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って言われて、何を連想しますか?バナナ? 月でブランコするおとぎ話?私は「我が子の微笑んだ目」を思い浮かべるんです。我が子が、ほんとに心から笑みを浮かべた時、目が三日月のような形になるんです。それは、とてもとても癒されます。まるで本物の月のパワーを受けているかのようです。ギャハハって笑った時でもなく、はにかんだ時でもなく、相手を気遣って笑みを浮かべた時でもなく、優しさをもって微笑んだときにだけ、その三日月が現れます。飾りのない笑みって言うんですか?この笑みが出ると、我が子の体調が良い事も分かります。インフルエンザでしばらく苦しんだ我が子にやっとこの三日月の目が戻ってきました。そして、私の心も癒されました。
2005年01月30日
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先日、公立高校の前期試験(面接)を終えた一人の生徒さんから、こんな言葉を聞き、なんだか胸がじぃ~んとなり、私自身が勇気付けられました。今や、学力偏重の時代に疑問の声が上がり、どんなに良い大学を出ても、終身雇用の恩栄に預かる人生は崩れました。だからと言って、志望校に入るために努力している生徒に受験勉強はするなとは言えませんね。学力や出身校や入った企業で、人生の全てが決るわけではありません。でも、この生徒が言ったように、その過程で自分が努力したこと、精一杯望んだ気持ちはとても大切だと思います。まだまだ学力が重要視されているこの日本になぜ、わたしたちは生まれてきたのか?そんな事を考えてみるのもいいかも知れませんね。もし、文字もなく、自然の摂理や恩栄に預かって心穏やかに過せる国に生まれたとしたら、私はこんなにストレスを感じることなく生きていかれたかも知れません。でも、現にこうやって自ら日本の今の時代を選んで生まれてきている。それには、とっても大きな意味があるような気がします。今の時代の日本であるからこそ、感じること、できること、与えられる事、たくさんあるような気がします。今の日本の置かれている状況も、必要な状況なんですね。ダメなこと、否定されることはないと思うんです。ダメとか、否定することは、人間と言う個人の感じる事だと思うんです。でも、実際それが起こっていると言う事は、宇宙が必要としていることなんですね。全体としてみれば、あってしかるべきことだと思うんです。「どんな結果でも、悔いは残りません!」もし、この世の最後を迎える時も、笑ってこんな言葉が言えたら、素晴しいと思いませんか?
2005年01月29日
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幼児は絵本を読んでもらうのが好きですよね。我が家の子どもたちもみんな、夜寝る前に本読みをせがみ、それが小さい頃は日課になっていました。今4歳の娘が丁度その時期なのですが・・・最近、私も歳なのでしょうか?娘と一緒に布団に入ると、途端に眠ってしまうそうです・・・なので、上の二人に比べて本を読んであげる回数は少なくなっていると思います。私の中で、しょうがない・・・という甘えもあったのだと思います。先日、その4歳の娘が「おおかみと七ひきのこやぎ」の絵本を持って来て、「お母さんに読んであげる!」と言うのです。もちろん、まだ字は読めません。・・・が1ページをめくり、絵を見ながら、ほとんど書いてある内容のまま、話し出したのです。そして、最後までそんな調子で読んで?くれました。普段、私や姉が読んで聞かせていたのをいつの間にか覚えてしまったのですねぇ。耳から入って覚える言葉って、とても重要だなって感じました。とても会話では使わないような、難しい言い回しなんかもその通り覚えてしまうんですね。もちろん意味をすべて理解して覚えているとは思いませんが・・・そう言えば、私も日本語を話したり、書いたりする時に、迷ったりすることありますね。この使い方、正しいのかな?って。ほんとに美しい日本語って、なかなか使えないとつくづく思います。学習塾の生徒さんと話していても、日本語の意味をまず理解できないと何を質問されているのか?どのように答えればいいのか?そんなところから悩んでしまうんですね。今、4歳の娘に手を抜いてしまっているけど・・・この小さい頃の本の読み聞かせ、しかも美しい日本語が使われている本の読み聞かせは、とても大切な事なんだと、改めて感じました。耳から入る言葉・・・きっとそれは、子どもの想像力を限りなく伸ばしてくれるのだと思います。ならば、美しい言葉を聞かせてあげたいですねぇ。大人が美しい言葉を話すには、もちろん学びも必要ですが、心が美しくないと本物の響きは聞かせてあげることが出来ないのかも知れませんね。
2005年01月28日
