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何だか書きたい事がいろいろあってすっかり間があいてしまいましたが、天武天皇と大田皇女の2人の子供の話をします。と、その前に、、とりあえず「歴史コミュニティ」と称していますが学校で勉強するような歴史ではなく、わからないことを勝手に推理したり、人物や出来事にスポットをあてコラムのようにしたいと思っていますので「あまり歴史は…」とおっしゃる方も読んでみて下さいませませ(^_-)ネッ次の歌は大津皇子が謀反をきせられて詠んだ歌です。ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ大津・大伯の母である大田皇女(天智天皇娘)は後に天武の皇后となり、天皇となった持統と同母姉妹で持統より先に天武に嫁ぎます。天武が天皇になった時点で本来なら皇后は大田、皇太子は大津になります。でも大田は若くして亡くなりこのことが後の大津とその姉大伯の悲劇となります。成長した大津は「懐風藻」の記録に残すところによると文武に秀で容姿端麗な好青年で人望も厚かったようです。それに比べると皇太子草壁(しつこいですがこちらは持統の一人息子ですね)はひ弱で皇太子たるべく人物には程遠かったようです。大津の姉大伯は壬申の乱の勝利のお礼として戦勝祈願をした「伊勢神宮」に神様に仕える斎王として遣わされます。これは天智の息子と結婚した場合、大津の勢力が強くなる事を持統が畏れたため、という見方もあります。持統にとって大津は我が子草壁の行く先を邪魔する存在だったんですね。天武が病を得、重病になっていくと大津の身辺は慌しくなります。そして父帝の死後、彼の友人である「川島皇子」の裏切りの告発により謀反が発覚し死罪を賜ります。この時連座したという事で同じく天武の息子、忍壁皇子と磯城皇子も罪に問われますが軽い処分ですんでいます。本当に謀反があったなら一人だけに責任を課すことは考えにくいですよね。そして大津が亡くなったあと姉大伯は伊勢神宮の斎王の任を解かれす。大和へ戻る途中に詠んだ歌神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに そして二上山に大津の屍を移した時の歌うつそみの人にある我や明日よりは二上山を弟世とあが見む磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありと言わなくに こうして我が子の敵を葬った持統ですが(邪魔になるものはすべて潰した父天智帝に似ていますよね)大津の死後まもなく我が子草壁も亡くなり自分が登極し孫である文武の成長を待つ事になります。☆ここで万葉集でティータイム☆これは大津が石川郎女に送った歌です。あしひきの山のしづくに妹待つと我が立ち濡れぬ山のしづくに万葉集を拾ってみると当時の人の気持ちが伝わってきませんか?今日のjasmintea日記です
2005.01.31
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何だか政治的出来事や歴史的出来事が少なくてホームドラマになってきましたね。まぁ、あくまでも「平家物語」ではなく「義経」なんだから仕方ないかもしれませんが。来週はもう静御前が登場するんですね。私はあまり義経自体に興味がないので知らないんですがこんなに早く静と出会っちゃうでしたっけ??に、してもあの不気味な鬼一法眼、、武術じゃなくて妖術を教えるみたい!放映を見ながら誰だろう??と思ってチェックしたら美輪明宏だったんですね。んー、不気味なわけだ、、と自ら納得してしまいました。そう言えば友人が前回の義経を見て「滝つぼからタッキー!タッキーはたきつば!!」なんて言ってましたが、、、、、、、まさかNHKがウケ狙っての設定じゃないですよね????今日のjasmintea日記です
2005.01.30
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最近ゆとり教育の問題が指摘されてます。ゆとり教育というのは今までの詰め込み教育の反省から「心の教育」「新時代に対応した教育」「国際化に対応した教育」のために始めたはずです。ゆとり教育は学問だけ詰め込む受験のための勉強一辺倒から、上記要素を盛り込んで社会人として、人間として必要なものを教えようって意味だと理解してるのですが今日で言ってる意味は違うものになってる気がします。たとえば昨日の漢字の話題だってあれはカリキュラム上の問題であってゆとり教育そのものの問題点とは違うと思います。でも「基礎的な学力」は絶対に必要ですよね。何のため?偏差値の高い学校に入って一流といわれる企業に就職するため??それもひとつの価値観ですが私はあくまでも学校は生きていく力を身につける場所だと考えます。国語?人の話を理解する力、自分や自分の考えたことを表現する力数学?ものごとの考え方、数学的考え方は社会人に必要とされますよね。方程式考えなんて役にたちません?社会?歴史を理解することは自分を形成するうえで役にたちますし、社会のしくみ、自分の住んでる地域、日本、世界を理解するのは必要条件ですよね。理科?(ごめんなさい、理科と体育は超苦手だったためコメントがつけられない‥)そして学校は集団を勉強する大切な場でもあります。