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日本語の「諦める」と「明らめる」の語源は同じで、もともと物事の本当のあり方を「明らか」にすることである。近世では「物事のあり方を明らかにして」という前提が消えてしまい、単に断念し放棄する意味がつよくなったようである。きれいさっぱり諦めるためには何をどのように明らかにすれば良いか、それには物事や自分の心のあり方を観察するのが一番である。予定していたキャンプが雨で中止、そのとき行きたかったキャンプを諦めるには「天気は変えられない」ことを明らかにする必要がある。そうしないと「どうして雨が降るのだ」と無意味なグチを言い続けることになる。好きな人を諦めるには、どうやっても振り向いてくれない事実を明らかにする、この行為はとても辛いものがあるけれど次のステップのためには最良の手段かもしれない。
2024.04.30
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繊細な人(High Sensitive Person)世の中には繊細な人と繊細でない人が存在する。繊細な人が持つ「繊細さ」は性格上の課題ではなく。生まれもった気質の可能性が高いようである。脳の神経システムに違いがあり他の人が気づかないような小さなことに気づく神経システムを持っている。繊細さんの特徴は「感じる力が強い」という一言に集約される。感じる対象は多岐にわたり、人の感情、場の雰囲気といった人間関係に関するものから、光や音、気温の変化など「自分の外側にあるもの」はもちろん、体調や自分自身の気持ち、新しく思いついたアイデアなど「自分の内側で起きていること」もよく感じ取る。「感じる力」がもたらすいいことは自分のまわりにある「いいもの」に気づき、まわりのものや人から嬉しさをもらって、身も心もふっくらとできる。また同時に痛い、つらい、疲れたという負の感覚もとぎすまされていることは自分自身を余計に疲れさせてしまう。両刃の剣である。繊細な人が楽に生きていくためにはいかに自分に都合よく感覚をコントロールするかに関わってくると考える。私自身、どちらかというと極度なHSPだと思っている。
2024.04.29
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わかっているけどできないことの1つとして「謝罪をもとめないこと」があります。特に仕事の上で多いのですが、相手の言葉や行動に腹がたっていさかいになったときに、「一言あやまってくれればすむのに」と思うことがあります。(これは自己中心的な考え方ですが、客観的かつ冷静に考えても相手がまちがっているとき無性に腹立たしくなります。)そんなとき、いつまでもそのことにこだわないで「あー、この人はこんな人なんだ。」とこだわるのを止めて他のことに集中できたらもっと楽に生きていけるのに思う。その逆に狡猾的に要領のいい人もいます。「謝罪上手」で、いくら不平不満がヤマほどあっても早々に深々と頭をさげられるとその後の不平不満を言い出せなくなります。「この人、本当に反省してるの?」と思ってしまいますが、その場はあっさりと片付いて自分のいかりはなんだったんだろうとあっけにとられます。
2024.01.15
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