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インフルエンザが良くなったかと思っていた末っ子ですが、また高熱がぶり返しました。で、また今日も仕事を休みました。・・・今週は仕事に出た日も半休を取ったりで、ほとんど仕事になりませんでした。ま、長い人生、そんな時があってもいいのかもしれませんねぇ。私も、子供たちが病気にかかると、夜もきちんと眠れず、疲れがたまっていたのでしょうか・・・昼間は、子どもと一緒にお昼寝で、爆睡してしまいました。昨日は、この地域の公立高校の前期試験でした。私の学習教室の生徒さんも、受けました。どうだったのでしょうか?前期試験は、校長の推薦のいらない、自己推薦試験です。なので、公立高校を受験したいほとんどの生徒さんが受けます。自己PR書と言うものと、面接と内申点で合否が判定されます。自己PRには、部活で頑張った成果や、生徒会活動の実績やボランティア活動や自分なりに取り組んだ総合学習で得たものが判定基準になります。後期試験の学科筆記試験に比べて、その人となりを判断してくれる面では良い面もあると思います。でも、高校によっては全定員の20%しか取らないところもあれば、50%も取ってしまうところもあります。その高校の特徴が出てくると言えば、そうかも知れません。今まで、ほとんどが学科筆記試験で合否が決っていたのに比べ、約半数の生徒が、前期試験で合格が決まってしまいます。その後1ヶ月間は、中学の同じクラスの中に高校に受かった子と、まだこれから学科試験を受けなければいけない子と、同じように生活しなければなりません。生徒にとって、その精神的負担はどうなのでしょう。それに打ち勝って、学科試験で合格できた子は、とても良い経験になるに違いありません。我が家の息子も、昨年その学科試験まで受けた一人ですが、その時の中学のクラスの様子を担任の先生は、「前期で受かった生徒は、後期を受ける人たちのために、今までと同様にちゃんと授業を受け、これからの人たちを思いやる言動をしていた」と話してくれました。前期後期の試験実施が良いとか悪いとか、いろいろ意見はありますし、実際、昨年度も実施されて問題が起こったり、ミスがあったりしました。でも、生徒は与えられた今のこの状況を受け入れて、行動に移すしかないのですね。前期で受かるのが良いのか、後期で受かった方が良いのか、それもまた、色々意見がありますが・・・どちらにしろ、これは人生のひとつの通過点なんだと思います。志望校に合格できても、出来なくても、それはひとつの結果でしかありません。その結果には、勝者と敗者との区別なんかなく、もちろん、これで人生の全てが決るわけではありません。もし人生に成功と失敗があるとしたなら・・・それはその人自身が決めることだと思うのです。生徒に(受験のための)勉強を教えながら・・・私に何が出来るのだろうと・・・時々、自分の無力さに情けなくなる事があります。でも、もし子供たちの将来において、その子が興味を持ったことや、必要だと感じたことを学ぶ場面は出てくるとおもいます。その時、学ぶ事の喜びや、大切さや、面白さを今の短い交流の中で、少しでも伝えられれば嬉しいなと思っています。子どもたちから感じる、限りない、そして無垢な可能性に、私自身が一番助けられているのかも知れません。
2005年01月27日
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先週末からインフルエンザの高熱で苦しんでいた末っ子ですが、ようやく熱も上がらなくなり、元気な笑顔と活動力が戻ってきました。インフルエンザはまだ地域でも保育園でも流行っていなかったのですが、いきなりの高熱だったので、もしや?と思って小児科へ行きました。幼児のインフルエンザは、時として重くなることもありますので、インフルエンザのお薬を飲んだほうが良いと思いました。が、処方されたインフルエンザの薬を末っ子はほんの二口ぐらい口にしただけで、後は頑として飲んでくれませんでした。40度以上の熱のある日は、心配でしたが、この子の自然治癒力を信じようと思いました。もともと、インフルエンザにかかってしまったのも、ちょうど私の仕事が忙しくなった時期で、「遊んで!つまんない!」を繰り返していた頃でした。人の心に隙間が出来た時、忍び込んだ病原菌が発病してしまうのかも知れません。薬を飲んでウィルスを退治する事も必要ですが、弱った心のケアをしてあげる事も大切な事だと思いました。その役目は、やはり一番近くにいる私の役目なのだと痛感しました。どうしても仕事が休めず、父親に末っ子の面倒を頼んだ日がありましたが、何となく心を痛めながらの仕事でした。生活と子どもの事と、どちらも大切な事なので、時としてどちらかを優先にしなくてはならない時に悩みますが・・・やはり、心の傷は残したくありませんねぇ。きっと、これからも選択に迷いながらの生活が続くのだと思いますが、子供たちの笑顔を絶やす事ないようにしたいものです。・・・で、今日は長女が気分が優れないと言い出しました。やっぱり、インフルエンザうつったかな?