みんなで意見を出し合ってひとつの結論にもっていく、文化祭や体育祭などみんなで協力して何かをやり遂げる、集団の中で責任を持たされその責任を果たすこの繰り返しが人間が成長する上で必要ですよね。最後に、私は毎週「ごくせん」を楽しみに見ています。メガネはずして、髪の毛ほどいてやんくみがタンカ切るのは笑ってしまいますし(どうしてもスケバン刑事のあさみやさきにリンクしちゃうんですよね!)偽善的だと言われればその通りだし、実際あんな学校はないですがメッセージは伝わってくる!!学校は遊びにくるところじゃなくて勉強するところ、テストで良い点をとるためでなく苦しいことイヤなことから逃げ出さないために勉強する、人は1人じゃ生きていけないから仲間と一緒に生きていくことを勉強するんだって名セリフがありましたよね!!思わず「その通り!よっ!やんくみ良いこと言うじゃん」って拍手です。目先だけにこだわった短絡的な考え方ではなく、どんな大人・社会人になってもらいたいのかそのためにはどんな教育が必要なのか、どんなカリキュラムを作って目標を反映させるのかマネジメント的にプランをたてて改善しなければ小手先だけの改悪に終わってしまいまた新たな問題を呼び込むだけだと思います。☆ひとりごと☆昨日、書きたっかたけど疲れてて頭が整理できなかったことをやっと書けました。あー、スッキリした!この長文をここまで読んで下さった方に感謝します。
2005.01.29
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小学生の漢字の読み書きについて。「楽書き」って確かに落書きは楽しいよな、、とか、「電園地帯」うん、田園地帯って見ないからねとか。でも「赤十字」を「あかじゅうじ」って何かのイメージがあったのかしら?なんて。最近の小学校の成績表は自分の子供の成績がまったくわかりません。評定は◎と○と△だけ、それも先生は△はよほどではない限りつけません、逆に◎も本当にできる時しかつけませんって大多数の子供が○を頂いてきます。これじゃわからないですよねー。ついでに言えば運動会もすべて希望制。昔はタイムが早い順からリレーの選手を選んだり、徒競走は全員走らなくちゃいけなかったりとかありましたよね。でも今は個性を尊重する、競争より和だそうです。運動会で活躍する子もいれば、勉強で目立つ子もいてそれはそれで良いと思うのですが‥。昨年、新卒の採用作業をしてた時思ったのですが最近はパソコンの普及で履歴書の書き方とか面接の受け方とかかなりマニュアル化されてる印象を受けました。みんな同じような答え方、履歴書なんですよね。何となく個性を尊重するってことが逆に個性を奪ってるような気がします。と、私も漢字、間違えないように気をつけよっと!PS今週はハードワークで疲れました。毎日このページにきて下さって書き込みして下さる方々に元気をもらいながらどうにか乗り切った感じです。☆ありがとうございました☆
2005.01.28
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今日は社用で「千代田区公会堂」に行ってきました。九段下の駅に戻る途中に「昭和館」と言うネーミングの建物が‥。何となく興味を惹かれて入ってみたら「昭和10年頃から30年頃までの歴史的資料や当時の暮らしをしのぶものを展示しています。」って。帰社するには30分ほど余裕があったのでちゃっかり常設展に行ってみました。中は戦前・戦中・戦後を語る12のブースがあって当時の資料の展示とニュースフィルムの上映をしていました。一番印象に残ったのが初めて見た「赤紙」の実物。赤と言うより薄紅色、、桜色がちょっと濃い目??のキレイな色‥これから兵隊に徴収される「死の紙」があんなにキレイで、ん?違うか、召集令状だからわざわざキレイな紙を使うのかもしれませんね。華やかなのは赤紙だけではなく見送りに使った旗やノボリもこの平成の現在も鮮やかなんです。展示されてる品々の哀しさときらびやかさが反比例で切なくなってしまいました。そして千人針、これも母に話しは聞いていましたが実物は初めて見ました。どんな気持ちで針を入れてもらったんでしょうか?展示資料と共に印象に残ったのが「ニュースフィルム」です。戦時下のマスコミ統制の怖さ、凄さが理解できました。ああして毎日流される「日本万歳」「お国のために働こう」「お国のために我慢しよう」の大量放送。隣組を組織させ徹底的な統制‥何となく今の北朝鮮を想起してしまいました。昨日、たまたまイラクのことを書いたのですが日本も先人達のご苦労とたくさんの戦争による犠牲者によって今の平和が成り立っていることを実感。こうして毎日笑ったり、悩んだりできるこの平和な「平成」という時代の前に激動の「昭和」があったことを忘れてはいけないと思いました。昭和館:http://www.showakan.go.jp/この日記をご覧下さった方、良かったらご自分の戦争体験を教えて頂けませんか?書き込みでも私書箱宛のメールでも構いません。戦争を知らない世代へのメッセージを待っています。
2005.01.27
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30日はイラクの選挙ですね。「民主主義より神の法」ってテロを呼びかけたりしています。中東の歴史は非常に難しく一度や二度聞いただけでは何であんな状態になるのか私には理解できません。選挙に行くことが命がけになる中、それでもこの子達の将来のために必ず選挙に行きます、と子供を何人も連れたお母さんが語っていました。死をも決意して選挙に臨むイラクの人達、、どうか無事に選挙が終わりますように、1日も早くイラクに真の平和がきますように、と願わずにはいられません。
