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木の幹の周りの雪が解けて丸く地表が覗く現象を「根開き」といいます。 根開きは山の春の前兆なのです。 ここは真昼岳のブナ林。(2005年撮影) 4、5人で山頂を目指したのでしたが、雪が深くて登山道がわからず苦労の連続で着いたのがこのブナ林でした。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする撮影地
2007/05/10
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秋田市土崎の秋田港に建つ秋田ポートタワー・セリオンです。 夜は塔全体がイルミネーションで飾られ、遠目にも美しい建物です。 海に映る灯かりと一緒に望める向浜工業地帯の岸壁から撮影しました。 セリオンは平成6年にオープンしたタワー。 全長143mで、100mに展望室があり、360度の大パノラマを満喫できるようになっています。 当初は賑わった施設も次第に客足が遠のき、運営主体の三セクが赤字を膨らませ続けたため、現在は秋田市の所有になっています。 セリオンは夜景スポットにもなっています。 次回はその夜景をお届けします。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図SELION セリオン 秋田の元気は港から 港の元気はセリオンから←もっと壁紙を探すなら
2009/12/07
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ここは北上線の紅葉絶景ポイントです。 錦秋湖と赤い鉄橋を俯瞰する雄大な景色を望めます。 北上線は2003年夏の「青春18きっぷ」ポスターのロケ地にもなりました。 しかし、この場所へ到達するのは少々やっかいです。 芦髪沢の林道を終点まで進むのですが、悪路なので乗用車ではきつい。 2ヶ月前にはガケ崩れで封鎖されていました。 最近林道が修復されたようで、なんとか上まで到達することができました。 そこから撮影地点へは自分の足で登らなければなりません。 10分ほどなのですが、傾斜がきつくてなかなかしんどい。 しかし、そうして辿り着いた人だけが、この雄大な景観を満喫できるのです。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする撮影地地図 ゆだ錦秋湖駅を北上へ進んですぐ、錦秋湖に架かる鉄橋があります。 西和賀町役場の前を通って錦秋湖のほとりに下り、この鉄橋を走る列車をねらいました。 対岸の山が、錦秋湖の名にふさわしい紅葉たけなわです。 晴天で、格好の撮影日和でした。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする撮影地地図 小松川と黒沢の間で、国道107号線沿いから撮りました。 ここも紅葉期にはいい撮影ポイントです。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLするJR ポスター ギャラリー・青春18きっぷ
2007/11/08
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赤沼付近の冬景色古今著聞集に出典あり 雄物川支流の油川のほとりに「赤沼」という地があり、人家はなく、今は一面水田である。 ここに「赤沼のおしどり物語」という伝説が残っている。 鎌倉時代に編纂された古今著聞集にその説話があり、菅江真澄が雪の出羽路 田村ノおち穂にそれを載せている。 次はその説話の私なりに解釈した現代語訳である。あやしい所はお許し願いたい。 『みちのくに田村の郷の人、馬ノ允(じょう)なにがしとかいう男、鷹を飼っているが、鳥を得ることなくむなしく帰る途中、赤沼という所におしどりが一つがい居るのを、ぐるり(具留理・鳥を射る道具)を持って射ると、誤たずに雄鳥に当たった。その雄を鷹の餌にし、残りを餌袋(えさや獲物を収める容器)に入れて家に帰った。 その次の夜の夢に、いと艶(なま)めいた女が来て、さめざめと泣いた。 不思議に思い、どうして泣くのかと問うと、「昨日赤沼で、そばにいた夫が殺され、その悲しみに絶えず、こうして参って悲しんでいる。私も、これ以上生きていようとは思いません。」と言って、一首の歌を唱えて泣く泣く去った。 日くるれば さそひしものを あかぬまの 真菰がくれの ひとりねぞうき あわれ不思議に思うほどに、中一日空けた後、餌殻を見れば、餌袋の中で雌鳥が雄鳥の嘴(くちばし)を自分の腹に突き刺して死んでいた。是を見た馬ノ允、やがて自分の髪のもとどりを切って出家した。ここは前形部太輔仲能朝臣の領土である。』赤沼跡と説明板説明版に若干の違いあり 上の写真は「赤沼のおしどり物語」の説明板である。 記載内容は次の通り。(一部省略) 『昔、田村の郷に狩をして暮らす馬の充という男がいました。 ある日、赤沼に来ると、二羽のおしどりがいるのを見つけ、その内の一羽を射止めて持ち帰りました。 次の日の夜中、馬の充の夢枕に上品で美しい女性が立って泣いており、不思議に思って理由を聞くと、「赤沼で射止められた水鳥は私のいいなづけです。あまりの悲しさに、殺したあなたの側に来て泣いているのです。私もあの人の亡骸の側で死に、あの世で楽しく暮らしたい。」とさめざめと泣いて、「日くろればさそいしものを 赤沼の 真菰がくれのひとりねぞうき」と歌を詠んで消えました。 翌朝、馬の充は捕ってきた水鳥を見ると、側に寄りそうように若い雌の水鳥が、自分の口ばしで腹をつついて死んでいました。 自分の命を捨てて、なお思うおしどりの愛情の深さに心を打たれた馬の充は、髪を切ってお坊さんになったということです。』 菅江真澄が採録した内容と若干の違いはあるが、大差はない。 また説明版では、歌の「日くるれば」が「日くろれば」に、「嘴(くちばし)」が「口ばしる」を誤用したのか「口ばし」になっている。 これらの間違いは直したほうがよいと思う。 大きな違いは猟師の名である。雪の出羽路が「馬ノ允」なのに、説明板は「馬の充」となっている。 允(いん)は「ジョウ」とも読むが、充(じゅう)は「ジョウ」とは読めそうにない。 ただし、猟師名は調べた資料によっては「馬の充」となっているものがあり、また、馬允、尊允、村允、村庄、など実に様々で、単なる男や、猟師、殿様、侍などと表記しているものもある。 実は「おしどり物語」は全国各地にあり、様々に脚色されて伝わっているのである。 今回の出典は古今著聞集だが、沙石集や今昔物語にも類型説話が載っているので、次回以降はそれらも探ってみたいと考えている。
2017/02/23
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阿王(あおう)さんという超珍しい名字の方に出会いました。日本姓氏語源辞典の「阿王」を見ると、埼玉県、宮城県、秋田県にわずかにあるだけで、同姓の人は全国で20人ほどしかいないという。秋田県湯沢市在住のその人は、もと佐藤さんという至極平凡な名字だったが、結婚して阿王さんになったという。会う人ごとに珍しがられるので、多少迷惑気味らしい。しかし、調べてみると、阿王氏は佐竹南家の家臣で、佐竹公に従って水戸から移って現在に至るらしい。立派なお侍さんの家柄なのでした。写真はわが家の庭のお茶の花です。
2018/10/11
