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お久しぶりです。体調は今年のお正月をボトムにかなり回復してきました。「気」も最近はいよいよ冴えて渡ってきています。そこでボチボチと書いていこうと思っています。よろしくぅー。前にも少し触れたと思いますが、「成功」について再度考えてみたいと思います。成功、っていったい何でしょう?どうすること、どうなることが「成功した」ということになるのでしょう・・?目標があって、その実現に努力まい進する。苦節の結果、目標を達成できたとして・・それが成功ですか?うむ・・・成功かも知れませんネ、その人がそれが「成功」と感じたら・・・でも・・・でも・・成功しても人生は続きます。成功した後の人生って、何なんですかネ?そこでさらに目標をたてて、又々成功目指して頑張る・・それの繰り返しですかね?・・人生って?私欲張りじじいは、そんな成功つまらんです。つまらないつまらないつまらない・・・本当の成功って、そんなモンじゃないと思っています。どんなモンか?、ですって? 今からそれをお話したいと思います。成功者が書いた自叙伝みたいの、巷にあふれています。不遇の身でとてつもない困難を数多く乗り越えて成功した・・そんなお話沢山あります。それはそれで大変素晴らしいとは思いますし、成功者には祝福をお送りいたしますが、はたして自分自身、つまり「私」にとってそれがどんな意味があるんでしょう・・?ぶっちゃけた話、他人のことはどぉーでもいいんです。他人が成功しようが失敗しようが関係ありません。私自身が本当に充実した人生が送れればそれでいいんです。他人の成功話なんていくら聞いても、能力も性格も環境も違うし、真似したって出来るものでもないし、結局は私自身にはなんの関係もないことです。ましてや他人が株でこうしたら儲かったとか、あーしてこーしてこういう銘柄を選ぶべし、なぁーーんてことは私には何の関係もないんです。私に関係あるのは「自分はどうやって銘柄を選ぶか?」です。他人の真似したって長続きしませんし応用なんて出来ません。他人の言いなりの売買しかできないつまらない投資家になってしまいます。もし、もしも・・貴方が他人の言いなりに売買して儲かったとして、それで「成功」したと言えますか?「うまくやった」とか「ラッキー」とは思えるでしょうが「成功」とはとてもじゃないが言えないと思いますヨ!。むしろそうやって儲かって、「株取引はこうしたらエエんや!」なんていっぱしの分かったような事を言いだす御仁は、私は「株取引の失敗者」「人生の失敗者」と思っています。そんなことが「成功」でもないし、ましてやそれで増長するなんて、破綻と地獄の道へ一目散に突進しているようなものです。では「本当の成功」とは何でしょう?それはネ、端的に言うとすれば、「自然のままに自然に生きる」ことなんです。人はネ、産まれながらにそれぞれの顔カタチや才能能力を持っています。その自分の能力を余すところ無く最大限に発揮し、そこで生きる。それが取りも直さず「成功」ということなんですネ。人それぞれそ持っている能力は違います。ですから「成功」も人それぞれ異なっています。ある人にとって成功であっても、別の人にとっては成功とはいえない・・そういうものなんです。そこのところが分からないので、皆が皆「儲かる」ことが成功だと思っている・・ザァンネェーン・・って最近はやっているタレントさんが居ますが、ホントに残念ながらそうはならないのです・・ザンネンながら・・。自分の持つあらゆる拘りや先入観や馴れ合いを捨て、本当に自分自身が持つ能力を最大限に発揮する・・そして行動する・・その結果として答えが出ますから、さらにそれに最大限に対処する・・・それを「自己を尽くす」と言うのですが・・そうやって自己を尽くして生きていく・・それが「本当の成功」なんですネ。大抵は人は結果を求めます。求めた結果が得られると満足し堕落します。必ず・・です。必ず堕落するのです。堕落して、次に来るものに足元をすくわれます。そして崩壊するのです。政治家や権力者はことごとくその轍を踏んで崩壊していきます。見せかけの力はどんなに世間を一蹴して強く逞しく永遠に見えても、ことごとく滅んでいきます。人類の歴史上、例外はひとつもありません。企業の世界でも株の世界でもそうです。大儲けして一世を風靡したり巨万の財を成しても、どこかの鉄道会社や自動車会社やスーパーのように崩壊への道を辿るのです。大宇宙の星にもその生涯があるそうです。どんどん巨大化して最後には自らの重力で崩壊していくそうです。それが良いことか悪いことか欲張りじじいには分かりませんが、それが自然の摂理なんです・・・ネ。株をやるからには大いに儲けないといけません。いけませんが他人の言動に惑わされてはいけません。たまたま儲かったからといって気を緩めてはいけません。又、儲けや手法に拘ってもいけません。株の世界は大宇宙と同じ、千変万化・・・人間の一時の考えや手法はいつまでも通用するものではありません。そこのところを十分に理解し、本当の成功を是非とも収めていただきたいものです。
2005年01月29日
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女心と秋の空・・・最近は男心と秋の空とも言われています。うつろいやすい心・・と言うことらしいですが、これはチト女性に対して失礼かと思いますが・・。その真偽はともかくとしてワタシ、欲張りじじいは断言します。女性にモテるお方は株で儲けることが出来る!もしアナタが女性にモテないなら、株に手を出す前に女性にモテる研究をすべし!そんなアホな! むちゃくちゃや!ってお考えのアナタ! だから株で損するんですヨ。こんな研究をされた方は過去にいらっしゃるかどうか知りませんが、これには確たる証拠と実例が多々あるのです。その明確な理由もちゃんとあるんです。苦節40年、欲張りじじいがようやっと到達した境地なんです。ではその理由をご説明いたしましょう。ただし理由を知ったからと言って女性にモテたり株で儲かったりはしません。それが実践できて初めてモテるようになるんですから・・そこんとこ、お間違いなく。株価のうつろいやすさに投資家は振り回されいやと言うほど辛酸をなめさせられます。これが正しい、これがホント、これで勝てる、これこそ間違いない・・って幾度失敗を重ねたでしょう。たまたま予想が当たって儲かることもありますが、必勝法は絶対にありませんよネ。同じように女性にモテる絶対の方法って無いのです。えっ? モテる方法がないのなら研究したって意味がない、ですって? ははははっ、その通り。その通りです。研究したって意味がないんです。だって考えても見てください。世の男性は皆が皆、女性にモテないよりモテた方が良いと思っているものです。でも、どんなに努力してもモテない人はモテない。お気の毒ですが・・・。一方、なんの努力もしないのに女性にモテる方もいらっしゃいます。「どうしてそんなにモテるの?」って思うほどモテる。どこか違うんですよネ、モテない私たちと。そこで思うのです。そもそもモテない人がモテようって思うこと自体が無理な相談なんだと・・。もし貴方がモテないとして、モテようなんて大それた事はお考えにならないほうがよろしいかと・・・・。でもネ欲張じじいはあきらめませんでした。どうしてもモテたい、いやどうしてもモテねばならない、モテなければ生きていけない、モテなければ全てが崩壊してしまう・・そこまで追い詰められたことが過去にあったのです。(現在の職業にも多分に関係しているのですが・・)これはネ、株でも同じなんです。儲けたい、では儲からない! どうしても儲けたい、くらいでも損する。どんなことしても儲けたい、で損得トントン。儲けないと生きていけない、でチョビッと儲かる。儲けないと破綻して全てを失ってしまう・・これでそこそこ儲かる・・・・なら良いのですが、本当に破綻してしまったりする。女性にトコトン尽くして全てを貢いでしかも捨てられる・・これと同じ。ワタシね、そこまで行きましたネ、しかも何度も。幸いにも破綻しませんで復活出来ました。そして女性にもモテるようになりました。モテるどころかどんな女性でも口説く術を身につけましたネ。その極意の一端をお話しましょう。まず、自分の分(ぶ)を知りそれを認めるんですネ。自分は「女性にモテたいけど、モテない」ということを認めるんです。そして「女性にモテよう」なんて金輪際考えないことです。なかなか出来ないことなんですが、尽くして尽くして尽くし切ってしまえば「自分はモテない」ということが分かってくるはずです。モテないことが本当に分かっても愚かなこの身、女性が好きなことには変わりありません。女性が好きで好きで好きだけれど、どうしてもモテない自分・・それを知ることなんですネ。しかしです、女性にモテないけれど、女性に尽くすことは出来ます。女性を大事にすることは出来ます。それも取ってつけたようなやり方ではなくて、自然に有りのままに女性を大切にすることは出来ます。同じ生きとし生けるものとして、いたわることは出来ます。この境地なんですネ。他人を自分の思うように操ることは出来ません。出来たように見えてもそれはウワベだけです。もし他人を思うように操れるとしたら、それはその人と全く同一な心になった時だけです。その時だけその人を思うように動かすことが出来るのです。つまり「自分」を無くしてその人そのものに同化する・・至難のワザなんですが・・その時だけなんです。そこまでその人が好きになれるかどうか・・?。そこまで好きでないのにその人を自分の思うように動かそうとしても、それはドダイ無理な話なんですヨ。その無理をするから、争いごとや欺瞞や誤解が出てきて物事が上手く行かなくなってしまうんです。これ、世間のどこにでもある現象です。とことん人が(女性が)好きになるということは、とりも直さず「自分が自分自身をとことん好きになる」ことが前提にあります。人を好きになれない、あるいは人を大切に出来ないということは、自分が自分自身を好きになれない、自分自身を大切に出来ないということなんです。だって自分って一番身近な「人」ですもの・・・。自分を本当に大切にすれば、他人も本当に大切に出来ます。自分が自分に尽くすことが出来れば、他人にだって尽くすことが出来ます。これ、あたりまえの話です・・・。さて、このことが本当に分かったら(身に付いたら)女性にモテるようになります。人を本当の意味で操れるようになります。又、「キケンの臭い」にも敏感に反応出来るようになります。そして「株」です。株の値動きはまるで女性の心の動きとそっくりです。皆様はどう思われますか・・・?少し良いことがあれば上機嫌で上がります。ちょっと何か不安なことがあれば下がります。買わずにうっちゃって置くと隙を見て上がりますし、買えばヘソ曲げて下がります。株価を操ろうとして逆に操られて破綻しますし、なにげなく買った株が暴騰したりもします。従順にセオリー通りに上がるかと思えばセオリーり逆らって下がったりします。儲けようとしてはダメです。必ず墓穴を掘り、株に嫌われます。「自分は株にはモテない」ことを自覚して「株」を大切にすることです。株の世界に大切なお金をつぎ込んでそこに浸っている自分。それを認めそれを大切にする。それは取りも直さず自分自身を大切にするということです。自分自身を本当に大切に出来れば、株はもっともっと身近な存在になり、自分自身と同じように大切に出来るものです。個人投資家の生きる道はここにしかないのです。こここそが巨大ファンドに立ち向かうことが出来る個人投資家の唯一の武器なんです。
2004年11月20日
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相場の世界では「人の行く裏に道あり花の山」・・・って言われますよネ?相場の解説で見かけたり評論家がよく言っていますが、筆者はこの言葉を本当に理解して言っているのでしょうか? 実はそうでない場合がほとんどなんです。欲張りじじいは「この人はこの言葉の意味をちゃんと理解していないな」と感じると、その解説や評論は一切信用しません。(っとなるとほとんどの評論家は信頼できないことになってしまいますが・・けど、参考程度にはします。)この格言、ホントなんでしょうか?本当だとして、では、「裏」って何処ですか? 「道」ってどういうものでしょう?この意味を本当に理解しておられる方はどのくらいいらっしゃるでしょう・・?。「そんなん簡単や。人がこぞって行く方向の逆のところにおいしいお話がある、ということや。」って理解なされているとしたら、それは大きな間違いなんです。たぶん、そういう方は相場(株式投資)では儲けていらっしゃらないでしょうネ!本当の意味をご説明しようと思いますが、実はこの言葉を本当に理解するのは大変難しいことなんです。ただ表面の言葉づらだけで意味を理解したと思ったら、それはおそらく全く違う意味に理解しておられると思いますヨ。人の行く裏を行くと大怪我します。さらに大怪我しても周りに誰も居ないので助けてくれません。だから大勢の人の行く方向と同じ方向に行くことが安全でリスクが少ない・・。この格言と全く逆の考え方です。赤信号、みんなで渡れば怖くない・・ですネ。現実的にはこの方法で何事も運営している場合が多いのですが、ではどちらが本当に正しいのでしょうか?大自然の法則と言いますか、人間も自然の一員ですのでその法則から逃れることは出来ませんので「人間の持つ自然な当然の帰結(法則)」と言うものは、全てが輪廻転生であると言う事が出来ます。株価も又その法則から逃れることは出来ません。私たちは産まれ、生き、そして死んでいきます。その間に新しい生命が産まれ、生きそして死んでいきます。それの繰り返し・・・。産まれては死にそして又産まれる、それぞれ個々の人間は自己に備わった才能や機能を存分に発揮して山あり谷ありの人生を終える・・そんなこと株に関係ないですって? そうおっしゃるアナタ! アナタは株で儲かっていないでしょう・・?株価もまったく同じです。山あり谷ありで変遷し、そしていずれはその一生を終えます。企業の辿る一生も、起業し(産まれ)、成長し、子を増やし(分社、子会社)、成熟し、時代の流れに乗ってその活動形態を換え、時には事故や病気(不祥事や商売上の判断の失敗など)で倒産し、あるいは整理され、あるいは又吸収され・・。これが自然な流れです。いつまでも一つ所に留まっていません。土地神話が崩壊して大銀行から大建築会社、それに大スーパーまで巻き込んだ不良債権の嵐が吹き荒れました。上がれば必ず下がります。下がれば又上がります。倒産する企業があれば産まれて成長していく企業もあります。そういう大きな視点から見た世相の流れ・・・株価の動きとはそういうことを証明しながら動いているのです。そういう鉄則を人はついつい忘れてしまいます。いつまでも成長するかのような錯覚に陥ります。特に「赤信号、みんなで・・」式の考えで行動する人は、そういう真理をまったく考えていません。だから混乱と不安でリスクに怯え、そして行き着く先は「赤信号・・」となってしまうのです。イソップ?か何かの童話に、笛を吹く少年に踊らされてネズミの大群が一斉に水に飛び込んで全滅したお話がありますが、ひょっとして今の日本や日本国民はその「ネズミ」かも知れませんネ・・おーコワイ話!。皆で渡れば怖くはありませんが、その後に待ち受けているのは・・全滅・・!!こんなことになってはいけません。それこそ悲劇であり、他国から笑いものにされる・・それがオチです。「人の行く裏に道あり花の山」の「人」とはいわゆるネズミのことです。「赤信号・・」の人です。怖くはないかも知れないけれど確実に破綻していく人のことを指しています。大自然の真理を知らない人のことなんです。「人の行く道」とはそういう智慧のない付和雷同の進んでいく道です。少年の吹く笛に(ほとんどが欲に)操られ振り回されている人のことです。大衆という言葉がありますが、これもアヤシゲな言葉です。烏合の衆という意味合いが含まれて居ます。烏合の衆とはネズミのことなんですネ。国家は大衆を操り、大国は小国を操り、そして巨大資金は個人投資家を操る・・操られたその先は身ぐるみ剥がされた姿・・。儲かるなんてとんでもない話です。それが自然の鉄則なんですが、一方で欲に振り回されることなく、ささやかな願いを持った素直な個人投資家で、そういう操りに惑わされること無くしっかりと自分の願いを持って投資に臨んでおられる方もおられます。それが「人の行く裏の道」ということです。なにも人が「買い」だと言っている時に「売り」に回ることが「裏の道」ということではないのです。そこには「花の山」があります。「花の山」ですヨ! 「お金の山」とは言っていませんヨ! そこにも誤解があります。人の裏を行けば「儲かる」という意味ではないんです。人に迎合せず、ささやかながらも自分の願いをしっかりと持って投資をする。そうすれば「花の山」がありますヨ、ということなんです。常に謙虚なんです。では「花」とは何か? 場合によっては「お金」かも知れませんし違うかもしれません。しかし「花」であることには違いありません。そういう投資をする。そういう人生を歩む・・それが「道」なんです。真実に豊かさが得られる(花)投資法なんです。お分かりいただけましたでしょうか?
