2005年03月29日
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多元的全体社会と王権の私なりの解釈

中世が一応の呪術社会(宗教社会とみても可)であることは間違いない
だが 中世は呪術に覆い尽くされた時代でないことも歴然としている
近年の研究は前者を異常なほど一面的に強調するものばかりである。
それは誤りである。

原始 古代社会と異なり、中世では大半の呪術儀礼の背景に費用の
裏つけが必要であった。もはや呪術万能の時代ではない。
(叡山の僧兵は 戦国時代は坂本の商人だったとさらっと 隆
慶先生は書いていますが)


中世には歴然たる合理主義もあきらかに出現しており
呪術と合理主義が混在している時代である。
経済観念は合理主義の最たるものである。
経済を抜きにした 心性史は信じるにたらない

この時代は魔術からの解放の一過程
ひとつの歴史的段階なのである。
このことを 王権論について もう一度みてみよう

院政期は 院や天皇についてのあからさまな非難が公家の
日記に記されるようになる。
鳥羽院は自らの出生にさいして神のおつげがあった
という物語を 藤原頼長に物語った。



後醍醐帝の主上御謀反という言葉は
全体の秩序に対する挑戦なのである。

職人が権威と仰ぐのは、西国では天皇であるが
東国にくると 頼朝になるのである。

だから天皇家は 中世以前に

(日本書紀 古事記 太平記 日本外史の普及
は江戸中期 尊王論の起こりも江戸中期以降から?)


こんな天皇もあり、公家もあり、武家もあるという世界
多元的な社会それに終止符を打ったのが信長の延暦寺の焼き討ちだが
この多元的な面が失われたのは 社会全体に取りプラスな面ばかりではない。







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最終更新日  2005年03月29日 22時03分06秒
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