2005.01.26
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大友と十市の間の皇子葛野王は本来なら天皇になる人物だったのにまだ幼いうちに父も母もなくしてしまいます。葛野王が日本書紀に再び登場するのは持統帝の後嗣を決める議場でのことです。自分の権利を主張してやまない天武の息子(天智の孫でもありますね)弓削皇子を正面から見据え「皇位は直系長子相続が望ましい。誰が継ぐかはっきり決まってれば自分の父と母のような悲劇は起こらないだろう」と発言したと伝えられてます。この発言がきっかけとなって次の天皇はめでたく持統の孫である文武天皇が即位することになります。このくだりが日本書紀にあるのは大変不思議。天武の正当性を疑うような記述ですよね??一方、高市皇子は十市の死後、天智の娘である御名部皇女と結婚します。(天武の息子達の正妻はみんな天智の娘です。)そして設けた子供が長屋王と鈴鹿王です。この長屋は草壁皇子(後に書きますが持統のただ一人の息子で本来なら登極するはずの人物でした。この草壁の地位を守るために持統は律令制を確立しました)の娘吉備内親王を正妻とする皇室のホープでしたが藤原家によって謀反の罪をきせられ自害します。何故??この頃、藤原氏は聖武天皇の皇后に不比等と県犬飼三千代の娘である光明子の立后を画策していました。この事件に遡ること数年前、聖武天皇が母親である藤原宮子(この女性も不比等の娘です)に尊号を贈る時大夫人を撤回させ皇太夫人に勅を変更させた経緯があります。それで長屋王が邪魔だったんですね。この事件からほどなく光明子は立后して日本の歴史上初めて臣下の娘として皇后になった人物となります。☆ここで万葉集でティータイム☆高市皇子は天武の娘である但馬皇女を妻にします(当時は一夫多妻制ですね←誰かうらやましい!とか言いませんでした??)この但馬と同じ天武の息子穂積の歌も万葉集に残っています。但馬の歌秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛かりとも 高市の急死後但馬もほどなく亡くなります。(高市には毒殺の噂も残っています。)但馬が亡くなった時穂積の詠んだ歌降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに 次回は悲劇の人大津皇子・大伯皇女に触れたいと思います。と、明日は飲んで帰る!予定なので歴史コミュニティはおやすみします。昨日のjasmintea日記です今日のjasmintea日記です
2005.01.25
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天武天皇の長男と長女であるこの2人には悲恋の話があります。(この時代は同母以外の兄妹の恋愛は禁忌ではありません)万葉集にのってる十市皇女がなくなった時高市皇子が詠んだ歌です。みもろの 神の神杉 巳具耳矣自得見監乍共 寝ねぬ夜ぞ多き三輪山の 山辺真麻木綿 短木綿 かくのみからに 長くと思ひき山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなくこの3首、如何ですか?思わずキュンときません?誰が読んでも恋人の死、短い恋を嘆く歌ですよね?(個人的感想で申し訳ありませんが私は3首目が大好きです)この歌の哀しい響きを残しながら話を進めたいと思います。十市の母は万葉詩人として名高い額田王です。彼女は天武と天智のかけ橋として天智の長男大友皇子に嫁ぎ一男をもうけますが、19歳の時壬申の乱が起こり実父と夫の戦いになります。近江朝皇后としてどんな気持ちだったのでしょう?しかし壬申の乱で近江朝が負けたのは彼女の裏切りという説もあります。吉野で隠遁生活を送る父への差入の鮎のわたを抜いて味噌をつめる時に密書を隠していた…と扶桑略記に記載されています。後世で同じ近江を舞台としてお市の方が織田信長に小豆袋を送った話は有名ですね。さて、真偽のほどはわかりませんが十市は壬申の乱後父天武の元に戻ります。そして泊瀬(←字がこれで良かったか忘れてしまいました。ごめんなさい)の寺へ斎宮として入るその日に突然短い命を終えます。この斎宮に出立する日は天武が直々迎えにきて壮麗な列だったとありますので病死と考えるのは不自然ですね。当時の慣習では皇后になった女性の再婚は許されてなっかったので儚い恋の行く末を憂いての自殺だったのか、近江朝側の報復だったのか…。☆ここで万葉集でティータイム☆これは十市皇女が伊勢神宮に参拝した際、吹黄刀自(皇女おつきの侍女)が詠んだ歌です河のへの斎つ岩群に草むさず常にもがもな常処女にて 十市皇女ってどんな女性だったんでしょうかね??朝の空気のように澄んだ人、、そんな想像をします。次は彼女と大友皇子の子葛野王のこと、高市皇子のその後のこと、彼の子孫の話などをしたいと思います。昨日のjasminteaの日記です
2005.01.24