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女と男の難読漢字_なぶり殺すに通じて怖い気もする「嬲沢(なぶりざわ)」は、秋田県横手市大屋寺内にある。 国道13号線と愛称「雄平フルーツライン」の雄平東部広域農道とに大屋沼と隣り合って挟まれた地である。 「嬲」は「なぶる」と読む。"なぶる"はもてあそぶの意だから、1人の女を2人の男が一緒にもてあそぶ姿を想像してしまう。 なんで「嬲沢(なぶりざわ)」なのか、気になって仕方がない。 「嫐」という字もあり、これは「たわむれる」と読む。こちらは2人の女が1人の男を間にして"いちゃいちゃ"している様子に思える。 もっとも、「なぶる」とも読むので、嬲と同様、もっと突っ込んだ関係も表わしている。 「嬲」を大字典(講談社)で引くと『たわぶる、なぶる。相戯れてみだるること。男女合わせてその義を示す。嫐と書くも同じ。』とあり、同様に「嫐」は『たわむる、なぶる。男女がなれ戯るること。又嬲に書くも同じ。』とある。 井原西鶴作の浮世草子「男色大鑑(なんしょくおほかがみ)」巻三に「嬲(なぶ)りころする袖の雪」がある。 そのあらすじは『伊賀の国守の小姓山脇笹之介は、すこぶる機転のきく美少年だったが、追鳥狩(おいとりがり)の折に、伴葉右衛門が庭籠鳥(にわこどり)を下男に放させて笹之介に獲らせようとしたことを縁に、男色関係を結んだ。西念寺の返り咲きの花見の時、葉右衛門が別の美少年の盃を受けたことを知って嫉妬した笹之介は、次に葉右衛門が訪れて来た時、厳冬の庭に立たせて入れなかったばかりか、雪の降る中で裸になるのを命じたりしてなぶり続けたので、葉右衛門は衰弱して死んでしまい、それを見た笹之介も切腹した。実は、寝間には床に二つ枕、酒盛りの準備までしてあったのだが・・・・・・。』とある。 いわゆる男色関係物語である。 一方、歌舞伎では「嫐」は「うわなり」となる。 wikipedia「嫐」は『うわなり うはなり 【嫐】。歌舞伎十八番の一。1699年初世市川団十郎が初演。一人の男に二人の女が嫉妬(しつと)でからむ所作で、後妻(うわなり)打ちの風習を劇化したもの。』とある。 後妻打ち(うわなりうち)は『日本の中世における夫が後妻と結婚するとき、先妻が予告のうえで後妻の家を襲う風習である。 かつては妻がいる上にさらに迎えた女性(妾など)を「うはなり」といったが、のちに先妻と離婚して新たにむかえた女性を「うはなり」といった。この「うはなり」を先妻が打擲することを古くは「うはなりうち」と云い、「御堂関白記」や「宝物集」などに「うはなりうち」のことが記されている。』とある。 浮世絵検索から広重の「うはなり」を描いたハーバード美術館所蔵の浮世絵を見つけた。 浮世絵を見てよく分かるが、なんとも勇ましい風習があったものである。 嬲と嫐、どちらも常識を超えた乱れた男女関係を示す用例が多いようだ。 「奻」という字もあるが、大字典(講談社)には載っていない。中国語サイト新華字典「女女」では「愚」とある。 男と女の漢字というサイトがあるので、以下はそれを参考にする。 同サイトで「奻」は「いいあらそう」となっている。 では「𤲶」はどうか。「嬲」と同じというから、なぶるの意となろう。 「姦」は、女3人寄ったら姦(かしましい)で、これはよくよく理解できる。 もっとも、姦計、姦通、という語があるように、よこしまな意や不義の意にも使われる。 姦の女を男に変えた字もある。 女3人でかしましいなら、男3人ではむさくるしいという人もいるようだが、国字で「たばかる」の意という。 「娚」は「喃、かたるこえ」とある。 一方、Yahoo!知恵袋:「娚」の漢字はなんと読むのでしょうか?の回答を見ると、娚は訓読みで「めおと」とある。 男と女の漢字サイトには𡣡、𡣠、𡢹の漢字も載っているが、いずれも字義は不詳となっている。 男と女に関する漢字については、まだまだ検証を深める余地がありそうだ。
2017/02/11
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山あいの道路を走ると、至る所でイワシバナが咲いています。イワシが獲れる頃に咲くからそう呼ばれるんでしょうか。正式名称はタニウツギ。田植えの季節に咲くのでサオトメバナやタウエバナとも言うそうな。ここいらでは、イワシバナはワラビ採りの旬を教えてくれる花として知られています。
2020/05/29
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成瀬川と真人山 カレンダー入りの壁紙をDLする掵の古文書1.「掵」地名は秋田県南に特化 掵(はば)という珍しい字が付く地名が秋田県内に点在している。 そのすべてが横手盆地に存在するもので、それも南部に集中している。 マピオンで住所検索すると、次の32件が見つかった。そのいずれもが秋田県内である。 秋田県湯沢市二井田二ノ掵 秋田県湯沢市二井田掵上 秋田県横手市増田町亀田掵 秋田県湯沢市三梨町犬掵 秋田県横手市十文字町腕越上掵 秋田県横手市十文字町上鍋倉上掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉上掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉下掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉中掵 秋田県横手市増田町亀田上掵 秋田県湯沢市駒形町大門掵 秋田県湯沢市駒形町東福寺掵 秋田県仙北市角館町白岩下掵 秋田県雄勝郡東成瀬村田子内上掵 秋田県仙北市角館町白岩新下掵 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵大道西 秋田県横手市平鹿町醍醐掵下 秋田県横手市増田町荻袋掵上 秋田県横手市増田町荻袋掵下 秋田県横手市増田町熊渕掵上 秋田県横手市増田町熊渕掵下 秋田県湯沢市川連町掵下 秋田県横手市増田町荻袋菅生掵下 秋田県湯沢市三梨町飯田掵下 秋田県湯沢市川連町大掵下 秋田県湯沢市川連町高掵下 秋田県湯沢市駒形町大門掵下 秋田県雄勝郡羽後町貝沢掵ノ上 秋田県横手市増田町熊渕掵堂ノ下 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下清水田 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下中道添 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下屋布後 町村別に見ると、横手市(18件)と湯沢市(10件)で大半を占め、それに隣接する東成瀬村と羽後町に各1件ずつで、他は仙北市角館町に2件存在するのみである。それらを地図上で見ると、仙北市を除いてはみな、雄物川とその支流である皆瀬川や成瀬川に沿った地域にある。つまり、河川の両域に広がる河岸段丘に位置しているのである。 このことから、河岸段丘に開かれた地を掵と呼ぶのであろうと類推できる。2.「掵」は秋田県南で誕生した国字 漢字辞典オンラインで「掵」の意味を調べると『人名や地名に用いられる字。「掵上(はばうえ)」は秋田県の地名。』とあり、さらに種別は国字となっている。 秋田県以外に掵の字が地名に存在する可能性はゼロではないが、秋田県南特有の文字といって差し支えないだろう。 この地域限定の国字はJIS第2水準の漢字に収録されている。そのため幸いなことに、この字はほとんど知られていないにも関わらず、パソコンなどの電子機器で苦労なく表示することが可能になっているのだ。3.「ハバ」という地名は他にもある 掵のほかに、羽場(はば)という地名もたくさん存在する。再びマピオンで住所検索すると、74件が見つかった。県別では岩手県 (22件)、宮城県 (19件)、秋田県 (18件)、長野県 (7件)、福島県 (3件)、石川県 (3件)である。 