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<家康誕生、幼名は「竹千代」>
徳川家康は 1142 年 ( 天文 11 年 12 月 26 日)に三河岡崎城内にて誕生。父は松平広忠、水野氏於大の方です。幼名は「竹千代」ですが、松平家では代々世継ぎにはこの名前が使われていたようです
両親は、於大の実家が織田方についたため。竹千代が 3
歳の時に離縁しています。家康は生涯で「 4
度」も名前を変えています。

(
撮影筆者、浜松城公園の「家康像」 )
< 家康人質時代、信長との出会い>
1547 年、竹千代 6 歳に時に今川家に人質に出すことにしたが、途中戸田康光の裏切りで「織田方」の人質となった。織田の「人質」時に「信長」との出会い、ふれあいがあったことがその後の清州同盟や生涯の絆に育っていった。その後今川、織田の人質交換で今川家の人質になる。 8 歳のときである。
<松平竹千代から松平元信へ>
1555
年 14
歳で、今川義元の下で元服し、」今川義元の「元」の一字をもらって「元信」と名付けている。ところが、「信」という由来を調べてみたが、あまりはっきりした情報はなかったが、どうも「三河松平家」の中興の祖ともいわれている「松平信光」から「信」の一字を使ったようである。松平家当主の中には「信」の文字が使われているようです。
<松平元信から松平元康へ>
1558 年 ( 永禄 1 年 ) 初陣。このころ「元康」に改名。 今川義元の「元」と 祖父の松平清康の 「康」からもらったようである。
<松平元康から徳川家康へ>
1563 年の家康 20 歳のときに、今川義元の偏諱を受けた「元康」から「家康」改名したと言われている。 「康」の字は祖父の「松平清康」からもらったようである。
分からなかったのは「家」の由来である。諸説ありますが、家康が「三河を一つの家にしたい」と考えたこと、妻の瀬奈が三河の地を居心地がよく感じて、「みんなが一つの家に住む家」ということを語っており「家康」と名付けたというエピソードもあるようです。 1566
年(元禄 9
年)名字を松平から徳川に改めています。
(撮影筆者、「浜松城」と「どうする家康大河館」)
以上
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