2005年01月25日
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ほんとに寒い一日でした。買い物へ行こうと玄関を開けた途端、はらはらと散らつく雪に、思わずしり込みしました。先週末から熱を出している末っ子は、結局インフルエンザでした。今のところ、他の家族の者は元気にしていますが・・・40度近い熱が3日間も続いていますので、小さな体もつらいのでしょうねぇ。いつも私にそばにいてほしい・・・とせがみます。出来るだけ一緒に寝てあげたり、抱っこをするようにしていますが、どうしても家事などの都合で出来ない時、末っ子のそばを離れます。ところが、いつの間にか末っ子の布団に家族の誰かが入り込んでいるのです。姉だったり、兄だったりする訳ですが・・・一応「インフルエンザうつったら、学校行けなくなるなぁ~」とは言いながら、そんな自分の体のことはどうでも良いと言う感じです。小さな体で病気とたたかっている末っ子を心配し、エールを送ってあげています。そんな様子を見ていると・・・「かけがえのないもの」を守ろうとする力って実に自然な心の感情なんだなぁって思います。幸せって、なんだろう?ってふと思いました。多くの人に与え、多くの人に認められることもとても幸せなことだと思います。けど、たとえ一人の人であっても、それが、かけがえのない人であれば、その人を守れることは、とても幸せなことなのかも知れませんね。逆に、どんなに多くの富や人脈を得たとしても、かけがえのないものと思っていた人と、音信不通になったり、ちょとした言葉の賭け違いで誤解し合ったりすることは、なんだか心に風穴が開いたように、空疎間を感じたりしますねぇ。小さな幸せを大切にしたいと思います。
2005年01月23日
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結局私って、アナログ人間なんでしょうねぇ。世の中便利になって、何でもスピードを要求される時代になりましたねぇ。のんびり屋の私には、「そんなに急いで何処へ行く?」って想いです。最近は、携帯電話一本持っていれば、いろんな事が出来るようになっているんですね。もちろん私は、通話とメール以外は使いこなせていませんが・・・少し前までは、良く手紙を書いていました。電話でも良いのですが、電話だととかく話が横道にそれてしまったりして、結局言いたいことが伝わらなかった・・・なんてこともありますから。自分の伝えたい事をちゃんと伝えたい時や、自分の気持ちを整理しながら話したい時は、手紙を書いていました。手紙を書きながら、相手の顔を思い浮かべ、相手の気持ちや立場や環境なんかも考えながらゆっくりと話を進めることが可能でした。そんな私も最近は、メールを使っています。でも、一対一のメールですから、相手の顔を思い浮かべ、相手のことを想いながら話を伝える事は出来ます。しかし、なかなかなじめないのが・・・掲示板です。過去にある掲示板に寄らせてもらった時、管理人さんの感性にとても共感したので、2~3度書き込ませていただきました。・・・でも、なんか疲れてしまうんです。精神的にですね。その時、私には掲示板って合わないなぁって実感しました。なんでかな?って考えてみたのですが・・・結局、一対一ではないってことなのかも知れませんねぇ。自分の書き込みを読んでいるであろう、何人もの人すべてに私ひとりの思いを寄せることは出来ないという負担を感じます。なぜなら、その向こうにいる人をすべて把握する事は出来ないからです。また逆に、私のたった一人の書き込みを読んで、たくさんの人の想いが返って来ることも私にとっては大きな負担です。書き込んで送信する事は簡単ですし、瞬時に多くの人に情報を伝えられるメリットは否定しませんが、そこに人が人として人らしくあるための本来のコミュニケーションをすることは、私には難しい気がするのです。本来のコミュニケーションは、お互いに相手のことを想いながら、行なわれるものだと思うのです。人が見えない分、掲示板でのコミュニケーションって難しいなぁって感じてしまうんです。それと簡単にコピー・ペーストできてしまうところも私にはなじめません。以前、貴方はこう言ったとか・・・反論する時なんか簡単に過去ログをコピーして事実の検証を出来ますが、あれも私好きじゃないんです。もともとアバウトな人間ですから、そんな些細な言葉のかけ違いなんて、気にしなくても・・・と思ってしまうんですね。