻れるものなら戻りたい。幸せだった滝野東小学校での日々。気の合う仲間がいて、想いを伝え、共感できる仲間が居る場所。娘はずっとそう言っていたが、元夫に「連れ戻される」ことから逃れる為に、追って来れない場所へ避難することが課せられた。本当は県外へ移住することを薦められた。けれど、本当に孤立してしまうので、どうか県内で人口過密市で人に紛れて生きて行ける場所にしてください。と、懇願した。今は、元夫は私たち家族で暮らした場所にはいない。彼と連絡を取っているわけではなく、定期的にいついなくなり私たち母子が安心してそこを訪れることができるかを確認しに通っているからわかったことだ。とぎれている娘の交友関係を復活させてやりたい。その思いが強く、1日でも早くという思いから、そこの様子を伺っていた。けれど、そこを出てから4年という年月が流れた。娘が通っていた小学校になじみの同級生はもういない。当時は、娘に友達との連絡ツールは無く、学校で会って話してまた明日だ。でも、今もなお 娘の心にいるのはあの頃の優しく、気の合う友達たちの笑顔だ。現実逃避?そうかもしれない。ただ そうとは言い切れない。彼女の中できちんと折り合いがついていないから。なんでもきちんとしたい性格なのに、引っ越すこと、引っ越す理由、今日までありがとう。いろんな思いを大切な友達に伝えられなかった想い。この不完全な揺れ動く感情をどこにぶつければいいのか・・・私にできることは本当に無いのか?涙を流し昔を語る娘を見ていると何もしてやれない自分がくやしい。災害で友や親を亡くしたこの話や、行きたくても学校へ行けない子の話。折に触れては話してみるが、彼女の心には響かない。そう簡単なものじゃないらしい。
2018年09月03日
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