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スコトーマは元々『眼科医が使う医学用語』として使われていた。身体の構造上、神経の束に遮られて『視覚情報として認識できない箇所』がある。この『盲点となるポイント』を眼科医はスコトーマと呼んでいた。近年ではこの言葉が心理学やコーチングなどでも持ち入れられるようになった。心理的盲点で定義するスコトーマとは人が無意識的に見落としてしまう盲点のことをいい、脳は『自分にとって重要な情報』しか取り入れず、『重要性の低い情報』を必要のないものと判断して全て削ぎ落とし、重要な情報だけを処理する機能がある。極端にいえば脳は『自分にとって重要な物』だけ認識するようにしており、重要性でないと判断し、削ぎ落とされてしまった情報がスコトーマともいえる。逆に言えば、すべての情報を認識して処理していたら脳がパンクしてしまう。しかしながら、そぎ落とされた情報の中に貴重な情報があり見逃していることも少ないということかもしれない。
2024.05.21
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プライミング効果(Priming Effect)あらかじめ受けた刺激によって、無意識のうちに行動が影響を受けるという心理効果。プライミング効果の例としては、道を歩いていたら、どこかからカレーの匂いが漂ってきた。→買い物をするとき、気づいたらレトルトカレーを手に取っていた。テレビでお菓子のCMを見た。→いつもは食べないのに、なぜだかお菓子を買いたくなってきた。アンカリング効果(Anchoring Effect)最初に与えられた数字(アンカー)を基準に考えることで、その後に提示された別の数字への認識が異なるという現象で、心理学における認知バイアスの1つである。アンカリング効果の例としては。→車を購入させたいときに、より高価な車を見せておくと、販売したい価格帯の車を購入する可能性が高まる。事前の心理的トリガーとしては同様で事象か数値データかの違いだけではないかと思ってしまう。
2024.05.17
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「嫌われる勇気」を持ちたいと思っても、そのことが怖かったり、仲間はずれにされないか不安になる、なぜか?小学校のころまでさかのぼってみると、「自分のクラス=世界のすべて」で「クラスで孤立=世界から孤立」を意味した。そこで、クラスメイトに嫌われないようにする。大人になってみると、クラスはただのちっぽけな世界だったわけで、実は多くの世界が存在している。しかし学校生活でついたクセが抜けない人が多い。本当はさまざまな世界があるのに、実際アクセスしているのは小さな世界のみだったりする。そこから抜け出せないでいる。「クラス=職場」になってしまった人は嫌われる勇気をもてない。そこで、「自分だけの世界(群れない生き方:一人の趣味)」を確立すると人目を気にする必要がなくなる。1つの自分だけの世界を確立しておけば他人と関わる他の世界でも堂々と生きていける。私の場合、一人の趣味とはフルマラソンや富士登山競走だったりしたけれど、年を重ねてできなくなった。今はひたすら筋トレや読書に励んでいる。
2024.05.12
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私自身は、あつかましく、したたかに生きてきたが一般的に感じることが次のとおりである。ちょっと繊細な人が感じる日本の嫌なところ1. 几帳面な人が多く、細かい指摘をされる。2. 少しでもまわりと違う人間は排除されがちである。3. 一度レールをはずれた人は再出発がむずかしい。4. ものごとをあいまいにし、本音で話さない。5. 目上の者は正しいという儒教的な価値観。これらの事情から、ひきこもりや海外への外こもりになってしまう若者がいるのが現実である。外こもりとは、物価が安く比較的治安の良い国で定職をもたず投資やネットビジネスで気楽に過ごすこと。
2024.05.08
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人はとかく自分の考え方を押しつけがちで、ときとして"ひんしゅく"をかってしまう。そんなときは相手を理解することが大切で、自分と考えがことなっても「どうしてそう思うのか」を考えてみる。そのためには1.お互いの考え方に線引きをする、「私はこう考える、でもあなたはそう考えている、そういう考え方もあるんですね。」2.お互いの考え方を俯瞰する。それぞれの考え方をパワーポイントのプレゼン資料のように図式化してみる。相手をたてるばかりでは、自分のモチベーションがさがってしまう。自分の思うところもしっかりと表現することがこころよい人間関係に維持につながると考える。
2024.05.04
