2004年11月14日
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読ませていただきましたが、記紀や考古学上の成果の解釈というのはある意味 文学的になり 私には よくわかりません。

ただ この伝説や伝承の核に華僑(あえて中国人とはいいませんが)の渡来があるのはたぶん そうだろうとは思います。

ただ トピ主さまの発言の限りでは、とても徐福という人物がいたかもしれませんが
 その人物が日本にきた 証拠があり、それなりの人物として 日本史の中に溶け込んだ、だから教科書にいれろという意見には承服しかねます。

なるほど 伝承や言い伝えがあるということですが。

伝承や言い伝えは 歴史上の個人名が出た場合には そのまま受け入れがたいのは、聖徳太子の例なども含めて 民俗学や歴史学の鉄則みたいなものではないかと思います。

個人的な感想にすぎませんが、徐福や、また古代から 近世まで継続される華僑の渡来(倭寇も含みます)は 一種のまれびとだったのかなと思います。

史記が 普及し、ある程度 読まれるようになってきますと、徐福の存在が注目されるようになり。医師や薬師の、一種の職能神のような存在になり、それとともに熊野信仰の影響で その伝承が あちらこちらで創作されます。

宮下文書も、それを取り入れたものでしょうし、紀伊の国に点在する伝承も、それが背景にあるのだろうと思います。



それが 明治期にがらっと変わりますが、もともと船来信仰の送り柄ですから、徐福?観光目的にいいじゃないかとなるわけです。

中国や韓国のお国の事情はしりませんが、
いままでこのトピでは、古代だけに絞り、
かたられてきましたが、中世、近世とみると こういう結論がでます。





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最終更新日  2004年11月14日 13時34分37秒
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気配するところから  
徐福にまつわる?ことですが、私は以前、紀伊半島の熊野で生活をいていましたが、熊野にも徐福の伝説があります。ご存知だとは思いますが。
熊野市波田須という地があり、そこには徐福の宮という古い神社(石碑だけ)があります。
みょうなことにその波田須は伊勢神宮管轄の神領区
になっており、熊野でそこだけです。
波田須という地名の由来はですが、「波田」は秦が
転じて、「須」は住むで、秦が住む処という意味らしい。秦の時代に渡来したとされる徐福と秦民族。
ある説では秦はローマ人のことらしく、当時ローマにはヘブライ人(ユダヤ人)がたくさんいて、始皇帝の母親?
だったかよく忘れましたが、始皇帝の母はユダヤ人という説もあります。始皇帝はヘブライ人の血をひく者として、説を説く学者もいます。
私は詳しくはしりませんが、サンカの民にもここ数年、興味をもっています。
また面白い解説をよろしくお願いします。

ではでは
(2004年11月17日 11時58分50秒)

Re:気配するところから(11/14)  
くれど  さん
あまりロマンというのを信じない人間なんで
古代史を語る場合には 王朝とか 天皇とか、ユダヤとか 記号を入れないで 語りたいもんだと思います。
(2004年11月17日 22時43分58秒)

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