秋田県の詳細は次の通りである。 秋田県湯沢市皆瀬羽場 秋田県大仙市下鴬野羽場 秋田県湯沢市皆瀬下羽場 秋田県湯沢市皆瀬中羽場 秋田県湯沢市森熊ノ堂上羽場 秋田県横手市十文字町植田羽場 秋田県横手市増田町戸波羽場 秋田県横手市増田町三又羽場 秋田県仙北郡美郷町浪花羽場 秋田県横手市増田町三又羽場下 秋田県横手市十文字町植田上羽場 秋田県横手市十文字町植田下羽場 秋田県横手市十文字町鼎下羽場 秋田県横手市増田町戸波下羽場 秋田県横手市増田町三又五輪羽場 秋田県湯沢市駒形町戸波上羽場山 秋田県湯沢市駒形町三又上羽場 秋田県横手市十文字町梨木羽場下 羽場もやはりすべてが横手盆地に存在し、大半がやはり南部に集中していて、河岸段丘領域に属しているのは掵と変わりない。 横方向の広がりの度合を指すのが幅であるが、大字典(講談社)によるとフチやヘリという意味もあるので、地名では傾斜地に使われていると類推できる。 幅と巾も地名に存在する。 マピオンで調べると、幅地名は全国に64件存在する。そのうち秋田県は次の6件である。 秋田県湯沢市小野幅 秋田県大仙市太田町川口幅 秋田県由利本荘市西目町西目上幅 秋田県湯沢市秋ノ宮幅ノ上 秋田県湯沢市秋ノ宮下幅 秋田県由利本荘市東由利宿幅野 秋田県にはないが、幅と同義で使われる巾も地名に使われており、マピオンで検索すると全国に19件見つかった。4.「掵」には横方向の広がりの意味もある 資料として掲げた古文書を見ていただきたい。 この中に「堰口掵壱尺」の記述があり、掵は横方向の広がりを示す幅と同義に扱われている。 この文書は、横手市のある村々が水を取り込むための水路口の幅を取り決めした文書の一部である。明和元年(1764年)、水路の幅を巡って4か村にいざこざが発生したため、宝永2年(1705年)に取り決めした文書を探し出して再確認し、藩の役人に差し出した内容となっている。 稲作中心のこの地域では、田圃へ引く水を確保することは死活問題であった。掵に命が含まれていることに、ある重要な意味が隠されているような気がする。5.木偏の「椧」もある 掵ではなく、「椧」の字の付く地名が唯一秋田県にある。 秋田県大仙市四ツ屋字椧田 「椧田」は「ばばだ」と読む。 ただしgoogleの地図検索では「椧田」を「ばば田」と表示している。椧はJIS第1、第2水準漢字に登載されていないからである。 掵で代用している地図も見受けられる。 中国サイト新華字典で椧を検索すると、韓国漢字で寺名として表示され、意味はガーターつまり溝となっている。 実際、韓国サイトで、椧は地名として多数出てくる。 椧谷里(명곡리 ミョンゴッリ)・大邱広域市 椧溪(명계 ミョンギェ)・慶尚北道慶州市 椧洞(명동 ミョンドン)・慶尚南道梁山市 こうして見ると、韓国では椧が南部の地名に多い。 慶尚南道は倭が支配したとされる任那日本府と重なり、日本との交流が深かった地でもある。 稲作の歴史は中国長江流域から始まり、朝鮮半島を通じて日本にもたらされという説が有力である。6.木偏と手偏の紛らわしさ 結論から先にすると、韓国で作られた「椧」の字が、朝鮮半島の渡来人から日本の秋田に持ち込まれて同様の意味を持つ崖地名のハバに充てられ、その多くが「掵」に変化したのではないかと私は考えている。 それを示すために木偏と手偏の関係を調べてみる。 実は、木偏と手偏は古くから混用されてきた歴史がある。 実際、掲載した古文書の掵を見ても、偏は扌(てへん)にも、木(きへん)にも読み取れる。 『西方指南抄』、『三帖和讃』における親鸞聖人の漢字字体の特徴について(鎌倉時代語研究第17巻 藤田夏紀著)によると、書写体においては木偏の字が手偏に書かれることはよくあることしている。また『干禄字書』には、正字が木偏、異体字が手偏の漢字(枉、横、様)が3組記され、その逆の正字が手偏、異体字が木偏の漢字が(札、杞、栓、枉、桓、棒、棧、櫛、構、檢、櫓、椳、楓、樻、梯、横、極、様など)24組記されているとある。 さらに、木偏に関してみれば、『打聞集』では71%、『法華百座聞書抄』では26%、『三宝絵詞』で43%に、『宝物集』では84%の字が手偏で書かれているのに対し、『三帖和讃』は手偏で書かれるものは一例もなく、すべて木偏で統一されているとしている。 一方、手偏に関しては、「權、極、樣、構、模」は全用例が手偏で統一されている資料が多いが、『三帖和讃』、『西方指南抄』はこれに反し木偏で書かれる用例が多いとしている。 さがみ【相模/相摸】やもほう【模倣/摸倣】のように木偏、手偏双方が使われている例もある。 このように考えると、椧が掵に、つまり木偏が手偏に変化したのは自然の成り行きと考えることができる。崩し字では「オ」の形状が木偏とも手偏とも紛らわしいからである。 写真は成瀬川橋(横手市増田町)から望む景色である。この周辺には「掵」や「羽場」の付く地名がたくさんある。【追記 2017/03/12】 難語地名辞典(東京出版)に「掵」の例として、『「掵上(はばうえ) 秋田県湯沢市二井田」。「掵田(ばばだ) 秋田県大曲市(現大仙市)四ツ屋」』とあるが、「掵田(ばばだ)」は「椧田(ばばだ)」が正しいので、これは誤記である。
2017/02/12
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「壁紙自然派」の親サイト「壁紙村」が本日、100万アクセスを達成しました。 2002年1月開設以来、4年3ヶ月です。 開設以来のアクセス状況は次の通りです。 2002/01/06●「壁紙村」開設 2003/04/07●3万アクセス達成(1年3か月) 2003/05/09●5万アクセス達成(1年4か月) 2003/07/22●10万アクセス達成(1年7か月) 2004/01/10●20万アクセス達成(2年) 2004/06/06●30万アクセス達成(2年5か月) 2004/10/21●40万アクセス達成(2年10か月) 2005/01/24●50万アクセス達成(3年1か月) 2006/04/06●100万アクセス達成(4年3か月) これを見ると、20万アクセスに2年を要しましたが、その後の30万アクセスは1年で達成して50万アクセスとなり、さらに次の50万アクセスは1年2か月で達成し、累計100万アクセスとなりました。 喜びのあまり、画像を2種特別にアップしました。 自宅に活けているユリの花をレタッチしたものですが、派手すぎて壁紙には向かないかもしれません。壁紙をDLする壁紙をDLする
2006/04/06
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蔵王の茜色のシュカブラです。 午後4時を過ぎて、樹氷原がかすかに茜色に染まってきました。 夕方の斜光線で陰が長く伸び、シュカブラが浮き上がって見えます。 シュカブラの縞模様は、雪面が強風にさらされていることの証しなのです。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする 地蔵岳の中腹から樹氷原を望んでいます。 頭の上には厚い雲が覆いかぶさっていますが、向こうは晴れ間が広がっています。 この後、蔵王は次第に天候が回復し、見事な樹氷を目の当たりにすることが出来ました。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする撮影地地図蔵王温泉スキー場ガイド←もっと写真を見たいなら
2009/02/20
