2007年01月12日
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尾崎清光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾崎 清光(おざき きよみつ 1935年 - 1984年1月30日)は高知県佐川町出身の実業家。日本同和清光会最高顧問。えせ同和の黒幕であり、大物の同和事件屋として名を売った。
高知県高岡郡佐川町生まれ。暴力団に入り、20代から傷害や恐喝の常習犯として知られた。大阪で金融・手形割引や不動産会社を営むうちに元法務大臣西郷吉之助(参議院議員)の秘書グループに取り入り、西郷による手形乱発詐欺事件に絡んで兵庫県警に逮捕された。
のち帰郷し、高知県内の政財界や行政に食い込んで、農地転用許可や国有地払い下げに暗躍。自らも建築・土木・砂利採取などの事業を営み、公共事業や大手企業の下請けを一手に引き受け、「土佐の黒幕」と呼ばれて恐れられた。
1977年、高知県民文化ホールの工事を受注した大手建設会社への恐喝事件で逮捕。懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受ける。1978年に上京。全日本同和会に所属し、常任顧問の地位にあったが、内紛で脱退後、自ら日本同和清光会を結成。同和団体幹部としての地位や政財界へのパイプや暴力団幹部との繋がりを道具に使って行政を恫喝し、市街化調整区域など通常は開発の許可が下りない土地の許可を強引に取得して開発業者に斡旋し、億単位の仲介料を荒稼ぎし、暴利をむさぼった。1億2000万円のダイアモンド入り腕時計や8000万円のブレスレットや最高級のスーツや靴で全身を飾り、3000万円のリムジンを2台乗り回して「歩く三億円」と呼ばれたのはこの時期のことである。
1984年1月30日21時50分頃、糖尿病で入院していた東京女子医科大学附属病院中央棟5階の特別室に見舞い客を装った3人組の侵入を受け、サイレンサーつきの短銃で至近距離から顔と背中を撃たれた上、背中からナイフで心臓を刺され、同日22時50分頃に出血多量で死亡。当時、クラブ経営に失敗し、暴力団金融への負債を70億円~80億円ほど抱えていたことから、彼の死には暴力団の関与が噂されたが、犯人が逮捕されぬまま1999年1月30日に時効を迎え、事件は迷宮入りとなった。


国会議事録より
○坂上委員 あなたは今までの中で最も、一番大口でどうにもならない不良債権、どこですか。二、三挙げてください。

○坂上委員 もう少し説明を証言してください、証言。
○鈴木証人 金額的には約十五億でございます。
○坂上委員 あなたのおっしゃりたいことはこういうことですね。日本国和清光会の総裁関連会社に十五億円を東京都の紹介でお貸しをするようになった、しかしあなたは抵抗したんだ、しかしながら東京都から強い要請があって、仕方がなく貸し付けたんだ、こういうふうに記事に書いてあります。かつ、これについて回収手続に入ったけれども、抵抗を受けて回収できなかった、こういうふうに書いてあるんですが、もう少しお話しください。じゃ、これを。
○鈴木証人 ちょうど昭和五十八年の秋口でございました。支店長会議をやっている中で、朝九時十分に東京都から連絡がございまして、(坂 上委員「だれです」と呼ぶ)信用組合課長でございますから連絡があって、私どもの専務理事が東京都へ参りました。その折、信用組合課長と部長がいらっしゃいまして、そこで尾崎清光さんに融資をひとつ考えてやってくれ。そういうことをきっかけに何回かやってまいりました。ただし、尾崎さんの会社は、まだできて間もない会社が幾つかございまして、私どもとしては、保全の問題とかそれから事業の計画性が全然わからない。ただ、東京都さんが言われるには、一年後には東京都の保証協会から何とか骨折りができるだろうということで、その間のつなぎ資金としても出してやってほしいということで、私どもはやむなく出した次第でございます。
○坂上委員 だからその後も、この新聞によると、保証協会をあっせんしてやる、保証協会をつけてやるからつなぎとしてやってくれ、こうなったんだが、どうなったんです、じゃ。事実ですか。
○鈴木証人 ちょうど秋口から御紹介をいただきまして、一月に尾崎さんが亡くなったものですから、そのまま全額不良化されました。
○坂上委員 亡くなったからといって不良化するのはおかしいんじゃないですか。あなたはまた、貸したくないと抵抗したそうですが、どういう抵抗をしたの。
○鈴木証人 単純に、やはりそういう事業内容等が不備であるということで、私どもとしてはやはり長いつき合いをさせていただかないとすぐにはお貸しできないということでお断りさせていただいたわけです。(坂上委員「そうしたら」と呼ぶ)そうしたら、やはり何とかこれは面倒見てやってくれないかというような強い要請があったものですから、私どもとしては、監督官庁からの強い要請ですから、させていただきました。
○坂上委員 じゃ、これ不良債権化したとき、東京都はどういう指導をしたの。
○鈴木証人 特にコメントございませんでした。
○坂上委員 あなた、責任を問えばいいじゃない。あなた、私が嫌だ嫌だと言うのを私は十五億も貸した、それで信用保証協会をつけてくれると言ったけれどもつけてくれない、あげくの果てが回収できなくなった、東京都、責任とれと何で言わないのですか。殊に多額の預金を預かっておるあなた、責任者の立場としてはやるべきことをやらないんじゃないですか。どうです。