まるで、重箱の隅をつつくように、言葉のひとつひとつを検証するのは、言語学の専門家じゃないんだから必要ないんじゃないかと思ってしまいます。一日の生活の中だって、昨日と今日と明日を比べたって、自分という人間の本質は変わっている訳じゃありあませんが、その時の状況や体調や話す相手によっても、同じ事なのに自分の気持ちが違っていたり、迷ったりすることって、往々にしてありうると思うんですねぇ。実際に会って話しているなら、「・・・そんな事もあったけ?」程度で終わってしまう事が、なんだかこじれて仲たがいして、それがエスカレートしてしまうと、関係ない人まで巻き込んでしまうような気がするんです。かと言って、掲示板って言うものを否定するわけではありません。とても共感できる発言や、自分の知りたい情報もたくさん得ることが出来ますから。そこから、大きな試みが展開されることもあるでしょうし、前向きなパワーが集まれば、多くの人にその気持ちは伝わっていくと思うんです。これって要するに、私自身の感じ方の問題だと思うんですね。どちらが良くて、どちらが悪いとかではなくて、どちらも良いのだと思います。あんまり深く考えると・・・この日記だって、多くの人に寄っていただいて、読んでもらっている訳ですから、負担を感じるようになってしまいますねぇ。ま、ココは書きたい時に、ある程度自分主体で書かせていただいているので、そんな負担は今のところないのですが・・・では、こんなアナログ人間ですがこれからもヨロシク♪
2005年01月22日
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今朝、寝ぼすけの末っ子がいつもより早く目覚めました。あれ、おかしいなぁ?と思ったら、案の定、「おでこ(頭)が痛い!」と言い出しました。熱をはかったら、38.8分ありました。熱がある割には、よくおしゃべりするし、私の相槌につっこみをいれてくれたりします。・・・けど、私にはそんな彼女の様子が、無理して調子良く見せているのかな・・・と思えます。今日はそんなに頑張らなくていいから、ゆっくり休んでね。痛いおでこに手を当ててあげていたら、いつしか、すやすやと眠りに付きました。夕方は、学校から帰宅した兄姉が一緒に遊んでくれて、時折、末っ子の笑い声も聞こえます。そのうち、声を出して歌まで歌っていたので、案外回復も早いかも知れません。「笑み」が戻ってくると、私も安心します。『笑み』があるから『健康』なのか・・・『健康』だから『笑み』があるのか・・・結局、どちらもそろって幸せを感じる事が出来るのかも知れませんね。たまに風邪をひくと、健康であることの幸せと日々の普通の暮らしが営めることに感謝できます。その意味では、風邪をひくことにも意味はあるのでしょうし、改めていつも心から「笑み」のあふれる生活がしたいと思います。
2005年01月21日
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とは、思っていなかったのですが、今日の出来事はそんな思いをぬぐい消せませんでした。仕事先で一緒に働いていた人が、突然職場をやめてしまいました。もう10年以上も働いている人で、とても助けてもらった人でした。技術的なことはもちろんですが、精神的な不安を聞いてくれた人でもありました。しかも・・・一緒に働いていた仲間には誰にも言わずに、去って行きました。私も今朝会って、普段と変わらない他愛ない会話を交わしたのですが、今日で仕事をやめてしまうなんて、一言も言ってくれませんでした。もう10年来の仲間にさえも、何も言わずにだったそうです。仕事先のみでのお付き合い・・・と言ってしまえばそれまでですが、人と人のコミュニケーションってそんなものなのかなぁって、ちょっぴり悲しくなりました。彼女自身もいろいろと苦しかった時があったそうですが、なんで今、やめなくてはならなかったのか不思議です。それを誰にも言わなかったのも、彼女が言わなくて良いと判断したからなのでしょう。そして、私たちのお付き合いがこれで終わってしまうのも仕方がないことなのでしょう。でも、なんだか寂しいですね。少なくとも私自身は、彼女をこれからも心の支えとして仕事をして行こうと思っていたのですから・・・人と人のつながりって、こんなにもろいんでしょうか?想いはあっても、つながりって切れてしまうんでしょうか?