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中腹に建つ山門山頂の神社本殿 出羽丘陵の横手市、大仙市境にある勝軍山(339m)へ登ってきました。 私はてっきり横手市の山と思っていましたが、山頂神社前の勝軍山名称の地と記された標識には南外村(大仙市南外)とあったので、私の認識間違いでした。 以下は、その標柱に記された説明文です。『本村最南端の大森町に接する標高340mの出羽丘陵山地であり、頂上から望する三郡の眺めは随一である。往古から山岳信仰の聖地としても有名で、中世には、武士の守り本尊、摩利支天を祀り、正徳4年(1714)は、佐竹義処公が社殿再建を機に、鹿島、香取、出雲の三大社を奉祀し、武運長久を祈り、現代は出征兵士の武運、試合の勝利、受験の合格、商いの繁昌を祈る等、近郷近在の信仰の聖地として登山者が絶えない。』 山頂神社は立派な建物ですが、雨漏りしたのか、屋根にはブルーシートが張られています。そのシートも朽ちかけており、修理の手が行き届かないのでしょう。
2021/06/22
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わが家の裏通りの八重桜と芝桜です。 今、最盛期です。 両者、同じ時期に見頃を迎えるので、殺風景な通りが急に華やいで見えます。 普通、横に枝を張る八重桜ですが、この木は随分スリムです。 道路側の枝は車の通行に邪魔と伐り取られ、反対側は今冬の豪雪でかなりの枝が折れてしまったからです。 この2本向こうの八重桜は、この豪雪で根元からぽっきり折れてしまいました。 30年ほど前に地域で植えた八重桜ですが、今残っているのは半分ほどになってしまいました。 路肩の芝桜は私が2年前に植え込んだものです。 今年も苗を購入して20株ほど植えました。 裏通りは市道ですから、路肩も本来は市の管理です。 しかし、ここではあたかも自分の庭のように、地続きの個々人が自主的に草を払ったり花を植えたりして管理しているのです。 花も水仙やアイリスなど、様々植え込まれています。 私は芝桜に決めました。 私の管理区域は長いので、それを芝桜で満たすには、まだ数年はかかりそうです。↑携帯の待受用にどうぞ。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズにほんブログ村←もっと壁紙を探すなら
2011/05/18
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豪雪の樹上に佇むダイサギです。 積もった雪が丘のように見えますが、雪の下はリンゴの木です。 このダイサギは、わが家の裏通りに沿って流れる用水路を餌場にしています。 用水路端に行くと、よくこのダイサギと鉢合わせします。 彼は、いつも驚いてすぐ飛び立ちます。 この時は100mほど先のリンゴ園に留まりました。 雪降る中でのんびりと佇んでいるように見えますが、実際は私を警戒しているのです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ←もっと壁紙を探すなら
2011/01/20
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壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする 立山・雄山(3,003m)頂上の雄山神社峰本社です。 霊峰立山を神として崇めるこの神社、夏場は神官が常駐しています。 500円を納めれば、神官が登拝者の安全を祈願してくれます。 雄山には一等三角点が設置されていますが、最高地点からは70mほど離れた低い所です。 従って、山頂に立つためにはお祓料500円が必須なのですが、なぜかお祓いを受けた後は清々しい気持ちになりました。 山頂は狭く、一度に拝める人数は限られているので、鳥居をくぐった場所で順番待ちとなりました。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする 立山を目指す登山者の列です。 夏休み中なので、麓の小学生達の学校登山でしょうか。一ノ越から長蛇の列です。 下山は、山頂から一ノ越ルートを下りましたが、このルートは室堂から立山へ登拝するためのポピュラーなコースです。 逆コースとなった私は、この延々と続く動く人垣に戸惑いました。 通常は登り優先なので、下山者は人が途切れるまで立ち止まるのが普通ですが、この状態ではそれができません。 登る人達の迷惑にならないよう、ほとんどコースを外れて下りることとなったため、かなりの時間を要してしまいました。
2015/08/19
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福田寺の糸桜です。 その名の通り、繊細に糸を垂らしたように咲いていました。 前回咲いていなかったので、この日再訪でした。 道の駅・さくらの郷近くで、気軽に立ち寄れる桜です。 『福田寺・地図』
2018/04/22
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壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする ニラの花とヒョウモンチョウです。 我が家の畑のお隣さんの畑で撮りました。 白いニラの花が一斉に咲くと、清潔感があって、綺麗です。 ニラの花には蝶が吸蜜にやってきます。 主にヒョウモンチョウとセセリチョウの仲間。 絵になるのはヒョウモンチョウです。 花の白に、橙色の翅がよくマッチします。 ヒョウモンチョウ族には似たような種が多くて特定が難しく、この蝶の正確な名前は分かりません。 蝶の名前はさておいて、花と蝶のほんわかとした雰囲気を味わってください。
2015/09/14
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壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする 叢のミソハギです。 荒れ地となった耕作放棄地に、ひときわ目立つ紫色が異彩を放っています。 夏の間ずーっと咲き続け、秋口の今まだ花を見ることができます。 盆花にする地域も多いようですが、わが方ではその習慣がありません。 欧米では観賞用に栽培されているとか。 私も鉢植えにしたことがありますが、草丈が伸びすぎてダメでした。
2015/09/10
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壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする 日本百名山・剱岳山頂です。 剱岳の標高は2,999m。 わずか1mの差で3,000m峰に仲間入りできていません。 しかしながら、他の3,000m級峰と比較して決して引けを取らないばかりか、むしろ多くの3,000m峰を凌駕する剛健な山であることは、万人の認めるところでしょう。 かわいそうだからと、標高2999mと記された標識を1m程持ち上げて記念写真を撮る登山者がいました。 なるほど、それもありか。 その行為が、周りの登山者たちから笑いを誘っていました。 苦難の末に登頂を果たした人たちの緊張がほどけたひとときです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする 剱岳山頂から望む白馬連峰です。 この後、雲が湧き上がって周囲の山々を視界から消してしまいました。 剱岳登頂は今回で2回目です。 前回は1983年でしたから、実に32年振りとなります。 その時は職場の仲間6人で登ったのでした。 剱岳本峰に取り付いたあたりで、同年代と思しき4人組の登山者に追いつきました。 彼らと途中で休憩も一緒となりましたが、そのうちの一人が「失礼ですが、何年生まれですか?」と問いかけてきました。 私が「○○年です」と答えると、途端に「同い年だ!」と、びっくりした様子。 思わず2人でハイタッチです。 『お互い、この年齢(とし)で頑張ってるなぁ。』と、仲間意識が芽生えた一瞬でした。 東京からきたという彼らは、仲間の一人が亡くなったので追善の意味を込め、かつて一緒に登ったこの山に再挑戦したのでした。 私が秋田人だと知ると、「先月、秋田駒ヶ岳に登って来たよ。」と、別の一人がそのときの様子を話してくれました。 彼らとの会話ははずみ、何十年も前から知り合いだったような、妙な親近感が湧いたのでした。 もしかしたら、高山には、見知らぬ人同士を結びつける霊力があるのかも知れません。