2004年11月13日
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前回の「気」を磨く方法をお試しになられたでしょうか・・?この「気を磨く」ことが出来れば、自分の今までの投資法が如何にバカげていたか、そして今後はどう投資したらよいか、が少しずつ見えてくると思います。(正しく磨く必要がありますが、それが難しい・・。)昔、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」という映画が大変ヒットしました。裕次郎のカッコ良さにワタシも憧れたものでした。投資の世界は「欲」の世界です。「欲」は「欲」を呼びます。もし貴方が投資の世界に見を置くなら、貴方はさしずめ「欲を呼ぶ男」ということになります。欲は欲を呼び、さらに欲を呼ぶ。それはまるで雪だるまのようにどこまでも巨大化して行きます。現代はその究極の世界にたどり着こうしています。マネーゲームと呼ばれる所以であります。私たち素人の個人投資家は、とても巨大資金を動かすことの出来るどこかのファンドのようにマネーゲームに興じる余裕はありません。僅かな資金を元に、少しでも増やせたら・・とささやかな願いを持って投資に参加しています。欲はありますが「欲が欲を呼ぶ」ほど大げさなものではありません。しかし、私たちの参加する株式投資の世界は「欲が欲を呼ぶ世界」です。とてつもない化け物や有象無象がスキあらばお金をまきあげようと虎視眈々と狙っている世界です。そんな中に防御する何の手立ても無い個人投資家という子羊がまぎれこんでとう立ち向かうのでしょうか?。投資の世界はそういう場であるということは、皆様、十分にご理解されているものと思います。欲が欲を呼ぶ世界では、ありとあらゆる策略が横行しています。先だってコクドと西武鉄道の関係が問題になりました。巨大資本は「インサイダーは罪」なんてこれっぽっちも考えていません。儲かるかどうかという「欲」がいの一番にあります。それが社会的に問題があろうが無かろうが一切考えません。冷静に見てみますと株価が不自然な動きをすることがよくあります。数日して業績の大幅な上方修正や下方修正、あるいは画期的な発明や新製品の発表が行われたりします。明らかに誰かがインサイダー取引をしているとしか思えない値動きがあります。そういう裏情報を有料で(それも法外な高値で)提供しているアヤシゲなサイトもあります。(大抵はガセですが・・)株式投資で企業情報は投資判断の生命線ですが、それらの情報もどこまで信用できるかというとアヤシイものなんです。超一流企業の決算発表だって信用できないものが多いのです。粉飾や架空取引などがよく話題になりますが、それらはほんの氷山の一角であることを肝に銘じておかねばなりません。欲が欲を呼ぶ世界では、なんでもアリ、です。欲の為なら「ウソ」も「ごまかし」も「隠し事」もへいっちゃらです。企業の名前と評判を信用したばっかりにとんでもない泣きを見る・・どこにでも何時でもあることがらです。私たち素人の個人投資家はもっともっと勉強しなければいけないと思います。何を勉強するかというと「欲が欲を呼ぶ世界」とはどんなものか、ということを・・です。素人が考え付くような公正で平等なんて生易しい世界ではないことをです。そういうことを勉強し、そういうことの弱点を知り、そういうことに対処する術を身につけることが個人投資家の一番勉強しなければならないことなんです。「欲が欲を呼ぶ世界」では一切の情報を信頼していけません。信頼できるのは冷徹な「株価の過去の動きと現在の有り様」だけなんです。それを的確に判断して、その後でさまざまな情報や指針を参考にする・・こういう態度が一番個人投資家向きだと思います。盲目的に他人の情報をアテにする・・これほど危険なことはありません。「儲かる、儲かる」と宣伝しているところ・・これほど危険なところはないのです。そういうところにフラフラとつい乗ってしまうのは、「欲が欲を呼ぶ世界」に取り込まれてしまうことなんです。私たちは「ささやかな個人投資家」であることを忘れてはいけません。常にこのスタンスを忘れず、コツコツと過去の株価を研究し、欲の悪魔からの誘惑に耳を貸さず、質素に堅実に、しかし「ここという時」は大胆に投資する。これが個人投資家の「本当に楽しめる投資法」です。えっ? なんですって? 欲張りじじいの言うことも信用デケン、ですって? ふむ・・・信用するしないはアナタの自由です。ただ欲張りじじいが申し上げたいのは、同じ個人投資家として「投資して良かった、楽しかった」と将来になって思えるような、そういう投資人生を願っています。破綻して人生がめちゃめちゃになった投資家を沢山見てきたからです。難しいことは言いません。少しでも良いですから「気を磨く方法」を実行して、頭に上った「血」を冷やしていただき、冷静でまともな「眼」で投資判断をしていただきたい。決して「欲を呼ぶ男」にならないで下さいネ。お願いします。
2004年11月10日
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誰だって何事も「成功」したいものです。勉強でも仕事でもスポーツでも恋愛でも、人間は目標を立ててそれを達成(成功)させるためになにがしかの行動(努力?)をします。そしてそれが成し遂げられたとします。それは美徳であるとさえ言われていますが、確かにその通りなんですがそれだけで果たして本当に成功したことになるんでしょうか?欲張りじじいは甚だ疑問に感じるのです・・・何かに成功したとします。それはそれで良いとして、その後、どうしますか? いろいろなパターンがあります。1、目標を達成出来たので安心してしまう。これ、多いです。それまでの健気なまでの努力をそこで止めてしまって「安心」という安住の地にどっかりと腰をおろしてしまうのです。しかも、その目標が困難であればあるほど、そして崇高であればあるほど、「安心」という魔の心が頭をもたげてきます。つまり「油断」してしまうんですネ。大企業の不祥事・・そうですね、食品会社が汚染された商品を出荷したり、自動車会社が欠陥を放置したり、あるいは土建業者なんかの談合もその典型です。安心して最初の心つまり創設の理念といいますか初一念といいますか・・を忘れてしまったのですね。「努力してようやっと会社を大きくした。押しも押されぬ立派な会社になった。よかった。」そう良かったのですが、その後が緩みに緩んでしまった。これイケマセン! 国がバックについているので安心だ、もそれです。無駄を放置し浪費に明け暮れリスクとコストは考えもしない。なのに給料だけは人一倍! 公務員かそれに順ずる仕事につけて、身分の保証の点で安心しているのですね。そういうのは、いつかは必ず破綻します。公営企業の分割民営化が声高に言われているのはそのせいです。どうですか? 成功することは一方で大変なリスクを背負うことになるのがお分かりいただけたでしょうか? 2、成功したことに「自信」を持ってしまう。自信も持つことがいけないこととは言いませんが、大変キケンであることを知っていただきたいのです。自信は、ややもすれば「うぬぼれや傲慢不遜」になります。又、自信があるばっかりに「他人の話を聞かない」で独断専行してしまいます。つまり「偉そうになる」んですネ。だいたいに於いて「偉そうに」している人にロクなのはいません。自分で何も出来ないのに(過去には出来たかもしれないけれど)大勢の人々のおかげで今の地位が確保できていることを忘れ、自分に力があると誤解している・・破綻しかありませんネ。3、成功したことに満足せず、よけいな「欲」が出てくる。これも多いですネ。十分な結果が得られて満足する。それはそれで結構なんですがその後、欲に尾ひれが付いてくるんです。もっともっと成功したいと限りがなくなってくるんです。欲が出てくることは大変良い事なんですが、分相応以上の結果を望むようになるんです。これ、心の貧しい人の典型です。分を超えた欲を満たそうとすると「無理」が出てきます。その無理は自分自身も痛めつけますし周囲も痛めつけられていきます。穏やかな豊かな心など無くなってしまいます。儲けに儲けている人がもっと儲けたいばっかりに心の平穏が保てずいらだっている姿・・よく見かけるじゃありませんか?このようにどんな些細なことでもそれが「成し遂げられた」ら、その後には必ずと言っていいほど「気」の緩みや「気」の迷いが出てきます。人間って、儲けたい幸せになりたい心の安定を求めたいと必死に努力して、失敗を重ねながらもなんとか成功を収める。ところが、その後に全てを失うほどの大きな破綻が待っている・・なんとヒニクなことなんでしょう・・。そういう辛酸を舐め尽くした人は、「本当の成功」本物の「安心」とは何かを必死に求め、そして一つの悟りに到達するんですネ。でも、でもネ、破綻しても再起できれば良いのですが、場合によっては再起不能な破綻にまで行ってしまう場合があるんです。そうなってはいけませんヨ。そうなる前にまともな方向に進んでいかないと・・・破綻は多くの人々を辛く悲しい想いにさせ、修復に悲惨なまでの多くの努力と資源を必要とし、恨みや妬みまで残してしまう・・・そんなこと誰も望んでいないはずなのに・・・。株式投資はそれがものの見事に現実のものとして現れます。ちょっと「気」が緩んだり「スキ」があればあっと言う間に大損です。望んでいるまったく反対の結果になってしまいます。私たちが株式投資をする上で大事なことは、企業の業績を調べたり時代の流れを読んだり、さまざまな投資法や指標の知識を身に付けたり・・それは大変重要なことなんですが、それ以上に大切なことがあるんです。それを疎かにしていては「破綻の悪魔」が大喜びで近寄ってくるのです。つまりは自分自身の「心」を磨くこと。人間としての本当の「道」を歩むこと。まともな「気」を見つけて忘れないようにすること。これが大事なんです。現代はそういうことが本当に忘れられ疎かにされている時代です。だから小は家庭や学校から大は大企業や銀行や公的機関や国家でさえも「破綻」しています。実にもったいなくて情けないことです。不幸なことです。皆さんはそうならないで下さいヨ! 欲張りじじいの一生のお願いです。少しだけ、まともな「気」の出し方とそれを磨き鍛える方法を述べます。でも真剣に読まないで下さい。これは一人では絶対に出来ません。そういうことをよぉーく知り尽くした正しい指導者に指導してもらわないと間違ってしまいます。「あぁこう言うこともあるんだ!」程度に読んで下さい。どうしても本気で修行したいとお思いならそれ相応のお寺か道場を尋ねてください。あるいは欲張りじじいに言ってください。もう一度言います、自分勝手にやってもまず無理です。もしするとしたら「気晴らし」程度、と考えて気楽にするのが良いと思います。「勝っても負けても楽しい株式投資の法」の基本、「気」を磨く方法。◎[秘伝、気を落とす法](秘伝というほど大げさなものではないんですが・・・)パソコンの前に座ったら投資サイトに繋ぐ前に大きく深く深呼吸しましょう。肩の力を抜き身体全体の力を抜いてダラリとしましょう。そして「構えの心」や「頑張り」や「儲けたいという欲」から離れて心を自由にして伸び伸びといたしましょう。気持ちをゆっくりと少しずつ入れながら背筋を真っ直ぐに伸ばしましょう。その時力を入れて伸ばすのではなく、気を上から下に落とし通すようにして、身体に一本の芯を入れます。シャキッとした姿勢になり、ごじゃごじゃした雑念を振り払いカラリとした心を腹に持ちましょう。そして腹に気」を集中しましょう。
2004年11月07日
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「元気」というのは字のごとくで「元の気」、つまり「気」の根本のことです。希望の心に満たされれば「気」が沸いてきます。欲が満たされそうなときも「気」は強くなります。例えば自分の希望する企業に就職してそこで大いに自分の力を出す・・希望に満ちて試験に合格すべく努力します。彼女を口説き落として今日は待望のデート。話がはずんで打ち解けて・・そして・ルン!こういう場合はかなり強く「気」が出ますが、でもネ、これは「元の気」つまり本物の元気とは言えない部分があるんです。本物の元気というのは、そういった自分以外の事柄によって「気」が左右されず、自分自身の「本来」から出てくる気を言います。先ほどの例では、もし就職試験に失敗したらいっぺんに「気」が衰えてきます。彼女にフラれたら大きなショックを受けます。自分以外の状態によって「気」が大きく動かされのですが、本物の元気はそういうことで左右されません。どっしりと磐石です。何事が起きてもうろたうること無く常に冷静で最善の判断を下します。そしてどこまでも自分の生命の喜びを感じています。それが本物というものです。外界の影響を超えたところから出てくる「気」・・これを「元気」というのです。本物の自分自身の真実の「気」という訳なんですね、これが・・。株式投資は「そこ」で出来るようになることが大事なんです。又、そうなっていくことが本物の投資人生を歩む、ということなんです。チャートの見方を勉強したり企業情報を手に入れて儲かったとしても(勿論それは大切なことですが)、それだけでは株式投資は成功したと言えません。「本物の元気」を学んで自分自身のものにしてこそ、本当に成功したと言えるのです。実例が掃いて捨てるほどあります。スポーツ界で素晴らしい成績を残した選手がいたとしましょう。その彼も歳を取って現役から引退しました。その後、監督やコーチになって高齢まで後進の指導に尽くせれば良いのですがそういう人はごくごく一部です。大多数の選手はどうしていると思いますか? 飲食店やスポーツジムを経営したり、会社に就職してサラリーマンになったりしていますがそれもごく少数です。半分以上は何処でどうしているのかさえ分からなくなっているそうです。その中には甘い考えで事業に手を出して破産したり、上手く行かないからと麻薬に手を出したり、挙句は酒びたりになって暴力事件、詐欺や窃盗事件・・・そんな人もけっこう多いのです。「気」の置き所の勉強をしてこなかったからです。押しも押されぬ大企業の重役になったとします。銀行や政治家が頭を下げて寄ってきます。何でも思うようになります。天下を取った気分です。そんな時が一番危ない。いい気になってつい「気が緩む」のです。批判者は排除し、イエスマンをはびこらせる。その後は・・お定まりのコースを驀進し、会社まで破綻させてしまいます。超大手の企業がそうやって転落して行きます。あのスーパーもあの銀行もあの自動車会社も・・・数限りあります。大臣にまでなった有名な政治家でも、何人が汚職や不法行為で政治生命を失い全てを失ってしまったでしょう?投資家もそうです。少し儲かったからとつい調子に乗って仕手株や新興市場で大博打を打つ。始めは順調でもその先に「破綻」が扉を開いて待っていることに気がつかない。自分は大丈夫、と思っている。欲張りじじいは保障します、そんな人、必ず破綻します。個人投資家は8-9割が損をしているとある証券会社の人が言ってました。証券会社の自己売買部門でさえ利益を上げているところは少ないとも聞きます。それは儲ける技術が下手なのも一因ですが、心の未熟さから儲けを維持できないのも大きな原因なのです。栄枯盛衰と申します。諸行無常とも言います。確かに成功したり大儲けすることはありますが、いつまでも続かない。それを自分だけは続くと錯覚している。お気の毒な方です・・・。国家だって同じです。中国3000年の歴史と言われていますが、いったい幾つの国家が産まれ滅んでいったか・・?日本だってアメリカだって社会体制や権力は必ず崩壊していきます。必ず崩壊するけれど、「元気」さえ忘れなければ大丈夫、どうにかなるものです。崩壊はしても破綻しない・・これが肝心です。崩壊することは「自然の掟」ですから避けられません。でも崩壊によって心まで破綻してしまってはなんにもなりません。株式市場に於いても個々の投資家が破綻したり企業が破綻したりしますが、市場そのものもいづれは破綻する運命なんです。そういう中で私たちはどうやって投資人生を楽しむか・・・・人生そのものを楽しむか・・それが欲張りじじいの申し上げたい本題なんです。「命」だって必ず「崩壊」します。崩壊する命をどうやって守り、どうやって最後まで生き延びるか・・・「元気」の重要性はそこにあるんです。
