2009年10月24日
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赤尾敏先生の元に 児玉先生が転がり込んで 数十年 方や 日本のドン 方や いい言葉でいえば 清貧の右翼 はっきりいえば 乞食右翼

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E5%85%B1%E6%8C%BA%E8%BA%AB%E9%9A%8A
防共挺身隊(ぼうきょうていしんたい)は、六代目山口組二代目弘道会浜健組の右翼標榜暴力団。
[編集] 概観
福田素顕の長男で、大日本愛国党城南支部長を務めていた福田進(当時防共新聞社社員)と、同じ大日本愛国党本部員の浅沼美智雄(参与)、吉松法俊(青年行動隊長)、中堂利夫(『愛国新聞』編集長)、岡田尚平(情報宣伝局長)らによって結成された事からも自明な通り、1955年の発足当初には大日本愛国党の別動隊的、防共新聞社の青年部隊的性格が強かった。
後に岡田は「尚武舎」を結成し、舎主として独立。中堂はハードボイルド小説家に転身して人気を博す。
浅沼稲次郎暗殺事件の山口二矢も、福田進、吉松、中堂らと大日本愛国党を離党後、共に「全アジア反共青年連盟」を組織していた。当該事件の捜査過程では、殺人教唆の疑いで福田進と吉松が、赤尾敏と共に別件逮捕されている。
60年安保闘争への対応を期に赤尾敏・福田素顕と、児玉誉士夫との関係が更に険悪化し、「任侠右翼」とも付き合いを保つ防共挺身隊は、「純正右翼」を標榜して侠客の介入に嫌悪感を露にした赤尾敏と福田素顕から離れ、次第に児玉一派に傾倒して行く。この一件で福田進は福田家から勘当され、防共新聞社からも破門される。

自分の組織にも 手をだされ


【右翼との関係】
赤尾敏から四元義隆まで、主に反児玉系を
中心に幅広い人脈を持っていたことが分かる。 児玉とも接触していたようですが、政権奪取後 や党人派政治家の死後は、価値が無くなったのか、あまり会っていない。しかし佐藤の総裁三選や FX商戦に介入していたことから、力は決して 弱まってなかったらしい。また中曽根と児玉の関係を危惧していたところも面白い。

スポンサーも児玉嫌いですから

いろいろ ロッキード事件から きれいな言葉で 赤尾先生は発言されていますが 児玉嫌いの本音は こんなところでしょう










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最終更新日  2009年10月24日 21時30分02秒
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