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先週の最後に今週の宣伝を見ながら「たぶん5分前に滝に飛び込んで急にタッキーに変わって終わるんだよ‥」と思ってたらタッキーに変わったのは1分前でしたね!ここまでは数年分の話を一気に面白いところどりで凝縮した形でしたがこれから奥州に向かい、再び奥州を出て頼朝のところに行くまでの割と動きの少ない時間をどう描くのか楽しみです。今日は待ちに待ってた後白河法皇も登場だし、あいかわらず常盤の稲森いづみさんは芯の強さを感じさせる素晴らしい演技だし(トレンディードラマに出てた時と全然違いますね)、脇を固める個性的な俳優さんに囲まれて「義経」の個性をどう演じるのか来週からの本格始動に期待です。に、しても義経役の子役さん、かわいくて賢そうな良い子でしたね!☆☆☆☆☆☆☆☆☆義経の前にご飯を食べながら「平成教育2005予備校」を見てました。小学校5年生の社会がわからない!エェッ!?(* □ )~~~~~~~~ ゜ ゜ショック!勉強した記憶はあるのですがすっかり忘れてる、、今の私って何年生位の学力なんだろう??小学4年生息子の教科書借りて一緒に勉強しなくちゃね‥昨日のjasminteaの日記です
2005.01.23
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小学校4年生の三男の授業参観にいってきました。いつも面白いので総合の時間に行きます。今回は「クラスに大切な人はどんな人?」ってタイトル。先生があらかじめ大切だと思う「明るい人」「優しい人」「まじめな人」「正直な人」「くじけない人」をあげてどれが一番大切だと思うか、理由を書いて下さいって。それができたら今度はグループに分かれ他の人が○をつけたものを各々が集計、そしてみんなで話し合ってグループの結論を出してグループごとに発表。最後はみんなの発表を聞いてどう思ったかを再び書かせて終了、、そんな段取りでした。議事録を書くことが多い私はつい話の着地点を考えてしまいます。普通考えたらどれも重要なのに‥、とか、そんな完璧な人間を求めてるの??なんて思いつつ話を聞いてたらみんなが先生に言われた通り答えを一つ出すことに集中してる中女の子が「これってみんな大事だよね?ミックスジュースが良いんだよ」って!!すごいですよねー。小学校4年生の言葉とは思えない。結果的には8グループの中の6グループまでが「優しい人」をあげてました。優しい言葉をかけられると嬉しいとか、頑張ることができるからって何だか「癒しブーム」の理由がわかるような。最後に先生の「優しいことばかりが良いことじゃない、自分の意見もきちんと言えないといけないし、明るい人が良い人で暗い人がダメなわけでもない、何かにくじけそうな時もあるけどみんなで助け合っていこうね」で大団円。結局、人の話を聞いてひとつの結論にもっていくって過程が大切だったのかなぁ??昨日のjasminteaの日記です
2005.01.22
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今日は簡単に天武の子供達を並べてみます。話の整理上生まれた順番ではありません。草壁皇子(母持統天皇 祖父天智天皇)大伯皇女(母大田皇女 祖父天智天皇)大津皇子(母大田皇女 祖父天智天皇)長皇子 (母大江皇女 祖父天智天皇)弓削皇子(母大江皇女 祖父天智天皇)舎人皇子(母新田部皇女 祖父天智天皇)但馬皇女(母氷上娘 祖父藤原鎌足)新田部皇子(母五百重娘 祖父藤原鎌足)穂積皇子(母大ぬ娘 祖父蘇我赤兄)紀皇女 (母大ぬ娘 祖父蘇我赤兄)田形皇女(母大ぬ娘 祖父蘇我赤兄)十市皇女(母額田王 祖父鏡王 )高市皇子(母尼子娘 祖父豪族胸形氏)忍壁皇子(母かじ媛 祖父豪族宍戸氏)磯城皇子(母かじ媛 祖父豪族宍戸氏)泊瀬部皇女(母かじ媛 祖父豪族宍戸氏)託基皇女(母かじ媛 祖父豪族宍戸氏)です。この中で最高位は天武と天智の血が混ざってる上の6人、次は大臣クラスの祖父をもつ5人になります。が、天武が崩御した際皇位継承有力候補である天智の孫達5人はおろか10人もいた息子達の中で皇位を継いだ人は誰もいないのです。と、このあとはまたの機会にお話させて下さいね。☆ここで万葉集でティータイム☆いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆくいにしえに恋ふらむ鳥は雀公鳥けだしや鳴きしわが念へる如これは上記5番目の弓削皇子と額田王の相聞歌です。すでに歴史の舞台から消えていた初老の額田王が何故ここで登場したのか不思議です。そして不思議さは増して丹生の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛し我が弟いで通ひ来ねこれは長皇子が同母弟の弓削皇子に送った歌です。直訳すると(おせっかいですみません…)丹生の川の瀬は渡らずに、まっすぐ通って来てください。恋しさに心痛む我が弟…だと、思うのですが。弟に送った歌とは思えない意味深な歌ですよね。長皇子はどんなメッセージを伝えたかったんでしょうかね?。1/20jasmintea7日記です
2005.01.21