2004年11月03日
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さて今回も「気」のお話を少々・・。「気」の置き場所は色々あることがお分かりいただけたと思います。それらは理屈では理解出来ても実際に自分自身に置き換えてみて、今、自分の「気」がどこにあるかなんてことはなかなか分からないものです。自分の「気」の場所がどこにあるか自覚されている方は稀でしょうネ。皆様はご自分の「気」が今何処にあるかお分かりになられますでしょうか?私たちは安易に「元気を出せ」とか「気合を入れる」なんて使いますが、果たして本当にその言葉の意味を理解しているのでしょうか?、欲張りじじいはいつも疑問に思うのです。例えば水害や地震で被害を受け途方に暮れておられる方があったとします。その人に「元気を出せ」とよく言いますが、誰だって元気を出したいのです。それが出来ない。どうしてよいか分からないのです。こういう時に「元気」を取り戻すことは大変大事こととは分かっていますが、ではどうすれば元気になれるのでしょうか? なにか良い方法があるのでしょうか? 実際は元気の出しようが無い・・これが現実です。本当に「気」の意味を理解していれば、もっと別の言葉がけがあると思うのです。株価はその企業の業績や将来性で決まります。しかし一方、人々の「気あるいは心」によってそれは不安定に変動します。つまりその業績や将来性にどれほどの価値を見出すかは、個々の投資家の「心理」によってさまざまな重さを持ちます。株価はもとより国家も政治も企業も教育も・・そして家庭も・・さらにはその人の人生も、個々人の「心理」によって変動し良くもなれば悪くもなるものです。株価とは、さまざまな投資家の「心理、あるいは価値観」のせめぎ合いによって上下に変動します。つまり、幸か不幸か、あるいは儲かるか儲からないか、上手く行っているのか悪く行っているのか・・同じ現象でもそれらはその人の「気」つまり「心」あるいは「心理」によってさまざまな受け取り方が出来るのです。しかししかしです、真実は一つ、行く末はたった一つ。上がるか下がるかです。投資家の心理をあざ笑うように裏切っていきます。貴方やワタシがどう思うかは関係なく無慈悲に変動していくのです。先ほどの話ですが、被災者に「元気を出せ」と言うのと「株で儲けよう」と言うのはワタシには同じ発想に見えます。つまりどうして良いか分からない、どうしようもない・・そんな状況で「儲けなさい」と言ってもただ混乱するだけです。ましてやこうすれば儲かる、こうしないと損するなんて言ったって、何時余震が起きるか分からない・・たまたまその時余震が無くて上手く行ったとしても、次回のたった一度の余震で全てを失ってしまう・・それが真実です。この世の中に「こうすれば上手く行く」なんて万能の方法なんてないのです。なのに私の推薦銘柄を買うと絶対儲かるなんて言う・・これがクセモノです。信用したら破綻へまっしぐら・・・・です。株価は、投資家の心理あるいは価値観によって変動するのですが、それは常に流動しています。固定的に捕らえると必ず大きな失敗をします。「気」の本質を理解していないからなんです。株で大儲けしたとしましょう。2倍も3倍にもなったとして、それで「本当に」儲かったのでしょうか? 南米では数日で何百倍という超インフレになった国家がありました。株で3倍になったとしてもなんの役にも立ちません。今の日本は「デフレ」らしく銀行金利などあほらしくなります。こんな時代ではたとえ1パーセントでも利益が出れば儲けといえます。つまり儲かったか損したかは、ひとえにその人の「心理」つまり「気」の状態に掛かっているのですネ。この事を忘れてはいけません。特に株式投資は、欲が張りすぎるといくら儲けても「儲かった」ということが分からなくなってしまいます。もっともっと・・となります。逆に「損した」ということも冷静に受け入れられなくなってしまいます。必ず取り戻せるはず・・となってしまいます。それが一番怖いのです。つまり投資家の「心のあり方」が一番の大敵であり、それを間違うと「破綻へまっしくら・・」ということなんです。さらに恐ろしいことに「プロのトレーダー」でさえそのことがキチンと理解できていない場合が多いのです。いやむしろ、プロはそういうことを知りすぎていて、(つまりマトモな取引では儲けられない、と言うことを知っていて)素人をワナにはめて顧問料を巻き上げて自分だけ儲ける・・そんな人種が多いのも確かです。ましてや巷の投資メルマガや投資サイトの運営者なんていいかげんなものも多いのです。最も怖いのは、その運営者が「自分の投資判断は正しい」と本気で思っている場合です。この場合は救いようがありません。参加者一同みぃーんな破綻してしまうでしょうネ。株式投資においては「自信家」はすべて淘汰の最有力候補となるのです。ではどうあれば良い投資人生を送れるのでしょうか? まず第一に、投資で儲けよう・・なんて欲張った固定した「気」を持ってはいけません。「儲けよう」なんて前提を持って投資すると損したとき「どうしてよいか分からない。元気の出しようが無い」ってなことになって、そこから坂道を転がり落ちて行くのがほとんどです。「儲けても損しても、気持ちよく投資人生を歩みたい」という素直な心を持つことが肝心なのです。現代は豊かになりました。昔の人が現代に蘇ったとして、あまりの便利さに腰を抜かすことでしょう。「これだけ便利になれば人間はさぞ幸せになっているだろう」と思うに違いありません。ところが現代はそうなっていない・・不思議ですネ。なぜなんでしょうネ? 答えは再三言っていますが、「気」の置き所がどこかおかしいからです。「気」は「心」と申します。気の置き場所とは「心の有り様」とも言えます。では心の状態とはどんなものがあるのでしょうか・・?。○あぁーあ、又下がった。損ばかり。チッ面白くない・・イライラ・・・これ、一つの心の状態です。○こんどはなんとかして損を取り戻そう・・とさらに資金を増やして投資する。・・これも一つの心のなせる業です。○おおっ、上がった。儲かった儲かった・・よし、この調子で次も・・・これもそうです。上の3つは大体普通の素人投資家の心の動きです。これだけでは大したことは無いのですが、この先が必ずあります。それは・・○損した。あの証券会社の言うことを聞くと損ばかりする・・とか○儲かった。あの人の言う通りにすると儲かるぞ! これからはあの人の言う通りに売買しよう・・とか○あの人は儲けてばかりいる。秘密の情報源を持っているに違いない・・とかつまりヒガミっぽくなって自分が上手くいかないのは他人のせい、となります。これ普通の心の動きです。そういう方、沢山いらっしゃいますよネ!。さらに進むと、○自分は損ばかりさせられる。儲けている奴が羨ましい、憎い、不公平だ・・・○誰かが自分を陥れている。許さん! ○何もかも信用できない。世の中間違っている・・と、嫉妬や反感、恨み妬みとなってきます。こうなれば株式投資どころではありません。でも、人間、皆が皆そうなっていく可能性を持っています。私も、そう貴方もです。これ「心の有り様を間違えているか、まともな有り様を知らない」かのどちらかです。こういう心の状態の時は、「気」は上がっています。つまり頭に血が上っているのですネ。勿論そういう人はまともに物事を見たり判断したりすることが出来ません。実に危うい状態です。こういう状態に人はまヽ陥りがちですが、そうした時、皆様はどうやってその状態から脱出されますか?そういう状態から脱出して平静な心を取り戻すために人はさまざまな方法をとります。ストレス解消とばかり遊びに行く人もあれば、お酒を飲んで晴らす人もありますし、困ったときの神頼みをしたり、フテ寝する人もあれば逆に仕事に打ち込む方もおられます。そういう方法も大変有効ですが、生真面目な人程そういう気晴らしをすることが出来ずにより危険な方向に進んでしまう場合も多いのです。皆様も一度や二度、そういう経験をお持ちでないでしょうか? 欲張りじじいですか? じじいはそれで何度も生死の境をさまよいましたヨ。お話するのも恥ずかしい蛮行奇行数限りなく、今生きているのが不思議なくらいです。どうせ株式投資をして人生を過ごすのであれば、良い投資人生を送りたいもの・・そうでなくて何が人生ぞ!** そこで取って置きの秘伝、「勝っても負けても楽しい株式投資の法」を伝授いたしましょう。伝授料欲しいのですが今回は無料にしときます!(もったいないけど・・・) 次回につづく。
2004年10月31日
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タイトルはご存知「阿波踊り」の一説です。落語に「一日中釣りをして一匹も釣れなかった人がいた。あほうや」と言うのです。その人も一日中それを見ていたらしいのです。株式投資のお話ですが、研究に研究を重ね、調べに調べてある銘柄を買ったとします。ところが意に反して急降下。大損です。それを聴いた人が「あほうや」と言いました。そうです。あほうですネ。人生ってそんなモンです。生きていくとは「あほう」ばかりをし続ける・・事なんですネ。えっ?! 立派なことをしている人もいらっしゃるですか? そうですネ、確かにいらっしゃいます。でも稀でしょうし、自分自身がすぐにそれできますか・・?人とは「自分は立派なことをしている」と思いたがるモンなんですが、往々にしてそういう人のする事は迷惑なことばかりです。そうじゃありませんか?さて、欲張りじじいは今も昔も、「お前はダメな奴だ」「ぐうたらだ」「怠け者だ」「欲張りだ」「・・・」なんだかんだと大抵の形容詞をつけて頂きました。たぶん今後も死ぬまで、もっと素晴らしい形容詞を付けていただけるのではないかと思っています。そうなんです、欲張りじじいは自他共に認める「あほう」です。しかし、あほうはあほうなりにひとこと言わせて頂だきますと、おなじあほうでも「踊るあほう」になりたいと切に願っている「あほう」なんです。釣れなくても一日釣りをするあほう、大損しても株を買うあほうでありたいのです。何の願いも無く、人のていたらくを見て単に「あほう」と笑うだけの「あほう」ではなく、自ら「あほう」を実践する・・そんなあほうでありたいのです。死んでから閻魔様がワタシの「あほう罪」の判決を下す時、その罪状が延々と続いて閻魔様もサジを投げ出すくらいの、そんなあほう・・いいですネ。素晴らしいですネ。でも、ちょっと恥ずかしいですけれど・・・。素直で謙虚で一途で・・・つまり現代で言う「あほうの典型」・・・じつは人間の一番強い姿がそこにはあるんですネ。これ、お分かりいただけますでしょうか・・・?ワタシがこの投資法に魅かれたのは「自己投資実践会」という名前でした。ワタシにとって「自己=あほ」ですから、さしずめ「あほ投資実践会」というところでしょうか・・(ごめんなさい、ばななさん。)この投資法はご存知の通り「売り買い」がはっきりしています。冷徹なまでも計算と掟によって売買を指定してきます。味もそっけもありません。この投資法なら皆が皆、同じ結果になります。実につまらん投資法です。が、ワタシ、欲張りじじいにはこう見えました。ここまでがんじがらめに規則を作って売買する方法を考え出したその人物の心根は・・??恐らく(あくまで推測ですが)これを発案した人物は、とことん株で辛酸を舐めた人であろうし、どんなことをしても株で儲けたい、と必死になられたお人であると思います。その必死さには、ワタシ欲張りじじいは到底かなわない・・こう思いました。普通の人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、そこからさまざまな掟を考え出した・・そしてそれを公開するということは、皆にこの投資法を知っていただき、そして意義ある投資人生を送っていただきたいという切実な願いを持った方だと感じました。儲かる儲かると素人投資家を煽りたて、実は自分がちゃっかりと儲けることしか考えていないあまたの投資サイトとちょっと違うと感じました。それがこの投資法をやってみようと思い、ソフトまで組んでみようと思った理由です。つまり「踊るあほう」になった理由なんです。でも、この投資法で必ず儲かるか?というと・・・・??の部分もあります。欲張りじじいはこの投資法は何にもまして「素晴らしい」とは思っていません。ただこれを公開している人物の心根に大いに魅せられたのです。他にこれ以上に儲けさせてくれる投資アドバイスのサイトやメルマガはあると思います。(但しリスクに気をつけて下さいネ。)儲けるという観点から見れば、この投資法には大きな弱点があります。特に最近のように全体的な三角持合いの場合は儲けにくい投資法です。「見切り」が増えるからです。他に、なんと言っても上昇し続ける株は「買い候補」に上がってこないことです。こういった弱点を良く理解してこの投資法を実践することです。ばななさんのメルマガではこういうことは教えてくれません。ですからここでちょこっと内緒で言っておきます。(あくまで内緒にしといてくださいネ。)踊るあほうでも、自分のオリジナルな振り付けをするモンです。この投資法を参考にして自分独自の「振り」を編み出すこと。それがこの投資法の最大の活用法だと思います。