2015/08/14
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_横手市に「傾城塚(けいせいづか)」という地がある。 マピオン-傾城塚で検索して表示された地名は次の2個所。 秋田県横手市大雄傾城塚 秋田県横手市大雄傾城塚南 この傾城塚は当サイト、地名こぼれ話3・渡れそうにない「折橋」と残酷な「耳取」に出てくる耳取とは街道を挟んだ西側の地である。 菅江真澄-Wikipedia「雪の出羽路」によると、傾城塚は『傾城を生ケながら埋し塚とも、また大森ノ城ありつるころの一里堆(ツカ)なンど、そのとゆえよし定かならず。』と記している。 傾城塚には寿松木(すずき)重胤が明治10年に建立した「名妓碑」があり、大雄村史に、地元に伝わる物語として次のように記されている。 『昔、大森の殿様が京から傾城を連れてきたが、田舎暮らしになじまず返すことになった。殿様は金銀を与え家来に送らせたが、家来たちはここまで来て財宝を奪い、傾城を生き埋めにして帰った。』 横手市内に傾城塚は他にもある。 菅江真澄「雪の出羽路」によると『浅舞に五塚、五沼とてあり。其五塚といへるは、「傾城塚」。此の傾城塚は田村の耳取野にもあり。そは傾城を生ケなから埋しとも、又野に倒れふしたる傾城の屍を埋て供養せし処とも、其由来さだかならず。』とある。 その地は吉田城に近く、今、横手市営傾城塚墓園となっている。 大森城、吉田城とも戦国時代、小野寺氏の本拠となった横手城の支城であり、定かでないとしながら、傾城塚の由来が似通っているのは単なる偶然とはいえない気がする。 静岡県磐田市に「傾城塚」と呼ぶ墓所がある。 磐田市観光協会/千手の前からその由来を要約した。 『千手は、長者の娘として静岡市手越で生まれた。平重衡との恋物語は「平家物語」などに登場し、能や歌などに語り継がれている。重衡が処刑された後に尼となり、白拍子村で24年の生涯を閉じるまで重衡の菩提を弔ったということである。千手の墓は「傾城塚」と呼ばれ、地域の人たちに大切に守られている。』 絶世の美女のたとえに傾城傾国、一顧傾城という語がある。 その美しさ故に人心を惑わし、やがて国や城が傾いて滅びてしまうことを表している。 絶世の美人の代名詞だった「傾城」は、いつからか「遊女」を指す語になった。 山形県新庄市二枚橋に「傾城壇(けいせいだん)のスギ」がある。 『京都から恋仲の若者を追って想い適わず死をとげた傾城をここに弔ったと言われている。成仏せぬ女の魂のためなのか、スギの枝は、今もなお秋田の方を向いて伸び、反対側は枯れている。』最上地域観光協議会・巨木の里探訪から引用。 東三河の伝説に傾城塚があり、次はその概要だ。 『その昔、竹腰三信が新田を開発しようとしたが、堤防の締切りに失敗続きで困っていた時、一人の遊女が通りかかり、「堤防を締切るには人柱を入れるとよい」と言って自ら人柱になることを望んだ。三信は遊女の気持ちを受けて人柱にしたところ、たちまちにして堤防締切りに成功したという。三信は塚を築いて遊女を丁重に弔った。』 長崎市のHPわがまちの自慢120選に「傾城塚・ピントコ坂」が次のように紹介されている。 『唐商何旻徳(カ・ピントク)が国禁を犯した疑いで処刑された際、馴染みの遊女で阿登倭(オトワ)が後を追い、自ら命を絶ちました。このとき里人たちが哀れみ碑を建て、この地は傾城塚と呼ばれるようになり、以後近くの坂を旻徳にちなんでピントコ坂と呼ぶようになりました。(以下略)』 このように「傾城」にまつわる伝説は全国各地に伝わるが、そのほとんどが遊女の悲哀物語である。見立吉原五十三対・傾城道中双六 国立国会図書館デジタルコレクション・インターネット公開(保護期間満了)
2017/02/14
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アートなホーエンシュヴァンガウ城です。 ドイツ・ロマンチック街道にある城です。 ノイシュバンシュタイン城があまりにも有名なため、近くにあっても余り目立たない存在です。 しかし、歴史はノイシュバンシュタイン城よりもずっと古いのです。 12世紀に建設され、廃墟になっていましたが、19世紀にこの城を手に入れたマクシミリアン2世によって改築されました。 ノイシュバンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世は彼の息子で、この城で幼年時代を過ごしたのです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ←もっと壁紙を探すなら
2011/01/20
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高い山では紅葉が始まったようですが、平地はまだまだです。 一足先に紅葉したモミジをお届けします。 先端が枯れて赤くなっている枝がありましたので、葉を落とし、苔の上に散らして撮ってみました。 このモミジはタイハイという種です。 大きな葉をたくさん付け、11月に入ってから真っ赤に色づきます。 樹齢は100年を超し、わが家の庭の主のような存在です。 しかしここ数年樹の痛みがひどく、大きな枝が毎年のように枯れていきます。 原因はテッポウムシの食害によるものです。 テッポウムシはカミキリの幼虫で、樹に入り込んで幹を食い荒らします。 業者に頼んでさまざま手を尽くしてみたのですが、なかなか治まりません。 被害を受けているのは私の家ばかりではありません。 私の住む地域では近年、たいていの家のモミジがやられています。 いままではなかったことでした。 地球温暖化の影響で、生物の生態系が狂ってしまったからなのでしょうか。壁紙をDLする壁紙をDLする
2006/10/02
