第二章 迷路



里人の故郷、仙台は、東北の中心都市、といえるだろう。
大都会とも言えず、田舎ともいえず、海も山もあり、街を流れる広瀬川まで
もが里人にとっての故郷であり、落ち着く場所ともいえるであろう。
駅からの広い歩道橋が、人々を街へと誘い、街路樹のそよぐ通りは、
訪れる人を、なぜかノスタルジックな気分にさせる。

「東京を離れよう。」
ミカは、有沢との恋が終った時思った。 どこへ?
その時、心に浮かんだのが、偶然にもこの、仙台だった。

高校の修学旅行で訪れたなつかしい街…。あの頃、クラスメートの智史に
恋をしていた。まだ、本当のつらさも、孤独も知らなかった頃……。
もどれるはずのない日々…でも、あのころの幸福な思いがこの街に
残っているかもしれない、そうも思った。

もともと深川育ちのミカとしては下町にある、独特な空気をここ、仙台にも
感じていた。

そんな街路樹が茂り、ビルが立ち並ぶ通りも、一歩はいると、
たちまち生活の匂いがみちあふれた道になった。
市場のかけ声、魚のにおい、エプロン姿の買い物客たち……。

「パパァ!だっこ!」2歳くらいの女の子が小さな手を精一杯伸ばし、
背伸びをしてダウンジャケットにジーンズという若い父親に
せがんでいる。
「だめ、だめ、あれ?ママはどこいったんだろうなぁ……」
「パパァ!だっこ、だっこ!」
「しかたないなぁ……」
「わぁぁい!」
女の子のはしゃぐかん高い声……。

あの子も生きていたら、ちょうどあれくらい……。
有沢も、あんなふうに彼の子どもを抱いているのだろうか……。
ミカは、あわてて親子に背を向けた。
暮れから正月はきらいな季節だ。幸せな親子が多すぎる。

アパートはそんな商店街の奥、明るい通りから、ふっと暗い街灯だけに
なったところにある。そこに来るといつも、舞台がふいに暗転したような気
分になった。今度ライトにてらされる場面が用意できていないままに……。

ストーブをつけ、テレビのスイッチをいれようとすると、
携帯が鳴った。、
「げんきぃ?恭子ですぅ!」
底抜けに明るい声だった。恭子は、この街での唯一の友達だ。
住み始めたばかりに勤めたコンビニで、知り合った。
「はじめまして!牛島恭子です。だから、ウシって呼んでね!」
初めて会った日、彼女は物おじしない明るさで言った。
眼鏡をかけた化粧っけのない顔、笑うと口が
ニコニコマークの口そっくりのかたちになった。
高校を卒業して美容師になろうとしたが、専門学校の試験に
みごと落ちたのだそうだ。

「ねえ、美人で社長秘書かなんかやりそうなタイプのに、
なんで、コンビニなんかつとめてるの?不思議だなぁ?」
「その社長といけないことして首になっちゃったのよ。」
その会話で二人は一気に親しくなった。ミカがコンビニを
やめたあとも、恭子は、なにをしているかなどと詮索はせず、
二人は仲のいい姉妹のようなつきあいを続けていた。

そうだ、恭子を呼ぼう!鍋の材料ならあるし、こんな夜は
1人はきつい。
やがて、コンビニから直行した、と、恭子は赤い頬をして
にぎやかに部屋に入ってきた。
「わあ!手料理?彼氏に悪いなぁ!」
「ううん!うまい!でも、ちょっと最近痩せたんじゃない?
あ、今から痩せたら来年の海水浴バッチリだね!ビキニだって着れる!
へそピアスなんかどう?」
恭子は、よく動く口を、食べることと、しゃべることに見事な
タイミングで使い分けた。

日本酒の酔いもまわって、眠気が襲ってきたのだろう。
こたつに入ったまま、眠りこんでしまった。
今夜は泊めてやろう。あしたは、午後まであいている。ミカも
浅い眠りにおちかかったとき、携帯がなった。

「あ、里人だけど、あの、かおりさん?」
「はい、かおりです。」ミカは初めて本名を言った。
きのう、里人と別れたあと、ドアにはさんでおいたメモに
携帯の番号といっしょに書いておいたのだ。

みずのかおり=ミカ、と。


一枚の紙には、携帯の番号と、その下には本名も、
ていねいな字でかきそえられていた。
本当のことを言えば、あまり電話は得意じゃない。 お互いの顔が
見えないと、どうしても声だけじゃ相手の本当の気持ちがつかめない
ような気がするから・・。
昔の自分なら、毎日誰かと電話していたのに・・。
きっと前はそれが楽しくて、それが寂しさを紛らわすものだったのかも
しれない。

