2011年04月17日
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http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51085693.html
七尾和晃 『闇市の帝王 王長徳と封印された戦後』(思草社)より
たしかに、新橋でも、現在のSL広場になっている西口一帯は松田組が仕切っていたが、王(長徳)がマーケットの土地として目をつけ
東口は、そうした勢力の空白域となっていた。
(略)
それに、王が新橋の土地に目をつけた理由は、ヤクザがいなかったと いう理由だけではない。

王:「土地を買いやすいからですよ。当時、誰もいないから。(略)」
王は三井信託銀行・新橋支店の営業部に、土地の取りまとめを依頼した そして、主のいない土地の土地権者を探しに行く。
(略)

 さいという命令が出ていた。そうすると、ひと月に少しずつしか
 引き出せないから、貯金からは。だからカネさえあれば、即、話が
 まとまちゃったわけ。ひとりも駄々こねたり、明け渡せっていうのはいないから。日本の人の財産というのは、連合国に没収されて賠償に充てられると思っているから、土地を売ってくれというと喜んで
 どんどん手放した。
 (略)
 あのころは三井信託銀行に話をすれば、全部まとめてくれた。
 営業部長をしているのは碑文谷にいた人で、中国人もよく知っている人だったんですよ」
(略)
こんな(三井信託社史の)記述も残っている。
 “戦時中の敵産管理の実績が認められ、わが社は終戦後、大蔵省から連合国財産調査返還実務を委嘱された。戦時、戦後の混乱期に財産が 転々と移転し、権利関係も錯綜していたため、調査に難渋をきたす場面も多かったが、これに全力を傾注した。合わせて、連合国財産の保全事務も扱い、軽井沢の外人別荘やスタンダード石油会社の不動産の管理も行なった。その手数料収入は、戦後の苦境期の大きな救いとなった”

児玉誉士夫の場合は 現在 電通大学のある場所 岩田幸雄の場合は神楽坂の旅館と土地を 入手時期は不明だが 終戦直後に所有していたようで 原資は 児玉機関がらみからの資金を流用したものとみていいのだろうとおもうんですが 三国人をダミーにして 土地を買いたたく 占領軍逃れと資産維持の為に 確実だったんでしょうか







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最終更新日  2011年04月17日 16時43分14秒
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