2004年10月27日
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皆様の多くはプログラムを組まれた経験などないと思います。経験のある方はこれからのワタシの話に「うんうん。そうそう。」と頷かれることと思います。プログラには言語が色々とありますが、どれも味気ないものばかりです。理論と規則と制限と・・・の塊です。その融通の無さには実際うんざりします。こちらの都合とか余裕とかまったく考慮してくれず、杓子定規にしか動いてくれません。世の中便利になりました。自動車なんか一昔前のことを思うと信じられないくらい便利になりました。パワーウインドウからオートロック、ABSとか4駆とか・・先日愛車のエンジンがかからなくなってメーカーのサポートを呼びました。そしたらどうしたと思います? なにやら測定器のようなものをエンジンルームのある場所に取り付けてそれを見ています。ワタシの考えでは「どうしました?」とか「どこの具合が悪いですか?」とか一通り尋問?があって、おもむろにポンネットを開けてエンジンをかけるはず・・ところが尋問も何もナシ。車を見るや「これですね?」との一言で先ほどの測定器です。しばらくそのサービスマンは測定器の液晶の画面を見てあちこちスイッチを押してからこう言うのです。「スターターのなんとかの絶縁のなんとかに水か異物が入って動かないのです」(なんとかというのは難しい言葉でしたので憶えていません)と言うのです。測定器を取り付けてその表示を見た以外なにもしないのにズバリと診断を下したのです。これには驚きました。「便利になったものだ・・。これなら素人でも測定器の使い方さえ覚えれば具合の悪いところはすぐ判る。たいしたモンだ。」自動車の修理と言えば昔は油まみれの技術屋さんが車の下に潜り込んで、スパナとドライバーで・・が定番でした。看板屋さんの友人がいます。先日用事で仕事場に行きました。ペンキと木枠や鉄骨がゴロゴロしていると想像していたのにほとんど有りません。忙しく働いているのはコンピューターです。そのコンピューターにかかればどんな書体でも大きさでもスイッチ一つでたちどころに描いてくれるのです。プリンターがピーピーと動くと看板の文字が指示したとおりの大きさでシールになって出てきます。後は現場に持っていって貼り付けるだけらしいのです。昔のように見事な技を持つ職人さんが筆一本で完璧なまでに文字や絵を書き上げる姿は見られませんでした。驚くべきは携帯電話です。いや、これ以上書くとワタシの無知をさらけだすだけで皆さんに笑われるのがオチですからやめます。便利になったけれど"ふっ"と思うのです。もし自動車屋さんの測定器が故障したり電池が切れたら、このサービスマンは修理できるのだろうか? パソコンが動かなかったら看板屋さん、フリーハンドで筆で字が書けるのだろうか?? 農家だってそうです。メーカーの売り出す機械と肥料が無くなったら米を作れるのだろうか? いや、最近はタネまでメーカーまかせ・・。大丈夫かいな??そういうワタシも、自動車が無くなったら生きていけるんだろうか? 電気が止まったら・・・・?便利になればなるほど「不安」が増大してきます。そして一つ何かが止まったら全てお手上げです。最近の原油価格の値上がりだって、不安で不安で・・最近のプログラム言語は至れり尽くせりです。昔はいろいろな命令を組み合わせて・・言わばその組み合わせの技量の上手下手でそのソフトの性能が大きく変わりました。でも今は誰が組んでも似たり寄ったり・・すべてマイクロソフトが準備してくれている・・・これ、マイクロソフトに何かのことで問題が生じたら(実際にメールソフトではウイルスが蔓延していますが、これマイクロソフトに問題がある場合が多い。)はたしてやっていけるのだろうか・・・? 不安です。現代社会って巨大な多くのシステムが複雑に絡み合って支えています。しかしどれもこれも危なっかしいものばかりです。これだけハイテクが進んだ時代なのにハイテクの企業の株価は大変不安定です! 危うい時代なんですね・・・・ってなことを考えながらソフトを組みました。確かに便利です。なんでもかんでも用意されていてちょっと勉強すれば誰にでも組めます。バカバカしくさえなってきます。でもね、それほど進んだ言語ですがワタシには大変な難敵だったんです。それはネ、どんなに進んだ言語でも年老いたワタシの疲れ眼にはちっとも優しくないのです。ちっとも至れり尽せりではないのです。便利ではあるのですが、人間に優しくないのです・・。これって致命的だと思いませんか?電化製品でも最近は驚くほど便利になりましたけれど、本当に人間に優しくなったのでしょうか・・?学校も昔に比べ少人数で設備も整っています。でも子供たちに本当に優しくなったのでしょうか・・?法律はますます複雑になり、手続きは面倒になり、もめ事は増え、人との繋がりは薄くなり、勝った負けた、儲けた損した、権利がどうの義務がどうの、あーあ難しい・・・・。欲張りじじいには難しすぎる問題です。で、そしてどこか不安です。プログラムは組みあがりました。でもまったく自信がありません。なぜかと言うと不安の中で組み上げたからです。便利にはなったけれど人間に優しくなくなってしまった言語、その言語を操っている不安なんです・・。だからこう考えました。組み上げたソフトは、人間に優しくない言語を使っているけれど、その運用と対応だけは人間に優しいものでありたい・・と。現代はそういうことが本当になおざりにされている、難しい時代になってしまいました。欲張りじじいはこう思います。株価はますます不安定になっていくでしょう。世界中の経済が発展して企業利益がますます大きくなっても、株価はなかなか上がらない・・そんな悲観的なことすら思うようになりました。リスクを忘れているのですネ。利益が大きくなるほどリスクも大きくなってくる・・という大自然の当たり前の法則を忘れているのです。人間が本来持っているバランス感覚、つまり欲とリスクのバランスを本能的に取ろうとする感覚、生きていくもの全てにそなわっている"はず"のそういう感性を無視して、欲だけが先走った活動をする・・そこから出てくるなんとも言えない「不安」・・。株価はものの見事にそれを反映しています。今、日経平均は大きな三角持合いを形成しています。この年末頃にはその収束が終わり上か下かに離れると思います。どちらに離れるのでしょう? 欲張りじじいは不安です。先だってばななさんから提案がありました。「出来上がったソフトを皆さんに公開したい・・」と。基本的にはワタシは賛成です。このソフトを使って「東野流」のあのややこしい(そんなにややこしくは無いのですが、ワタシのショボ眼にはキツイのです。)計算から開放されれば、この投資法を実践されている方々には大変便利になるだろう・・。こう思います。でも、でも、便利にはなってもそこに「不安な心」が同居していては「まともな眼」が曇ってしまいます。欲が便利に満たせるようになる裏には必ずリスクがついてきます。それを正しく認識して、そこんところを注意しながら皆さんに使っていただけたら・・それが欲張りじじいの本音です。ソフトは便利さだけで使うとそのリスクに足元をすくわれます。とことん人間臭く、本来人間の持つバランス感覚を失うことなく、便利なものを有意義に使っていく・・これが本当に「役に立つソフトであり役に立つ使い方」というものです。「気」の置き所が重要になってくる所以なのです。
2004年10月24日
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気の置き場所のお話に戻りましょう。「気」はどこの場所に置かれているのか? 答えは出ましたでしょうか?気分、気持ち、元気、気力、気が散る、気が入る、気が短い、、気の迷い、気まぐれ、気が弱い、気が無い、気違い・・・身体の部分を使って「気」や「心」の状態を表す言葉があります。胸が痛む、胸がつまる、や、息を潜める、息を整えるから腹を据える、腹を見る、腹黒い、腹が立つ、腹から笑う、腹のうち(中)、腹をさぐる・・・・。又、頭に来る、血が上る、頭を冷やせ、などの身体の上部に「気」が行くこと表現します。一方、足元を見る、足元を固める、石橋を叩いて渡る、足を地につける、などの身体の下部を使って表す言葉もあります。身体の部分を使ったこれらの表現をじっくりと見てください。ある傾向が伺えますよネ。上部に気がある場合ほど、悪い、苦しい、あるいは危うい意味を表しています。一方下の方は「信頼、安全、確か・・」という意味を含んでいます。そうなんです。「気」のおきどころには身体の上部から中程そして下部とあって、下がるほど良い意味を持つようになっています。例えば「落ち着く」という表現がありますが、これ、やはり「下」ですね。一方「有頂天」や「舞い上がる」などは「上」ですよね。つまり「気」が上がると不安定で危なっかしくなりますが、下がると安定して確かで「まとも」になります。日本語では、このように「下の方がまとも」であるという表現をしています。「座禅」では「気」を落とすことをその目的にします。まっすぐ正しく座り、息を腹の下でゆっくりと深く行っていく。最後は息は足の下まで下がり同時に「気」が下へ抜けていき「物事をまともに見る眼」が出てくるとされています。武蔵は吉岡一門との戦いに勝利した後迷いに入り込み、お坊さんに教えを仰ぎ、そのことを教わってある種の「さとり」に到達しました。何人かの有名なプロ野球の選手は「迷い」が出たときは座禅をしたそうです。幼児教育でも「座禅」を取り入れているところがありますし、武術(空手や柔道など)を取り入たりお茶やお花でそれを教えているところもあります。実際に子供がそれらをすることによって効果があるかどうかは、大きく指導者の能力に掛っていますが(なかなか本物の指導者は居ませんが・・)人間はそういうものを求める存在であることは確かです。「○○道」(剣道、柔道、茶道・・など)と「道」とつくものすべてそれ(迷いのない心身)を得ることを目的にしています。(現実は、そこまで到達している指導者がほとんどいないので、効果があるかどうかは難しい部分がありますが・・。)さて、本来の投資のお話に戻りましょう。私たちはいつもいつも投資判断を迫られます。売買する時、常に「本当に大丈夫か? 本当に買ってもよいのか?」と自問自答を繰り返します。そして「何かの指針」を手がかりに「買うか売る」を決断し実行します。しかしその行為に「絶対の自信」など無いのが正直な投資家心理だと思います。では、「何」を指針にするのか? 何を頼りにするのか? 「何」で不安な心理を克服して確かな投資をするのか? 皆様はどうしておられますか? 投資する時の不安な心理をどういった方法で克服されていますか? 「そんなもの無い。自信がある。」とお思いの貴方! 本当に不安はないですか? ゆるぎない自信がありますか? 自分に正直になって謙虚に考えてみてください・・。ワタシ、欲張りじじいは投資するとき「不安で不安でしようがありません」これが事実です。今年の夏、保育士10名ほどが行事の打ち上げと称して焼き鳥屋で慰労会を開いたそうです。園長のワタシに内緒(特段内緒にしていた訳でもないのですが・・)で個人の自由意志で仲良し同士で開いたそうです。そこでトリサシを食べたそうです。3日ほどしてそれに参加した者数名が高熱、下痢、腹痛で欠勤しました。出勤してきた者も下痢で苦しむものが出てきました。これは尋常ではないと直ちに当事者を出勤停止にし保険所に連絡して徹底的な原因調査に乗り出しました。その結果カリピロバクターという菌に参加者全員から検出されたのです。事後処理を済ませようやっと一段落してから職員に感想を聞きました。その第一が「自分がこんなことになるとは思いもしませんでした。」です。第二が「もう怖くて外食できない。外食だけではない、普通の食事も怖い。」と言います。生きていくのに食べ物をとることは必須です。毎日毎日3度3度の日常のことがらです。それが「怖い」となるとこれは不幸なことです。当たり前のことが怖くて当たり前でなくなってしまったのです。欲を満たすことは生きていく基本です。しかし、それにはリスクが必ず付いてきます。人間はいつも何時もそのリスクにさらされて生きている存在なんです。私たちは「食あたり」の危険に常にさらされており、それを避けるために注意をしています。でも「絶対に食あたりしない」という自信はありません。リスクを減らす努力はしますが、普通に暮らしている中では完全に防止できないものです。株式投資もまったく同じです。お金を儲けたいという欲の裏に必ずあるリスク・・そのリスクに対してどれだけ「心の準備」が出来ているかが問題なのです。又それが「その人の人格」となるのです。リスク対して「まとも」で「正常な」そして「本物の」心の準備が常に出来ている人が「人格の高い人」であり、少しのことで狼狽したり、ヤケになったり、意気消沈したり、恨んだり・・・これを人格が出来ていない、あるいは人間が出来ていない人・・ということになるのです。そこには「自信」とか「信念」とか「絶対」とかいった何の役にもたたないエタイの知れないものに頼る姿ではなく、生きとし生けるものとしての「素直な本当の心のありよう」があるのです。それが、「腹」あるいは「足元」なのです。つまり「気」の置き所が下にあるほど人格が高く、冷静で温かく、リスクに対して正しい理解があり、まともな判断が出来、そして・・そして儲けることが出来る・・ということなんです。つまり「気の置き所」一つで、その人の人生が良くもなれば悪くもなる、いいえその人だけでなく周囲の人々にまでその影響が波及するのです。株式投資は「そこ」で行うこと。と言っても無理な話、私たちは人格高潔で完成された人間ではありませんからそれは無理な話です。でも、でも、そういうことを心得ているだけで「破局」への道には入りません。心得ていないと「破局」へまっしぐら・・そういう人が沢山いらっしゃいます。残念でなりません。あしたのために・・・・。「気」を落として本当の姿を見る。本当の姿が見えれば正しいまともな判断が出来る。これしかありませんネ。この「気」というのは、実は掘り下げれば掘り下げるほど、又磨けば磨くほどまだまだ面白いこと、不思議なこと、素晴らしいこと等々が発見されます。折に触れてそのお話もしたいと思います。
