坂東市進学塾 スタディ・ポート 港日記

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2023.01.21
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カテゴリ: 高校受験
茨城県立高校入試において、これだけは他県の入試制度に比べて優れていると思うのは「内申点」の扱いです。

他の県だと通知表の評価が悪ければ悪いだけ入試当日のスタートラインが後ろに下がります。

千葉県のように入試500点+内申135点=635点満点(※)というのはまだマシな方で学力検査と内申点の比が1対1でなおかつ内申点も5教科は素のままで技能教科を2倍して計算するとか全く意味不明なことをやっている県もあります。

(※)東葛高校のように500点+67.5点=567.5点満点のような例外もあります。

茨城県の場合、ご存じの通り偏差値50以上のほとんどの高校ではA群(内申順位が定員以内)であっても学力検査の順位が定員の上位8割に入れないと合格決定とはならず(B群送りとなり)、B群内は8割の人が学力検査の点数順に2割の人が内申点順に合格します。

極端な話、制度上は水戸一高や土浦一高をオール1で受けにいっても当日の点数が良ければなんの不利も被らない仕組みになっています。

(もちろん、そんな例は現実的にはないでしょう。仮にあったとしたら「特別の事由」に該当して入学を認めるか否か審議の対象になるでしょう。私が大嫌いな成田悠輔氏のように中学校不登校で東大首席のような人もいますから全くありえなくもないかな。)

まあ、他の県だったら「この内申では土浦一高レベルは受けられないよな〜」とという人でも学力検査で点数を取って合格しているように思います。

とはいえB群のうち2割は内申順に合格なので周りの人がどのくらいの内申点なのかは興味のあるところだと思います。



これは難しい。

その高校の元々の難易度に加えてその年の激戦度合いに大きく左右されそうです。

またその年の試験問題の性質にもよるも思います。

昨年の入試だと理科で点数を伸ばせた人は学力検査順が上にいったはずで国語の得意な人はかなり不利を受けました。

一般的には内申点135点などという人は学力検査の点数も高くA群合格でどんどん抜けていってしまうと思われます。(ほんとにそうか?。けっこう本番では点数取れないもんだぞ、という声もありそうですけどね。)

塾で見ていると成績優秀者の中にも「なんか嫌がらせを受けているのではないか?」、「意地悪なんじゃないの?」という感じで音楽や美術で点数を下げている人が少なくない一方で、がっちり5✖️9科目✖️3年間=135という人もけっこういます。

中学校によっても評価の辛いところと甘いところがあります。(2013年の推薦入試廃止の理由の一つがこれだったはず。)

ちょっと前まで千葉県は生徒の出身中学校別に内申点の加減調整というとんでもなくめんどうくさいことをやっていました。

ちなみにうちの近くは比較的オール5が取りやすく思います。(これを住民誘致に使えばいいのに!)

135満点だから135取っていたら必ず内申救済で合格されそうに思うのですがどうなんでしょう。

土浦一高や水戸一高でも3年間で45、45、45という人は10人に1人もいない。(ように思われます。)



134とか133なら効いてくる場合があるかもしれません。

125だと「並み」で、あとはもう115だろうが105だろうが同じ条件のように思います。

下妻や水海道はどうなのかなあー。

推薦入試があった時代下妻一高は定員42でほぼオール5じゃないと中学校内の審査に通らなかったように記憶しています。

ということは受験者のうち40名程度はオール5がいたと推測されます。



水海道一高は定員56でしたが塾生だと3年生の内申が42くらいで受けてけっこう受かっていました。英数国の独自試験もやっていて通知表との合計だったのですが下妻ほどは受験条件が厳しくなかったように思います。

下妻一高も水海道一高も内申135や134の生徒の多くは学力検査で抜けていくでしょうから、内申救済点はそれなりに下がってくるような気もしますがB群の2割というのがいったいどこまでなのかは全くわかりません。

ただ高校側がきちんと制度を守ると仮定するなら、135や134という生徒は他の生徒よりも余裕をもって受験できるということにはなります。


(大昔のことなので真偽不明ですけれども、私が受験した頃の茨城県の制度では内申点が悪ければ悪いだけスタート位置が下げられていました。

しかし、入学後に高校のある先生から聞いた話では「そんなめんどくさいことはしていない。入学試験の順番に上から並べて315(当時の定員)で切っておしまい」とのことでした。

内申点が低かったため、合格を危惧した中学の担任が志願先変更期間の夜遅く突然家にやって来て大揉めになりましたが、点数順だったのならいったい何の騒ぎだったかとあとから思ったものです。

当時の下妻一高って多くのことが他の県立高校と違っていたのでありえなくはない話ですが真偽は不明です。

当時は点数開示がなかったので私は何点取れたかとか何位だったのかは知りません。ただ入学後すぐに模試を受けるので「あー、こんなもんなんだなあ。」ということはすぐにわかりました。

水海道一高に行った弟は得点だけでなく順位を知っています。塾生の保護者の人でも「入試で何点で何位だった」と言う人がいてまあ昔はいろいろゆるかったもんだということを感じます。





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最終更新日  2023.01.21 21:50:03
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