PR
カテゴリ
カレンダー
フリーページ
購入履歴
物を捨てるのは大変です。
我が家は特に大変です。
勝手に捨てようものなら、なおさらです。
なので、念仏のように唱えます。
“これ、痛い”
“これ、使えない”
“これ、邪魔”
“これ、必要ある?”
長い時間をかけての戦いです(笑)。
で、ようやく、一つ?決着しました。
ソファーベッドの枠! (枠だけ)
ソファーベッドと言っても、
ソファーとしては座りづらく、
ベッドとしても寝づらいという代物。
一旦捨てると決めても、翌日には惜しくなるお隣さん。
ですが、本日ようやくソファーベッドの枠のみ捨てることに成功!!
(もう捨ててきちゃったもんね~~)
『客が来たら何処に座ってもらうんだ』 とお隣さん。
『客なんか誰も来ないじゃないか』 と私。
『誰かが泊まりに来たらどうする?』 とお隣さん。
『このうちに泊まっていただくのは失礼かと思う』 と私。
ソファーベッドのクッションは、こちらで言うところの
“FUTON” (布団)
であるので、地べたに敷いて、沢山あるローテーブルと使えば良い
ごろっと横になりたければ横にもなれる。
仮に誰かが泊まりに来たら、私たちの “敷きFUTON” として使える。
よって、クッションは今のところとっておくことにした。
ベッド枠を捨てるのも、
『ねじは後で使うからはずしといて』 と依頼されるし、
一筋縄ではいかない。
でも、なぜ、私がお隣さんに我慢出来るかと言うと、
うちの母も同じ人種で、扱いに慣れているからだとおもう。
私が捨てると母が拾う。
私の部屋から物が移動するだけ。
捨てる時はこっそりと大量に捨てなければならない。
『使えるものをどうして捨てるの?』
と猛攻撃にあう。
(そりゃ、捨てずに済むなら捨てたくないけど)
だから、物を捨てる作業は、
時間をかけて、納得させて、手放させるという手法。
なかなか片付かないし、一生片付かないかもしれないが、
人によって、物への愛着が異なるので、
その気持ちを無視することは出来ない。
私にだって大切なものはあるし、
捨てられないものはある。
ただ、その量が少ないだけだ。
私にだって、物を大切にしようという
気持ちはある。
だけど、沢山の物にあふれたら
整理が出来なくて、
どこかに仕舞い込んじゃって、
使いたいときにすぐに使えないじゃないか!
だから、
必要最低限の物で私は十分だと思う。
物を捨てられない母やお隣さんも、整理整頓はしたいらしいのだが、
今手にしているものを手放すことが出来ない。
そういう人たちなのだ。
話は少し変わるけど、
お隣さんときたら、物だけでなく色々と手放せないたちで
私を困らせた。(今も困らせている)
まず、
今以上に物が多くて足の踏み場が無かったこのアパート。
入籍して意気揚々とアメリカにやってきた私。
アパートの中は泥棒もビックリ!な散らかりっぷり。
仕方なく、一つ一つ片付け始めた私であったが、
次から次へと出てくる出てくる、
昔の女との写真、
昔の女が使っていたお菓子の本
(誕生日ケーキに付箋にメモなんかついている)
昔の女との足取りがつかめるレシートの数々。
彼女に振られたのにもかかわらず
いつまでも連絡を取り合うという摩訶不思議。
(これは流石にいまはないようだが・・・)
なんで、私が、こんなことで悩まされ、片付けなければならないのかと、
アメリカに来て1週間くらいで家出をした(笑)。
土地勘も無く、知り合いも無く、でも、このアパートには居たくなかった私は、
バスに乗り、東へ西へ。
結局、遠くへ行くことを諦め、
アパートから歩いて5分ほどのおんぼろホテルに潜伏した。
『こんなアパートには住めません。私を舐めているのですか?』
『昔の女がいいなら私は喜んで日本に帰ります』
と置手紙をして・・・・
ビックリしたお隣さんは
『今、何処にいるんだ?』
と私を問いただし、すっ飛んでホテルまで来た。
その晩は、帰る気になれず、でも、仕方なく翌日にはアパートに戻った。
お隣さんなりに “きれいにした” ようだった。
あれから1年が過ぎた。
あの時を思えばこれでも少しはキレイになったのだ。
だけど、目をつぶっているが、まだまだ気に触るものが沢山ある。
年季の入った鍋や釜、食器に至るまで
私は
心機一転新しいものを使いたいのだけれど、
“もったいない”
のだそうだ。
心穏やかな時はいいけれど、
爆発した時の私の威力は相当だぞ。
覚悟しておきたまえ、
そこの、
お隣さん!!
昔の思い出も古い荷物も
さっさと処分しないと
痛い目にあいますよ~~!!
なんてね![]()