2004年12月08日
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秦氏についての論については いまは保留にします。まだよくわからないんので、ただ善光寺縁起を調べてみて おもしろいことに気が付きました。

古来の、聖徳太子信仰の起源というものをたどれば、いろんなものがあげられると思いますが、太子信仰を全土に広げたのが、親鸞であり、浄土真宗であるのならば、浄土真宗の起源である(ひじょうに誤解されやすいいいかたですが) 善光寺にすべてがあります。


http://www.osakanews.com/mite-mite-kansai/ippen030307.htm

善光寺との聖徳太子とのかかわりは上記のようになります。

http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/kame7.htm

さて もうひとつ 阿弥陀さまですが、阿弥陀さまの性格は上記のようになります。

http://otd3.jbbs.livedoor.jp/246945/bbs_plain

善光寺の奥の院には古代信仰が隠れているという論考です。
阿弥陀さまも、アマテラスに関係が深い 仏様です。




正八幡宮には「降臨」伝承の他に、次のような「漂着」伝承もある。「大隅正八幡宮縁起」は云う。震旦国(中国)の陳大王の娘・大比留女(おおひるめ)は、七歳のとき夢で朝日を受けて身籠もり、王子を生んだ。 王たちはこれを怪しみ、母子を空船(うつほぶね)に乗せて海に流したところ、「日本の大隅の磯岸に着き給う。その太子を八幡と号し奉る。(…)大隅国に留まりて、八幡宮に祭られ給えり」。母は「筑前国(…)香椎聖母大菩薩と現れ給えり」と。

 この「漂着」伝承は、新羅などの朝鮮王神話とまったく同型の「倭族」神話である(たいへん原型に近い)。八幡神が南朝鮮の神であることをこれほど明白に語るものは他にない。ここにも八幡神は「太子」(童神)であることが述べられている。「オオヒルメ」は天照大神の造型の際、モデルとなった神格である。母神は香椎宮に現れたとあるが、つまり息長帯姫(神功皇后)であるということだ。

http://w1.avis.ne.jp/~wakaomi/engi/index.html

ここで 注目したいのが 賀茂神城に関係が深い家紋の、本田善光が、信濃まで抱えてもっていったという点だ、どうかんあげても大人ではあるまい、子供、童子、大子 童子をイメージさせるものがあるように思います。

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kamo211.htm
賀茂神社と秦氏との関係

http://w1.avis.ne.jp/~wakaomi/doudouji.html

仏堂や内陣は人が入れない神聖な空間に入ることができたのが堂童子であった。堂童子は一般に寺院近郷の住民がその任に当たっていた。僧籍を持たずに、仏堂の清掃や香華で供養にあたり、或いは法会の進行にかかわる労役奉仕を行った。しかし、薬師寺修二会の役割からわかるように、単なる労役奉仕者としてのみではなく、内陣(聖域)と外部(俗)を仲立ちする重要な役割を果たしている。 聖と俗との宗教的媒介者……神仏の使いとしての性格をもっていた。その為壮年であっても童子と呼ばれる。 

http://www2.hokurikutei.or.jp/backnum/00dec/sj_folder/sj2.html

善光寺の古式ゆかりある行事ですが、簡単にいうと 上記の説明でいいのではあにかという気がしますがさて

善光寺の古式ゆかりある行事の説明に上記のような説明がありますが、古代信仰の上に、仏様たちがおかれている構造が見えてくる場合、神に対しては仏がおかれ、この童子に対して、聖徳太子が当てられたという構造がなんとなく、みえてきます。



ただ、昔の人が聖徳太子の存在を信じるということは、日本書紀を通してか、善光寺さんを通してかは疑問の余地がないと 私はおもいます。







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最終更新日  2004年12月08日 10時03分54秒
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