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2017年11月01日
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カテゴリ: 尊徳先生の世界
「二宮尊徳とその風化」自序より

もし余(留岡幸助)に二宮翁を研究せんと志せた導火線があるとすれば、内務省参事官の井上友一君の勧誘は、確かにその重要なものの一つである。
井上君は地方行政に深い知識を有し、かって余に静岡県の報徳社を視察することを勧めた。
余はその勧めに従って、明治36年の春、友人相田良雄君とともに、旅装を整えて、静岡県に出発した。
行く行く庵原、静岡、掛川、袋井、見付、浜松等の各地を巡察し、終に伊豆の稲取村に出て、くわしくその状況を観察することができた。
この旅行で得たものは、実に山河の美、風俗の雅なことだけではなかった。
それは人に関することで、戸々立つところ、一村一郡自ら有機体を組成して、民政の実績は自ずから他にぬきんでていた。
余はこの旅行の最後に至って、偉人二宮尊徳翁に思いいたった。
地の底、見えざるところに力あり。

これらの諸々の村が、全くこれによって風動するものがあることを悟った。
帰りの途中静岡で、報徳に関する数十の書籍を購入し、ひまがあれば必ずこれを読んだ。
さらに「報徳記」と「二宮翁夜話」を見るにいたって、堂々たる二宮尊徳翁の姿が、我が眼中に映り、渇仰の念、日に日に増すばかりであった。
ひまをみつけては、翁の生誕の地である小田原の栢山に遊び、時に栃木の桜町、今市の付近を歩き回り、機会があれば古老を訪ねて、翁のエピソードを聞いて、折に触れては先輩を煩わして、翁に対する考えを聞き、こうして集めた資料も決して少なくなかった。
しかし余が最も翁を敬愛する念を深めたのは、単に以上の理由だけではない。
井戸は掘るにしたがって清水が湧くように、余は研究を積むにしたがって、更に深く、更に広く翁を知り、翁を学ぶ必要があると認めた。
これに関して余は少なくとも数個の理由を挙げることができる。

1 余は今も昔もキリスト教徒である。将来もキリスト教徒である幸福を享受するのは信じて疑わない。
しかし大胆にいうならば、余は我が国のキリスト教界の社会制度にあきたらないものがある。
キリスト教の伝播は日が浅いから評論するのは酷のようであるが、星霜すでに40年を経た今日において、なおその西洋臭いものがあるは、わがキリスト教の普及が遅々として進まない理由の一つである。
キリスト教のいわゆる相愛の道、犠牲の教えは、もとより至大至高、至美至善、これに過ぎるほどの偉大な教えがあると思えない。

いな、あるいはキリスト教社会制度の欠所であろう。
ひるがえってこれを報徳社に見るに、二宮翁の遺訓は、あえて心を驚かすような教えではない。
かかる報徳社がよくよく町村を潤沢する理由は、報徳社という社会組織が存立しているからである。
報徳社は天地人三才の徳に報いるをもってその大本とし、至誠、勤労、分度、推譲の4つを実行することで、その大本に報いる方法としている。
この方法こそ施すところに応じてよくその効果を奏するものである。


2 わが国における社会主義の発源はいかん、またその傾向はいかん。
ひそかにこれを考えるに、私は報徳制度を度外視できない。
わが国の社会主義は理論よりも多く感情に傾いて、建設的よりむしろ破壊的に流れ、貧者のためには菩薩となり、富者のためには夜叉となっているのではないか。
もしも万一このような傾向があるとすれば、真正の社会主義の目的は達せられないだろう。
これに対し二宮翁の説く所は、貧富両存にある。
両存でなければ両全にある。
すなわち貧者は貧者としてその位置に安んじ、その勤めを全うさせ、
富者は富者としてその富を保って、貧者を保護させようとする。
これが二宮翁の主義であって、いわゆる夫婦相和して子孫が栄え、貧富相和して財宝を生ずるというのが翁の理想とするところであった。
(略)
二宮翁は農民に教えて
「この鍬すぐに楽の種」といい、また
「天つ日の恵み積み置く無尽蔵、鍬で掘り出せ、鎌で刈り取れ」と説いた。
さらに富者に対しては、
「貧者及び人民より多く物を取るべからず、奪うは損害であり、恵むは幸福である。」との福音を伝えた。
簡単に言えば、彼は貧者に羨望してはならない、羨望することは醜く、勤労することは高貴な業(わざ)であると教えた。
また富者には奪わないで与えよ、掠め取らないで恵めよと説いた。
翁の教えは実に貧富両階級の調和にあった。
(略)