2004年10月21日
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保育士さんに肩を揉んでもらいながら・・実はこれが楽しみだったりして・・ソフトは徐々に出来上がっていきました。ソフトはお話しましたように設計をして、それからブロックに分けてそのブロック一つ一つを組み上げていき最後に一つにまとめます。ユニット住宅を建てるみたいにです。一つのブロックを組み上げるとそれのテストをします。テストをしてそれが思惑通りに動くかどうか確認するのです。完成度の高いソフトかどうかは、どこまで綿密にあらゆるケースを想定してテストするかどうかに掛かっています。実は・・ワタシは実は面倒くさがりなのです。出来上がった、よしさっさと次へ行こう・・何でもこれです。出来上がったものをもう一度念のためにテストするなんて面倒なのです。これでどれほどの失敗を今までしてきたことか・・・。でも直りません。直らないどころか最近ますます面倒くさがりになってきました。でもね、でも絶対の自信があるのです。ワタシの組み上げたソフトは必ず間違いがある・・という絶対の自信です。必ず間違えているからテストすると必ずそれが見つかる。そしたら直さなくてはならない・・あーぁ面倒だ! ということなんです。何とも後ろ向きの非生産的な考えなんでしょう。でもネ、何度もその性格を直そうとしましたけど直らない、という事が最近分かりました。だから直そうとは思いません。性格なんてどっち向いていても、いいかげんに組んだソフトはトーゼン上手く動きません。上手く動かなかったら調べて修正しなければなりません。せっかく作ったソフトが動かないなんてそんな面白くないことありませんから・・。っということは、ワタシの面倒くさがりの性格を直そうが直すまいが、ソフトの修正はせざるを得ません。なら性格なんてそのままでいいじゃありませんか? どうです? そうお思いになりませんか?皆様。ばななさんに「出来上がったら進呈します」と約束しています。「つまらん約束するんじゃなかった」と今更後悔してもどーにもなりません。そうと知ってか知らずか、ばななさんは楽しみに待っているみたいです。とにかく数ヶ月を要して出来上がりました。いくつかのブロックをつなげてひとまず、あくまでひとまずですが、出来上がりました。さぁー実際に銘柄データを入力して動かすところまで来ました。エンターキーを押せば動き出すところまで来て指がエンターキーの上に乗りました。ほんの少し力を入れて指を押し下げると動き出します。でも・・でも・・指が動きません。1分くらいそのままで、そっと指を離してしまいました。「今、キーを押したら必ずエラーで止まる」という確信がありました。その後の自分がやらねばならないさまざまなことが脳裏に浮かびます。プグラムをテストしてその誤りを直すことを「デバッグ」と言います。デバッグするべき箇所は大体想像がついています。いいかげんに組んだ部分は自分でもわかっていますので、かならずそこでエラーなるはずです。エラーになったとき、私は自分の「いいかげんさ」を現実の事として突きつけられるのです。自分はそれなりに努力して組み上げた。なのにそれがエラーで止まった瞬間「お前の組んだプログラムなんか全然ダメや。そんなもんではちゃんと動いてやらン!」ってパソコンがワタシに反逆するのが目に見えているのです。「夢」、ややこしい計算も眼のショボショボもばななさんの気まぐれもぜぇーんぶこれで解決だ! 後はこれを使って投資して・・ルンルン。「現実」、必ずエラーになって止まる。その後の対処に大変な努力と時間がかかるのは必定。あ゛ーーーぁ、押すべきか押さざるべきか、それがモンダイだ!決断がつかずその日は二度とパソコンの前に座りませんでした。ワタシは実に根性なしの無責任のイクジなしのいいかげんなオトコです! 自己嫌悪に陥ります。考えても見てください、自分のした事に自分で自信がまったく持てないのです。それも最初っから・・。夢だけでここまできたのです。その夢が実現するかも知れない直前に、自分のテイタラクが血も涙もない「たかがキカイ」に(たかが○○に・・と発言して辞めていったどこかのオーナーさんみたいに・・)たかがキカイにそれを突きつけられるとは・・・・そんな事になるのは明白です。後に残る自己嫌悪・・・そのキーを押せますか? あなた・・。2日間パソコンを見るのも嫌でほったらかしです。ほったらかしというのはワタシの超得意技なんです。この得意技で幾度となく絶体絶命のピンチを逃れてきた実績があるのです。(ピンチは逃れたけど、おかげで信用をトコトン無くしてしまいましたけど・・・)3日目、一計を案じました。なにげなくキーを押そう。なにげなく、さりげなく・・何がおきるかそんなこと知ラン、という具合に気楽にポンと押しちゃおう・・。決心ってなものではありません。顔をそむけながら便所掃除するようなもんです。見て見ぬふりを決め込んだのです。パソコンの前に座り、ポンとキーを押しました。簡単なモンですキーを押すって!いともあっさりとキーは押され、予定通りいともあっさりと「エラー表示」が出て止まりました。ほうほう止まったか。よしよし。「見てみぬ振りしてやってしまう法」も私が苦節の末編み出した得意技です。これの利点は、どんな事が起きても「自分の責任」とは感じないのです。これラクチンです。自分の責任と感じないけれど、後始末は自分でしなければなりません。なりませんけど「自分の責任」ではないのですから気楽なモンです。ルンルンでデバッグに取り掛かりました。今、間違いだらけのプログラムを見直している。けれどそれは自分の責任ではない。過去のどこかの誰かが組んだプログラムを私がボランティアの善意で修正してやっているのだ・・わははははっ。気楽なモンです。あっ、保育士さんがお茶とおやつを持ってきてくれました。極楽極楽・・・・わははははっ。
2004年10月19日
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皆さんは、例えば「気分(気持)が悪い」とか「やる気がない」とか「悪気がある」とかの言葉を聞いたり使ったりしますよね。ここでは「気」と言う言葉が使われていますが、この「気」という言葉の定義を明確に説明できますでしょうか? まず正確に言葉で表現できる方はいらっしゃらないのでは・・?アンタは出来るのか?ですって? 欲張りじじいには出来ません。言葉では表現できません。こういう言葉は沢山あります。例えば「愛」。言葉で「正確に完全に」説明するのは無理です。他にも「美しい」とか「悲しい」とか「立派」とか「うれしい」とかも言葉で完全に説明するのは大変難しいものです。でも、人と人の間でその意味は通じます。正確ではないにしてもなんとなく通じるものです。こういった形容詞は人間の本来持っている「感性」を表す言葉ですので、「感性」そのものがその人に備わっていないことには通じませんし、備わっている人同士では簡単に通じるものです。日本には「わび」「さび」という言葉が古くからあります。これも分かる人には分かるけれど分からない人には分からない・・実際この言葉を欧米人に説明するのは大変難しいとされています。言葉のもつ意味を理解できるか出来ないかは、その人にその感性があるかないかによって決まります。特に文化の違う外国の人は、当然その人の持つ「感性」も違ってきます。ですから日本の言葉を正確に伝えるのは大変難しいのです。通訳や翻訳する人が一番頭をいためる部分でもあります。そういう意味では「日本語」は外国語に翻訳するには世界で一番難しい言語の一つだそうです。それだけ微妙な言い回しが多く、翻訳する適切な言葉がないということなのでしょう。日本人の感性の豊かさなのかも知れません。特に難しいのは「わび、さび」などの日本独特の文化・・多くは仏教文化に通じているのですが・・から出た言葉です。「気」もその一つです。「無(む)」もそうです。前に運動会のお話をいたしました。その時保育士さんが「私は子供に助けられました」といいました。この言葉に日本人はストレートに反応しますが、外国人にその感覚を伝えるには大変難しいものがあるのです。なぜ保育士さんが泣いたのか、なぜ日本人はこの話を聞いてうなずくのか・・理解が難しいらしいのです。日本の国歌とされる「君が代」(いろいろ問題はあるみたいですが・・)も、外国の人は「葬送曲よりもっと寂しい悲しい曲」と感じるそうです。「てんてんてんまり、てんてまり・・」の童謡も、こんな悲しい曲をなぜ子供が歌うのか? と不思議に思うそうです。さて、そこで「気」についてもう少し考えてみたいと思います。「気」にはさまざまな「種類」があることをご存知ですか? 「気の置き所が違う」という日本語があります。その「置き所」とは一体何処のことでしょう? 又、違うというからには置き所にはさまざまな場所がある、ということになりますが、一体それらはどことどこなんでしょう?外国の人ならともかく、日本人の間でも意味が通じない言葉があります。良く分からない言葉があります。でも、分からないのにその言葉はけっこう頻繁に使われています。特に「気」という言葉は日常的に何の疑念もなく使われています。ここに日本独特の「言葉の誤解による対立」が出てきます。日本語文化は言葉の誤解による文化であり、日本人の対立は「言葉の理解度の程度、つまりその人の持つ感性の微妙な違い」によって発生することが多いのです。日本人同士でもそうなのに外国の人相手ではもっと大きな誤解と対立が生じてきます。日本という国が世界で独特の存在である理由はここにあります。「気の置き場所」の話に戻りましょう。その場所は勿論体のどこかです。どこに「気」は置かれているのでしょう? そしてその「置かれている」場所によってその人の「有り様」が大きく違うということです。そして又、その場所によって先ほどの保育士さんと子供の関係のように「通じ合うことの出来る場所」と「そうでない場所」があるということなんです。 次回までに皆さんも考えてみていただけませんか? たまにはこういうことを考えることも良いんじゃないでしょうか? 株式投資の話ですか? まっ慌てない慌てない。大いに関係してきますから・・。
2004年10月15日
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歳を取ると物忘れが激しくなるとよく言われます。この日記を読まれる皆様の中には結構お歳をめされた方もあると存じます。曲がりなりにも株式投資の日記ですからそんなにお若い人ばかりとは思えません。歳を取るとホントに物忘れが激しくなるのでしょうか・・?ワタシの知り合いに94歳で未だ鍬を担いで自転車で畑仕事に行かれる方がおられます。又91歳のお坊さんで若い人がへこたれてしまっているのに悠然とその中で同じように、いやそれ以上に動き回って若い人の指導をしておられる方もおられます。よくお二人と話をするのですが、決して物忘れが激しいとは思えません。むしろますます意気軒昂と申しますか気力が冴え渡っていくばかりです。一方70歳で痴呆になられる方もおられます。最近では60歳でもそうなる方もあるそうです。ワタシは仕事の関係上介護施設を訪れてお年寄り(ワタシもそろそろ仲間入り?)とお話をするのですが、最近の痴呆の程度は以前よりずっと深刻さを増しているようです。なぜなんでしょうネ? 単に寿命が延びたせいなんでしょうか?ワタシが勝手に思うだけかも知れませんが、そういった傾向の強い人は、ある職業に偏っているように思うのです。組織や地位に守られて自己責任など無縁の人生を送ってこられた方々・・老後もさまざまな保障制度があって何の心配もない方・・そんな方々に多いような・・・。一方で我がまま放題、したい放題で歳を重ねた方が何かのきっかけで「弱気の虫」が出てきたとたんに急速に痴呆に進んでいったり・・。いえ、統計的医学的根拠がある訳ではありません。単に体験的にそう思うだけですので、実際はそうでないかも知れません・・。アルツハイマーなどの病気による痴呆は、いわゆる「痴呆」と呼ばれる方々の中でもほんの数%程度しかなく、残りはほとんどが原因不明だそうです。ワタシは母親が現在重度の痴呆でその初期からずぅーっと介抱してきました。脳神経専門の病院にも何度も通いました。しかし母親の痴呆は進むばかりで治療効果はほとんど見られませんでした。ところがワタシの顔を見てもどこの誰だか区別がつかないことがある重度の痴呆の母親が、時には驚くほど細かいことを事細かに思い出し話し始めることがあるのです。勿論その時はワタシのことはよく区別がついています。そんな時の表情は、にこやかで嬉々としており眼には輝きがあります。ところが何かのはずみで突然生気を失って元の痴呆にもどってしまうのです。これはどういうことなんでしょう? 最近分かってきました、その原因が・・。これは「心」と申しますか「気力」の問題だったんですネ。一般にものごとを成し遂げていく過程で「気力」という言葉がよく使われます。せんだってのオリンピックでも「勝ちたいという強い気持ちを持ち続け・・」と話す選手がありました。つまり「気力」のことを言っているのですネ。「気力」って一体何なんですかネ? 「気力」って顔かたちのように眼に見えるものなんでしょうか? 「気力」のあるなしはどうすれば分かるのでしょうか・・? 皆様、いかがでしょうか?原因不明の痴呆の方を見ていると、おしなべて生気がありません。溌剌としていません。「気力」を失っているのでしょうネ。最近はグループホームという介護施設が増えてきました。いたれりつくせりの介護をするのではなく、自分の出来る日常のことを出来るだけ自分でやっていく。出来る人は他人の世話までする・・そうやって「気力」を呼び覚まし痴呆を克服していくことを目的とした施設です。人間って、「人はパンのみに生きるにあらず」ですね。その人の「心」によって人生、大きく変わっていきますしそこに本当の人間の「生きざま」があるのですネ。人間って実に複雑で微妙な生き物なんですネ。不思議です。さて、話が投資とはまったく離れてしまいました。いや待ってください、実は投資も同じ事ではないかと思うのです。単に儲かった損しただけの薄っぺらな世界ではないはずです。人生すべてを賭けている方もおられるはずですし、皆さん儲けたいという強い願いを持って投資されているはずです。つまりなにがしかの「気力」がそこにはあるはずです。「気力」がしっかりとしていれば、他人に見えないものが見えますし、聞こえないものも聞こえます。「気力」が弱ければ見て見えず、聞いて聞こえずとなります。投資は、「先を読む」あるいは「先を見る」こと、つまり見えないものを見ようとすることです。見えないもが見えれば、天下無敵です。まさに宮本武蔵の無敵の世界です。彼はその見えないものを見抜いて全ての戦いに勝利したのです。はてさてそんなこと出来るのでしょうか? そんなこと見えなくても投資できるし儲かるゾ、と言われる方もあります。たしかにそんなこと出来なくても投資で儲かる方法はあるでしょう・・。もし完璧な法則があって、それで儲けに儲けたとして、それで歳とって・・・痴呆になったらどうするの? 泥棒に取られたらどうするの? 冥土まで持っていけないのにどうするの・・・・・・・・? つまらんじゃないですか?そこのところが大事なところなんです。つまり我々は単に「儲ける」ことだけで投資しているのではないはずです。儲けてそのお金を何かに使いたい、何かに使って何かを造りたい、あるいは残したい・・という別の目的(願い)があるはずです。株式投資で儲かるか儲からないかの差は、その目的(願い)がどこまで強いか、そして純粋か、そして継続できるか・・の差なんです。これは投資だけに限ったことではありません。スポーツでも商売でも遊びでも仕事でも、おおよそ人間の為すありとあらゆることがその「目的(願い)」の強さ、言い換えれば「気力」の強さにかかっているのです。勝者と敗者の分岐点は「そこ」にあるんです。ワタシ、欲張りじじいは精神論者ではありません。「根性主義」でも勿論ありません。もし言うとしたら人間の「自然な姿」論者です。「自然な姿」と自然なしかも強力な「気力」で投資しそして儲けることが、一番「楽しく、気持ち良く、明るく、大きい」ということを申し上げたいのです。せっかく有る「眼」と「耳」です。もっともっと冴えたところで物事を見て聞きたい・・そして儲けたい・・それだけなんです。