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天武天皇の出自に対しては諸説あります。1 日本書紀上天武の母である皇極女帝が舒明天皇に嫁ぐ前の夫高向王との間の子説2 蘇我入鹿の兄善徳説3 百済の亡命貴族等々です。では何故天武天皇の出自が問題になるのかと言うと万が一天武が皇極と舒明との間の子でなければ皇位継承権がなくなり簒奪王朝になってしまうからです。では諸説の根拠はどこからくるのか1 日本書紀では他の天皇の生年令没年令が書かれていますが天武は記述がありません。『皇胤紹運録』では享年65となっていますがそうすると兄の天智より年長となってしまいます。(当時の記録のミスなのか、意図的に隠したのかわかりません。だから学者から素人までいろいろな説が出るんですね。)2 天智は天武に自分の娘を4人も嫁がせています。もし本当に血をわけた兄弟ならそこまでしないはず。3 天武の血のつながりは奈良時代途中で終わってしまいます。妻も子供も何十人もいたのに光仁帝の即位で皇統は再び天智系に戻ります。このことについても出自のはっきりしない天武の血を終わらせる必要があったのでは??などです。でも天武の出自がどうであれ彼が妻持統と残した(八草の姓、藤原京、大宝律令、日本書紀編纂等)功績が消えるわけでもく中央集権国家を作った天皇として名が残るのですから、歴史のミステリーとして楽しめば良いのでは??と思います。☆ここで万葉集でティータイム☆天武が万葉集に残した一番有名なのは先日紹介した額田王への返歌ですね。でも私が好きなのは妻五百重(藤原鎌足娘で後に不比等と再婚しました)に送ったわが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後返歌わが岡の 竜神に言いて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ(訳を加えようかと思いましたが味気ない気もするのであえてはずしました)次回では波乱の人生を送った天武の子供達にふれてみたいと思います。十市皇女、高市皇子、但馬皇女、穂積皇子、大津皇子など、、♪万葉集が好きなNAO~Nさん!アドバイスお願いしまーす♪
2005.01.20
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今日おNewのmy携帯を買いました。今まではドコモだったのですがHPを開設してから携帯でも見たくなったのと、外出時に地図や駅探を使いたいのとで(←スーパー方向音痴ですV(^o^")vって自慢じゃないか…)いろいろ調べたところauのパケット割WINがお得みたいなので探してみました。欲しかった機種はW22H、まず地元で4800円を見つけ!そして会社の近くに行ってみたら何と同じものが11,800円。えーーーと思いつつ外出した際に覗いたお店は15800円の表示!!「これってもう少し安くならないんですか?」って聞いてみたら何とかパックに何とかつけてくれたら13800円にしても良いですよってΣ(●´Α`●)ぇ??(*-_-)結局残業せず地元の店に滑り込み!次男のと2台で合わせて1000円値引きしてくれて1台4300円でget!y(^ー^)yピース!金曜の受け取りが楽しみです。しかしどうして同じ機種なのにこんなに価格差があるんでしょう?仕入先が違うのかな??4300円で売れるくらいなんだから原価はそれ以下のはず、、台数をかせいで儲けを出すか、1台あたりの利益率を高くするかってこと??どなかご存知でしたら教えて下さいませオ・ネ・ガ・イ♪(* ̄・ ̄)//\(◇ ̄*)今日のjasmintea7の日記です。
2005.01.19
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皆様ご存知のように壬申の乱は天智天皇亡き後天智の弟大海人皇子(即位して天武天皇)と天智の長子大友皇子の皇位を巡る争いです。まず当時の慣習からお話します。当時の皇位を継ぐ順番は妻の身分によって決まりました。天皇の正妻(皇后)になれるのは皇族の娘、大臣の娘が嬪、地方の有力豪族の娘は采女と呼ばれてました。日本書紀そのままに記述すると大海人の父は舒明天皇母は皇極天皇、天智とは父も母も同じにする兄弟です。それに対し大友は父は天智、母は采女で伊賀宅子娘と言います。当然当時の常識からすれば卑母から生まれた大友には皇位継承権はないはずでした。その頃都があった近江は唐の文化への憧れが強く何でも唐風の建物、唐に似せた暮らし、日本のお手本は唐!でした。かの国では王の相続は長子制、母の身分に関らず王の長子が相続する考えです。(今と同じですね)自分の血をわけた息子に皇位を継がせたい天智はその長子相続制を利用しようとしたのですが、先だっての白村江の戦いで負けた日本政府に対する豪族から巻き上がる不満をなだめその後の安定に貢献し人望があった皇太弟大海人をさしおいて大友に皇位を継がせようとするのは無理がありました。(後世の秀吉→秀頼と似てるかな??)天智が病を得た時その病床に天武を呼び出します。今までのことはすべて謝るから水に流して自分のあとは天武が継いでくれと頼みます。でもこの話は大海人には信じられなかったんですね。何故??天智は今まで自分の敵になりそうな人物を数々粛清してきたんです。古人大兄皇子、蘇我倉山田石川麻呂、孝徳天皇、有間皇子。この申し出を固辞した大海人皇子は僧侶になり近江を脱出して吉野にこもり戦いの準備を始めます。