3 報徳社の社会的地位を研究するは、最も興味のあることである。
これを産業組合制度と比較すれば、その組合制度は中産以下の個人を救うことをその主眼とするが、報徳社はその一歩を進めて、ただちに社会そのものを救おうとする。
難村の復旧、貧農の救済、富者の推譲及び心田の開発等は、その最も重要なものである。
この点において報徳社は広い意味での社会救済事業である。
しかもその救済は、まず精神を救うことを専らにして、物質上の救助などは末とする。
この点からすれば二宮翁の主義は、優に一個の精神教養ともいうべく、
もし翁を太陽に照らして、その背後を見れば、あるいは菩薩の浄体ながらに、鋤・鍬を持てる農業聖人といってもよい。
ことに「荒地の開発」に加えるにさらに「心田の開発」をもってするのは、翁の元来の理想であって、いまや伝えられて報徳社の主義となった。

4 余は数年来、自治団体、即ち郡市町村を視察して、しばしば困惑した。
市制町村制の発布してすでに20年になり、実際は予想に反して萎縮し振るわないものにそもそも何の原因があるか。
その困惑はようやく解けた。
「我が国民は自治独立の観念に欠如しているからである」
ここにおいて、心に一つの公案が来た。
「我が国人に独立自営の精神を鼓吹しない間は、自治制度において何の効果があろう。」
ひるがえって我が二宮翁を見るに、なんと自治独立の精神に富んでいることか。
これを奇跡といわず何と言おう。
もし桜町宇津家の領地を荒廃から、堕落から、瀕死の状況から救い出したことを思うと、彼は奇跡に等しい偉大な事業をなしたのであった。
そして彼をここに至らしめた力は何か。
「不覇独立の精神」これのみ。
「自治自営の観念」これあるのみ。
この精神を自ら学び、かつこれを人に学ぶように勧めるのは、ああなんと幸福で貴重なことか。
私が二宮尊徳翁を唱導する理由は、死せる「市制町村制度」に向かって、活きた精神、すなわち自治自営の観念を注入しようとすることにある。
これによって死んだ制度は活動し、眠った市及び町村は覚醒するであろう。

5 産業組合制度の設置は、近来わが国の一部の潮流となった。
これは喜ぶべきことである。なぜならば産業組合制度は、中産以下の生活難を除去する一つの安全弁だからである。
しかし産業組合制度は西欧諸国の必要から発生したもので、彼に適合した法律、制度であって、日本に必ずしも適合していない。(略)
これに反して報徳制度は、わが国において必然のうちに産出したものである。
ことに農業部落の状態を改善しようと欲するならば、この制度によるのが近道といえる。
この故に私は産業組合制度を歓迎すると同時に、我が国に発生した報徳制度を研究し、更に改善を加えて、時勢の必要に応ぜしめようとするものである。

☆留岡幸助氏は実践的な人物であった。非行をおかした少年の感化事業に一生を捧げた。
それだけに二宮尊徳の至誠と実行に魂が共鳴したのであろう。
この自序を読んで報徳の近代的意義を実によく考えよく整理されたものであると感嘆する。
そしてまた報徳は今、現代において不死鳥のように新たに生まれかわる時に来ているのであろう。それは現に中国において報徳主義を研究し生かそうという動きが有り、この動きは森信三先生が予言されたごとく世界的なものなのである。
ふふ、それにね、
「ひまをみつけては、翁の生誕の地である小田原の栢山に遊び、時に栃木の桜町、今市の付近を歩き回り、・・・集めた資料も決して少なくなかった。」に思わず微笑んでしまった。
私もまたこのように尊徳先生の跡を慕って歩き回っている。
「留岡幸助日記」には、こうして「古老を訪ねて、翁のエピソードを聞いて、折に触れては先輩を煩わして、翁に対する考えを聞き、こうして集めた資料」が載っている





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最終更新日  2017年11月01日 01時02分58秒
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