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衝動買いや、過度の飲酒喫煙は自分のこころの中の凸凹を埋めようとする行為であり、こころの中のデコボコはたいていが自分の思い通りにことが運ばないからである。衝動買いや依存症で後悔するよりも自分を客観的に見た方が賢明である。他人に期待して期待外れであることも多々あるが意外と自分への期待外れが少なくない。「三日坊主」「竜頭蛇尾」「三月庭訓」「隠公左伝」いずれも自己の意志薄弱さをあらわす四字熟語である。自分への過度の期待はストレスのもととなる。達成可能な期待をして、達成感を積み重ねることが大事。
2024.05.03
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相談のメリット1.ガス抜き効果 ストレスが発散され、気分がすっきりする。2.不安の現象 興奮が抑制される。3.なやみの整理 筋道だてて話すことで話が整理される。4.言語化 現状、原因などあいまいな点がはっきりする。5.アドバイス これはあまり役に立たないように思う。カウンセリングでは自分自身が回答をみちびきだすのが本来で、どんなにすばらしい人のアドバイスも参考情報でしかなく、人にアドバイスを鵜呑みするようでは先が見えている気がする。
2024.04.26
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「ふつうが幸せ」という人がいる。多くの人と同じであれば安心できるかも知れない。しかし、この考え方が自分をくるしめることがある。「ふつうが幸せ」という考え方の裏側には「ふつうじゃないと不幸せ」という気持ちがかくれている。「それなりの学校に進学」「収入は人並み」「○○才ぐらいで結婚」もし、こうしたことを「ふつう」としているのであれば、こうした無数にある「ふつう」をすべて実現できる人は多くないだろう。ほとんどの人はそうした「ふつう」とは違った部分がなにかしらあるもので、それを気にすることはない。そもそも「ふつう」か「ふつうじゃない」かという基準はなくて、それは誰かが勝手につくりあげたもので、世間から押しつけられた「ふつう」、自分が勝手につくってしまっている「ふつう」にしばられることなく、自分らしい人生を生きたいものである。
2024.04.25
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「エピソードを読み合えば会話は円滑につながる。」と言われている。実際、人というのはエピソードの宝庫である。ただ、それは外からではわからない。身につけているものや言葉のはしばしに秘められた部分をいかに読み合うかが会話の役割で、自分が相手におもしろい話をしているときは実は相手が上手に読んでくれているときである。質問上手になるということは、人という書物を読むのがうまくなったということ。そして読まれているがわの人は幸せを感じているのである。
2024.04.23
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「何を話していいかわからないから、コミュニケーションがこわい。」と悩む人がいる。実は、自分のエピソードを話しても、まず相手に興味をもってもらえることはまれである。相手に興味を持たれている自分のエピソードをわざわざ話すような立場・職業なんて実はこの世にあまりない。でも心のどこかで、みんな自分の話を聞いてほしいと願っている。それって「相手に気持ちよく話してもらうこと」が気まずさをやりすごす一番いい方法である。自分で話したいことを決めてから会話にのぞむのは最初からまちがっている。人と会うときは「相手の話をきく」と思うだけでまったく結果が変わってくる。とはいうものの、なかなかそうはいかない。なにせ自分のことを人に話すことで脳内で快感物質が出るわけだから。人の快感のために奉仕するのもつらい。
2024.04.22
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何年にどこそこの学校を卒業して、どこそこの会社につとめてという事柄を紹介するのではなく「音楽だったら○○が好きで」「もし一億円あったら、○○をする」と答えるわけである。ある人がある人であるという理由は「どんなエピソードをその人がもっているのか」「そのエピソードを、どう感じているのか」人はエピソードに、意味づけをするが、その意味づけをわかってくれる人をともだち、大切な人だと感じるのだと思う、しかし人の価値観に興味をもたない人が、実はほとんどである。もし、その価値観に自然に興味を持つことができたら、その人と一緒にいることに困ることはないだろう。カウンセラーがカウンセリングでクライエントに寄り添うアプローチも似ていると考える。先日、高専の同期会があって久しぶりに顔を合わせた。それぞれが第一線の職をひき肩書きをなくした。学生時代にもどってそれぞれの本質に関わるトークになった気がする。
2024.04.21
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なにげない会話の話題に「きどにたちかけし衣食住」というのがある。き(気象)ど(道楽)に(ニュース)た(旅)ち(知人)か(家族)け(健康)し(仕事)衣食住高齢者同士の話題で多いのが健康で、病気体験の自慢あらそいになりがちである。ある程度年齢を重ねると怪我や病気を完璧にスルーして生きてきた人はまれなので実体験を多少脚色してドラスティックに話す人もいたりする。