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新潟県十日町市の美人林は美しいブナの森八郎潟町の「一日市(ひといち)」は盆踊りの町 「四日市」、「七日町」、「十日町」など、かつて定期的に市が開かれていたことから興った地名は非常に多い。 旧暦のひと月のうち、市日に刻まれた地名は果たしていくらあるか探してみた。 1日から11日まではまんべんなくあるが、それを越すと見つからない日も出てくる。 とりあえず、見つけた範囲で紹介する。 青森県八戸市櫛引一日市(ひといち) 秋田県南秋田郡八郎潟町一日市(ひといち) 山形県天童市一日町(ひといちまち) 富山県南砺市一日市(していち) 青森県八戸市朔日町(ついたちまち) 愛媛県西条市朔日市(ついたち) 秋田県横手市十文字町植田一ト市(ひといち) 「一日市」は「ひといち」が一般的だが、「市」を省略して「一日(ひといち)」や、「日」を省略して「一ト市(ひといち)」もある。 富山県南砺市の「一日市」は、なまって「していち」だ。 「朔日市(ついたち)」は、「市」の読みを省いている。 秋田県八郎潟町の「一日市(ひといち)」は、500年以上も続く一日市の盆踊で知られる。 岩手県陸前高田市気仙町二日市(ふつかいち) 岩手県紫波郡紫波町二日町(ふつかまち) 京都府舞鶴市三日市(みっかいち) 青森県八戸市三日町(みっかまち) 山梨県甲州市塩山三日市場(みっかいちば) 三重県四日市市 秋田県横手市四日町(よっかまち) 秋田県湯沢市相川四日市(よっかいち) 新潟県三条市四日町(よっかまち) 三重県の「四日市」は、高度経済成長期に四日市ぜんそくの公害問題が発生した。 山形県新庄市五日町(いつかまち) 秋田県大館市比内町中野上五日市(いつかいち) 秋田県雄勝郡羽後町六日市(むいかいち) 秋田県横手市平鹿町浅舞六日町後(むいかまちうしろ) 新潟県長岡市六日市町(むいかいちまち)増田の「七日町」は蔵の街並み 秋田県横手市増田町増田七日町(なのかまち) 秋田県横手市睦成七日市(なのかいち) 山形県山形市七日町 京都府舞鶴市七日市(なぬかいち) 岡山県井原市七日市町(なぬかいちちょう) 「七日」は、辞書によると「なぬか」が本来なのだが、現在では言いやすい「なのか」の方が市民権を得ている。 秋田県横手市増田町の「七日町(なのかまち)」は、商人が築いた町並みや内蔵が今も残されていて、「蔵の町」として知られるようになった。(参考・増田町観光協会) 毎月2・5・9のつく日に、朝市通りで朝市が開かれる。 増田の朝市は300年以上の歴史があるが、七日町なので、かつては7の付く日に市があったのかも知れない。 秋田県横手市十文字町植田八日市(ようかいち) 千葉県香取市八日市場(ようかいちば) 秋田県大仙市長野九日町(ここのかまち) 愛知県一宮市丹陽町九日市場(ここのかいちば) 熊本県人吉市九日町(ここのかまち)歴史ある増田の朝市豪雪の町・新潟県十日町市 新潟県十日町市 秋田県横手市大森町十日町(とおかまち) 新潟県十日町市十日町(とおかまちしとおかまち) 広島県三次市十日市町(とおかいちまち) 山形県山形市十日町(とうかまち) 日本有数の豪雪地帯の新潟県十日町市は、棚田やブナ林で知られる。(写真1枚目) 青森県八戸市十一日町(じゅういちにちまち) 大分県日田市十二町(おおいたけんひたしじゅうにちょう) 富山県氷見市十二町(とやまけんひみしじゅうにちょう) ここに掲げた「十二町」の由来が、市日と関係しているかどうかは、確認できていない。 青森県八戸市十三日町(じゅうさんにちまち) 広島県尾道市十四日町(とよひちょう) 青森県八戸市十六日町(じゅうろくにちまち) 青森県八戸市十八日町(じゅうはちにちまち) 「十四日(とよひ)」は、読みやすさからの転化か。 「十五日」、「十七日」、「十九日」が見当たらない。 広島県廿日市市 青森県八戸市廿三日町(にじゅうさんにちまち) 青森県八戸市廿六日町(にじゅうろくにちまち) 岩手県久慈市二十八日町(にじゅうはちにちまち)「廿九日(ひづめ)」と「日詰(ひづめ)」 石川県鹿島郡中能登町廿九日(ひづめ) 角川日本地名大辞典によると、『廿九日(ひづめ) 晦日とも書く。地名の由来は樋詰の転化と見る説と、古代の越蘇郷院内住人の馬場の蹄跡多きによる説とがあるが不詳。』などとある。 旧暦では大の月で30日、小の月で29日が月末となり、それぞれ日が詰まった日である。 「日詰」の他、「比詰」、「樋詰」、「樋爪」、「飛詰」など様々あり、いずれも「ひづめ」と読む。 秋田県男鹿市船川港比詰(ひづめ) 秋田県大館市比内町独鈷日詰(ひづめ) 岩手県紫波郡紫波町日詰(ひづめ) 富山県氷見市日詰(ひづめ) 富山県高岡市樋詰(ひづめ) 京都府向日市上植野町樋爪(ひづめ) 兵庫県川辺郡猪名川町広根飛詰(ひづめ) 石川県金沢市に「蚊爪町(かがつめまち)」があり、石川県の地名集にその由来がある。 『蚊爪(かがつめ) 「かがつめ」とは「日々詰」で、「日詰」と同じく、月末に市がたつことを意味する。』 また「樋詰(ひづめ)」は、月末の29日を「ひづめ」と呼び、定期市などを開くのが語源との説がある。(参考・名字由来net)「四十日(しとか)」と「四十物(あいもの)」 新潟県南魚沼市に「四十日(しとか)」があり、その由来は、昔、毎月4と10の日に市が開かれたことにちなむ、という。(参考・角川日本地名大辞典) 新潟県佐渡市相川に「四十物町(あいものまち)」がある。慶長年間に四十物(あいもの)商人が集まって住んだことに由来する。(参考・角川日本地名大辞典) 四十物(あいもの)とは魚の塩漬けのことで、鮮魚と干物とのあいだのものなので、「あいもの」と呼称するようになった。それが四十種に及ぶことから「四十物」という表記になったと言われる。(参考・ニコニコ大百科-四十物)
2017/03/07
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八幡平の峡谷に落ちる曽利滝・雪国ならではの「轌(そり)」と「雪舟(そり)」 かつて、「橇(そり)」は雪国にはなくてはならない冬場の運搬用具だった。 その橇が地名に登場している。 秋田県男鹿市北浦西水口橇坂(そりざか) 宮城県岩沼市南長谷橇(そり) 岩手県奥州市水沢区佐倉河橇町(そりまち) 「そり」は雪の上を滑らせて人や物を運ぶ乗り物だから、「轌(そり)」という国字が誕生した。 「雪車」を「そり」と読ませる地もある。 代表例として秋田県由利本荘市雪車町(そりまち)があるが、昔、街道を「馬ぞり」が行き来して、このあたりで一服していたことが地名の由来といわれる。(参考・地名の由来) 秋田県仙北郡美郷町飯詰轌町(そりまち) 秋田県由利本荘市葛法轌田(そりた) 秋田県能代市機織轌ノ目(そりのめ) 秋田県由利本荘市雪車町(そりまち) 福島県伊達市雪車町(そりまち) 「そり」を実際に道具として使ったと思われる地名があった。 岩手県胆沢郡金ケ崎町西根橇曳沢(そりひきざわ) 秋田県北秋田市七日市字轌引沢(そりひきざわ) 雪舟といえば、室町時代に活躍した著名な墨画家を連想してしまうが、雪の舟に見立てた「雪舟(そり)」地名もある。 福島県福島市飯坂町雪舟町(そりまち) 福島県福島市立子山雪舟田(そりだ) 福島県須賀川市今泉雪舟田(そりだ) 福島県須賀川市梅田雪舟田(そりだ) 山形県西置賜郡白鷹町高玉雪舟町(そりまつ)・「ソリ」には別の意味があった 「ソリ地名」の「橇」「轌」「雪舟」は果たして運搬用具なのだろうか。 轌田、雪舟田、橇町、雪車町に見られるように、ソリの語尾に田や町の字が付く地名が多い。 田や町が、直ちに運搬用具と結びつくとは思えない。 本来田は、穀物を栽培するために区画された農地をいうが、それが次第に稲田に限定して使用されるようになった経緯がある。(参考・「田」) 漢字・漢和辞典によると、「田」という漢字は「区画された狩猟地・耕地」の象形文字であるという。 このことから、「田」には区画の意味が込められている。 では「町」はどうか。 和語としての「まち」は、宮中や邸宅などの区画を意味する古語で、漢字としての「町」は、本来は、農地などの境界を意味していた。市街の意味の「まち」は国訓とされる。(参考・「町 - Wikipedia」) 「町」もやはり、区画の意味合いを有する。 これらのことから、「ソリ田」、「ソリ町」は「ソリ区画」と置き換えると理解しやすい。 次は肝心の「ソリ」について考察を深めてみたい。 運搬用具には結びつかず、「ソリ」の当て字と思われる「曽利(そり)」地名がある。 秋田県湯沢市小野曽利田(そりた) 兵庫県宝塚市下佐曽利谷(さそりたに) 福島県いわき市遠野町滝曾利田(そりだ) 宮城県宮城郡利府町春日曽利町(そりまち) 日本地名ルーツ辞典(池田光則著)によると『ソリはゾリ、ソレ、ゾレで、当て字は曽利・雪車・橇・轌・鼠入(そいり)・草里(そり)・反(そり)などがある。