2011年04月24日
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物資不足の日本でボロ儲けを狙って
しかし、こういった政治工作をやるためには、どんなに倹約をしてもある程度の軍資金がいる。
廖氏兄弟は台湾南部の西螺きっての大地主の家に生まれ、兄弟してアメリカに留学し、アメリカ人の奥さんをもらって帰ってきたぐらいだから、個人として生活には余裕のあったほうだが、個人の能力で莫大な軍資金を賄えるだけの経済力は持ち合わせていなかった。
それがどうしてお金を払えたかというと、廖文毅博士の手下に、三国志に出てくる趙子龍のような男がいて、それが香港と日本の間の密貿易に従事し、軍資金を稼いでくれていたからである。
当時、占領下の日本は物資不足のどん底にあえいでいた。砂糖も薬品も欠乏し、ペニシリンのごときは一本が一万円でとぶように売れていた。
一方、香港は英国の手に戻ると、早速、自由港としての機能を発揮し、アメリカからでも、ヨーロッパからでも、どんな商品だろうといくらでも輸入できるようになった。ペニシリンを例にとると、一本千円くらいで手に入った。それが日本へ持って行くと十倍でとぶように売れるのだから水が低きに流れるごとく、あの手この手のルートを通じて東京に流れる。
東京では為替の管理もあり、アメリカ軍が占領しているから、その関門をくぐりぬけるのは、密貿易ということになる。一方、東南アジアの国々はどこも輸入禁止か、そうでなければ、高率の関税で輸入を制限しており、正面から入る道はすべて塞がれている。
しかし、そこをうまくくぐりぬけて品物を運び込むのが香港商人の腕の見せどころであり、それが自由港のもっとも大きな、またもっともお金の儲かる仕事であると


廖博士の部下は、そうしたルートに渡りをつけて、船にペニシリンやストレプトマイシンを載せて東京へ持ち込んだところ、元金の十倍にも売れた。それに勢いを得て、さらに資本を注ぎ込んで日本に運ばせたところ、無事、荷揚げはできたが、荷物をあずけた相手にネコババされて解決に手間どっているという情報が流れてきた。
しかし、若くてお金を握ったものだから、陳というその男は東京で遊び呆けて、散髪に行って百円払えばよいところを千円払うような散財をしているという情報もあって、密輸商売も多事多難のようであった。
その陳という男に紹介されて蔡という男が日本から密輸船に乗って香港へやってきた。蔡も船員に化けて歯ブラシ一本、タオル一本の着のみ着のままでやってきたが、腹巻きの中にダイヤをいくつも縫いつけてあり、それを香港の宝石商で換金して、ペニシリンとストレプトマイシンとサッカリンに換えて日本へ持って帰ることになった。
私はまだ広東語もロクにできなかったし、商売のかけ引きもうまくなかったが、日本からきたばかりの人よりはいくらかましだったので、案内役と通訳をたのまれ、薬の問屋に行ったり、荷づくりを手伝ったりした。
蔡の話によると、この商売にも次々と新入りが現われ、競争が激しくなっているのでもう十倍は儲からなくなっている。しかし、それでも五倍や六倍にはなるだろうということであった。それならば、自分も一口乗せてもらえないかと頼みこんで、私はなけなしのお金の中から五百ドルを出資した。さきにも述べたように五百ドルは私の全財産の半分であった。





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最終更新日  2011年04月24日 05時31分41秒
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