2010年10月25日
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もともと 児玉機関の旧資産は 児玉個人の私有物でないことは もちろんだし といって 厳密な観点をもってすれば 海軍の所有物でもない これを要するに 当時のわが陸軍が やはり中国やその他の方面で活躍させたところの 昭和通商と同じ性格のものであった
これが 買い付け資金は軍部から面倒をみてもらっておったが といって関係者や雇傭人の生活保証とか これに見合う給与などはなく ぜんぜん独立した別個の経理によるもので ことに児玉機関の場合は 昭和通商とちがって 株式組織的な経営ではなかった
悪政 銃声 乱世 児玉誉士夫 弘文堂

児玉機関の噺では金の流れが 表面だけではみえにくですし 上記も どういう意味かがわかりにくいところがあります

http://esashib.hp.infoseek.co.jp/isiikoki09.htm
自民党の前身である自由党は右翼・児玉誉士夫が戦時中の「児玉機関」(陸軍特務機関)で得たばく大な秘密資金をもとに創立された。
 児玉誉士夫は一九四五年一二月四日、京橋区木挽町五ノ二、上海ビルの事務所で記者会見して次のように語った。
「自分は紛れもない戦時利得者だ、大東亜戦争開始の昭和十六年十二月から終戦時までの問に児玉機関が海軍に納入した物資は三五億円に達した、終戦当時の財産は中国に工場、倉庫、蒐集資材、見返物資等で約三二億円、朝鮮銀行に五百八十万円等がそれぞれあったが中国の三二億円は海軍を通じて中国軍に接収された、大蔵省を通じて中国から移入した一億余円の資金のうち七千五百万円は溝久、鐘打、水鉛、乙女、鮎川各鉱山の開発に投資した。残額二千五百万円は鉱山の跡始末と復員軍人救済育英事業その他に投出し現在手許にあるのは五百九十万円であるが、これを悉く労務者住宅、公衆食堂その他社会事業に投す」 (『毎日新聞』一九四五二二・六)。また『読売報知』は次のようにいう。「″戦争は儲かるものである″侵略主義者はさう思ってきた、なかでも僅か三五才の無一文の一青年年がたった三年間に三三億円といふ天文学的数字に近い巨大な富を築きあげた実例は世界戦争史上にも稀有のことだろう、、、、四五・十二・六」

上記にあげられたものが 児玉機関の資産について ほとんどの資料のベースになったものですが これが緑産業という会社にどういうわけか 衣替えをします そして昭和二十四年に 解散され その後に 大元産業という会社が できます このへんの詳細が わかりにくいのですが 児玉機関の 資産が払い下げられ ダミー会社が作られ その資産処分が 終了した段階で 大元産業ができたということになります











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最終更新日  2010年10月25日 21時06分32秒
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