2009年06月12日
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http://www.geocities.jp/showahistory/history01/02c.html
やまと新聞
本社は京橋区三十間堀町1丁目1(昭和2年時)。明治19年10月創刊で合資会社。條野採菊を社長に福地桜痴の援助を受け創刊。社内に講壇を持ち、三遊亭円朝らが出入りしたため、これを速記して紙面化し躍進。一時は山縣有朋系の新聞となったり、昼刊を出していた時期もあったが松下家がオーナーとなり、社長を世襲。昭和2年時の社長は松下勇三郎。昭和3年5月に松下吉郎が社長に就任。昭和4年9月には社主が望月一郎となり、社長に藤波茂時子爵が就任、昭和5年11月に清水仁三郎が社長就任。昭和7年時の社長に波久津剣、夕刊紙となる。昭和8年時には岩田富美夫が社長。昭和13年時には主幹に津久井龍雄。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/snlist/210l.html
明治17(1884)年10月創刊の「警察新報」が19(1886)年10月に「やまと新聞」と改題された。当初は警察種などの社会記事などで庶民読者に歓迎され、「読売新聞」と並んでいわゆる「小新聞」の双璧であった。その後明治33(1900)年に経営が松下軍治に移った。松下は事業家・相場師として著名で、山形有朋・桂太郎の藩閥勢力と近かった。このため「やまと新聞」の論調も藩閥系に近かったが、新聞の性格としては三面記事を中心とする通俗紙の色彩が濃かった。
大正2(1913)年の憲政擁護運動では桂内閣を支持して群衆の襲撃対象となり、翌年のシーメンス事件では山本内閣倒閣運動の中心となった。
大正4(1915)年に松下が死去すると社運は衰退し、経営も紆余曲折を経た。大正7年ごろから高畠素之などが入社し、国家社会主義の論陣をはる右翼思想新聞として存在を発揮した

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E6%96%B0%E8%81%9E
1940年児玉誉士夫が経営を継承するも、新聞統制のため1944年4月を以て休刊した。

1946年1月11日に児玉誉士夫らの手によって、『やまと新聞』を発展させた新聞として『新夕刊』が創刊される。戦後創刊した新興夕刊紙の代表格とされ、一時期「サザエさん」も掲載されていた。
しかしまもなく児玉が戦犯として収監されると、経営権は児玉の腹心である高源重吉に移譲されるが、次第に経営に行き詰まり、1949年に三浦義一に再度経営権が移譲され、1950年3月20日に『日本夕刊新聞』に改題。1952年7月10日再び経営者が山崎一芳に移動し『新夕刊』に復題。山崎は経営するにあたり保全経済会をスポンサーに付けた。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0666/01904030666017c.html
○山崎証人 お答えいたします。昭和二十七年の春、幹部としてあそこにおりました――その当時は三浦さん個人の経営でありますから、どなたも別に代表とかなんとかいう名前をつけておりませんでしたけれども、栗原一夫君と大庭勝一君と後藤勇君の三人によつて経営をされておつたのであります。社主が三浦さんで、金が足りなければ三浦さんのところに行つて金をもらつて来て、給料を払い不足金を払うというような状態を続けておつたのでありますが、三浦さんもほとほと手を焼かれて、もう金が出ないという状態になつたときに、後藤勇君は国民新聞の政治部長をやつておつた当時からの私の古い友人でありますが、その後藤君が私のところに白羽の矢を立てまして、私は銀座に事務所を持つておりましたが、毎日々々実に根よく私を説得においで下さつたのです。

http://www.geocities.jp/showahistory/history04/topics33b.html 
こんな抗議も無視して国民タイムスは7/1には「長嶋選手、司葉子と婚約」とまたも“ガセネタ”スクープ。当の長嶋本人は川上と同じ車に乗っていて、ふと外に目をやると自分の名前が出ている新聞が。慌てて読んで、初めて自分の「婚約」を知ったという。7/2には「嵐吹く山本富士子の結婚」とまたも偽のスクープを国民タイムスは出し、日活監督の牛原陽一と山本富士子が結婚するなどと大々的に書き立てた。こうした偽スクープの仕掛け人は後藤勇(50)で、昭和33年より国民タイムスを「売れる」偽スクープ路線へと転換させたが、新聞協会から「7月末までに退会せよ」との警告を発せられるに至った。

http://m.weblio.jp/c/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA/0#.E5.9B.BD.E6.B0.91.E3.82.BF.E3.82.A4.E3.83.A0.E3.82.BA
国民タイムズ
『国民タイムズ』は新創刊されたものの、再び経営に行き詰まり、大映社長の永田雅一が経営に乗り出して新社を設立。
永田はここで同紙をスポーツ新聞に切り替え、今日の『東京スポーツ』が誕生した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%B0%91%E6%96%B0%E8%81%9E

