小宮ベーカー純子の”JUJULING LAND”

2013.09.03
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なかなか、一人の静かな時間がもてなかったので


私のカンパニーがランしているSNSがあるのですが、
今、そこで俄かに再び、健康問題が持ち上がっています。

7月の選挙のあとからどんどん前面に出てきた、福島第一原発の状況。
汚染水の漏れや、スノ―デンのリークなど
なんだか、水がめ座の時代にぴったりなキーワードが溢れていて
なるほど~と、思いながらも、呆れて、そして哀しい現実かなという
そんな風を感じます。


以前よりも、多くの人たちが、問題意識を持ち始めていることです。

3・11直後は、放射性物質がどうのこうのというだけで
変人扱いされる時期がありましたが
そういう変人扱いは、私などかなり慣れていて、オーラが見えるとか
チャネリングができるとか
そういったことで
かなり、変人扱いされながらも、その感覚に対して開いている人、アグリーする人と
供に生きてきた感があるので
変人扱いや、無知無能の夢みがちガ―ル(いや、年齢的にはおばさん)として斜めな目つきで見られるのは、慣れていて・・・

逆に、そういう斜め目線で見られることになれていない人たちの気持ちを察したりする
そんな感覚です。


そんなもの、オカルトだよ
と言っていた人たちも、ひとたびTVで取り上げるようになると
オーラが見えるようになりたいとか、どんな情報が出ているのか知りたいと思うようになるわけですから、
石の上にがっちりとセットされたオピニオンなんて実はないのです。

個人の真実こそが、真実。


そんなもの
あるわけない。未来なんて見えるわけがないと思う人の現実は
それでいいのです。
必要ないということです。

で、目に見えないものに関してですが
オーラとか背後霊とかハイアーセルフとか、そういう目に見えないものを
むやみに信じる必要はないので、もっと分かりやすいものにたとえると

愛なんてどうでしょう?

愛は見えません。
でも
関係性の中に愛があることは、見えます。
愛があるところは、イキイキとしているし、無駄な不安がない
美くしさもそこにはあるし、暖かい。
そして楽しい。

目に見えない愛は、状況としてちゃんと目に見える形になるんですね。

それで

放射性物質も目には見えませんが
ガイガーガウンターで、そのレベルを計ることができるので
数値として知ることができます。

この点、愛にくらべて簡単です。
セシウムとかストロンチウムとかも
愛にたとえると、親の愛とか、母性愛とか、男女の愛とか、隣人愛というカテゴリーのレベルとして計れたら、おもしろいかもしれませんが、できません、そんなこと(笑)

でも、放射性物質は、ある程度計ることができるわけです。

しかし

問題は、その数値をみても、自分でアナライズできない私のような人には
単なる数値です。
数にすぎません。
多分、きちんと勉強していない多くの人にとって、こういう数を見て驚いたり嘆いたり
喜んだりするという芸当は無理なんじゃないかと思います。


東電やニュースなどでは、この数値をそのまま使って説明するので
めちゃくちゃわからなくなる。
高いのか低いのかわからなくなるんですね。

じゃ、何を見ればいいのかといえば
放射性物質が沢山降下した場所のエネルギーというか元気というか
そういうものを見ればいいかもしれないわけです。愛と同じように。

しかし
この元気とかエネルギーとか、こういうものは
愛だけではなく、資金があればけっこうできあがってしまうものなんですね。
イベントをやったり、愛が集まれるようなことをしたり、いろんなことをすれば
できあがる。

これが、ややこしいのです。

ここを見抜く目というものを養うための時間を割いている人って
あまりいないと思います。
何かの事情で、自分の真実のみを信じなければ生きて来れなかったような
そんな感覚の研ぎ澄まし方をしてきた人たちは
けっこう、見ぬけるかもしれませんが
長いものにまかれたり、調和をとるためには、自分の感性を脇に置くのは当然と考えるタイプの人たちには、なかなか見抜けないかもしれません。

というか
見抜く必要がないんですね、きっとそうです。

見抜くことは人生の邪魔になります。
調和的な人生の放棄になる可能性がある。
だから、見抜く必要は全くない。

これは、生き方の問題。根本的な生き方をどう選んでいるかという問題です。
問題というか、そういうスタートがその人にあるということですね。

それで
見抜く目を磨く必要を感じない人たちの健康状態に
かなりの異変が起こっているということを、聞きます。
読みます。目にします。

でも、自分の周囲には、あんまりそう言う人はいません。
幸いというか
見抜く目を養ってきた輩が多いのか、いち早く見抜いて行動しているらしく
みんな元気で楽しくやっています。

でも、この世界には見抜かないで調和する方法にたけている人たちがいて
その人たちの方角から
一人、また一人と
シビアな健康状態になっているという話がはいってくると
二極分化な世界をもろに感じてしまいます。

そうすると
悲しみが、潜在意識のほうに、すすっと漏れて行く。

リークする。


悲しみがどんどん、意識の海の中に流れ込んでいって
意識の海の中を元気に泳ぎ回る魚たちが、悲しみで汚染されて行く。

潜在意識が涙でできあがったかのように、しょっぱくなって
海そのものになって
悲しみを沈殿させていくと、
底の方から、亀裂か入って
もう、沈殿しているのはいやとばかりに、意識の海そのものを揺るがし始める。

たとえば

今度、どこで地震が起きるのだろうと言う
そういう話がされることはあるけれど

その、「どこ」というものが、実は「どこでも」だと言いきる人は少ないんじゃないかと思う。
「いつ」という疑問に対しても「いつでも」と言いきってしまえる人は少ないんじゃないかと思う。

でも、私たちはそのどこでも、いつでもの中に、もういるわけで。

執行猶予を与えられているか
あるいは、処刑される朝に、今日がその日だと宣告されるような
そんなエッジにいるわけで、
そんなエッジな感覚の中に生き続けるのは至難の業なので、また見抜かないことにして
後ろの方で、悲しみを海にリークしていくわけで

だから
海から揺れる日がくるのは、必至。

来る。悲しみが臨界点に達した時、
多分、太陽から指令が出る。
でも

それまで、なにごともなかったかのように、生きていたいと多くの人が思っているんじゃないかな。

桜の花は散るまで咲いて、散る姿の美しさを無常とする

そう信じている人たちは
きっと悲しくない。

望んでいるんだねきっと。
その美学。
日本人らしく。





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Last updated  2013.09.03 13:00:09


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