知らないと損するかもしれない
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日本軍による朝鮮人の強制連行など無かったのは、今の在日も良く知っている。戦前、戦中、朝鮮人たちは仕事や商売を求め済州島から出稼ぎに来ていた。その済州島と大阪を結ぶ定期便があり、今の在日の一世に当たる人達は大阪・済州島間を行き来していた。それが『君が代丸』という連絡船であった。第1、2君が代丸は済州島から大阪の定期便であり当時1922年~1933年まで運航していて、在日一世達は大阪に出稼ぎにきていたのである。http://www.news-us.jp/article/297414513.html韓国人の3世が韓国人のための韓国人が歩んできた道をふりかえる韓国人だけのドキュメンタリータッチのブログにもその証拠が垣間見えます。---------------------------------------------------------新日本風土「大阪 生野コリアタウン」を見て…。2012年2月3日午後8時。新日本風土「大阪 生野コリアタウン」と言うドキュメンタリーを見た。場所は大阪、鶴橋から歩いて10分ぐらいあるコリアタウン。色んな方々をメインにしてドキュメンタリーをしていた。朝鮮半島の済州島から来た方が多く住むコリアタウン。上の写真は済州島と大阪を結ぶ「阪済航路」「済阪航路」の「君が代丸」この船に乗って、済州島の方々は大阪へとやって来た。年配の方は「君が代丸」の事を「クンデワン」ってよく言う。韓国語で「君=クン 代=デ 丸ーワン」なので。その船に乗って大阪に来て、済州島の同じ村出身である同郷出身者のコミュニティーを形成。この方々の集まりに取材していたら、このコミュニティーの中での最高齢のハルモニ(=おばあさん)が車いすに乗って来られた。103歳のハルモニだった。間違いなく済州島から渡って来られた1世のハルモニであろう。私の父方のハルモニが生きていたら103歳頃なので、色んな思いにかられる。(正直、見ながら泣いた)そして、この様なコミュニティーは、私にもある。私のハラボジ、ハルモニは済州島の禾北と言う邑から大阪へやってきた。私が小学生の時、観光バスを数台借りて、「禾北親睦会」と言うのをやって、見ず知らずの方々達と神戸の須磨へ行ったのを覚えている。同じ門中会の人やったかも?思い出して見たら…(^_^;)私が記憶しているので、2回くらい行ったかなぁ~。まぁ~何にせよ、済州島から大阪に渡った1世ハラボジ、ハルモニ達は、身よりもなく、互いに寄せ合うのは同郷と言う一つの共通性。ドキュメントでは、老舗の焼肉屋さんも紹介。済州島の人達が良く食べた「スエ」も紹介してくれた。「スンデ」ちゃうよ!「スエ」やで!(*^_^*)「スエ」見て、メッチャ食べたくなった私。やっぱ、私の「口」は、間違いなく済州の「口」やねんなぁ~って実感(*^_^*)テレビで言っていた名言「ブタで食べる事が出来ないのは「鳴き声」や」と(*^_^*)御高齢でおられながら、キムチを売っているハルモニも紹介。ヘップを作っている工場も紹介。ヘップを経営している2代目社長(在日2世)が話していた。先代社長が、大阪で仕事をしていて…、邑(=故郷済州島の邑)でぼんやり過ごしている親戚達が居てると、ぼぉーっとせずに大阪に来て一緒に仕事手伝え!邑(=故郷済州島の邑)に居ててもカネにはならん!大阪に来い!って言って、呼び寄せて縁故者で固める。大体が、こんな感じで済州島から呼んだとも言われている。(もしくは大阪の身寄りを頼って済州島から行くパターン)キムチを売っているハルモニの周りで働いているのも長女、孫たちで親戚で固めている。こうしながら、一族を守っていったかも知れない。あと、日本人女性と結婚し、日本国籍に帰化した在日3世の事も。ドキュメンタリーを見ていたら、テレビで出ていた1960年代初めの生野が放映されていた。 以下↓で全文ご覧ください。 http://blog.goo.ne.jp/daejeong/e/b46608cc29e5bf7f39695fa88926605d-----------------------------------------------------------------------ご覧の通り、日本に居る在日は、強制連行でもなんでもなく、自分の意志で日本に来ていることは在日たちも知っているのです。
2012年12月05日
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