2009年01月12日
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http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_03/shishi_05-03/shishi_05-03-03-02-03.htm

 これまで定置漁業には傍観者的立場をとっていた日魯漁業は、ライバル企業日本水産の進出に対抗するため、13年3月、すでに設立されていた大北漁業(資本金40万円)を買収すると同時に、個人漁業者18名を吸収して、新たに大北漁業株式会社(資本金300万円)を設立した。新会社は日魯漁業の全額出資で、代表取締役は真藤慎太郎、取締役には堤清治郎、近江清太郎らが就任した。北海道庁による統合勧奨は、多数の漁業権を集中した日魯漁業1社を核とする合同案であり、日魯漁業は単一企業合同の実現に奔走した。しかし、単一の合同に反対してきた林兼商店とその直系の択捉水産の同意が得られないまま、16年2月、北洋水産とその他3企業(東邦水産、北海道漁業缶詰、帝国水産)が大北漁業に合併し、北日本漁業株式会社(資本金2290万円)が新設された(『日魯漁業経営史』)。林兼商店と択捉水産は、昭和18年、戦時経済統制下の水産統制令によって強制的に日魯漁業に合併されるまで、12か統の定置漁業の経営を続けた。このような林兼商店などの反対はあったものの、険悪化する日ソ関係の下で、日魯が北洋鮭鱒漁業を全面的かつ一元的に統制することができたのは、満州事変に始まる十五年戦争の拡大と共に、日本産業が軍需優先の戦争遂行のための統制経済に組み込まれていく時代の風潮をうまく利用したこと、こうした社会環境の変化に適応させる形で、日魯漁業とその系列企業群を、農林・外務官僚との連携を保ちつつ、北洋漁業全体を統制する巨大な企業集団に作り上げた、平塚常次郎社長をトップとする経営幹部のリーダーシップと政治的手腕によるものであった(『北洋漁業の経営史的研究』

http://j-net21.smrj.go.jp/establish/column/20040416.html
ようやく南氷洋漁業が軌道に乗り出し たとき、幾次郎にはいま一つの危機が迫っていた。中国戦線は泥沼の状態に陥 り、満州問題をめぐり、日本は国際的孤立を余儀なくされ、とりわけアメリカ との緊張関係が高まっていた。強まるのは、軍国主義の胎動である。産業界に も「新体制運動」が広まっていた。それは軍部を背景に、戦時革新官僚と迎合 的な経済人が、水産業をして臨戦態勢に駆り立てようとする「革新運動」であ った。民間事業会社を解体し、官営漁業会社を再編統合するのがこの運動であ った。政府の考え方は、日魯、日水、林兼の水産会社を統合し、中央統制機関 として帝国水産統制会社を設立しようという構想だった。統制会社に参加する かどうか、幾次郎は重大な決断を迫られたのであった。
 幾次郎は自由な経済人である。経済は経営者の創意工夫と努力により、自由 な競争のもとで成立するというのが信念だ。だから経営に国家が介入している ことなど、とんでもないことだと考えている。だいたいが、幾次郎の林兼商店 は、国家の世話になど一度もなったためしがない。水産業で三本の指に数えら れるまでに発展を遂げたのは、幾次郎自身が先頭に立ち、従業員と一緒に汗水 流し、幾多の困難を乗り越え、切り開いてきたからだ。それよりも何よりも、 漁業、とくに遠洋漁業は平和な国際環境のもとでしか成立しない事業だ。戦争 が始まれば、開かれた海洋と漁場が閉ざされてしまう。大声を出してはいえぬ ことだが、幾次郎は戦争に反対なのであった。
★農林大臣を糾弾した怒りの手紙
 体制迎合は世の習いだ。そこには欲得も絡む。体制に順応することで、生き 延びようと画策する輩が出てきても、不思議ではない。大義名分もある。国運 を賭する大戦争だ。絶対に勝たねばならぬ戦争だ。ここは私心を捨てて、己を 犠牲にしても、国家の要請に応えねばならぬ、そういう類の大義名分だ。こう して水産業界も、挙国一致の名のもとに、統制・統合が図れていくのだった。 しかし、幾次郎は違った行動を取った。事業は経営の自由と相互の競争によっ て切磋琢磨され、産業の向上が実現するものだ。その競争を阻むような統制な り、統合はいかなる美名のもとでも、産業意欲を阻害し、結果において、水産 業の弱体を招くものだ――と、幾次郎は果敢に主張するのであった。
 しかし、正論が通り難いのはいまも昔も変わらない。国家の重大事を奇禍と して、自らの利害を主張する者も現れる。水産業界の統制を熱心に推進したの は、ときの農林大臣井野碩哉という男だった。農林大臣は林兼の競合相手、日 本水産の元重役でもあった。漁業統制会社の設立は日本水産のかねての主張で もあり、いってみれば、井野は政界における日本水産の代弁者というわけだ。 これは林兼つぶしが狙いだ。幾次郎が怒るのも無理はない。幾次郎は農林大臣 に宛てに「戦時統制は戦力の増強と日本水産業の興隆を希う目的であるのに、 この非常時を機会として水産企業の覇権をたくらむ者があるから困る」と怒り の書簡を認めたのは、こうした事情があったからだ。

http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50771150.html

※参考: “水産工業 戦略の展開” pdf
  水産の国家統制について, 日本水産のトップ田村啓三と植木憲吉は
  強く抵抗したが, 専務の西村有作が先駆けて賛成した。 経営陣の
  ばらばらな姿勢の中には, 国家統制をめぐる日本水産の思惑と
  主導権に関する駆け引きが隠れていた。 つまり,
  第1に統制会社の主導権を握るとの思惑であった。
  第2に, 帝国水産の設立は国家総動員法に基づく強権立法で
  あったが, その施行過程で漁業資本の根強い抵抗にあって,
  結果的に漁業生産では現状維持に近い資本合同の形をとって,
  水産物の流通過程だけを統制する統制会社になった。
  (略)

  現状を改善するための大量加工・販売体制の構築のためであった。」
 <以上引用>
※ジロさんは統制反対派と取れる様な記述がなされている割りに
 統制派の西村専務と組むのは何故なのか。
「(昭和19年12月3日で有馬日記の次郎に関する記述が途切れたのは)

 それは専業農家だった。」

この時期の水産会社の歴史というのは
黒歴史的なところもあるようで それぞれ 微妙にいい分がちがうようです
レジェンドは有馬日記を引用してますが
ヨハンセンの絡みとか 反統制派という見方よりも 派閥争いとみるべきではないか ただ辞めて 公職追放あわないで正解でしたが





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最終更新日  2009年01月12日 20時31分03秒
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