2024.04.20
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「悩みとは、すべて人間関係の悩みである」と考える心理学がある。たしかに、異性のなやみも、仕事のなやみも、間違いなく人間関係の悩みである。もし、お金がないのがなやみだったとしても、それはお金という紙とか金属をもっていないこと自体がなやみではなく、フェアに人に物事をたのんだり、商品やサービスを受け取ったりできないことがそのなやみの本質ではないか。また、コミュニケーションはキャッチボールにたとえられる。世の中にはこのキャッチボールは下手であるにも関わらず自分では高校野球選手級にうまいと誤解している人がたまにいる。豪速球をなげなくても老若男女だれとでもきちんとキャッチボールができることが大事。
2024.04.19
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「おまえは見られている」が宗教「見られていなくても」が道徳「どう見ているか」が哲学「見えているものがなにか」が科学「見えるようにする」のが数学「見ることができたら」が文学「見えていることにする」のが統計学「見られると興奮する」のが変態
2024.04.15
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会話はまさにキャッチボールだと思う。とくに雑談に言える。世の中には自分のことしか話さない人がいる、何度も何度も聞いたであろう自慢話そんなに自慢したいのとあきれてしまう。キャッチボールに例えると相手にとりやすいボールをなげることタイミングよくなげかえすことだろうと考える。会話の下手な人はとりにくいボールを次々になげつけるようなものである。そのうち嫌われるだけである。なげている人はそのボールがどこへ飛んでいるのまったく見えていない。こわれたピッチングマシンのように。
2024.04.08
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ASD(自閉スペクトラム症)でかつ繊細さんである。自分を客観的に観察したくて産業カウンセラーの資格を取得、某電話相談員研修を経てボランティア相談員認定を受けた。HSPと称される繊細な人に共通する5つの力として感じる力、考える力、味わう力、良心の力、直感の力に強みがあるようでどの力が強いかは個人差があるみたいだ。具体的には人間関係では相手の話を深く受け止めながら聞ける。相手のニーズを感じ取り細やかにケアし、相手の良いところを見つける。仕事のおいては他の人が気づかない小さな改善点にきづき、リスクを察知する。相手の動作を見ていつの間にか自分もできるようになる。趣味では、小さなしかけやこだわりに気づいて楽しめ、日常の小さな嬉しさをキャッチする。上記のようにとらえようによってはいいこともあるかもしれないが、逆にはかりしれないほどデメリットもかかえている。
2024.03.19
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「対人関係の三重円」という考え方があり円の一番内側は家族、恋人、親友などのかけがえのない人達その1つ外側は友人や親戚などがあたりさらのその外側に職業上の人間関係がある。多くの人は自分もその傾向があるが、最も外側の人とも親密な人間関係を築こうとして多くの精神的エネルギーを費やし精神的に疲れ果ててしまう。最も外側の人と人間関係はボチボチでいいし、本音や本心を明らかにする必要はないと思う、かえって本音を話すことで誤解されたり、傷ついたり傷つけられたりするかもしれない。しかしながら、優しい人、素直な人、人に寄り添いたいと思うタイプの人は誰とでも仲良くしたいと思ってしまう。他人はみんな自分と同じに優しい人だと誤解していて心ない人に利用されたり傷つけられたり人生に疲れてしまう。もっとしたたかに生きられたら人生楽なのに。
2024.03.18
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ベンジャミン・フランクリンというとアメリカの100ドル札の肖像にある人でアメリカの政治家であり気象学者でもあるが、ベンジャミン・フランクリン効果というのがある。「敵対議員の所有している本の中に、非常に希少で好奇心をそそる本があると聞いたので、その本を読みたいと書いて彼に伝えると、彼はすぐさまその本を送ってきてくれたので、1週間ほど後、彼にそのことへの感謝と友好の気持ちを書いたメモを同封して本を返送した。その後、彼に議場で会ったとき、彼は私に話しかけ(そんなことはこれまで一度もありませんでした)、とても礼儀正しく接してくれた。」相手に頼みごとをすることにより、相手の自分に対するネガティブな信念や感情をポジティブに変える効果である。たしかの嫌っている相手でも何か頼み事をされたりすると見方がそれまで変わったりすることがある。
2024.03.17
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