2009年01月04日
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終戦の数ヶ月前から市場では 軍部に睨まれながらも軍需株が売られ 代わりに紡績や食品 百貨店などの平和産業株がかわれだしたということから 山種ならずとも 敗戦を見越しての戦後経済を指向する 株界の触角は鋭敏そのものであったのだ。
昴進する悪性インフレにストップをかけるため 預貯金封鎖 新円発行の金融緊急措置令が出たのは 翌21年の2月だった。新円は一人100円 残りの旧円は毎月一定額しか新円でおろせない これで600億円に膨張した通貨は4分の一に減った このとき株式買い入れは預貯金が使えた 封鎖預金で買った株式を新円で売ると 2 3割はマージンを引かれるが 制限以上の新円が手に入るから 資金集めの抜け道になった。新円さえあれば金儲けの口はざらに転がっていた時代である。この抜け道を利用しようとして 株式売買はにわかに盛んになった。株を買い証券会社の買い付け報告書を銀行に持っていけば 簡単に封鎖預金をおろせるのだから当然の現象である。
ところが 抜け道には必ず疑惑が生ずるもので 証券会社が株式を買わない者にも空の報告書を乱発しているという疑いがかかって 兜町に警察の手が入った 野村証券の瀬川能留 沢村正鹿らの証券界の首脳が 勅令違反の疑いで次々に拘引 留置されてしまった。証券界は大騒ぎとなり 業界を挙げて釈放に奔走した。幸い違反はほんの一部と分かって、全員が無罪放免になったが 戦後の混乱が招いたとんだ一幕だった。
もうひとつ旧円が認められたのは 22年に実施された財産税の徴収だった。
山崎種二 その生涯と事業 山種グループ記念出版会より

売りの山種というか おいしんぼの京極万太郎さんのモデルの 山崎種二の評伝より 一番 インパクトのあった部分を引用してみました。
児玉が中国からもってきた現金については 封鎖で使えなくなったとか 小佐野が如何に封鎖を乗り越えたかという点がよくわからなかったのですが 株をうまくかませて乗り切ったと考えれば なるほどと思いました。
そこから 黒幕と政界と財界と そして野村証券との関係が始まっただなーと思いますが 山種もその一味なんだろーというのが この本にでてきた人脈から伺えます。








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最終更新日  2009年01月04日 22時07分17秒
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k_guncontrol さん
どんな悪いことをすれば京極さんみたいなお金持ちになれるのかと
常々思っていましたが、なるほど。

当時はハイパーインフレですから、預金封鎖している間に
貨幣価値がどんどん下がって、財政赤字は実質切り下げ、
政府大喜び、というシステムです。
それゆえ日本はドッジ・ラインを嫌った。

昨今の景気状況では再びの預金封鎖あるいは他の手で
通貨切り下げもありうるかな、と思います。
(2009年01月05日 04時06分16秒)

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