そして大友は即位して弘文天皇となり(日本書紀では天武の正当性を保つために大友は即位しなかったことになっていますが後世の研究で大友の即位は認めらています)ここに日本史上まれに見る皇位の簒奪という形で壬申の乱が起こります。☆ここで万葉集でティータイム☆この大友の正妃は十市皇女で大海人と額田王の間に生まれています。額田王は大海人と別れ後に天智の妻となります。今風に言えば弟の奥さんをお兄さんが奪った形ですね。このあとの額田をめぐる大海人との関係の中でかの有名な薬狩りの時の茜さす紫の行き標野行き 野守りは見ずや君が袖振るむらさきの匂へる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに吾恋ひめやも が詠まれます。なかなか複雑な人間関係ですよね。こんな情熱的だとキュンときちゃいますが薬狩りのあとの酒宴で即興で詠まれたそうです。お2人の文才と感性、すごいですね!とヤケに長くなってしまいました。わかりにくい文章でごめんなさい。次回(いつになるの~???)は壬申の乱以降の皇位をめぐる争いと天武に関する謎の勝手な思い込みも加えて書いてみたいと思います。最後まで読んで下さった方、本当に感謝感謝です
2005.01.18
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叱ると言うのは難しいですね。何をどうして叱られているのか相手に伝わってなければ単なる小言、、「うるさいヤツ」って思われるだけですから。それが仕事上のことだと本当に難しい…。ひとつのミスが叱られる相手に直接影響はなくても周囲が影響を受けることもあります。どうやってそれをわかってもらうか‥。こちらが勝手に気を利かせてオブラードに包んで言うと真意が伝わらないし、逆にストレートすぎると傷つくかな?なんて思ったり。叱る方もかなりのエネルギーを使います。あと怒り出すと止まらない人っていません?30分くらいずーっと叱りっぱなし。いろいろなことをコンコンと話してる…子育ての経験上思いますが叱られてシュンと聞いてるのは良くて5分かな。如何に要点を押えて簡潔に、相手の心に残るような叱り方ができるか、、うーん難しいな(T_T)こればかりは相手にとって有効な叱り方は違うのでマニュアルはないし。叱るほうも叱られるほうも成長するっていうことでしょうか??日々修行だー!(猪木ふう!?)今日のjasmintea7の日記です
2005.01.17
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みなさまご存知かと思いますがちょっとお話を。義経の母常盤は源氏の棟梁源義朝の妻ですね。平治の乱で夫を亡くし子供を連れて平清盛に投降します。そこで身を投げ打って子供の命乞いをする、、これが後に平家の時代、ひいては貴族支配の社会を終わらせ武家社会を作る礎になります。そして義経が京を脱出し、目指した奥州の覇者藤原秀衡、彼の祖父にあたる奥州藤原氏の初代清衡の母は土着の棟梁安倍頼良の娘結有(本当の名前については諸説あります。当時の記録には安倍頼良女としか記載されてないようです)と官僚であった藤原経清との間に生まれた子です。くしくも前九年の役で経清は源氏と対立した安倍氏に味方し同じ陸奥を治めてた清原氏の裏切りにあいもっともひどい方法で源氏に首を落とされました。その戦の最中経清の妻結有は清衡と一緒に捕らえられ、安倍一族を裏切り親族、夫を殺される発端を作った清原氏の棟梁(ごめんなさい、、名前忘れちゃったm(_ _)mゴメン)に再嫁します。やはり常盤と同じように再婚した相手と子を設けます。この子が後に後三年の役で清衡の相手となった清原家衡です。そしてこの時清衡に手を貸して勝利の手助けをしたのは皮肉なことに前九年の役で安倍氏を滅ぼした源氏の棟梁、源頼義の息子義家です。ちなみにこの義家から3代あとが先程登場の義経の父義朝です。そして再び奥州藤原氏を滅ぼしたのは頼朝‥歴史って不思議な点と線でつながっていますね。歴史の闇に埋もれ名前も定かでない女性が実は歴史を作る、、すごいことです。
2005.01.16
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三男が生まれて3ヶ月に阪神淡路大震災がありました。当時母乳を飲ませてた身としては避難所のどこでおっぱいをあげれるんだろう、とか夜中に泣かれたら寒い中外に出るしかないのかなぁ、とかいろいろ心配してました。当時友人と被災地にミルクを送ろう!と運動してたのを思い出します。あれから10年、、確かに復興はしたかもしれませんがなくなった街や人に対する悲しみはつきないと思います。神戸新聞の阪神淡路大震災、震災10年を語るを読むとそれぞれの立場の人の語りが掲載されいますが10年の月日の重さを感じます。中でも当時の村山首相の談話は良くも悪くも目を惹きました。神戸新聞10年たった今、震災で様々な被害にあった方が生活に困ることのないよう、心の行き場をなくすことがないように、と思います。今日のjasmintea7の日記です
2005.01.15
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最近言葉遣いが古い!と指摘を受けること度々‥。gooブログでも書いたのですがまとめる形にしてみまーす。昭和→→→→→→→→→→→平成(とっくりのセーター)(ハイネックのセーター)(かのじょ→語尾が下がる)(かのじょ→語尾が上がる)(チャック)(ファスナー)(アベック)(カップル)(自転車2人乗り)(チャリ2ケツ)(チョッキ)(ベスト)(シャツ)(インナー)とりあえず思いだすだけ‥。皆様のご意見お待ちしていまーす!今日のjasmintea7の日記その1です。今日のjasmintea7の日記その2です。