これから焼畑や切替畑をウソリ、山地や急傾斜地をいうソレ、ゾレがある。』とある。 また、「焼き畑」の地名には、『「そり」とは「焼き畑」を意味した。柳田邦男の「地名の研究」によると、「そり」「そうり」は焼き畑を林に戻した所の意味。』とある。 「ソリ」は焼畑に深い関わりがある訳である。・「ソリ」のルーツは焼き畑休耕地にあり 地名の社会学(今尾恵介)に「ソリ」地名の由来が詳しいので、概略を次に記す。 『ソレ、ソリの付く地名は焼き畑にちなむ地名とされている。 熊本地名研究会の高浜幸敏氏は、日本「歴史地名」総覧(新人物往来社)で開拓地名のひとつとしてソリ・アラシの地名を挙げ、「ソリ・アラシは焼畑をいうとともに焼畑後地ならびに山の急斜面または崩壊地をも意味する。」と解説している。 ソレ・ソリには、他にも次のようなさまざまな漢字を当てられた例がある。 【ソレ】林添(はやしぞれ・愛知県豊田市)、大ケ蔵連(おおがぞれ・愛知県豊田市)、無双連山(むそれやま・静岡県大井川上流部の山名)、柿其(かきぞれ・長野県南木曽町) 【ソリ】木野反(きのそり・福島県塙町)、下反田(しもそりだ・山形市)、曲畑(そりはた・栃木県那須烏山市)、雪車町(そりまち・秋田県由利本荘市)、反町(そりまち) 「角川日本地名大辞典」にある反町という地名のうち、「たんまち」と読むのは横浜だけで、他の栃木県二宮町・群馬県太田市・長野県松本市、そして明治まで存在した旧地名の山形県庄内町の反町もすべて「そりまち」と読む。 そもそも、反という漢字は「元へ戻す」といった意味があるから、何十年という焼き畑のローテーションの中で休耕して森に戻すべき所を指すにはぴったりの字といえるのではないだろうか。 ここで注意すべきは、「ソリ」だけでなく「ソリマチ」が焼き畑を意味するということである。』 このことから、「ソリ」は焼き畑や焼畑後地を指すと共に、傾斜地でもあることが分かった。 八幡平の曽利滝は、国道341号線から急斜面をロープを使いながら降りる深い谷にあり、傾斜地名そのものである。(写真) 古沢典夫氏が、社団法人・東北地域環境計画研究会の第44回研究懇話会で述べた「壮大!働き盛り三代で一巡する焼畑輪」は、焼き畑と「ソリ」をよく理解できて興味深い。 以下はその懇話会の記録要旨である。 『かつて北上山系で行われていた資源循環に基づく焼畑は次のようなものだった。 この焼畑は「ソリ」と呼ばれ、県内各地に残る、草里、曽利田、橇、鼠入などの地名は、焼畑放棄地「草荒(そうり)」と考えられる。 軽米町周辺では80年という長いサイクルの中で焼畑が行われていた。 初めに雑木林を炭焼きのために利用し、伐り取った跡地を焼畑に起こして利用した。 1年目は大豆、2年目はアワを作り、これを3回輪作した後、ソバを3年ほど連作。この後は「ソリ」と呼ばれる耕作放棄地となり、植生は自然状態を回復していく。 初期はススキからアカマツ林の時代(45年)、アカマツの伐採後は、雑木林の時代(25年)へ戻っていく。 焼き畑とその跡地からは飼料、草肥、資材などが供給され、それらの有機物は馬などの家畜と共に有機的に循環していった。 有機物は焼き畑をしない常畑に投入され、多くの作物を育てる役目を担った。 こうした超長期の輪作体型は非常に効率的な土地資源の活用ばかりでなく、病害虫や連作障害にも強く、地力維持に効率的な仕組みであることが、現代の科学から明らかになっている。』・傾斜地に多い「反(そり)」地名 弓なりに反るの「反」を含む「ソリ地名」も多い。「反(そり)」は傾斜地をよく反映している。 運搬用具としての「橇」は、スキー板のように先端部が反り返っているので、「反り」が語源となったのであろうか。 「反町(そりまち)」が訛ったのか、「反松(そりまつ)」地名もある。いや、耕作放棄中に自然が復活して松が育った可能性もある。 秋田県横手市平鹿町浅舞反見(そりみ) 山形県山形市反町(そりまち) 群馬県太田市新田反町町(そりまちちょう) 栃木県真岡市反町(そりまち) 宮城県気仙沼市反松(そりまつ) 兵庫県宝塚市上佐曽利松田(そりまつだ) 宮城県大崎市古川沢田反田(そりた) 福島県二本松市反田(そりた)・数々の「ソリ地名」 「ソリ地名」漢字はまだまだある。 宮城県大崎市岩出山南沢曲田(そりた) 宮城県白石市斎川楚利田(そりだ) 宮城県栗原市高清水新剃田(そりだ) 愛知県豊田市阿蔵町曽理(そり) 石川県輪島市尊利地町(そりぢまち) 石川県白山市河内町下折(そそり) 次も「ソリ地名」と考えられる。 岩手県下閉伊郡岩泉町鼠入(そいり) 福島県伊達市保原町富沢鼠入(ねずみいり) 山梨県南巨摩郡身延町椿草里(ぞうり) 宮城県宮城郡松島町幡谷惣利田(そうりだ) 群馬県みどり市東町沢入(そうり) 福岡県春日市惣利(そうり) 静岡県賀茂郡西伊豆町大沢里(おおそうり) 地名の由来ネットに珍しいと思われる「鼠入(そいり)」の由来が載っていた。 『鼠入(そいり) 岩手県下閉伊郡岩泉町鼠入。「南部方言集」によれば、荒地のことを「ソランバタケ」という。「ソラス」は休田の意味で「ソリ」は休んでいる土地のことをいう。安家(あつか)地方では、焼畑の休耕地を「ソウリ」といい、翌春これを焼くことを「ソウリヤク」という。 地名の由来は、このことから、谷深い渓流の鼠入川中流域の当地で焼畑を荒れ地にしていたことから、「ソウリ」が変化して「ソイリ」になったと考えられている。【角川日本地名大辞典】』(参考・地名の由来ネット-「鼠」の地名) 鼠入を「ねずみいり」と本来の読みの地名もあるが、その由来が「鼠入(そいり)」と同じかは不明である。 横手のかまくらの右下に置かれた箱ぞりは子どもの乗り物だった
2017/03/15
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東北鈴木姓発祥の地といわれる鈴木家(秋田県羽後町)・名字から誕生した「鈴木」地名 日本の名字の9割は地名に由来するというが、その逆で名字から地名が生まれた「鈴木」がある。 名字では、鈴木は佐藤に次いで全国第2位の数を誇るという。しかし、地名となると非常に少ない。 まぴおん-「鈴木」で検索したら、12件が見つかった。 秋田県潟上市昭和豊川船橋鈴木(すずき) 宮城県栗原市一迫狐崎鈴木(すずき) 宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢鈴木堀(すずきぼり) 宮城県栗原市一迫狐崎鈴木前(すずきまえ) 福島県二本松市上長折鈴木内(すずきうち) 福島県会津若松市町北町大字上荒久田鈴木(すずき) 愛知県豊田市白倉町鈴木(すずき) 愛知県知多郡南知多町山海鈴木(すずき) 愛知県豊田市坂上町鈴木ケ根(すずきがね) 茨城県稲敷郡阿見町鈴木(すずき) 東京都小平市鈴木町(すずきちょう) 神奈川県川崎市川崎区鈴木町(すずきちょう)・「鈴木町」の由来 神奈川県川崎市の「鈴木町(すずきちょう)」は、味の素の創業者である鈴木三郎助に由来する地名である。 明治40年に発見されたグルタミン酸をもとに、鈴木三郎助が事業化した。そして大正3年に川崎工場を設立、以後発展を遂げて現在の味の素グループとなった。 鈴木町一帯は味の素の川崎工場を主体とし、その関連施設が多い。 京急大師線の鈴木駅は、昭和19年まで味の素前駅という名称だった。 (参考・鈴木町という町 | 日本実業出版社) 神奈川県川崎市にもう一つ「鈴木新田(すずきしんでん)」があった。 天明年間に羽田猟師町の名主だった鈴木弥五右衛門が開発した新田だったため、そう呼ばれた。現在の川崎区殿町三丁目にあたる地である。 (参考・wikipedia-鈴木新田 (川崎市) 東京都小平市にある「鈴木町」も昭和37年までは「鈴木新田」と呼ばれていた。この「鈴木町」は、江戸時代初期にこの付近を開拓した名主の鈴木利左衛門に由来している。 また、茨城県阿見町の「鈴木」は、明治12年に山形県の士族・鈴木安武が開拓したことに由来する。 (参考・日本人なら知っておきたい名字のいわれ・成り立ち[大野敏明著])・「鈴木」と「穂積(ほづみ)」の密接な関わり 名字としての「鈴木」は何に由来するだろうか。 これについて[特集] 発祥の地、和歌山サイトには次のようにある。 『「鈴木」は熊野地方において神官を受け継ぐ家系であり、神武東征の折、天皇より賜った「穂積(ほづみ)」家の後裔だと伝わる。 穂積とは稲の穂を積む「稲むら」のことを示し、その中心に立てる一本の棒を熊野では「聖木(すすき)」と呼び、転じて「鈴木」となったといわれている。』 これによれば、「鈴木」は、もともと「穂積」だったということになる。 そこで、「鈴木」同様、地名としての「穂積」をまぴおん-「穂積」で検索したら、多くの地名が見つかった。次はその一部である。 山形県山形市穂積(ほづみ) 山形県酒田市穂積(ほづみ) 大阪府豊中市穂積(ほづみ) 兵庫県加東市穂積(ほづみ) 岐阜県瑞穂市穂積(ほづみ) 愛知県豊田市穂積町(ほづみちょう) 山口県山口市穂積町(ほづみちょう) 福島県いわき市平北白土穂積(ほづみ) 青森県つがる市稲垣町穂積(ほづみ) 栃木県さくら市穂積(ほづみ)・「穂積(ほづみ)」地名の由来 岐阜県瑞穂市穂積(ほづみ)は、古代、穂積の姓を名乗る人々がこの地に移り住んだことから地名になった。 穂積氏は大和国山辺郡の穂積を本拠地とした氏族で、大和朝廷の身分の高い役人であった。 古代から中世にかけては本巣郡穂積郷、江戸時代には穂積村、昭和23年には穂積町となり、 昭和29年の合併でさらに大きな穂積町となった。 平成15年(2003年)に巣南町と合併して瑞穂市になり、現在に至っている。 (参考・市町村・地名の由来【岐阜市周辺】 - 岐阜県雑学) 大阪府豊中市穂積(ほづみ)については、豊中市史に『穂積の地名が穂積臣とその部民たる穂積部の居住に発端していることを明らかにしている。』とある。(参考・旧穂積村を歩く - 十三のいま昔を歩こう)・「鈴木」は古事記にも登場する名字 名字としての「鈴木」は古事記や日本書紀などにも登場するほどで、来歴は非常に古い。 熊野三千六百峰の大山塊から発した熊野大権現の社家・鈴木氏はのちに紀州の藤白の地に移り、日本諸国に散在する「鈴木」の総本家となった。 熊野信仰は平安時代から広まり「蟻の熊野詣」と称されるほどの賑わいを見せた。 熊野鈴木氏は、源平時代以降、三河において著しく発展する。そのきっかけは、源義経が奥州に落ち延びるとき、鈴木党の惣領であった三郎重家が、義経の身を案じて、はるばる熊野から平泉まで駆けつけて殉じたことによる。 その供をした重家の叔父・七郎重善は途中の三河で足を患い、賀茂郡高橋庄にとどまった。これが三河鈴木党の始まりで、後の徳川氏との縁から、鈴木諸家は幕府の旗本や御家人として大挙、江戸に移住した。 江戸の地に広まった鈴木氏は、上総・下総・陸前から出羽へも広がっていった。 一方、熊野に残った鈴木宗家は次郎重治が継ぎ、代々熊野に居住した。 戦国時代に雑賀鉄砲衆をひきいて紀州に勢力をもった、雑賀孫市も鈴木氏の一族である。 (参考・姓氏と家紋_鈴木氏)・東北鈴木姓発祥の地 ところで、秋田県雄勝郡羽後町飯沢に古くから居を構える鈴木家がある。 鈴木家住宅は、江戸時代中期に建てられたの農家住宅で、歴史的建造物として国の重要文化財に指定されている。 同家に由来書によれば、鈴木家は源義経の重臣・鈴木三郎重家が文治5年(1189年)に奥州平泉から落ちのびて土着し、帰農したことにはじまるという。 前記には、鈴木三郎重家は平泉で殉じたとあり、由来書とは食い違いがあるが、真相はどうだろうか。 東北地方に「鈴木」が広まったのは、先祖「鈴木三郎重家」が来たためといわれ、同家は「東北鈴木姓発祥の地」とされている。 (参考・国指定重要文化財 鈴木家住宅) これが縁で、平成10年(1998年)5月、「第1回 全国鈴木サミット」が秋田県羽後町の鈴木家で開催された。 2016年7月14日放送「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京)の「“古民家”愛してやまない17歳女子ご招待」が鈴木家で収録された。 YouTubeの世界!ニッポン行きたい人応援団 7月14日で視聴できる。・名字の「穂積(ほづみ)」 一方、名字としての「穂積(ほづみ)」は、「鈴木」ほど多くはない。 福島県、それも白河市周辺に特に多くみられる名字である。 穂積から派生した名字には、「熊野」「土居」「木原」「梅本」「羽鳥」「八月朔日(ほづみ)」などがある。 (参考・「穂積」の名字の由来) 以前、仕事の関係で名刺交換をしたとき、「八月朔日」という名字の名刺を差し出されてびっくりしたことがある。 その時、「ほづみ」と読むと教えられた。 旧暦8月1日に稲の穂を摘み贈る風習が名字の由来とされる。(参考・wikipedia-八月一日)・鈴木の異形「寿松木(すずき)」 「寿松木」と書いて「すずき」と読む人たちが秋田県横手市にいる。 仁左衛門は田村の鈴木与治右衛門の二男として生まれ、後に独立した。 実家の鈴木と、妻の実家松下から1字ずつ取り、それに寿を付けて「寿松木(すずき)」とした。 慶応3年(1867年)、秋田藩に金150両を献納して永苗字を許されている。(参考・大雄村史)
2017/03/17
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キリリと冷え込んだ朝、枝垂れ柳が白い衣をまとっていました。うっすらと霧もかかり、なかなかの絶景です。しかし、フェンスがなんとも邪魔な存在です。もっと雪が積もると、フェンスが隠れていいロケーションになるんですがねー。
2019/01/25
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わが家の庭のエビネが見頃になってきました。いろいろありますが、いま綺麗なのは地エビネです。あちこちに植えていますが、これは枝垂れ桜の下を飾っているものです。近くの林際に野生のエビネがたくさん生えていたのですが、そこに重機が入って荒らされ、その場所はもう絶滅してしまいました。危うい所を数株持ち帰って増やしたのがこれです。
2019/05/15
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ブログ更新をさぼっていたら、いつの間にか秋も深まる季節となってしまいました。 彼岸はとっくに過ぎたというのに、なぜかわが家の庭は、今、彼岸花が最盛期です。 これもやっぱり、地球温暖化の影響でしょうか。
2020/10/06
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当園作出品種で「茜小町」と名付けました。鮮やかな赤い花が咲きます。赤の代表品種であるスカーレットフレームと比べて花弁が幅広く花付きも良好です。繁殖力旺盛で育てやすい品種です。
2022/05/02
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芝桜とは思えないような白い縁取りの青色系の花が咲く、非常に珍しい品種です。
2022/05/02
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