2005年01月20日
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北国に住む友人から、「つらら」の写真が届きました。同じ日本なのに、その寒さには随分違いがあるのでしょうね。関東では、暖冬かな?と思っていた矢先、真冬の寒さが訪れました。も~、寒くて寒くて外出する気にはなれず、家の中でも動く気になれませんでした。北国の人に知れたら、怒られますねぇ。私は本物のつららとは無縁かな?と思って見ましたが・・・かすかな記憶の中に確かに本物のつららを触り、ポキッと折ったような思い出があるのです。それは、近畿地方に住んでいた幼少の頃のようでもあり、関東に移り住んだ小学生の頃だったかも知れません。きっと、手が凍るように冷たくなったのだろうなぁ・・・それにしても、「つらら」って響きは心がほんわかしますね。冬の厳しい寒さの写真でしたが、送って下さった人の心の温かさが伝わってくるものでした。
2005年01月18日
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って、末娘に言われてしまいました。自分でも、最近子どもとゆっくり向き合えないなぁって思っていたので、ズバリ言われてしまって反省してます。高校受験が間近になって、塾の中学3年生の授業が多くなりました。気分的にも受験のことが気になって、気持ちがいつもそちらに向いてしまっていました。で、はっきり娘に指摘されてしまった訳です。おまけに今朝はおねしょをするし・・・夕方は、おしっこが間に合わずトイレに入る寸前でおもらし・・・これも、娘のかまってほしいのサインなんですね。少し気をつけてあげなくっちゃ・・・そう言えば、私自身の遠い過去のかすかな記憶をたどってみると、やっぱり、親にかまってほしいなぁって思った時、わざとおしっこを漏らした時があったんですねぇ。・・・ちょうど、今の末娘の歳ぐらいだったかな?子どもの気持ちが分からなくなった時とか、子どもに手をやいている時、昔は自分自身も子どもだったことを思い返すと、何となく、子どもの思いに近づけたりするんですね。忘れかけていたものを思い出す良いチャンスかもしれません。大人もかつては、子どもだった・・・
2005年01月17日
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夜中に物音で目が覚めました・・・ん?高校生の息子がパソコンに向かっている。・・・が、その格好を寝ぼけ眼で見て、思わず、ふっと笑ってしまった。パジャマの上に、私がいつも羽織っているベストを着ていた。たぶん、パソコンの椅子の背もたれにかかっていたので、そのまま着たのでしょうが・・・ベストと言えば聞こえは良いが、10何年も前に買ったいわゆる「ちゃんちゃんこ」です。しかも、ピンク地にカラフルな水玉模様。実に息子には似合っていない。が、そんな事はお構い無しに着ちゃってる・・・普段は、まがいなりにも自分流のおしゃれを楽しむようになった息子です。着る物はすべて自分で買いに行くし、最近は、シルバーっぽいものをちゃらちゃら見に付けるようにもなりました。最近、髪の毛を茶色に染めました。ま、高校自体もそんなにうるさく言わないようだし、ある程度、自制心を持ちながらおしゃれを楽しんでいるので、私は何も言いません。私自身も、高校生の時はおしゃれに目覚めた時でしたから・・・おしゃれと言うよりも、自分自身を他者と区別したいというそんな感情だったかも知れません。「自分らしく・・・」そんなことを追及し始めた時期だったのでしょうね。そんな息子が、私のちゃんちゃんこを・・・しかも、ボロボロでカラフルなやつを無造作に着ていたので、何となく微笑ましく思ってしまいました。その時は、何も声をかけずに、また眠ってしまいました・・・
2005年01月15日
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娘の不登校を経験して、思うこと・・・それまでは、不登校の子を持つ親の気持が分かりませんでした。子どもを殺して、自分も死のうと思った・・・そんな事まで、なんで考えるんだろう・・・って思ってました。実際に自分がその立場に置かれると、死んでしまいたいぐらい悩み苦しむ日々であることが理解できました。と同時に、経験していない人に、この苦しみを分かってほしい・・・と言うのは無理だと感じました。でも、これは決して否定的、諦めの気持ちではありません。当然のこととして、受け止めなければならないのだと思います。