人と同じに生きて、人と同じに生活してというサイクルからはずれて、
外に飛び出すことはしたくなかった。
それなのにどこかで、人とは違う、俺は、俺なんだ!っていう葛藤だけ
意識として持っていた。

「なんか、照れるね。」里人は受話器の向こうの空気を読み取ろうと
耳に神経を傾ける。
「今ね、ちょっとうとうとしてて声が変じゃない?」
どこかへ移動しているような音とともにかおりは話す。
恭子を起こさないようにベランダへ移動にちょっと寒い空に薄めのコート
をはおり。

「また、会いにいっていいかな?」
「いつまで仙台にいるの?」 「来てくれるのは嬉しいけど、うちの店は
高いし、大変じゃない?」
「外で会ったらルール違反でしょう?」。 「えっ、でも・・・」
かおりは少し戸惑いながら、そして一瞬間をあけた後、「いいよ、会おう
よ」普段はあまり気取らず、男には決して媚びないかおり、里人の前では何
故かこうも素直になれる。

「じゃあ、明日、ご飯でも一緒に食べる?」。
「苦手だなぁ・・・。 向かいあって食べるのって。 なんかね、恥ずかし
いんだ、でもがんばる!」

電話は決して、盛り上がったものではなく、ところどころ間があいたり、話
すタイミングがかぶったりとギクシャクした。けれども、それが変に飾った
ものではなく、ホントの気持ちそのままを表す声として伝わった。
どんな言い方をしても、ホントの気持ちがあれば、伝わるみたいに。

「じゃあ、明日。 6時に。遅れるようなら電話して。」
普段の里人なら、こういう場合、非通知で電話したりするのだが、正直に教
えてくれたかおりには知って貰いたいっていう気持ちもあり。 そのまま電
話番号をあいてに発信していた。

昔から、女の娘に対しては、古風なものを求めてしまいがちな里人は、かお
りの飾らない、ちょっと自分を犠牲にしているような、そんな影の部分にひ
かれていた。

電話を切った後に、しばらくツーツーツーの音までも大事に耳を傾むけなが
ら。

3年分ぐらいの寿命とひきかえに、思いきって電話してみてよかった。
さて、明日はどうしよう。相手は 風俗に勤めている女性だ。いや、
かおりはかおり。そういう目で、一瞬でもみてしまった自分をちょっと恥じ
た。 そして、何も考えず、明日会ってから全てを決めようと思った。


待ち合わせの場所に20分も早くついてしまった里人は、辺りの風景と人に
同化するように、壁際に立ち、辺りを見渡した。
ガラス越しに髪をなおすOL。 彼氏に「まだ??」と電話している女子高
生。
キックボード片手に、たむろする若者達。 遠くの方ではギターで弾き語り
をしている青年も見える。
こんな待ち合わせって何年ぶりだろう。 結婚してからはもちろんなかった
し、結婚する前だって・・・。 もう覚えていない。
待ち合わせって先にくるのがいい。 来るまでの時間がとても長く感じるけれど、きた時の彼女の顔を見るのがすごく好きだ。彼女が一番いい顔になる
から。

やがて時間は5時50分。 あと10分か・・・っとそこへ携帯がなる。
公衆電話と表示された電話をあわててとると、急ぎすぎた声で
「・・たし、みかです。」
「ごめんなさい。 今日はいけなくなった・・・。」
「急に昔の・・・がきて、それで・・今ちょっと取り込んでて・・・」
ところどころが聞き取れないくらいの小さな声とまわりの大きな騒音に里人
が、「遅れてもいいよ、もし無理でもその辺りで時間潰しているから。」
「うん、でも今日はちょっと・・(無)理かもしれない。」
「ほんとにごめんね、また電話するから・・・」

明日にはこの街をでなければいけない里人には今日、会えないのはとても辛
く、どうしても今日、会いたかった。
会って、なにする訳でもなく、ただ、ただ会いたい。 
俺の思いは空回りか……。里人は駐車場から車をだすと、むなしい思いを
ふりはらうように、右におもいきりカーブを曲がった。


なにをしているんだろう?
どうしたらいいんだろう?なんにもしたくない、しなくていい。
このまま流されて行くだけ。

かおりは、冷えた心のまま、男に抱かれていた。
今頃、里人はまだ駅で待っているだろうか。
里人...わたしは彼が好き...それなのに、こんな身体だけが目的の男に抱か
れている。 ふいに涙があふれた。
「泣いてるの?」
今日、初めて会った男は、身体の向きを変え、不思議そうにかおりを見た。

