2008年04月07日
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の招待アブダビ雑感
──或るオイルマンの体験談──より

利権取得の経緯
先ほど申しましたように、翌年1968 年1 月に3 社共同出資によるアブダビ石油株式会社かが設立されましたが、会社が生まれる基になる利権についてお話したいと思います。これは私が利権取得並びに会社設 立に関与された人から直接間いた話ですが、関係者のほとんどは鬼籍に入ってしまわれました。1967 年、当時住友商事の監査役だった広瀬満直さんが退任間際にセンチメンタル・ジャーニーでベイルートに行かれました。広瀬さんの祖父広瀬宰平さんは、住友本 社の総経理をされ「住友の3 柱石」と言われた3 人の功労者の1 人で、幕末から維新にかけて住友の社業の発展に非常に貢献された方です。そのお孫さんの広瀬さんは1934 年にケンブリッジ大学を卒業されましたが、留学時代の友人がベイルートにいたので彼を訪ねて行かれたわけです。その学友と言うのは、石油関係の人なら良く 知っておられると思いますがOPEC の総長も勤めた人で、当時ベイルートで石油コンサルタント業をされ、またアブダビのザイード首長の石油顧問をされていたナジム・パチャチ博士でした。博士 はイラクの元閣僚ですが軍事革命で追われ亡命中の身でした。2 人がベイルートで再会した際広瀬さんは“アブダビのオフショアでオープン・エリアがあるが、日本の企業でどこか興味をもっているとこはないか?”
と博士から尋ねられたのです。とにかく一度一緒にアブダビに行こうと誘われ、広瀬さんは現地入りされました。ザイード首長は、国際入札でなく随意契約ベースで利権を与えたいとの考えを持っており、また利権交渉はすべて自分に任されているとの説明が博士からありました。
広瀬さんは現地入りされました。ザイード首長は、国際入札でなく随意契約ベースで利権を与えたいとの考えを持っており、また利権交渉はすべて自分に任されているとの説明が博士からありました。
広瀬さんは日本に帰るとパシフィックコンサルタントの河野社長にこの
話 を持って行かれました。広瀬さんと河野さんとはどんな関係であったか良く知りませんが、当時パシフィック・コンサルタントはすでにアブダビに足がかりを 持っており、海洋調査のため同社の技術者が2 ~3 人アブダビに駐在しておりました。河野さんはこの話を取りまとめるためには政治力が必要であると考え、田中清玄さんのところに持って行かれました。清玄先 生は日本興業銀行の中山素平頭取にこの話を持って行かれました。ご承知の通り中山さんは早く頭取職をしりぞかれ相談役になられましたが、財界の鞍馬天狗と 言われた方で非常にエネルギーについて関心を持っておられました。田中・中山会談で、“これは日本の自主開発原油確保という国策にのっとった事業であり、 民族系石油会社で是非とも実現させよう”と言うことになりました。そこで、丸善石油、大協石油、日本鉱業の3 社に根回しをされ、3 社長の合意を取り付けられました。利権交渉のネゴシエーターとして、業績不振の責任を取って辞められ当時浪人中の身であった、元丸善石油副社長の杉本茂さ んが指名されました。杉本さんは3 社長の委任状を持って単身ベイルートに赴き、パチャチ博士と利権交
渉を重ね1967 年12 月アブダビにおいてザイード首長と協定書の調印をされました。その利権協定にもとづき新会社が翌年1 月に設立され、協定書の権利義務はすべて新会社に譲渡されました。








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最終更新日  2008年04月08日 10時39分26秒
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