ココで不登校について論じるつもりはありません。何を言いたかったかといいますと・・・どんなに考え方、感じ方、生き方に共感する人がいたとしても、私はその人ではないということ、私はその人と全く同じ人生を歩んではいないということ、今、その人の身の上に起こっていることをすべて知っている訳ではないということ、それを改めて感じています。相手の方に、批判的な意見や、反対の考えを述べること、それ自体は悪い事ではないと思っています。けど、それは概して、自分の体験や経験上から述べている事が多いのだと思います。相手の立場や、今置かれている状態を考えてみれば、その全てを理解する事は出来ないとしても、少なくとも、自分本位の批判や反対はしなかったかも知れません。そんなことを考えてみると、他者を理解することはとても難しいのだと思います。私自身、これまで他人にどんな心無い言葉を投げかけてしまったかそれを思うと心が痛みます。意見の相違があった時、どちらの意見が正しくて、どちらの意見が間違っているのかという事が問題なのではなくて、その時、双方がどんな想いを抱いているのかが大切なんだと思います。お互いが、相手のことを想い、相手のことを認めようとしているのであり、世の中が良くなってほしい・・・人々が幸せになってほしい・・・という想いで意見を交わしているのなら、そこに意見の相違があっても不思議ではないと思います。その想いは、世の中を全体として良い方向へ導いてくれるのではないでしょうか。すべての人が、お互いに全てを理解する事は無理でも、それが当然のこととして受け止め合えれば、相手を憎んだり、ねたんだりすることはなくなるのだと思います。話をもとに戻すと・・・不登校でない子も、不登校の子も、お互いに認め合うことが出来れば、その枠を作ることなく、自然なかたちで共に一緒に生きることが出来るのではないでしょうか?相手を思うこと・・・それは自分を思うことと同じなのかも・・・人と人は必ずどこかでつながっているから。
2005年01月14日
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4歳の娘と一緒にお風呂に入っている時、「今日、お兄ちゃんとお姉ちゃんは意地悪したんだよ。」「きっと、心の中に鬼がいるんだね。」って、そんな事を言い出しました。・・・「その鬼をどうしたらいいと思う?」って、聞いてみました。しばし考えたあと・・・娘は「鬼は退治すればいいんだよ。」「じゃ~、どうやって退治する?」「・・・」「鬼はね。心の中にいるって言ったでしょ。心の中の鬼を退治するには、自分で思うことが大事なんだよ。意地悪の鬼がもう出て来ないように、自分で強く思うんだよ。そうすれば、もう鬼は出てこなくなるよ。」私の言葉をじぃっと聞いていた娘の目は、とても輝いていました。その後、「ママのお膝に座る・・・」と甘えてきました。「心の中に鬼か・・・そう言えば、最近身辺が忙しくて、いろいろやること、考える事が多すぎて、娘と心を開いて遊んであげる時間がなかったように思います。・・・私の心にも鬼がいたんだなぁ。ありがとね。教えてくれて・・・」
2005年01月13日
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さてと・・・やっと子供たちの3学期が始まりました。昨日まで、お正月気分が抜けず、遅寝遅起きだった子どもたち・・・今朝は、ちゃんと起きることが出来るのかな?と、心配でした。でも、自分たちの力で起きて来ましたよ!思わず、「どうしたの?」って聞いちゃいました。「早起きは三文の徳」って言いますけど、早起きすると、一日が長く感じますねぇ。仕事行く前に、ちょっとパソコン見て行ったり、書き物したりって、以外と時間がなくて出来ないんだけど、少しの時間でもそんな事が出来た日は、なんだかその後の一日が、とても充実した日になるんですね。子供たちも、思い思いに充実した日を送っているのでしょうね・・・
2005年01月11日