中略

○坂上委員 ちょっと御家族のことをお聞きをいたしますが、あなたは、四元義隆さん、政界の指南番とおっしゃる方とは御親戚でございますか。それから、安全信用組合とは何かこの四元さんは御関係はあったんでございますか。
○鈴木証人 親戚というのは私の家内の側だと思います。私は、大分後になって四元氏が私の親戚であるということを聞きました。また、私は四元さんと直接のおつき合いというよりも、先代の理事長とのつき合いでございまして、私自身は余りじっこんにさせていただいておりませんし、また私どもの話題と四元さんの話題とは必ずしも一致しないものですから、たまに表敬訪問を非常勤理事に対してしているところでございます。
○坂上委員 大変失礼ですが、あなたの奥様は西郷元法務大臣のお嬢様でいらっしゃいますね。そ
れから、西郷さんのごきょうだいの方が四元さんの奥さんという関係になるんでございませんか図それから、この四元さんは、あなたの信用組合の相談役あるいは理事になっておられたことはあるんでございませんか。

 それから、四元さんは現在も理事をしているはずでございます。
○坂上委員 そうすると、四元さんとしては、大変責任を感ずる方ですから、この問題については再建のために必死な御努力をなさったのと違いますか。あなたはまた御相談なさったのと違いますか。いろいろ週刊誌で言われておりますけれども、これは週刊誌のあれで根拠がどの程度かわかりませんが、あなたの口から直接、あなたはこの信用組合の再建のために、今の、言うようなやり方とは別に何らかの努力をなさったんじゃないですか。いわゆる政治家を使うとかあるいは官僚と御相談をなさるとか、何かあったのと違いますか。
○鈴木証人 四元さんは昨年の夏前から体調を崩しまして、十一月まで何か鹿児島にお帰りになったということを、鹿児島から帰ってこられたときに四元さんの秘書から電話があって私は初めて聞いたのです。
 私自身は昨年の返済計画が自信があったものですから、私は逆に、辞任よりも、もし四元さんに頼むとすれば継続という形で頼んだのじゃないかというふうに思っていますし、また、今の先生の御指摘の、四元さんに何かそういうことで頼んだとか相談したことは全くありません。
○坂上委員 ちょっと御家族のことをお聞きをいたしますが、あなたは、四元義隆さん、政界の指南番とおっしゃる方とは御親戚でございますか。それから、安全信用組合とは何かこの四元さんは御関係はあったんでございますか。
○鈴木証人 親戚というのは私の家内の側だと思います。私は、大分後になって四元氏が私の親戚であるということを聞きました。また、私は四元さんと直接のおつき合いというよりも、先代の理事長とのつき合いでございまして、私自身は余りじっこんにさせていただいておりませんし、また私どもの話題と四元さんの話題とは必ずしも一致しないものですから、たまに表敬訪問を非常勤理事に対してしているところでございます。
○坂上委員 大変失礼ですが、あなたの奥様は西郷元法務大臣のお嬢様でいらっしゃいますね。それから、西郷さんのごきょうだいの方が四元さんの奥さんという関係になるんでございませんか図それから、この四元さんは、あなたの信用組合の相談役あるいは理事になっておられたことはあるんでございませんか。
○鈴木証人 実は、家内の親戚関係についてはちょっと私、詳しくわからないのですが、ただ、家内の親戚の会に四元さん御家族でお出になっていらっしゃいますので、多分、先生のおっしゃることが正しいのかどうか、ちょっと帰ってから確かめますが。
 それから、四元さんは現在も理事をしているはずでございます。
○坂上委員 そうすると、四元さんとしては、大変責任を感ずる方ですから、この問題については再建のために必死な御努力をなさったのと違いますか。あなたはまた御相談なさったのと違いますか。いろいろ週刊誌で言われておりますけれども、これは週刊誌のあれで根拠がどの程度かわかりませんが、あなたの口から直接、あなたはこの信用組合の再建のために、今の、言うようなやり方とは別に何らかの努力をなさったんじゃないですか。いわゆる政治家を使うとかあるいは官僚と御相談をなさるとか、何かあったのと違いますか。
○鈴木証人 四元さんは昨年の夏前から体調を崩しまして、十一月まで何か鹿児島にお帰りになったということを、鹿児島から帰ってこられたときに四元さんの秘書から電話があって私は初めて聞いたのです。
 私自身は昨年の返済計画が自信があったものですから、私は逆に、辞任よりも、もし四元さんに頼むとすれば継続という形で頼んだのじゃないかというふうに思っていますし、また、今の先生の御指摘の、四元さんに何かそういうことで頼んだとか相談したことは全くありません。

血盟団と チンピラあがりではねえ 迷宮入りになるはずです





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最終更新日  2007年01月12日 23時05分32秒 コメント(2) | コメントを書く


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人にたかるときには  
くれど  さん
注意しようという噺です (2007年01月12日 23時09分56秒)

Re:四元義隆の力の源泉(01/12)  
123 さん
おざきせいこう でしょ (2016年04月08日 13時33分19秒)

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