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2005.12.19
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先日は武士の起源についていろいろとアドバイスを頂きありがとうございましたm(_ _)mm(_ _)m

何となく皆様のコメントを拝見してこんな感じ?ってまとめてみました。
まず先日話題にしようと思った長宗我部氏土佐入りから武士の姿を拾いたいと思います。(たぶんこれが例外ではなくどこも似た感じ??と考え引き合いに出してみました)
彼らのご先祖様は朝鮮からきた弓月君(融通王)から始まる秦氏で河勝の時代に山城国葛野を賜り、後に信濃も賜ってます。
で、鎌倉時代の初め秦能俊が土佐に移り長岡郡宗我部郷に住み地名をとって宗我部氏と名乗りました。
しかし近くの香美郡にも同じ宗我部氏がいたので区別するために長宗我部氏、香宗我部氏と呼ぶようになった…何の本だったか忘れてしまいましたが長宗我部氏は地元の人と交わり田畑を耕した、そして先住した人達とも打ち解け信頼を勝ち得ていった、その信頼が長宗我部の後の繁栄につながった、ってなことが書いてました。

これと皆様コメントを合わせれば「武士」は自分達の土地を守るため自警的な意味合いで発生していったと考えます。
防人は国が徴兵、古代豪族も豪族主導の元に組織化されたので武士とは異なります。
(最初は外的要素や主導権争いではなくあくまで土佐に土着化した長宗我部氏のように自分達の土地を自分たちで守るのが原点???)

そう考えてくると勝手な想像ですが武士って本当は単純なもので「武士道」は後世のあとづけのような気がします。
後世って?って言うとズバリ江戸時代中半!
政権の安定と共に武士本来の姿が消えた時、武士の存在意義みたいな答えとして儒教の影響とともに広まっていったのでは?なーんて思うのですが‥。
勝手な解釈で書いてしまいましたが「まだわかってなかったの?」とか「それは違うぞ」とか、お手柔らかにいろいろなご意見をお待ちしております(^-^〃)
いろいろな見方や話があって楽しいですから~(*^o^*)


☆ここでティータイム☆
気象庁は『この冬は暖冬』の長期予報を修正するそうです(-.-;)
これで暖冬かい??って誰でも思いますものね。
たーくさんお金をかけて気象衛星を打ち上げても人間より自然の方が上手!ってことかな?
でも野菜が随分高くなってきたのが主婦としてはつらいです~(x。x)゜゜

話は変わりますが今日帰りの電車で3歳くらいの女の子と、そのお母さんが乗ってきました。

(ついでに言うならお化粧もしてた)
ブーツなら普通に座らせれば良いのに窓を向いて土足のまま座っても母親は平気な顔、
なら脱がせやすい靴にすれば…なんて見てたら今度は車内を走り出しました。
見かねたお年を召した方が『危ないわよ』って(キツい言い方ではなく諭すような言い方)注意したあとまた、その子が動こうとしたら
『やめなさい、またママが叱られるでしょ』って。

まったくメールは家でして電車の中では自分の子供のことちゃんと見ろ~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





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Last updated  2005.12.19 20:40:34
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