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って家の玄関を開けたら・・・子供たちが3人、一斉にこちらを見て「おかえり~」って言ってくれた。末っ子は、ドタドタと玄関まで走って出迎えてくれた。何気ない私のボケに、突っ込みを入れてくれることも、親子の会話を大切にしてくれる子供たちのささやかな気遣いを感じる。そんな、日常のなんでもない光景が、今日はなんだか、とても嬉しく幸せに思えた。今日は子供たちの冬休み最後の日。一足先に仕事の生活に戻った私は、祭日の今日も子ども3人を家に残して仕事へ行って来た。3人とも元気で健康でいてくれるからこそ、私も安心して外へ働きに行かれる。・・・少し前、外へ働きに行きたくても行かれなかった生活を考えると、今がとても幸せに感じる。人間欲が出ると、もっとたくさんの幸せをほしくなる・・・それが、本当の幸せならいいのだが、時折、幸せの意味をはき違えて、一番大切にしなくてはならないものを、犠牲にしてしまう。・・・かつての私は、そうだったのかも知れない。さ~て、明日から子供たちも学校生活に戻ります。とにかく、健康で元気にいてくれることが一番です。私自身も、帰宅した子供たちが安らげるように、自分の心をいつも穏やかに保ちたいと思います。
2005年01月10日
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日が沈む頃・・・家の2階から、真っ赤な夕焼け空が見えました。大きく深呼吸をして、その空を仰ぎました。もし、この夕焼けを見ていなかったら、弱った心はどうなってしまったでしょうか?「感じ方」が違うと言われました。人それぞれ、生まれてきた意味も使命も違うし、育った環境も、経験してきたことも違うので、「感じ方」が同じではないのは仕方ないと思うのです。その後に、「感じ方」が違うと何を言っても伝わらない・・・と言われました。私は、「感じ方」が違っても相手を理解しようと努力しました。もちろんその中で、様々な意見の食い違いはありました。けど、私は対話を続け、理解しようと努めればお互いに分かり合える部分があると信じていました。でも相手の方には、何も伝わらない・・・と対話拒否をされました。悲しいことでした。「感じ方」が違っても、私は相手のことも認めたいと思います。その気持ちに今も変わりはありません。
2005年01月09日
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5日が仕事始めでした。お正月気分を仕事モードに戻すのに大変でした。子供たちはまだ学校が始まらず、朝は起きない・・・仕事から帰宅すると、家中がなぜか散らかっている・・・保育園の末っ子だけ無理やり、朝起こして出かけるのに一苦労です。自宅での学習教室も5日から再開しました。正月開けの英単語問題やってもらったら・・・思っていた以上にみんな出来ない、覚えていない、忘れている・・・また、悩みが増えました。どうしたもんだろう・・・?特に受験生・・・とにかく、ひとつでも前に進むしかない。考えてもダメな時は、行動に移すしかないのでしょうねぇ。そんな折、登録しているあるMLでは、またまた考えさせられる内容が送られてきました。「信じる」ということはパワーを発揮する秘訣ではあっても、「幸せ」に直結するわけではありません。ともすれば、新たな争いごとを引き起こす危険性も内包しているのです。「信じる」ことは、「自らを他者に委ねる」ことです。その過程で、視野が狭くなり、選択肢が減っていきます。・・・概要はこんな感じなのですが、ピラミッド社会でのリーダー、社長、トップ、教祖を信じてきた歴史が、果たして幸せな世界を作り上げてきたか?ということです。それはともすると、「個人」が軽視され、上位のものに忠実でなければ、その存在を排除されてしまうことも起こりえます。・・・この内容は、とても共感できるのですが、私の中で、どうもしっくりこない感じが残っていたのです。それを5日からずぅ~っと考えていました。で、少し見えてきたことは・・・上記の内容は「信じる」ことではなくて、「信じ込まされている」ことだと思えてきた事です。なぜなら、私にとって人を「信じる」ことは、能動的であり、幸せへの必要十分条件だと感じているからです。たとえ信じた人から、裏切られる行為があったり、自分のことは信じてもらえなくとも、「自ら他者を信じた」というその人の想いは必ず、良いパワーとなって世界にあふれると思うのです。親である私は、どんなことがあっても子供を信じたいと思います。時には、親に反発したり、罵声をあびせたり、親の予想外の行動を起こして困らせてくれます。それでも、その子ども自身がなぜそんな事をするのか考え、受け入れ、子ども自身の力を信じることで、また新しい道が開けるものだと思います。そんな経験をしてきました。人を信じることは、「他者に委ねる」ことではなく、「他者を認める」ことだと思うんです。・・・なんてことを、考えていたら、5日から随分経ってしまいました。私の頭では、思考能力の限界です。考えているだけではなくて、日常生活も滞りなく進めなくてはならず、お正月明けは、なんだか疲れました~。こんな時は、自ら思考をストップして、頭の中を空っぽにしてみます。・・・空っぽの頭に新しいさわやかな風が吹き込み、案外、ふぅっと考えがまとまったりするものです。
