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一昨年の暮れ、横浜まで見に行ったシルヴィー・ギエムの公演。あいにく近くの席にすご~く匂う客でない関係者が座って不完全燃焼でした。 今回は、そのリベンジ?。ようやくベジャールガラの追加公演のチケットが取れたので、行ってきました。場所は、ゆうぽうと。五反田です。ここの会場も久々だわ。以前、韓流ミュージカル「ジキルとハイド」で行ったのはいつだったかな? ギエムのボレロ、ほぼ3年前2005年の暮れ。もうこれでギエムが踊るボレロは、封印というのを幸いな事に近所のホールで、ど真ん中の良い席で見てものすごく感激したんです。だから見たかったの~。その時のブログ 今回どうにか先行抽選で当たった席は、2階席の5列目。そう良い席でなかったです。でも、東京文化会館で2万円も出した時の端の席に比べたら、全体が見えてそう見づらくもなかったです。 真っ暗な中にギエムの右手のみにライトがあたり、ボレロの前奏が聞こえてくるの。そして、次は、左手。 スポットライトが全身にあたってからゆっくりと動く足。ギエムがいるのは、まっかな円台。舞台の端ぐるりと上半身裸の男性ダンサー達が椅子に座ってる。 ボレロって独特な曲でしょう?同じフレーズが繰り返されるような感じで。ギエムの動きも中盤までは、さほど、激しくないんだけど、途中から、バットマンしたり、長い手足を存分に使って全身を使っての踊りは圧倒される。 まるで女王様って感じなのよ~。それは、初めて見たときもそう思ったけどね。女王、そう、卑弥呼のような神秘さを併せ持つような。 段々と椅子に座ってた男性達が2人づつ前の方に出てくるの、段々と男性の数が増えていき、彼女を崇め奉るように見える。女王さま、健在!これが見納めのボレロなのか。見てない人に見せてあげたい。今日もこの感動を伝えたいって思うような踊りでした。 終わっても拍手はドンドンドンドン大きくなって何度もカーテンコール。女王様シルビーは円台に乗ったり降りたり忙しい。最後に1階席の舞台近くに座ってた人達が舞台そばまで寄って行ってたら、一人のちょっとお年の女性が手を差し出したら、握手してもらってました。その時の会場中のどよめきといったら。あ~、私も握手して欲しかった。 今もまだ頭の中でボレロが鳴り響いてます。しばらく余韻にひたってようっと。ギエムのボレロの映像が見つかりました。ちょうど、私の席から見たのはこんな感じでした。こちらは、今は亡き伝説のダンサー、ジョルジュ・ドンのユーチューブから。彼のダンスを「愛と哀しみのボレロ」の映画で見たのが、ボレロのバレエを初めて見た時でした。露、仏、独、米で活動していた音楽家、舞踏家の4つの家族が、過酷な戦争時代を過ごしながらも踊り、演奏に身を投じた激動の45年間を綴る”名匠”傑作!4時間半の完全版!■愛と哀しみのボレロ [完全版] <2本組>■ブログランキング参加中です。よろしかったら、ポチっとクリックをお願いしますね。m(__)m
February 7, 2009
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今日は、親の会主催の映画会の日ということを掲示板での書き込みで気がついた。(ありがとうございました。豚さん)来月行くつもりだったのだけれど、くーにゃんも一人通所ができるのようなったので、時間が出来たから、早速行ってきました。 さて、この映画の主人公、実在の人、石井筆子さんの事をこのブログに書くのは、3回目。前回は、こちらに書いてありますので、お時間があったら、どうぞ。明治の時代に、このような先進的な考え人、また、まさに、ノーブレスオブリージュとでも言うのか、こんな人が人がいた事を私は、つい今年の初めまで知らなかった。もし、私にくーにゃんという子がいなかったら、気がつかないままに過ぎてしまったのかもしれない。 こういう映画は、ロードショーにはならずに、地道に、地域の親の会などでしか上映されないから、映画の存在、石井筆子さんの事も知らないままの人も多いのが、残念だ。こういう映画にしては、豪華なキャストで、主演は、常盤貴子さん、笑也さん。脇役で、渡辺梓、加藤剛さん。などが出演してる。 一番最初に、石井筆子さんを知ったのは、NHKのその時歴史が動いたでだった。淡々と事実だけを述べていくので、感動がより大きかった。今回は、常盤さんの演技は、どうだろうか?それなりに、お嬢様で来た品の良い奥様という感じは、出ていたけれど・・・・。私は、脇役だった渡辺 梓さんの演技に感情が移入できた。演技というよりも、もしかしたら、彼女の役サトさんにだったのかもしれない。 以前のブログにも書いたが、あの明治の時代、庶民は、小学校にすら、行かない人も多かった時代、女性の教育も必要とないとされた時代。その時代に、フランスに留学経験があり、英語もフランス語も堪能で、鹿鳴館の華といわれたほどの才色兼備な女性だった筆子さん。 そんな彼女が、障害児の母となって、どんなに、最初は、落胆したか。映画では、娘が、白痴と診断を受けた時に、「一緒に死のうと思いました」と夫にいう場面があった。「何千、何万と子供この世にいるのに、何で私の子供だけが」と夫に訴えるシーン。わかるな~、最初に、障害児の母達は、みんな誰しもこういう思いを抱くと思う。そこで、夫は、「これは、運命だと思う。僕はさちこ(二人の娘)の事を恥ずかしい存在だとは、思わないよ。二人で、さちこを心から、大切に、愛して守っていこう」(細かいセリフは、違ってるかも)という。彼女の最初のご主人もとっても人間が出来て、優しい人だったようだ。だけど、若死にしてしまうのよね。筆子さんは、その後、婚家を出て、ミッションスクールの校長をしながら子供を育てるの。子供の頃からのお手伝いのサトと一緒に。 ある日、紹介された石井亮吉と知り合い、彼の学校を見学して、先進的な彼の考えに、希望を見出して、サチコを預ける事を決心。 そして、それから、二人は、お互いに、心の中では、尊敬しあう仲に。父親の反対をおして二人は、結婚。そして、それからが、茨の道とでもいえる、滝乃川学園の運営をしていくのよ。詳しくは、どうぞ、映画をごらんになってくださいね。 筆子さんは、苦しい道を歩んで、特に学園の火事の後は、大変だったと思います。でも、彼女の思いを支えていたのは、子供達への愛、そして、亮吉への愛。先日、カンヌ映画祭でグランプリ受賞の監督の言葉のスピーチの中で、「人の幸せは、物質的に恵まれてる事だけではない」というような言葉が確かあったと記憶してる。が、筆子さんも結婚後は、決して、物質的には、恵まれたとは思えないけど、きっと心のなかは、ある意味、幸せだったのかも。筆子さんのピアノは、復元されて、滝乃川学園にあるらしい。コンサートもあったよね。いつか聞いてみたいなその音色。きっと優しい音色に違いないだろうブログランキング参加中です。よろしかったら、ポチっとクリックお願いします。人気blogランキングへ
June 19, 2007
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