2005.01.14
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「特集2007年問題の全貌と衝撃」が読みたくて買いました。以前から団塊世代の退職問題は指摘されてたことですが少子化と合わせて考えると怖くなりますね。この問題とリンクする形での消費税率引き上げ、、これも考え方は人それぞれですがやはり労働人口が減少する以上直接税には限界があるので消費税引き上げも仕方ないと思います。でも気になったのは「食料品などへの軽減税率設定も議論になるだろう‥」のくだりです。以前婦人服販売の会社で経理をやっていましたが物品税の申告は大変でした。婦人服販売の会社ならせいぜい毛皮や宝石くらいですが食料品となると申告の手間は深刻(なんて言ってる場合ではありませんねm(_ _)mゴメン)です。個人の商店で雑貨も食料品も売ってる店だったら対応不可能じゃないでしょうか??それに特定のものにだけ課税することをやめ広く薄く課税するために消費税を導入したと思うんだけどなぁ。でもどっちにしても(1)もっと国や地方が無駄をなくす(2)どんな社会保障を目指すのかビジョンを明確にするがなくて引き上げありきだったら納得できないですよね。今日のjasmintea7の日記です。
2005.01.13
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スマトラ地震の惨状をテレビで見ていた珍しく家にいた長男、「オレがバイトしてるコンビニでは毎晩午前3時になると大量に消費期限切れのものを捨ててるのに」ってポツリ。そうですよね。いつかあいのりでもアフリカの食糧危機のことを話題にしてましたが、自分では余計なものは買わないし消費期限切れになりそうな時は冷凍するし、、なんて思ってましたがやはり日本全体として見ればほとんどの食料を海外輸入に頼っているにも関らずそうやって廃棄してる食料がたくさん。一方で飢えに泣いてる国がたくさんあるのに‥。そしておいしい肉にするため安い国から餌としての食料を買ったり。じゃ、どうしたら良いの?って聞かれると‥。とりあえず子供達には作ってくれた人に感謝してご飯を食べようねってことだけは言いました。が、うーん、それだけじゃ足りない、、けどわからない私です
2005.01.12
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宮尾登美子さんの原作に忠実に描かれてましたね!(当たり前??)今日も面白かったしこれからの内容を期待させる初回でしたでも、もしかして原作を読んでなかったら、そして平家物語と今まで縁のない方が見たらちょっとわかりにくい内容かも‥なんて思いましたがどうでしょうか?に、しても常盤の稲森いづみさんが良かったでしたね☆何と言ってもキレイだし、運命全てを受け入れながらしたたかに、しなやかに生きる常盤のイメージに合っていました。これから日曜はテレビの前に陣取るのに夕方が忙しくなりそうです
2005.01.09
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うーん、こういう書き方は義経ファンには反感を買うかな?と思いつつ私の感想を書きます。私にとって義経はあまり良い印象はありません。何故かと言うと私の平家物語への入口が奥州藤原氏だったせいです。奥州藤原氏は頼朝にとって滅ぼすべき相手であり、義経が奥州に逃げ込まなかったとしてもいずれは滅ぼされていた運命かもしれません。義経の武将としての才能を評価していた秀衡が源氏への備えとして奥州にとどめたという説もあります。が、やはり秀衡亡き後も何故奥州に留まったのかは不思議です。それに確かに義経は戦略の天才かもしれませんが当時の常識を打ち破った方法ですよね。一の谷でも屋島でも相手の背後を襲う、、壇ノ浦では水夫を標的にしています。当時の人が考えもしなかったことを思いついたのは天才なのかもしれませんが…。でも義経も平家も腐敗した貴族政治から武家政治への転換点となった時代の中でひとつの役割を与えられ出番が終わって舞台から去る役者のようなイメージが物哀しさを誘います。義経はまるで平家を倒すだけのために歴史の舞台に登場したみたい。歴史にもしもはありませんが、もし重盛が清盛より先に亡くならなかったら‥平家は滅亡しなかったかな。それとも重盛でも救えなかったのでしょうか?こんなことをとりとめなく考えられるのが歴史の楽しさですね。PS:一昨年大三島の大山祇神社に行きました。その時見た重盛の太刀と義経の鎧は今でも目に浮かびます
2005.01.07
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いよいよ大河ドラマ「義経」が始まりますね。(私てきには平家物語なんだけど…)楽しみです。主役の義経以外は割とイメージにあった無難な配役!中でも楽しみにしてるのが頼朝の中井貴一と平清盛の渡哲也、後白河法王の平幹二朗のお三方です。どちらかと言うと狸のイメージ(腹黒??)が強い悪役をどう演じるのか興味津々!!宮尾本平家物語は清盛の幼少時代からくる母への思いや、家族、一族の絆を上手に描いてましたが(清盛のイメージが良くなった)ドラマではどう表現していくのか楽しみです☆