2004年10月09日
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前に「自然な判断」ということを申し上げました。もう少しこの事を考えてみましょう。以前、剣豪宮本武蔵がテレビで放映されました。武蔵の五輪書ってごらんになられたことおありでしょうか?インターネットで探せばあります。その五輪書は戦いに如何にして勝つか、を一貫して述べています。最後に武蔵がたどり着いたのは「自然な剣法」でした。空手や柔道でも「自然に立つ」ということが重視されます。お茶で有名な千利休は「自然にお茶をたて、飲む」ということを求め続けました。それが一番おいしいからです。昔、「お公家さん」が政治の表に立っていた頃、「自然な政治」を追求して止みませんでした。国を治めるには「自然に治める」ことが最高であると考えられていましたから・・現代の政治家はどうか知りませんけど・・・・。真の芸術家は「自然を自然に表現する」ことを最高としています。それらの世界では「自然合法」という言葉がよく使われますが、実は投資もその例外ではないのです。恣意的な売買の動きはまヽありますが、結局はいづれ自然な流れに戻されていきます。人々が「危険」の臭いを無意識に感ずる時、株価は必ず低迷します。後で何々がどうだから株価は下がった、なんて理由付けされますが本質は人々が「危険を感じた」からです。ですから自然な流れを感じ取れれば、その流れに逆らった株価のものを買うか売るかすればよいのです。そうすればほとんど儲かります。ただ仕手系の株や大口の投資家の異常事態の時はそんなこと関係なしに動きますが・・。でも、それもいずれ収まるところに収まります。大きな高い波が来れば、必ず同じような波の底が訪れます。それを繰り返しながら徐々に収束していきます。収束しきったその後は、再び波が高くなります。ワタシは株は「地震」とおなじだと思っています。歪のエネルギーが溜まれば溜まるほどゆり戻しは大きくなります。そういう原理は大抵の投資家は知っています。知っていますが知っているだけで今この瞬間はどうなのか?を「見る眼」がないのです。判断できていないのです。そういう瞬間瞬間の判断が正確に出来るようになること・・これがホンモノの投資家なんですが、そういう人は普通の人から見れば「なんでそんなの買うの?」と理解に苦しむような投資をすることがあります。誰にでもある「危険を感じる自然な心」で判断しているだけなのですが、超能力でもあるかのような振る舞いを見せるのです。阪神大震災のとき(ワタシは体験者ですが)、その直前に犬の遠吠えが異常に多かったと聞きます。犬にはそれを感じる感性があるのでしょうネ。でも座敷でぬくぬくと飼われていた犬にはあまり見られなかったそうです。満ち足りて、その感性が鈍っていたとしか考えられません。現代という時代は、システムとマニアルと規格に溢れ返っています。現代文明を支える根源は何か?といわれれば、そういうより他ありません。勿論それは自然ではありません。自然の中に自然でない文明社会が存在しています。これでは不安定にならざるを得ません。しかし文明がどうであれそこに住む「人間」はどこまでも自然な存在です。自分自身は「自然そのものである」ことを知れば、文明と上手に付き合っていけます。投資と上手に付き合うコツはここにあります。いいえ、ここに「しか」ないのです。ここを外せば不安定は増大し、いずれは破綻します。その証拠は掃いて捨てるほどあるではないですか? 現代という時代を正しく認識し、正しい自分を発見してそこで生きる。つまり本来の「感性」を取り戻し、その判断に委ねる・・これが現代最先端の投資方法です。人間には、そう私たちには、元々そういう感性があります。ただ理屈や感情や欲で「曇り」「鈍って」いるだけなのです。ではどうすればその「感性」を取り戻し磨き上げることが出来るのでしょうか? 今まで、この欲張りじじいはその一点をしつこいくらいに述べてきました。しかしまだまだ本題は残っています。今後もその一点に焦点をあててお話していきたいと思います。
2004年10月06日
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秋は運動会のシーズンです。もちろん私の保育園でも運動会をします。今日10月2日でした。0歳から5歳までの赤ちゃんと幼児の運動会ですのでたいしたことは出来ません。出来ませんけど、でも大したことをしでかすのです、こどもというものは・・・。ええ、保育園の運動会と株式投資とは何の関係もありません。運動会のお話をしても「つまらん」と言われるだけかも知れませんが、もし本当にそうお思いならまだまだアナタは未熟です。関係ないことは認めます。関係有りませんけどそれは表面的な技術的なうわべだけのこと・・人間が行う「行為」という点においては運動会も投資も同じです。まっ騙されたと思って読んでみてください。私たちの運動会は毎年和太鼓を演奏します。4-5歳の子供が叩く太鼓ですからたいしたことは出来ません。例年単純なリズムをカッコ良くたたいてお終いになりますが、今年は和太鼓に熱心な新任の保育士が入ってきましたのでその保育士に任せてみました。その保育士は本格的な演奏をしようと勇躍練習を始めました。どどんがどん、どどんがどん、どどんがどんどん、どどんがどんと口でリズムを取りながら一生懸命子供に指導します。ワタシは「ちょっと難しいなぁー。子供にあそこまで高度なたたき方を要求するのは無理だろう・・」と思いましたが、任せると言った手前ほおっておきました。毎日、私の事務室に「どどんがどん」の声と、バラバラ打ち鳴らされる太鼓の音が聞こえてきます。子供は太鼓が目の前にありバチを持たされれば叩きます、が、むちゃくちゃに叩きます。単に叩くのが面白いからです。リズムもへったくれもありません。そんな日が数日続いた後その保育士はガックリとした様子で言いにきました。「子供にちゃんと太鼓を叩かせるのは無理でした。和太鼓は今度の運動会ではナシにしたいと思います。」ワタシは、「あれ?、そんなことないよ。ちゃんとドンドンと叩いているのが聞こえるけど・・」「いえ、あれは無茶苦茶に叩いているだけです。全然リズムになってない・・のです。」か細い声で訴えます。「まっ、運動会でするしないはともかく、好きなように叩かせてみてはどうかな? そしてどうするかは子供たちに聞いてみたらどうやろ?」と提案しました。しぶしぶと保育士は戻っていきました。それから2日間はそれはそれは騒々しい太鼓の音が鳴り響きました。子供たちはバチで太鼓だけでなく机や床や友達の頭まで叩き始める始末です。しっちゃかめっちゃかで収拾がつかなくなってしまいました。私の知り合いに和太鼓の専門化が居ます。セミプロなんですがそれはそれは圧倒的な迫力で素晴らしい演奏をします。次の日その人に頼んで子供の中で演奏してもらうことにしました。それも十数人の子供たちが好き勝手にバラバラに叩いている真ん中に入ってもらって・・。その奏者が叩き始めると、得意満面で力いっぱいですがめちゃくちゃに叩いていた子供たちは一人二人と叩くのを止めその演奏をじーっと聞き始めました。いつしか全員がその奏者の周りに集まって、最後は叩いているのはその奏者一人になりました。皆聞きほれています。そして成り振る舞いを真剣に見つめています。一通り演奏が終わった後、奏者は一言いいました「皆、僕と一緒に叩こうか」子供たちは「うん」とキッパリと答えました。「それじゃ僕が声出して言うからその様に叩いてみよう」「それじゃいくよ」「せぇーの、どどんがどん」ドドンガドンと一斉に音がしました。あれほどバラバラで統制のなかった音がピタリと合いました。「どどんがどん、どどんがどん・・・」見事に演奏が進んでいきました。保育士さんはあぜんとしています。そのセミプロの奏者はそれで帰っていきました。次の日からは保育士さんと子供たちで再び練習です。でもやはりバラバラでした。バラバラでしたけど、以前のバラバラとなんとなくですが違いました。一番違っていたのは、最後の叩き終えた後のキメのポーズはピッタリ会うようになったことです。今日は運動会。そのお披露目の日です。昨日の練習ではやはりバラバラでしたので、保育士さんはどうなることかハラハラドキドキです。でも子供たちはやる気満々です。もうどーにでもなれ、という心境だったに違い有りません。演奏が始まりました、ドドンガドン、ドドンガドン・・・ピッタリと合っています。もちろん最後のキメのポーズなんか一糸乱れずものの見事にキメました。会場から大きな拍手が沸き起こりました。終わった後、その保育士さんは泣きながらワタシに訴えてきました。「あんなに、あんなに上手に演奏するなんて思ってもみませんでした・・」後は言葉になりません。しばらく泣きじゃくって落ち着いたのか「私は子供たちに助けてもらいました。子供たちは私を助けてくれました・・」又泣き出しました。子供たちの太鼓はなぜその時「だけ」ピタリと合ったのでしょうか? なぜでしょう・・?。子供たちは「何かを感じた」のでしょうネ。今こそ真剣に本気で叩くときである・・・と。そういう「一つの心」で子供たちは繋がったのでしょうね。響きあったというか、感じあったというか・・。これは理屈ではありません。欲でも、感情でもありません。そんなもので人の心は本当に響き合うものではありません。純粋な子供の心は、教えるでもなく、しめし合わせた訳でもないのに、通じ合ったのです。子供の世界に居ると往々にしてそういう体験をします。そしてその心を保育士さんも父兄もそして私も知らずに感じ合い、通じ合って物事が進んでいくのです。不思議です。見事としか言いようがありません。人間の持つ不思議な感性・・超能力なんでしょうね。これをお釈迦さんは「智慧」と表現したそうです。株式投資と全く関係ない話ですが、実は株式投資でもそういう「通じ合う」ことがあるのです。素直で純粋で、真剣な、本物の願いを持ったとき、人は見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、そしてお互い感じあうことができるのですね。これを昔の人は「以心伝心」と言いました。そういう「眼」を持つことが出来るか出来ないか・・「感じる」ことが出来るか出来ないか・・それがその人の株式投資のスタイルを決定し、人生そのものを決定するんですネ・・株式投資の本当の姿はここにあるんです。それを会得した人のみが、本当に株で儲け、株で人生を豊かにすることができるのです。えっ、信じられないですって? そうかも知れません。私もそうでしたから・・・。
2004年10月03日
