歴史コミュニティ

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2006.01.18
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島津の話を始めるとどんどん広がってしまいますよね~。
今日は先日書いた家久の息子、島津豊久です!
(先日書いた家久の突然死については皆様に様々なコメントを頂き大変楽しく拝見させて頂きました。ありがとうございます♪)
父の死後豊久は佐土原城を継ぐことを秀吉によって認められます。
そして秀吉の武将として小田原攻め、朝鮮出兵で大活躍します。
豊久の武勇が鳴り響いた最大かつ最後の見せ場は関が原の合戦です。

彼は叔父義弘と関が原へ出兵します。
東軍へつくはずだった島津軍でしたが伏見城で鳥居元忠に入城を拒否され西軍につくことになります。
(これについては家康と親しかった義弘を討死覚悟のろう城に巻き込むわけにはいかなかったと解釈もあります)

しかし大将義弘は三成とは相容れないまま9月15日を迎え、当日の三成からの要請にも応えず島津勢が動くことはありませんでした。

(島津が動かなかった理由をどう考えますか?よろしかったらコメント残して下さいね♪)

島左近が負傷し、午後になって大谷吉嗣が自刃、これを機に西軍は総崩れとなり小西行長軍、宇喜田秀家軍も壊滅、三成も敗走します。
三成の敗走により四方を敵に囲まれた状態に陥った義弘は「捨てかまり」という戦法で敵陣を中央突破しながら退却します。
この殿を引き受けたのが豊久…彼は叔父義弘を逃がすために必死で戦い井伊直政や松平忠吉に大怪我をさせますが、島津の兵力は何と言ってもわずか1500、、豊久も命を落としますが彼が守ろうとした義弘は無事薩摩に帰りつきます。
このあと関が原における島津の行動は義弘の単独行動とされ徳川によって領地を安堵、義弘は桜島に隠居し豊久の霊を弔ったとされています。
義弘が豊久を思い言ったと伝えられてるセリフ

「豊久の怨み、末代までには晴らそうぞ」

自分のために命を散らした甥、豊久を哀れに思う義弘の執念が薩摩を倒幕へ駆り立てた?なんて考えると先日の土佐長宗我部氏ではありませんが歴史の輪廻って不思議です。
もちろん薩摩、土佐だけだはなくもうひとつ維新の原動力となった長州藩も関が原の怨念が続いていましたよね。
と、言うことでそのうち☆歴史の輪廻は不思議だ!シリーズ、長宗我部・島津氏に続く第3弾毛利氏」なーんちゃってタイトル長すぎ(/∀\)ですが書けたら良いなぁ♪


☆ここでティータイム☆
ちょっと嬉しいことが(〃^▽^)ノ
何?って聞かれると照れちゃうのですがもうひとつのblogと共通でつけたたまごが進化する育成型掲示板がこの度やっとたまごがかえってくれました~!!!!!!\(^o^)/
たまごが進化して何が出てくるんだろう?と楽しみにしてたのですが何だかわからないキャラ登場!
良かった!一生たまごのままかと思ってました♪♪♪


マスコミって面白おかしくネーミングをつけることは天才的ですね。
去年の選挙の時「ホリエモンとしずかちゃん」も何言ってるのよ!と思いましたが今度は
「W逆刺客、オジマモンとホリエモン」だそうです。
一言でニュースがわかるって意味では良いのかもしれませんがもうちょっと違った報道の仕方はないんかい?なんて思いもあります。
堀江さんの影響力なんてそんなにないと思っていましたが株価への影響を見るとビックリの反応ですね。
何か騒ぎすぎと言うか、どうして堀江さんにマスコミが集中するのかわかりません。
記者会見も見てない私ですが今回の件は彼にとっては「想定内」なのでしょうかね?

さて♪今日は先週から楽しみにしていた「その時歴史が動いた」があります!!!!
今日のこの記事はテレビを落ち着いて見たいがためにお弁当をサッサと食べて昼休みに書きました(*^o^*)
どんな内容か楽しみです♪♪♪





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Last updated  2006.01.18 19:56:06
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