2005.01.06
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日経新聞で「少子化に挑むニッポン大転換」という特集を1面でやっています。今日の論説はゆとり教育で公立の形骸化が顕著になってきて親は不安を覚え、私立の学校に入れるため塾やおけいこごとに精を出して子供のマネージャー化する。それで仕事をやめる人も多い、また前述の観点からお金がかかる、だから一人しか産めない、産まないと。1人ならまだ産休も取得しやすいが2人目は取得しにくい、肩たたきされた等々書いてありました。そうですね、確かに事例研究は必要です。何で子供を産みたくないか、何で仕事をやめざるえなかったか。でもそれより必要なのは今、子供を産んで実際子育てをしてる人の意見の吸い上げとフォローじゃないでしょうか?何が大変で何が足りないのか、そこを解決していくことが少子化の歯止めになると思うんだけどなぁ。国、地方自治体、企業がそれぞれの立場でこの問題を真剣に考えて取り組んで、子供を育てることの喜びが当の子供達に伝わるようになったら価値観もかわって10年後位はもっと子供を産みやすい&子育てしやすい世の中になるんじゃないかな?ちなみに今の幼稚園児や小学生に将来結婚して子供産みたい?って聞くとNOの返事の方が多いとか。それじゃ10年たっても少子化問題が解決されてるわけないよね(-_-;)
2005.01.04
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とーっても楽しみにしていた「大化の改新」が終わりました。渡部篤郎さんの演技には引き込まれてしまいましたが描き方が中途半端。私の勝手な解釈ですと蘇我氏は入鹿が暗殺された時点で正しい記録は日本書紀から消えてしまった、と思っています。本当は中央集権国家への道筋を提示したのも入鹿だったのではないかと。そして名前、、入鹿とか蝦夷とかも不自然ですよね。勝者によって名前さえ変えられてしまったのでは???と、思う私なので「どうせ蘇我氏悪人で物語が進行するんだろう」と思ってたら前半はへー、って思う展開。でも急に後半から鎌足だけがかっこ良く書かれちゃって‥。だったらもっと日本書紀に忠実な描き方でも良かったような。でも約3時間の中ですから仕方ないかもしれませんね。あの時代が大好きな私にとってはドラマ化されただけでも嬉しいです(^o^)
2005.01.03
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玉くしげ みもろの山のさなかづら さ寝ずはついに ありかつましじこれは鎌足が後の正妻「鏡王」に送った今で言えばプロポーズのようなものでしょうか?とかく腹黒のイメージが強い鎌足ですがこの歌も、安見児を天智天皇より賜った時の歌もおおらかに表現しています。現在に生きる私達でもここまで真っ正直に言われたら照れちゃいますね 風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむこれは鎌足が亡くなって鏡王が詠んだ歌です。額田王の「君待つと我が恋ひ居れば 我がやどの 簾動かし 秋の風吹く」に対し詠まれました。額田王と言えば白村江の戦いの前に詠んだ「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかないぬ いまは漕ぎいでな」があります。この2首を読むと額田王はどんな女性だったんだろう?と思いをめぐらせます。繊細で大胆そして情熱的な女性のイメージが湧いてきますが皆様は如何でしょう?万葉集については天智天皇編、天武天皇編、額田王編、大津皇子編等々史実と一緒にまたの機会にお話させて下さいね
2005.01.02
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最近、愛子様の即位を見越した女性天皇論議が活発になってきました。「古代には推古女帝を始めとして女性天皇が沢山いた」って某新聞にも書いてました。古代で即位した女性天皇は推古、皇極(斉明)、持統、元明、元正、孝謙(称徳)の6人。推古は息子「竹田皇子」、皇極は息子「中大兄皇子」、持統は息子「草壁皇子」草壁が死してからその孫の「軽皇子」、元明も息子「軽皇子」、元正は弟軽皇子の息子である「首皇子」がいづれも即位するには早い年齢だったり、即位できない事情があったりで時期がくるまでの中継ぎだったのです。元正(草壁皇子皇女)と孝謙(聖武天皇皇女)は独身のまま即位しますが独身のまま退位します。彼女達の身分に合う男性を探すのは困難なんですね。そして孝謙は天武系の最後の天皇です。天武の息子はたくさんいたのですがこの時点では誰も残っていませんでした。このことに関してはまた別の機会に書きたいと思います。このように古代の女性天皇は皇統を守るための一時しのぎ的意味合いが強いのです。愛子様には古代の女性天皇とは違った女帝像を期待したいですね
2005.01.01
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