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この欲張りじじいのはちゃめちゃ株式投資は、これを読めば儲かる銘柄や儲かる方法がわかる・・ということではありません。どんなに良い情報や方法があったとしても、それを「見る眼」がない限り、ミスミスと見逃してしまうがオチです。この欲張りじじいは、ほとんどの投資情報には書かれていない一番肝心なこと・・つまり「見る眼」についてのお話をしようとしています。投資するのは自分であります。自分の見る眼見る心が「 ま と も 」であるかないか・・それが最後はモノを言います。貴方の「心の目」は、はてさてどの程度でしょうか? それが結局は「儲かるか儲からないか」の"決め手"になるんです。良い情報を出す有料の会に入会することが「儲かる」近道の一つですが、では、どうやって「それ」を見つけたら良いのでしょう・・?。結局は本当に良い情報を提供してくれるか所かどうかは、貴方自信の判断、つまり「見る眼」に全てがかかっています。自分にその「眼」が備わっていない人は他人の言う事に盲目的に従って・・そして損して・・そして、その人の情報はダメだ、と結論します。失敗はみな他人のせいです。欲張りじじいはそんなことしません。他人の言うことには真剣に耳を傾けそれに従って投資することはありますが、たとえ失敗してもそれは「自分の見る眼」が無かった・・と考えます。っというよりも、まともな人の情報しかハナから信用していません。まともな人はどんな人か・・それを「見抜く眼」をワタシは持っているからです。「そんなモン、分かるはずない」とお思いのアナタ! ノーノー、そんなことでは投資は止めた方がよいと思いますよ。前にも述べましたが、「キケンか安全か?」その嗅覚といいますか感性は犬畜生にも備わっていますし、赤ちゃんなんか凄い敏感な感性を持っています。子供や女性も時には我々顔負けの鋭い感性でものごとを見ています。立派なオトコの大人がそれが出来ないはずはありません。なのに・・なのに・・これを無くしてしまっている大人が多いのです。鈍ってしまっているのです。意外とアナタが投資しないで奥さんやお子さんが投資した方が儲かったりして・・いや犬に投資させた方が・・・はははっ。いやいや勿論冗談ですが笑い話ではないのですゾ!私たちはいろいろな場面でさまざまな事柄の判断を、いつも何時も求められています。生きている私たちは例えば1日の中で何度判断を迫られているでしょうか? いかがですか?1日に私たちは何回、ものごとの判断をしていますか?数回くらい? それとも数百回? 数千回? 数万回? いえ、そんなものではないのです。数千万回か数億回・・・いや回数では言い表せないくらい沢山! もし「瞬間」というものの数が数えられるなら、その回数分・・・これが正解です。例えとして、朝、眼がさめて起き上がるまでの時間と限定して考えてみましょう。スッキリとパチクリと眼がさめたとして、その時・・一瞬ですが自分の存在の状況を考え判断します。「自分は自宅のベットに寝ていて、今眼がさめたんだ」と周りの状況を見て気づきます。場合によっては自分の置かれた状況が判断できなくてオロオロすることがあります。いつもと違うマクラだったりカーテンを締め切っていて暗かったり・・などで一瞬とまどうことがあります。そして次に「起きて仕事に行かなければ・・その前に今何時かな?」「何を食べようかな」「そうそう夕べは何してたっけ?」「今日は何するんだっけ」などなど・・一瞬にいろいろなことが脳裏を通り過ぎて行きます。そして特別な予定がないことを思い出すといつものペースで起きて準備すればよいんだ、と判断します。私たちは目覚めベットから起き上がるまでのほんの数秒の間に意識するしないにかかわらず、実に多くのことを思い出し判断しているのです。もっと細かく観察すればこの数秒間する判断は数万回に達するのです。ただほとんどが「意識」されていないだけなのです。私たちの生活で「意識して判断する」ことがらは、意識しないで判断していることがらの0.00何パーセント以下なのです。ほとんどの判断は「意識しないで」判断しているのです。それ、お分かりになられますでしょうか?ただ漫然と歩いているだけでも、右左と交互に足を出し、目で障害物を確かめながらそれを避けて自然に無意識に・・しかも安全に歩いています。焦ったり慌てたりすると心が乱れて忘れ物をしたりつまづいたり道路に飛び出したり・・大変危険です。そうなんです、心が乱れると「自然で当たり前のこと」が見えなくなって「危険」なことを平気でしてしまうのです。この様に日常のなにげない動作の中にも、無数の「安全に生き長らえる」ような判断をしながら、その判断にわが身を委ねているのです。ここなんですネ。ここで投資判断をすれば一番「リスク」の少ない投資が出来るのです。でもネ、でも・・人間は欲がありますでしょう? その欲がほんの僅か先に出ると、つまり心がそれに引っ張られると、つい「危険」の中に飛び込んで大怪我をしてしまうのです。いかがですか? そんな経験ありますでしょう・・?一番リスクが少なくてしかも一番儲かる方法は、「自然な心でものごとを判断すること」なんです。これさえ出来れば「見る眼」が自然に出来てきます。間違いのない投資方法が実践出来ます。あしたのためにその6欲が先に出るアナタ! ほらほらアナタのことですヨ! どうしても欲が先に出てしまうなら、投資は犬に相談しなさい。その方が儲かるかも・・・・・ネ。冗談ですが冗談ではないんですヨ、ホントに・・・。
2004年10月02日
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システム設計が出来て、組み上げにかかりました。図面と、資材と、大工はカンペキに揃っています。後は時間の問題です・・・ではなかったのです・・実は、思いも寄らぬ大敵がいくつも待ち構えていたのでした。ワタシは太っ腹で心の広い人間です。言い方を換えれば大様でいいかげんで細かいことにはあまり頓着しないのです。これは長所ではありますが、大変な短所でもあります。特に緻密さが要求されるプログラミングでは・・。そういえば、ずいぶん長い間自己紹介もせずに偉そうなことを書いてきました。大変失礼しました。遅まきながら少し紹介させてください。一服しながらで結構ですから・・。経歴などは恥ずかしくて申し上げられません。むちゃくちゃですから・・っでカット。そのむちゃくちゃなワタシでも職業を持っています。それも意外にもマトモな職業です。当てたらご褒美進呈いたします・・。まずアタランでしょうネ。ばななさんにそれを言いましたら驚いて腰が抜けたそうですから。実は保育園の園長せんせいなんです・・このワタシがです・・・実は、自分でもなぜそうなったのかはっきりワカランのです。なんでこんなことしてんの?って自分で不思議なんです。知らぬ間に・・そう、まさに知らぬ間にそうなってしまったのです。ワタシ、子供はそんなに好きではありません。自分の子供も満足に育てられませんでした。父親失格です。子供の保育や教育について深く考えたこともありません。そんなワタシが知らぬ間にとは言え、よく勤まっていると自分でも感心しています。園長せんせいをして10年以上になりますでしょうか・・・。仕事はしません。いや、出来ません。子供相手にお歌やお遊戯・・大のニガテなんです。ワタシ、子供の頃からそういうのニガテでしたから・・。っで、何も出来ません。仕事しないで何してるの? ですか?そんなこと聞かんでください。とーぜん何もしていません。居るだけです。ただ居るだけ・・それが仕事です。「なんと気楽な商売」と思わんで下さい。実はセッセセッセと仕事できる人が羨ましいのです。知り合いの園長せんせいは子供や保育士さんにまじって楽しく仕事をしておられます。でもワタシは音痴で運動神経まるでナシ。手先も不器用でおしゃべりも苦手! したくても何もデケンのです。何もデケンからジッとしてただ居るだけなのです。ところがなんです・・ところが、実を言うとそれがバツグンに良かったのです。変な話ですが・・。ワタシ、園長せんせいを始める時何も出来ないことで大変不安でした。でも出来ないことはしょーがない、腹をくくってなにもしないで居ました。皆から「この能なし」「この役立たず」「このぐうたら」と非難されることは覚悟していました。それでずーっと若い保育士さんや父兄には、ヘコヘコばかりしていました。大の男が我が娘くらいの保育士に頭があがらなかったのです。だってワタシ、居候かヒモみたいなモンでしたから・・。実に頼りがいのない園長せんせいなんですが、ところが不思議なんですねぇー、これが。実に皆さん、よく働いてくれます。ワタシが頼りにならんのでワタシがしなければいけないことまで皆やってくれます。申し訳ないので時々皆を連れて食事いきます。もちワタシのオゴリです。すまんすまん、ありがたいありがたい、よろしくたのむよろしくたのむ・・で拝み倒しました。軽蔑されることは当然覚悟していました。皆さん、女性って心が広いことをご存知ですか? それがトテツもなく広いのです。どうしてか分かりませんが皆さんこんなワタシを好いてくれたんです。ホント、不思議なんです。そうやこうやで不思議なことに保育園は順調に経営できております。ホント、人の世って不思議なことがあるんですねぇー。ある園長せんせいがワタシの保育園の雰囲気を見て言うんです。「どうしたらこんな落ち着いた、それでいて生き生きした、気持ちの良い、明るい保育園になるんですか?」ワタシはそれを言われると辛いのです。だってワタシはなんにもしていないのです・・ワタシはだだ居るだけなんです・・・・。えっ、勿論10数年間ワタシは怒ったことなんてただの一度もありません。ただコソコソと人目を忍んで、隅っこに居るだけの10数年でした。でも・・・でもネ・・・言うときますけど、これって大変なんですヨ! 見た目と違って・・・・。さて、こそこそしながらでもプログラムは組めます。いやコソコソが板についているからこそプログラムを組むには最適です。勇躍取り掛かりました。セッセセッセと順調にはかどります。園の職員は珍しくワタシが一生懸命仕事をしていると思ってお茶やおやつを持ってきてくれます。肩まで揉んでくれます。ありがたい話です。画面の複雑な横文字やVBAの解説書を見て「園長せいせいは難しい仕事をしているんですネ。私ら子供と遊んでいるだけなのに申し訳ないです。」とまで言ってくれます。誕生日にはフレゼントくれたりバレンタインなどは・・・・涙涙です。ホントかわいい保育士さんたちです。話が横道にそれてしまいました。本題に戻ります。あっ、紙面がいっぱいになってしまった。またこの次にします。
2004年09月29日
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ワタシは今更あらためて言うまでもありませんが欲張りです。美味いもの、大好きです。オナゴさん好きすきすきです。お金、だぁーい好きです。それもできるだけたぁーくさん欲しい!!貴方も? そうですか・・アナタもですか・・・。っで、十分手に入れましたか?美しいバラにはトゲがある。おいしい話にゃワナがある。でもワナを恐れていては得られるものも得られません。そうです・・何事もリスクがあるのです。欲とはリスクとの葛藤なんですナ・・これが・・。欲を満たすためにはどんなことでもリスクを覚悟しなければなりませんが、大きなリスクを背負って破綻してしまってはなんにもなりません。なんとかリスクを最小限に抑えて利益を最大限にする・・人間が常に願って止まない永遠の課題なんですな・・これが・・。その究極の解決方法を見出したお人が昔いました。誰だとお思いですか? 貴方も名前くらいは知っておられると思いますヨ。現代社会はある意味ではリスク回避の最終の様相を呈しています。リスクを押さえ利益を確保するその典型的な終局的な形態になっています。難しそうな話ですが、実は子供でも分かっていることなんです・・ひょっとして分かっていないのはア・ナ・タだけかも・・・。リスクを抑える典型的な方法は、「権力」を持つ事、あるいは「権力の側につく」ことです。「権力」を持つと法律や武力でリスクを回避できます。これは政治的手段でリスクを減らし利益を確保する方法です。世界情勢を見て見ますと、大国はその経済力軍事力、民族的結束力などでリスクを回避しようとあちこちで戦争を仕掛けています。その戦いに勝つことでよりリスクを減らせるという考えがあるからです。でも、逆にかえってリスクを増やしたりしている場合もありますが・・・それと良く似ていますが、既得権を持つ方法です。つまり競争相手を排除し、利権を独占確保するのです。この方法は一般企業でも結構利用されています。「特許権」などもその一つですし、談合や政治家に利便を図ってもらうことや、どこかの電話会社のように独占的に回線を所有することです。でも最近はそれらの方法は難しくなってきています。一昔前のように利権の独占が排除され規制緩和が除々に進んできたからです。これからはもっと難しくなるでしょう。もっとも普通に行われているリスク回避方法は、「事なかれ主義」です。まぁーまぁーでお茶を濁すのです。そして妥協することを美学とすることです。これによっていさかい事を減らし、争いによる無駄や浪費を減らしリスクを減らす訳です。(これも逆にリスクを増やす結果になることが最近多くなっています。)まだまだ他にもリスク回避法はありますが、いずれにしろ人間社会が過去のいろいろな経験から生み出した終局的なリスク回避法です。しかし・・・現代社会はそれを許してくれなくなってきました。経済がどんどん発展し、民衆の末端まで多かれ少なかれその恩恵に浴することができる時代はそれらの方法が通用したのですが、現代はその帰結として勝ち組みと負け組みがはっきりとしてきました。そして次代は負け組みが蜂起する時代になります。それは歴史が証明しているところです。つまり負け組みが勝ち組みの存在を脅かす時代になってきたのです。リスクを減らす方策が、新たなよりやっかいなリスクを産んだのです。頻繁に発生するテロがその典型なんでしょう・・。これらのリスク回避法は「他者抑制」によって達成することを目標にしています。ですから抑制された他者はいづれ必ず反発してきます。それが現実に現れ出したのです。他にリスク回避法はないのでしょうか? あります。「自己抑制」によるリスク回避です。歴史の中にもそれが成功して発展した時代や国家がありました。さて、株式投資のリスク回避法について考えたいと思います。さまざまなリスク回避法が発表されていますが、よくよく研究すると、優れたリスク回避法ほどその根本は自己抑制に重点が置かれています。株式の世界はそういう意味では「他者抑制」でリスク回避をすることがほとんど不可能な世界なんです。法律や権力や武力で株価を自由に操作するのは難しいことがその証明です。一時、権力が介入して株価をコントロールしたとしても、それを続けることは不可能です。いずれ元の市場原理に戻らざるを得ません。人間個々人の思惑が通用しないのです。一時通用したように見えてもいずれは市場原理に押し流されてしまいます。その事をよくわきまえ、そのことを常に意識して投資することが個人投資家の本来の「儲かる」スタンスであることが、さまざまな歴史や現実が明確に示唆しています。つまり「自己抑制」によってのみ個人投資家は、巨大な資金と情報を持つプロ集団と対等に勝負できるのです。もっと分かりやすくぶっちゃけて言うと、プロ集団は「儲ける」ことが大前提です。「儲けるために」投資してきます。個人投資家が同じスタンスでは勝ち目がないことは明らかです。個人投資家は勿論儲けるために投資するのは同じですが、「自己抑制」が出来るか出来ないかが、プロと決定的に異なるところで、それは個人投資家個々人の「心構え」一つで決められることなのです。具体的な例として、プロは資金を効率よく回転させることが仕事です。資金を遊ばせておくわけにはいきません。個人投資家はいつまでも「待つ」ことが出来ます。つまり「儲からなくてもよい、損しなければ。」という幅があるのです。この幅こそが最大で唯一の個人投資家の武器なんです。この武器を最大限に使うことが出来る、つまり「自己抑制」が出来る投資家こそ、本当の「勝者」となれるのです。あしたのためにその5美しいバラにはトゲがある。花を摘む最適の時期まで待て!待つことができる、という幅が最大のリスク回避法と知れ!! おっとっと、最初に申し上げたリスク回避の究極の解決方法を見出したお方・・それはお釈迦様 ! ! わははははっ!