里人からの電話を受けたとき、「会いたい」正直にそう思った。 約束もし
た。 けれども、時間がたつのにつれて、迷いが生まれた。

里人は結婚している。かおりのような仕事をしている女と本気でつきあうは
ずがない。 また、有沢との恋のように、哀しい結末が待っているだけ。
もうあんな恋はごめんだ。 期待するのはよそう。

でも、終りを恐れてなんになる?今の気持ちを大切にすればいい。
どうなっても自分に正直でいたい……。
里人は、有沢とは違う。「かみそりの刃」と影でよばれていた有沢……。
仕事ができて、頭がよくて、闇の中にいても、くっきりと浮かび上がって
見えるような男。 完璧というよりも、スキがないと言った感じの人。

里人は...暖かくなつかしい人。話し始める前、とまどったように、ちょっと
私をみつめる表情が好き。 どこか頼りなさそうな仕種、人としての大事な
ポイントだと思う。 私も正直に自分がでる。

出口のみつからない迷路の中でもがいた。そして、疲れ、里人と会わない方
を選んだ。 あきらめの気持ちにツイ、”ポン”と背中を押されるようにし
て。

ホテルを出ると、街はすっかり夜の顔になっていた。
鮮やかすぎるネオンが光っている。かおりは、自分とは縁のない遠い世界の
もののように見上げた。 スポットライトはもう私にはあたらない。
眩しすぎる表の世界には戻れない。

でも・・・。 でも・・・。   そうだ!
あした、どこかに行こう。東京?そう東京!
逃げるように離れた街。今は、あの街の人にこびないよそよそしさが恋しかった。

マネージャーにはあす連絡して休暇をとればいい。
嫌味は言われるだろうけど。
里人は、あした奥さんのところに帰ってしまう。 
指輪をはめて、何ごともなかったように。これでいいんだ……。

その夜、携帯が鳴った。里人からだった。かおりは電源を切った。
そして、記録されていた番号を消した。
涙がこみあげる前に。わざと無造作に……。

電話が途中で切れた……。里人にとって、その瞬間には切れた理由が
とても理解できなかった。ただ、ただ流れているアナウンスの声だけを
何も考えず、何も思わずしばらく聞いていた。

ひとときの恋なのか・・・。
待ち合わせからそのまま実家へも帰る気分じゃなく、かおりに対しての
デートーコースをひと回りした後の電話・・・・。

城跡から山道に、昔のデートコース。 なれてたはずの130度コーナーを
ちょっとふくらみぎみに曲がったり。
じばらくいくと、お気に入りのレストンラン。 パスタ専門だけあって、
ここのパスタはホント美味しい。 時間帯に流れる生ピアノ演奏は会話をせ
ずとも二人の場をなごましてくれたはず。

そんな思いはこの際、どうでもよかった。 ただ会えないことが一番のこ
ころ残り・・・。

急ぎ過ぎたのか、やっぱりただのお客さんなんかな? 様々な葛藤とちょっ
とだけでも信じたかった気持ちが交差する。
投げやりな気持ちはそのままに・・・。


翌朝、里人はちょっとけだるい目覚めとともに窓の外に目をやると、気持ち
に合わせたような曇り。 でも昨日よりはちょっと暖かいかな?

下に降り、コーヒーを入れ、カップをもったまま2階へあがる。
昔と変わっていない動作に実家の親も変わらずの対応・・・。
もう一日、延ばそうか? そう思ったけど、辞めた。

来た時のままの服に着替え、タクシーを呼ぶと少しフライングぎみに
最寄りの地下鉄を告げる。
少し頭痛がしてたのは昨日のバーボンのせいだけではないだろう、でも、
これでいい。 今の生活から外れることはできないし、そんな勇気すらな
い。 かおりをなんとかしたくてもできない自分がいる。
かおりと恋に堕ちたくても堕ちきれない自分がいる。
かおりと呼びたくても呼べない自分がいる。
かおりと、かおりと・・・・。

新幹線に乗ってから降りるまではほとんど上の空で外の景色を眺めていた。
何も考えず、何も考えようとせず。

ホームを出、11番線に向かい、いつもの家路へ。

お正月には妻を連れて実家へ帰ろう。 前半は妻の実家へいって、後半は
またこよう、何もなかったんだ。 今回の帰郷は。 また今までの生活の
サイクルの為、動き回ろう。 
妻の宏美には、やさしくしてやらなければ。
かおりのことを忘れてしまえばきっと今までのようにできる。

駅をでた帰り道、北の空をちょっとふりあおぎながら、そう考えた。

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