2010年07月13日
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 ところで、これまでみてきたのは神道系、あるいは神仏混交系、さらにいうならば基本的にはシャーマニズム系の新興宗教だったが、これとはまったくべつに既成宗教の現代的復活がみられたのも昭和・平成史のだいじな特色であった。とりわけ、わたしが興味をそそられるのは、日蓮宗系統の活発なうごきである。
 そのひとつの源泉は日蓮宗と社会主義運動とのふしぎな連携であった。わたしはその具体的なひとつの例を高田宏の『われ山に帰る』からまなんだ。この伝記の主人公は小山勝清。かれは堺利彦から社会主義を、柳田国男から民俗学を学び、晩年は「彦一頓知ばなし」のような童話作家として一生をおえた人物だが、かれの理想としていたのは「金持も貧乏人もない平和な世の中」で、その「社会の作りかえ」をマルクス主義にもとめた。堺のもとで勉学をしていたころには毎日のように理想郷=共産主義社会への夢をつむいでいた。
 ところが、その小山のグループが大正八(一九一九)年十一月、足尾銅山のストライキの指導に出かけたときの記録をみると、労働者たちを扇動するために法華経が引用されているのである。労働者の同盟会でのアジ演説はこういう。

 「加藤清正は南無妙法蓮華経の旗を立てて戦い、戦うたびに勝利をおさめた。あの旗は死を決していたことを示している。諸君、われわれも死を賭す決心で団結すればかならず勝てる」

 そして四千人をあつめたこの鉱山労働者集会がデモを開始すると、プラカード、提灯、竹ぼうきなどを手にもって、法華の念仏がとなえられたのだ。まだ労働組合は成熟していなかったし、マルクス主義のイデオロギーは一部の指導者以外には理解されていなかった。そんなときに集団の士気を鼓舞したのは赤旗でもなく、労働歌でもなく、南無妙法蓮華経としるしたのぼりと法華経の大合唱だったのだ。ちなみに絲屋寿雄の『流行歌』によれば、「インターナショナル」がはじめて歌われたのは大正十一年のことだったから、現代労働歌はまだ誕生していなかった。それにしても、これはいったい、どういうわけなのであろうか。
 わたしは宗教史にくわしいわけではなく、ましてや日蓮宗について知るものでもない。しかし、この足尾のストライキの時期をかんがえてみると、どうやら大正六(一九一七)年に東京浅草で発足した日蓮主義の勉強会「統一閣」などと関係していたのではないかとおもわれる。この「統一閣」なる団体は、ただしくは「本化聖典研究会」という。中心人物は本多日生、清水梁山。この研究会は日蓮ののこした文献やマンダラの整理と解読を目的とし、ひろく門戸を開放していた。そして、そこにはのちに血盟団をつくった井上日召や社会主義者の妹尾義郎なども顔をみせていた。法華経の熱心な信者のなかには華族もいたし、軍人もいた。このことは、あとでもういちどふれる。
 おおざっぱないいかただが、日蓮宗は日蓮の『立正安国論』以来、たんに個人の救済をその教義とするのでなく、「国家」、あるいは「世の中」の改革の必要性をつよく説いた点で他の仏教諸宗派とことなる。日蓮じしん、かれの同時代の人心が法華の正法にそむき、邪法を信じているがゆえにやがて内乱と外国からの侵攻が起きるであろうといい、国土の安泰のためには法華の正法を信じ、宝土の到来を待つべきだ、と主張し、そのゆえに鎌倉幕府によって流刑の運命をたどった。いわゆる「法難」である。
 日蓮宗のもつこの「社会性」が宗教を呪術から解放し、のちに日本の「近代」をつくったひとつの思想的準備であることは、すでにベラーが『日本近代化と宗教倫理』のなかで指摘しているとおりだが、「国」ないし「社会」の将来に関心をむけ、現世の「改革」をつよく訴えるという点で、それは国家主義ともむすびつきうる性質のものでもあったし、また社会主義とも連動しうるものでった。それにくわえて、日蓮宗はその行動性のはげしさにおいて、他の仏教教団とくらべものにならないほど過激である。足尾のストライキで法華経が矛盾なくうけいれられたのも、こんな事情があったからであろう、とわたしはおもう。







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最終更新日  2010年07月13日 22時29分15秒
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Re:  
k_guncontrol さん
法華経と被抑圧階級の組み合わせをちょっとだけ変えると
なるほど信濃町方面になるわけですね。 (2010年07月14日 00時07分01秒)

Re[1]:(07/13)  
くれど  さん
k_guncontrolさん
>法華経と被抑圧階級の組み合わせをちょっとだけ変えると
>なるほど信濃町方面になるわけですね。
-----
細かい教義だけをみていくと わけわからん噺になりますが 全体をつかまえていくことが 大切かと

(2010年07月14日 06時18分03秒)

児玉誉士夫の墓  
御殿山#001 さん
池上本門寺(東京都太田区池上1-1-1)
1984年1月17日歿 72歳
http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/05-47.html (2010年10月20日 11時16分21秒)

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