2006年01月25日
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最初、弥生時代の始りは徐福到来が原因ではないかと考えたが、この時代の始りは徐福到来より
250 年以上早く、前 473年に呉が越に滅ぼされたことと大きく関わっている、との結論に達した。
もし、渡来人の始まりが周、更には殷の成立時に迄遡らせるなら、下の日中比較年表を前に継ぎ
足して、きちんと日中間の対応を取るとともに、中国側の遺跡や文献と、日本側遺跡の比較をする
必要がある。

日中の年表対比から見た渡来弥生人のルーツ

中国側戦国時代の年表             日本側弥生時代薄明期の年表

前473年 呉が越に滅ぼされる       約2500年前 高知県土佐市、居徳遺跡 金属器で殺傷

前334年 越が楚に滅ぼされる       約2300年前 土井ヶ浜遺跡 縄文人と異なる身体の渡来系弥生人
                           約2300年前 泉大津市池上曽根遺跡の始まり(大規模工房&蛸壺)
                          約22X0年前 吉野ケ里遺跡丘陵南端周辺で始まる
前223年 楚が秦に滅ぼされる
前222年 燕・代、秦に滅ぼされる
前221年 秦が斉を滅ぼし天下を統一
前219年 徐福、第2回出航

日中の年表を対比すると渡来弥生人のルーツがわかる。土佐市の居徳遺跡は「呉」の滅亡頃と対応し、
池上曽根遺跡や吉野ケ里遺跡の始まり、土井ヶ浜遺跡は「越」の滅亡以降と対応する。これは徐福
が出航した時よりかなり早い時期に当り、徐福が弥生時代を作ったのでは無いことが分る。むしろ、
「呉」「越」の滅亡により、呉・越の亡命者が渡来弥生人になったと考えるべきだろう。その後、

そうだ。

「倭人」を呉の太伯の裔とする説は「魏志倭人伝」の母体とされる「魏略」逸文や「晋書」「梁書」に
も見られる。それ故、卑弥呼以前の日本人は自分達を「呉」から来た渡来人の子孫と考えていた訳で、
「呉」からの渡来説は当時の日本人の認識とも一致している。





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最終更新日  2006年01月25日 13時46分18秒
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