別の推理で



当時、ユダヤ人の天文知識はさほど豊富ではなく、7つの天体の運行と関連するような占星術的、かつ、機械的な週7日制を採用していたという根拠は必ずしも十分ではない。福音書に登場する「東方の博士達」は、異国から来た占星術師で、ここから国内にはその種の専門家は居なかったことが覗える。

月の満ち欠けに従って、毎月7日、14日、21日、28日を安息日とし、余る29日や30日は無視していたとも想像できる。この方法は、メソポタミアの古い時代に見られる素朴なものである。
http://www.essene.com/B'nai-Amen/sabat.htm 

すなわち、当時の安息日は今日の土曜日とは無関係であり、また、陰暦13日は常に古代ユダヤ暦の週の6日目であり、金曜日とは無関係であると見ることもできる。

つまり、ローマ暦または占星術の「金曜日」は不吉ではなく、ユダヤ暦の準備の日、陰暦13日(の前夜から日暮れまで)が不吉ということになろう。

また、ニサンの陰暦14日は「過越し祭」だが、14日なので、もともと安息日だったと。

「過越の小羊をほふる日」は正月の14日である。
正月の十四日は主の過越の祭である。
十五日は祭りの日である。
あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる。
初日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。
[民数記 28:16-18より引用]

しかも、15日は「祭りの日」でもあり、酵母を入れないパンを食べる7日間の除酵祭「初日」だから、特別の安息日で、連休になる。

イエスの墓所が空になっていた復活の事件については、この連休明け16日に当たるわけだ。
ただ、除酵祭の晩餐を持ったとする福音書の記述は、連休とは矛盾するのだが、それが事実なのかも含めて、ひとまず置いておこう。

これであれば、14日、15日、16日の各前夜、すなわち、三晩にわたって休んだことになり、3日間の休息、と書かれた箇所と初めて整合する。
また、占星術に発する今日の1週間を排した結果、二サン16日は曜日とは関係なく候補となる。

これまで、民数記、福音書の記述とピラト提督在任期間における実際の月の満ち欠けとを照合する普通の方法では、復活日候補は西暦30年4月5日、日曜日で除酵祭4日目しか見つからない苦しい状態だったが、これが解消された。

しかしながら、この考えによると、ユダヤ人は昔ながらの安息日を新しいローマ暦の土曜日に移すという変節?を犯したうえ、安息日の名前をそれとは関連性の無い土星に付けるという錯誤に陥っていることにもなるのだが、あながち、ありえない話でもない。



ところで、既に発表した問題について、再考してみよう。
1935年4月17日(ニサン14日)は「ほんとうの復活の日」かどうか。

陰暦「14日」という角度から見るとき、ここではこれは常に安息日になるので、かつ、そもそも過越し祭だから、復活の日に繋がる要素にはならない。

約2000年前の太陽暦「4月17日」は復活の日、陰暦16日なのか。

西暦26年は、正月が過ぎて、翌月10日。 (「3月24日」が該当)
西暦27年は、22日。少し遅い。     (「4月11日」同上)
西暦28年も、翌月3日。        (「3月31日」同上)
西暦29年は、15日で、祭日。
・・・・惜しい!! あと一日遅ければ・・・。
西暦30年は、26日。
西暦31年も、翌月6日。
西暦32年は、17日で、祭日の翌々日。
・・・・これも惜しい。あと1日早ければ・・・。
西暦33年は、28日。
西暦34年も、翌月10日。
西暦35年は、20日。少し遅い。
西暦36年も、翌月2日。

・・・・やはり駄目でしたね。

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