第三章 ふたつの再会


かおりは、すっかり葉の落ちた街路樹や、枝の間から見える高層ビルを見上
げながら思った。 大晦日の西新宿は、人影も少なく閑散としていた。
ふだんはビジネスマンであふれる歩道も、数羽の鳩が寒そうに 羽をふるわ
せながら、餌をさがしている。

この街の、乾いたビジネスライクなところが好きだった。
家族や家庭のにおいのしない街…
東京のどこに行こうかと考えた時、かおりはこの西新宿のホテルに泊まろう
、と決めた。 そして、幸いにも、Sホテルのデッラクスシングルが予約で
きたのだった。
正月はホテルライフ!という家族連れのはしゃぎようも、広いホテル内のロ
ビーや、レストランでは、ほどよく拡散されて、1人でも、ゆっくり暮れと
正月を過ごせそうだった。

大晦日は行きなれた東口のデパートやブテイック、元旦は、明治神宮や原宿
、2日は…「大手町に行ってみよう。 会社のビルだけでも見て来ようか。
」ふとそんな考えが浮かんだ。

有沢とであった街、そっと社内メールで連絡しあった部屋、偶然のりあわせ
てときめいたエレベーター、哀しい結末になったけれど、思い出がいっぱい
の場所。
「もう一度行ってみたい!」そんな思いが胸いっぱいに拡がった。

1時間後、地下鉄からおりてビルの前に立った。
ガラスばりのビルは、冬の陽をうけてまぶしく光っていた。
社員だった頃、自分の職場だと、ちょっと誇らしくみあげたりしたものだっ
た。 でも……今はなぜこんなに違って見えるのだろう。
かおりを拒絶するように超然とたっているビル…
おまえはもう入れない。入る資格のない人間だ…
そんな声がきこえた。

かおりは逃げるようにホテルにもどった。その夜、眠れないまま、ウイス
キーに睡眠薬をまぜて飲んだ。
有沢と別れ、眠れなくなった時、医者から処方された薬だった。
深い眠りに落ちるまえ、かおりは夢をみた。
有沢が笑っている。結婚指輪をはずしながら…
「離婚することにきめたよ、かおり、こっちに来いよ。」
有沢の顔がいつのまにか、里人に変わった。
黙ってかおりをみつめている。何か言ってよ!
里人!何か……

里人は、元旦と、2日を妻の実家のある田無ですごし、昼前、妻の宏美と
東京駅に向った。里人の実家、仙台への新幹線に乗るために。
西武新宿線で、新宿駅に着いた時、宏美が言った。
「せっかく、新宿きたんだから、ここでお昼食べない? まだ時間充分ある
し。」 宏美は、西新宿のSホテルのレストランが気にいっていた。
48階から、街をながめながらの食事、行こうよ!と珍しく子どものように
はしゃいだ。
普段はクールな宏美の、そんな態度が里人には好ましく思えた。


Sホテルの入り口に近づくと、人だかりができていた。
救急車がとまっていたのだ。人垣のうしろからのぞくと、
ひとりの女性が担架にのせられて運び込まれるところだった。
少し茶色にそめられ、やわらかにカールした髪が担架からこぼれて揺れてい
た。 青白い顔……その顔をちらりと見た時、里人は、思わず声をあげた。


「かおり!」


しかし、すぐに救急車は、けたたましくサイレンをならして走り去った。
不思議そうな宏美と、呆然と立つ里人のことなど気づかないままに……


こ・こ・は・・・。


何か懐かしい匂いがした。軽い頭痛がある。なにか幻想の世界のよう……
かおりは、ゆっくりとまわりを見回した。
見なれたベット・サイド。 私を抱きかかえたまま、タバコを吸えるように
と喧嘩しながら移したサイドボード。 アラジンのストーブの青い炎……。

「えっ、ウソッ、」。 ボ~っとした瞳のかすかな光りの前に立っている有
沢・・・・。

「おはよう!、コーヒー入ってるよ!」。
何事もなかったような声のかけ方は相変わらずで、昔よりもちょっと痩せた
感じにみえた・・。
「ねえ、どうして?、私、死んでしまったのぉ?」
「天国でもストーブつけなきゃいけない訳、ないだろう?」

こ・こ・は...。

そう、有沢の借り家。 当時から海外へいっている先輩に頼まれて管理して
、たまに掃除してくれれば自由に使っていいことになっている家。
ふたりで何度か過ごした家。 何故ここに???。