2005年01月08日
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実を言うと・・・昨年末の家の大掃除、さぼりましたぁ~。だって、29日から仕事が休みだったけど、29日と31日は、みぞれ混じりの雨?や雪の天気で、寒かったんですぅ。寒がりで冷え性の私は、足が冷たくて動く気になれず・・・やる気が起きないなら、あきらめるか・・・?って感じでした。で、今日午後からの予定が突然キャンセルになり、明日からまた仕事が始まると思うと、「そうだ!昨年やり残したことやってしまおう・・・」って、突然思い立って家の片付け始めました。こんな性格なので、予定があってないようなもの。結構、気持ちの動くままに予定変更してしまうので、案外、家族や周りの人は大変かも・・・ま、一応、家の中が昨日よりはキレイなったので、良しとしましょう!!
2005年01月04日
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下の子二人と『ハウルの動く城』を見てきました。末っ子は4歳なので、長時間座って見れるかなぁ?って心配だったけど、どうしても見たかったので行って来ました。・・・4歳ともなると、もう大丈夫なんですねぇ。最後まで、ちゃんと座って見てくれました。それだけ、印象的で夢と希望のある内容でした。冬休み中だったので、さぞかし子どもが大勢いるだろうな?って思っていたら、8割がたは大人でした。家族連れはまばらで、大人同士や一人で来てる方が多かったのには驚きました。それだけ宮崎作品の問いかけているものは、現代を生きる人の心に何かを感じさせてくれるのでしょうね。ハウルの城は、「何か」が動かしているのですけど・・・その何かが分かった時、とても感動しました。今の世の中にとても大切なものだと思います。
2005年01月03日
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昨年末、なんだか意味もなくバタバタしていたけど・・・時はあまりにも自然に過ぎて行きました。今年も宜しくお願いいたします♪年始早々からお仕事の方、本当にお疲れ様です。新聞配達の方、郵便局の方、その他サービス業の方・・・そして、思いもかけぬ災害や人災に遭われて、今もなお悲しみ、苦しみの中におられる方々・・・時の自然な流れの中で、心が癒される日が来られますことを心よりお祈りしています。我が家の主人もサービス業ですので、昨年は31日まで仕事があり、年始は元旦のみお休みです。なので、元旦は双方の実家へ渡り訪問です。また上手い具合に、実家が両方とも県内にあるので、そんなことも可能です。幸か不幸か・・・結婚以来、お正月をゆっくりと過した経験はないかなぁ。でも、ほんの短い時間でも家族がひと時を過せる時間は必要かもしれませんね。主人の母には、事あるごとに子どもを預けていますので、日頃から良く会っていますし、お世話になっています。でも元日には普段聞けない話もしてくれました。「多少の経済的困難はあっても、子供たちがこんなに素直に育ってくれて、家族同士の会話を求めてくれるってことは、一番の幸せなんだよ・・・」そうかも知れませんね。大きな目標、大きな願望も必要ですが、目の前にあるものが、時の自然の流れに沿って、滞りなく流れていくことも、とても大切なことだと思います。私の母は、自分なりに日々を楽しむこと、人とのコミュニケーションをとることを楽しんでいるようでした。たしか・・・母は(我が家は)絵心の全くない人だと思っていましたが、昨年末より、絵手紙を習いに行っているそうです。3作ほど母の作品がありましたが、ホントに母が描いたの?って思うほど、柔らかいタッチで描かれていました。人は年を重ねても、これでいい・・・ってことはないのかも知れませんね。いつまでも、新しいことに関心を持ち、チャレンジする心意気は大切にしたいと思いました。・・・で、昨晩遅くに帰宅しましたので、もうお昼近いのですが、子供たちはまだ夢の中です。心なしか、暖房をつけているのに家の中が寒い・・・
2005年01月02日
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