1942年、戦時体制下により『都新聞』と合併することとなり、10月1日『東京新聞』が誕生した。同時に新愛知は東京から撤退を余儀なくされ、『東京新聞』の主導権は都新聞側が握った。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1426382104
山崎正友弁護士、ホテルニューオータニで北条浩、笹川陽平をまじえ、月刊ペン側弁護人・重富義男と懇談。会長の証人喚問をやめるよう依頼する。のち、笹川陽平、この会合のあったことを認める。「この段階で私は学会首脳に泣きつかれ、池田氏の証人出廷を防ぐたの裏工作に入りました。数人の情報マンを使ってめんみつに調査した結果、仲介人として笹川陽平氏に白羽の矢を立て北条浩氏が父親の笹川良一氏に依頼して承諾を得た上で、陽平氏が動きました。笹川陽平氏は人を介して『月刊ペン社』の取締役であった栗原一夫氏にわたりをつけ、栗原氏から原田倉治社長、そして重富弁護士(月刊ペン社監査役)にわたりをつけて、和解の話し合いに入りました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%A4%A7%E4%B8%83%E7%94%9F%E7%A4%BE
帝大七生社

帝大七生社(ていだいしちせいしゃ)は、紀平正義を代表とした1925年創立のファシズム・右翼の団体。東大七生社とも称された。
[編集] 概要
東京帝国大学の上杉慎吉が指導にあたり、本部は当初は東京市小石川区の大塚坂下町の上杉邸に置かれたが、後に本郷区森川町の求道会館に移された。
「至誠一貫報国尽忠」を掲げ、1927年6月には左翼団体に宣戦布告を行った。特に新人会との衝突が激しかった。
会員には田中邦雄(血盟暗殺団学生行動隊員)のほか、四元義隆、浜崎長門、重富義男、工藤恒四郎などかいた。

http://www.yanagiharashigeo.com/report/Journal6.htm
捏造スキャンダルの時事的背景
 「月刊ペン」事件の被告となった隈部大蔵は、現在、埼玉県の東武越生線沿いの墓地に静かに眠っている。
 一角は「大乗教団墓地」ともいわれ、中央には管長一家のひときわ大きな墓石が目を引く。隈部家の墓はそこからほど遠くない場所にある。
 隈部は1920(大正9)年、熊本県で生まれた。父親は医者で、男では3人兄弟の末っ子として何不自由なく育った。戦争にとられ、フィリピン戦線で闘ったあと、ゲリラ(スパイ)養成所である陸軍中野学校二俣分校(静岡県)に三期生として入校。このときの“秘密戦士”としての経験が、同氏の戦後の活動に深い影響を与えたようだ。
 ちなみに二俣分校の一期生には、戦後30年近くたってルバング島から帰還した小野田寛郎少尉がいる。隈部が新聞社を退社する間際に実名で上梓した『秘密戦の赤き花~生きている中野学校の魂』(日新報道、73年)にはそうした体験が赤裸々につづられている。小野田への深い思い入れも読み取れる。
 隈部は戦後、経済企画庁などに勤務したあと、1957年に西日本新聞に入社し、東京で経済担当の論説委員として仕事をした。在社中の67年ごろから、ペンネームで創価学会批判本を立て続けに執筆・出版。その動機には、妻が熱心に信仰し、自らも属した「大乗教団」の教えが深く影響していたようだ。隈部が執筆した一連の批判本には、釈迦を“本仏”としていた同教団の当時の教義が色濃く反映されている。
 その後74年7月に新聞社を退社すると、隈部は月刊ペン社の編集局長として迎え入れられた。同社の社長だった原田倉治は当時、右翼の“大物総会屋”として知られており、内閣調査室の民間機関の責任者だったともいわれる。






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最終更新日  2009年06月12日 21時06分11秒
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Re:  
k_guncontrol さん
迫水常久が公職追放中に新聞社を経営しようとしていたそうです。
(結局途中で断念した様ですが)
なんでこの手の人達は新聞が好きなんでしょうね。 (2009年09月01日 16時04分24秒)

Re[1]:(06/12)  
k_guncontrolさん

>なんでこの手の人達は新聞が好きなんでしょうね。
-----


大変貴重な視点をいただきました!

私は、2ちゃんねるを作った連中を割合至近距離で眺めてきたのですが、その観測と重ねあわせると一つの仮説が浮かび上がります。

(2009年09月23日 15時08分55秒)

NvXVRqGcawnf  
samuel さん
oF0Lss http://www.FyLitCl7Pf7kjQdDUOLQOuaxTXbj5iNG.com (2015年01月07日 23時57分43秒)

olkHduJtGuWxRcY  
matt さん
rz0v74 http://www.FyLitCl7Pf7kjQdDUOLQOuaxTXbj5iNG.com (2015年04月26日 19時54分57秒)

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