かおりは状況が把握できず、いまだに混乱していた。有沢は、コーヒーカッ
プを手わたすと、いつものようにライターを上手に一回転させてから、タバ
コに火をつけた。

「この香、ジタンだ・・。」 フランスのタバコで決して軽くはない。
匂いもさほど感じないが、どこか独特だ。煙りの中で女性が踊っている、
といったのはだれだっただろう……。

しばらくお互いに黙ったまま、コーヒーを半分あけると、有沢がちょっと
誇らし気に、手帳を渡す・・・。
「これって私の手帳。 どうして??」
「ここの住所が書かれていたんだ、あと、電話番号もね!」

昔、いたずらで書いた、手帳の裏書き、名前や住所。
有沢かおり・・・。 手帳の中だけなら・・・っという気持ちで、半分マジ
に半分冗談で書いていた名前・・・。

「君が倒れたとき、チェック・インの住所に連絡しても連絡つかなかったそ
うだ。 ホテルから、申し訳ないが手帳を見せてもらったらここの住所と電
話番号をみつけた、と、俺に連絡があってさ。医者は、入院してしばらく安
静させたほうがいいと言ったけど、家に帰った方が妻も気分的に楽になる。

そう言って無理矢理ここに連れてきたんだ。」
昔とかわらず、たまに変にハジくようなイントネーション。 
聞いててなにか引き付ける話ぶりは全然変わっていない。

「何年ぶり?」「今は仙台にいるの?」
少しずつ、話題が今に戻ってくる。
何から話していいかわからず、ちょっと困ったかおりは昔のように左手に
目をやる・・・、指輪・・・ない。

「ハハッ!」。 ちょっと困ったような顔をした有沢はかおりの前に左手を
突き出した後、かおりの頭をかるく撫でて。
「俺にもっと講演させるの? かおりのことも聞きたいけど、じゃあ、コー
ヒーのおかわりを持ってくる。 それまでに整理しておいてよ。
そういって有沢は、昔のようにくわえタバコのまま、部屋をでた。

「わたしね、デートクラブで働いてる。
あ、でも、祐也のせいじゃないよ。わたしが決めたこと。
いろんなつらいことあったし、ちょっとどうでもいいやって気もあったこと
は確かだけど。 最初は特に思った。なんでこんなこと始めちゃったんだろ
う?

なんて。でも、だんだん慣れてきた。仕事ってわりきれば
いいや、って。わたし、けっこう人気あったりして。
お金も悪くないし。今のうちにお金ためよう。
1人でも暮らしていけるように、なんて思ってる。」

「かおり……変わったね……。
やっぱり俺のせいだよね、こんなことになったの。
俺の方もさ、いろいろあって……。かおりがいなくなってから、海外営業部
に配属になってね、あそこ、知ってるだろう?
猛烈に忙しい部だって。真夜中だって、海外からメールはいるから、勤務時
間なんてメチャメチャだし、出張も多いし。
でも、俺は得意だった。まあエリートコースだしさ。
ここで、成績あげようって。おかげで契約トップになってね。」

有沢祐也は、闊達な口調で話した。昔と同じだった。タバコの煙りに目を細
める表情も…。かおりの好きな表情、でも、ちょっと不安になる表情。
あんな顔のときは、わたしのこと、考えてない、なにか他のこと考えてる…


「だけどさ、家のことなんかかまってる時間なくなって。 息子は俺の顔み
ると、泣き出すし、奥さんは、ヒステリックになるし。
そのうち、ついに実家に帰ったままになって。
いろいろあったけど、別れた。 俺、家族のためになんか、働いてなかった
し。 俺自身のためにだったからね。
もう、今さら遅いよね、かおりなら、俺のこともっとわかってくれてたかも
しれない、なんて思っても。もう、遅いよね……。」


有沢は、力なく笑いながら、かおりをみつめた。
そのときだった。かおりのなかで何かがはじけた感じがした。
かおりは、まだふらつく足でベッドからおりると、有沢の胸に身を投げ出し
て叫んだ。

「そうよ、そうよ!なにもかも遅い!わたし、つらかった、とってもつらか
った、我慢してきた。でももういや、死んじゃいたい!
死ねばよかった!もう、もう、いや、いや!」

大粒の涙がとめどなくあふれた。泣いてさけんでも、どうしようもないこと
くらいよくわかっていた。 だから、よけい、叫びたかった。
それしかなかった。
かおりは、有沢の胸にすがって、声をあげて泣き続けた。
どうしても欲しかったおもちゃを、買ってもらえなかった子供のように…


身体も回復して、S市に帰ったのは、一週間もたったあとだった。
自分のいない間に里人がきていたことも、西新宿で偶然出会っていたこと
も、もちろん、かおりは知らなかった。



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