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2012.02.29
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カテゴリ: 戦争映画
悲劇の将軍 山下奉文.jpg


敗戦後の1946年5月、GHQは文明の名によって
世界征服の責任を裁くというもので
A級戦犯裁判を開廷した。

その中で逸早く軍事裁判にかけられたのが
陸軍大将の山下奉文である。

この経緯を描いたのが1953年、東映が公開した
戦争映画「悲劇の将軍 山下奉文」である。

太平洋戦争の緒戦において第25軍司令官として
スピーディなシンガポール攻略作戦の成功で


その後、彼を敵視する軍首脳によって
満洲牡丹江に左遷された山下奉文だったが
第十四方面軍司令官として
再び陽の目をみた1944年・秋には
戦局は既に絶望的であった。

しかも彼の任地フィリッピンは
前任・栗田司令官(大友柳太朗)や
彼の直接の上司・寺内南方総軍司令官(山口勇)の
無能無策から差迫る米軍の上陸への
何の備えもしていなかった。

山下奉文は死を覚悟して赴任する。


大本営、総軍は俄かに当初の作戦を変更し
レイテへの方面軍主力の傾注を命じてきた。

山下奉文はその不利を痛感しながらも黙々実行に移した。

ダグラス・マッカーサーらの指揮する
連合軍に対して善戦するが、結果は手薄すに乗じて

友軍は各所に分断される。

新たに彼の指揮下にはいった第四航空軍も
保有機数の大半をレイテに失い
富永司令官は台湾へ逃げ出す始末

更にマニラの海軍部隊は山下の再度の撤収命令を無視、
狂暴な市街戦の末に全滅した。

1945年8月15日終戦。

そして9月3日に山下大将は投降した。

彼の命を拒んだマニラ海軍部隊の惨行をその主な罪状に負って
山下は勝者の「みせしめ」裁判が決行された。

この映画で山下奉文の行動が注目され
シンガポール攻略時にイギリス軍司令官に
「イエスかノーか」と強圧的に降伏交渉を行った事実で
下の様子を復元した蝋人形がシンガポールの
蝋人形館には今日でも展示してある。


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Last updated  2012.02.29 22:19:46
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