2004年09月26日
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プログラはシステム設計から始めます。この日記を読まれる方の大半は、ソフト(プログラム)はどうやって作り上げるかご存知ないと思います。少しその説明をいたします。それは家を建てるのに似ています。プログラマー(プラグラムを組む人・・つまりワタシ)が大工です。大工道具はプログラム言語、つまり今回はExcelのマクロ(VBA)です。建築資材は、ばななさんの投資方法のノウハウです。じことうしなんたらの投資方法をマクロを使ってパソコン(土地)で実用になるものに作り上げるのです。良い家が出来るかどうかにはいくつかの条件があります。まず大工の腕です。それは天才のワタシが建てるのですから何の心配もいりません。次は言語と投資法です。これはワタシがどうこう出来ませんのであるものを使う、で、これもクリア。さらに今のパソコンは驚くほど性能が良くなっていますので土地も問題ありません。よし!これなら十分に実用になるものがデキル! 出来上がったらもう計算間違いも眼のショボショボもばななさんの気まぐれも、みぃーんな一挙に解決だぁー。後はそれを使って売買して・・うひひひひ・・・・儲けるだけ儲ける・・・ひひひひひっ。笑いが止まりません。家を建てるのに最初にすること・・設計です。ソフトの場合はシステム設計と言いますが、これが良くなければ住み心地の悪い使い勝手の悪い家になります。住み心地の良い家を建てるにはありとあらゆる事を知り尽くし微に入り細に渡って心くばりをして設計しなければなりません。皆さんはじことうしなんたらの投資法を完璧にマスターしておられますか? どういう状況の時にはどうするか、全てのケースを知り尽くしておられますでしょうか? システム設計ではそれが要求されます。メルマガに書いてある投資方法の説明を今まで何回読み返したでしょう・・10回20回ではききません。読んでも読んでも分かったような分からんような・・特にワタシは読むのと理解するのが苦手なんです。そこでばななさん巻き込み作戦の第一弾として、「じことうしなんたらの投資方法のこういう場合はどないしたらエエんじゃ質問作戦」を練り上げてばななさんにメール攻勢を仕掛けることにしたのです。ばななさんはシブトイお方です。なかなか攻略できません。懇切に質問の返信は下さるのですがイマイチどうもよく理解できんのです。例えば呼値の問題があります。指値を計算するとき2で割るので0.5円てな半端が出ます。そのままの数値でネットで指値注文すると「不正」で受け付けてくれません。どないしたらエエの・・?? さらに、メルマガで送られてくる数字が間違っていたことがありました。ばななさんは絶対正しいと信じ込んでいたワタシは、自分の計算方法が間違っていると思い込んで何度もやり直してみましたがどうしても合わないので、それもメール攻撃の弾薬としてぶつけてみました。それやこれやでメルマガでは説明されていない事柄を聞き出すことに成功しました。しかし毎日のように多くの銘柄の値動き監視して数値を計算し、それをメルマガで発表し続けるばななさんの労力は大変なものだということも知りました。その労力の大変さを知ったワタシは「この投資法のソフトを組んでます。上手く出来たらばななさんにもお分けします・・。」とつい言ってしまいました。えっホントですか? 是非分けてください・・と返信が来ました。しかも返信には「ソフト開発費用は負担します。是非作ってください」とまで書いてありました。えええええっ! ワシそんなつもりじゃーないのにぃー・・・・。返事を送りました。正式に開発費用を計算するとかなりな金額になること。ワタシは売るつもりで作っているのではないこと。眼がショボつくおいぼれが老後の楽しみに株式投資をするために自分勝手に作っていること。この投資方法のワタシの知らない細かなノウハウを教えてくださっているのだから、そのお礼の意味でお分けしたい・・と書きました。ワタシは欲張りですが、元々欲を満たそうと思っていない事柄が、ひょんなことからお金になると分かっても初志貫徹するところが、いわゆるふつーの欲張りとは一味違うのです。そんなタナボタの欲に心が動くようでは「本物の欲張り」とはいえんのです。そうです。「本物の欲張り」はスジを通すことを知っているのです。これがワタシの凄いところなんですナ!そうやってとうとう「ばなな巻き込み作戦」は大成功に終わったのでした。ワタシに攻略されたばななさんはカンペキなまでの協力をしてくれました。おかげであらかたのシステム設計が出来上がりました。我ながら見事なできばえです。設計が出来たらソフトも仕上がったも同然! 後は設計に従ってコツコツとくみ上げていくだけです。ルンルン、早く仕上げて楽して儲けよう・・その実現も間近!「早くこいこい、老後の楽しみ・・」楽して儲かってルンルンしている夢ばかり見るようになりました。
2004年09月25日
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その2で「ピンと閃くもの」があったと申し上げました。そのお話をさせていただきましょう。この投資法はごくごく自然の、当たり前のことを原則としています。そして「買い値」や「見切り値」などをはっきりと数字で表しています。これほど具体的で即売買に応用できる投資法はめったにあるものではありません。しかもそれらの値の決め方も合理性があります。投資家心理を実に巧みに突いているのです。さらにこの投資法はまだまだ進化していく可能性を秘めています。研究すればするほどこの投資法の合理性、実用性、将来性がわかってきました。私ほどの大天才が兜を脱いだのですから大変なものです。(大天才が言うから余計信用デケン・・って? むむむっ。それを言われると返す言葉が・・・・)メルマガを何度も何度も読み返しながら売買していましたが、やはり分からないところが出てきます。メルマガの指示どおりにすればよいのですが、発行者はどうも気まぐれな人のようで、毎日決まった時間に結果と明日の予測を発表してくれません。サボッたり翌日の早朝になったり・・・そういう時は自分で計算して値決めしなければなりません。「おぃーーい。発行者のばななさんとか言う人! なんとかしてよぉーー」ある日メルマガに「ソフト購入のアンケート」と称していくらなら株のソフトを買いますか? という質問がありました。「ン? そうか?! 計算なんてパソコンにやらせてしまえ! そしたらたちどころに問題解消や!」天才の思いつくことは偉大です。さっそくばななさんにメールを出しました。この投資法のソフトがあるなら10万や20万くらいやったら買うゾ! っと太っ腹なところを言いました。早速ばななさんから返事が来ました。この方、几帳面な方なんですね、見ず知らずのワタシに懇切な返信をくれました。定時に発行できないことは申し訳なく思っている。この投資法のソフトはない。自分も欲しい。時々自分も計算間違いして訂正のメールを読者に送ることがある・・云々。という内容でした。「なんじゃ! 投資法の発案者がそんなことかいな! 頼りにならんなぁーー」ソフトを購入して楽しようとした「究極の楽して儲ける法」のもくろみも絶たれてしもうたがな!ワタシの悩みは深まるばかりでした。この投資法を是非やってみたい。でもばななさんは気まぐれ屋で、ちゃんとメールを送ってこない。しようがないので自分で計算すると眼がショボショボしてミスばっかりする。自分の値決めが信用できない。ほっておいては儲かることをミスミス見逃してしまうことになる。これでは「欲張りのコケン」にかかわる・・・・そこで一大決心をしたのです。*************** えぇぇーい。自分でソフトを作っちゃえ! *****************ワタシは何度も申し上げますが天才です。(人がどう言おうが気にしちゃいません。)天才のワタシに出来ないはずはない!30年以上前、まだパソコンが世に出るか出ないかの頃、私はプログラムを組んでいました。もう過去の遺物となった? アセンブラとかフォートランとか・・そういったソフトです。20年ほど前、マイクロソフトのExcelが世に出だしたころ少しばかりイジッたことがありました。「こんなん、Excelのマクロでちょちょいのちょいで出来るじゃろ・・」と考えたのでした。早速ワタシの得意技、例のごとく本屋に行ってExcelの本を5冊ばかり買ってきました。昔憶えたプログラム用語を発見して懐かしく思う反面、新しい考え方や言葉も沢山見られ、実は何がなにやら全然ワカラン! 白状しますがこれがホントでした。買うのはすぐに出来るのですが、読むのと理解するのが苦手なワタシが、その夜からExcelの解説書と格闘を始めました。ご心配いりません。ワタシは天才です。2日でそれら5冊の本を読破し、早速ソフト作成にとりかかりました。2日で理解したって? 凄い! と思っているアナタ。それは大きな間違いです。ワタシは読破したとは申し上げましたが理解したとは申し上げていません。何度も申し上げますが、ワタシは読むのと理解するのは苦手なんです。でもワタシには「本物の欲張り」として強烈な「熱意」と「誇り」と「執念」と「儲けたいという人一倍強い願い」があります。さらに「超、楽して儲けたい」という目標もあります。そのためにはどんな苦難も乗り越えていこうとするパワーがあります。ン? 待てよ! よくよく考えてみれば「超、楽して・・」がモットーのワタシが、そのために普通の人以上の苦労をしているのではないか? ソフトを組み上げるのは生易しいものではありません。ちょっとしたホームページの何倍も何十倍もの時間と努力が要るのです。順調に行っても出来上がるまでに半年は掛かりそうです。決して「楽してできる」ものではないんです。そのことに気づいたワタシは絶対的な自己矛盾に陥りましたネ。楽するためには苦労しなければいけない。苦労せずに行こうとしたら、眼が疲れて余計苦労する・・・・・・・・・ムムム・・・むじゅん。こういう時にこそ、ワタシの崇高な哲学が役に立ちます。「苦労することを、苦労すると考えるから苦労するんじゃ。苦労することは苦労しないためにするんであって、決して苦労ではない。」こういうことなんですネ。(ワケが分からん!って? 凡人には分からんじゃろな・・。)そこでこうも考えました。どっちに転んでもどうせ苦労するんじゃ。どうせするならこの原因を作った気まぐればななさんも巻き込んじゃえ! 責任、とってもらおうじゃないの!そこで「気まぐればなな巻き込み作戦」が大々的に開始されたのでした。
2004年09月23日
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株価は誰が決めるの???? それは「市場」です・・これは模範解答ですが実は間違いなのです。こんなこと言うと轟々たる反論の嵐が吹いてきそうですネ。でもやはり、それは間違いです。市場って何 ? 何処にあるんですか ? もっともやなぁーーとうなづける模範解答が返ってきます。うなづけますけどどうにも納得デキンのです。例えば「市場」は証券取引所がその代表や、という答えがあったとしましょう。確かにそうです。確かにそうですが、我々個人投資家にとってそんなことどうでも良いのです。どこにあろうが誰が運営しようが、少なくともワタシには関係ありません。関係あるのはそれを買うか売るかそれとも見送るか・・ということです。大半の個人投資家はその点が最大の関心事であって市場が何処にあろうがさして気にとめていません。おいしい食事にありつけたとします。もちろん料理した人の大変な努力の結果、それがそのように出来上がったのです。ワタシは料理家ではありませんので料理方法や料理人の包丁さばきの見事さには「素晴らしい」とは思っても、さして関心はありません。あるのはだだ「美味しいか、満足出来るか、また食べたいと思うか」という点です。美味しかったらセッセとお金を貯めもう一度食べに行くことを楽しみにします。ワタシが出来ることはそれだけです。ワタシが同じものを作ろうとは思いませんし、そんなこと出来る訳ありません。株価も同じで、ワタシが上げたり下げたり出来ませんし、できるとも思いません。株価を決めるのは日本の、あるいは世界の経済動向や政治の流れを読んだ投資家の動向が決定していきますが、ワタシにとっては誰が決めようがあまり関心がないのです。関心はそれが「美味しいかどうか・・」です。その株を買えば「儲かるか儲からないか」つまり「キケンか安全か」ということなんです。ここんとこを間違えている方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか? 「この株はいろんな指数からみて買われすぎ」と著名な投資評論家が言っても、ワタシにはなんの関係もありません。買われすぎの株でも「儲かるか儲からないか」が問題であって「買われすぎ」そのものにはなんの問題もないのです。どうもワタシが申し上げていることを誤解なされている方がいらっしゃるようです。市場や世界動向や評論家を無視せよ、と申し上げているのではありません。判断の中心を何処に置くか、を申し上げているのです。判断の中心を市場に置くと「市場に振り回され」ます。世界動向に中心をおくと「世界の情勢」に振り回されます。「欲」に中心をおくと「欲」に振り回されます。振り回されるとは、「心」を見失うということです。「心」を見失うとは素直な自然な「感覚、感性」を見失うということなんです。日常の自然ななりわいの中に「株」は存在します。それ以上でも以下でもありません。生きとし生ける人間の「なりわい」の中に株が必要とされ存続しているのです。今後もずぅーっとそうして続くでしょう。だからこそ、株の存在する根本と同じ所に「心」を置いて取引すれば、株は美味しく楽しく有難くうれしいものなんです。たとえ損失が出たとしても・・・。ん? あんたの言うてることさっぱりワカラン! ですって? だいじょうぶです。今は分からなくても分かるようになります。ワタシも始めはさっぱり分からなかったですから・・。あしたのためにその4株を買うか売るか、それは全て自分が決めます。その時その判断の根本を何処に置くか? それが最重要なことであり、現在の株価水準とか経済情勢とかだれそれが薦めるとかどうたらこうたら以前に、まずそのことをしっかりと抑えておくことが肝要なのです。株で失敗する方は、全て、そう全部、そのことがあいまいなまま大枚を株につぎ込んでいるのです。自然で素直な感性で物事を見るとき、そのことがらがキケンか安全かたちどころに見えるはずです。うさんくさい話や、人を陥れる話など、一瞬にして見分けられます。人にはそういった感性がそなわっているのです。でも・・・今の世の中、その感性が鈍っている方が大勢いらっしゃる。そういうお人は皆破綻していきます。いや人だけではありません。企業も人の集まりですから同じ事です。どんなに有名で羽振りが良くて立派なことを言ったりしたりしている会社でも、破綻するときは破綻します。「素直な自然な心」を見失ったまま経営しているからです。
2004年09月22日
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前回に申し上げましたワタシの崇高な「哲学」のお話をもう少し・・・株の真実、株の本質そのものを、ズバリと明快に解き明かしてみましょう。ここで質問です。なぜ「株」には値段があって、その値段がなぜ動くの・・?そもそも「株」って、なんでそんなのがあるの? 誰が作ったの・・?なぜ貴方は「株」の売買をするんですか・・?「株」は貴方の人生にとって、どんな意味があるのですか・・?いかがです? 明快に正答が出ましたでしょうか? では正答を申し上げましょう。例えば今ここに自動車があるとします。貴方はそれを運転出来たとします。それだけでその自動車を運転してドライブにいけますか? 行けませんよネ。当然です。まず、その自動車が貴方の自由になる自動車かどうか・・です。道端に止まっている他人の車ではダメなのは当たり前です。それが貴方の車であったとしましょう。それでもドライブに行けるとは限りませんよネ。ガゾリンが入っているか、タイヤの空気圧が大丈夫か、ちゃんと陸運局に登録してナンバーをもらっているのか・・? ドライブするという日常のなんでもないことですが、実はさまざまな条件をクリアーしている必要がありますよね。「そんな当たり前のことをグダグダと・・つまらん!」って? ちょっちょっと待ってください。実はここからが本題なんですからもう少し読んで見てください。眼からウロコ・・になるかもネ。日常の生活でもそれと同じことが起こります。食事一つするにしても、実は大変な条件をクリアしなければなりません。まずお金があること。それで食材を買います。料理するのに台所が必要です。それには「水、電気、ガス」なども当然備わっていなければなりません。さらに、料理方法を知っていることも必要ですし、食器類もなくてはダメです。それやこれやを考えますと日常の当たり前のことでも大変多くの、しかも難しい条件をクリアーしていく必要があるワケです。でも、私たちはごく当たり前に、ごく自然にそれらをクリアーし食事にありついています。ここなんですネ。ここに「株」の本当の姿があるんですネ。「何のことかワカラン」って? まーそう慌てないで。じっくりと説明いたしますから。ドライブするにしろ食事をするにしろ、これらは人間の自然な「欲」を満たす行為です。「株」で儲けたいというのも人間の持つ自然な欲の一つです。ところが破綻して丸裸になるまで「株」に入れ揚げるお方もいらっしゃいます。ワタシは「欲張り」ですし皆さんも多分欲張りです。でも「株」で破綻したくはありません。破綻するか、それとも自然な欲を満たしていくか・・この境目は何処にあるのでしょう? 「そんなこと、十分心得ている」との声が聞こえます。そこの貴方、「余計なお世話や」と思っていませんか?そうです、余計なお世話をワタシはしているのですが、まーそういわずに最後まで読んで見てください。「破綻するか栄えるか」の境目は先ほど車や食事で述べましたが「自然な・・」であるかどうかに掛かっているんです。食事を作って食べるだけでも、私たちは大変なハードルをクリアしています。しかし、それを「大変なハードルをクリアして食事にありつけた」といつも思っている方は少ないと思います。なぜそう思わないか? それは生きている人間にとって「当たり前で自然」なことだからです。大変な労力を費やして手に入れた「食事」ではあるけれど、それは自然で当たり前の事だからそうは感じないのです。いちいち「食事をする」ためにはお金を手に入れて、台所に電気ガス水道を引いて、食材を手に入れて、料理法を勉強して・・・なんて考えません。自然に当たり前にそうしています。当然のようにそれが出来ています。だから生き長らえているのです。さて、「株」のお話に戻りましょう。「株」の売買は車を運転したり食事をとったりするのと同じことです。自然に当たり前の心で売買できるかどうか、なんです。車を運転していて赤信号になれば止まります。子供が飛び出せばブレーキを踏みます。一方で空いた高速道路では100キロくらい出します。食事だって傷んだ食材は捨てますし、異物が入っていれば食べません。つまり「自然に」自己抑制しています。貴方もワタシも人みな、自然に「自己抑制」しています。そこには理屈はありませんし「感情」も関係ありません。キケンの臭いがすれば無意識に・・「自然に」・・抑制しています。この感覚なんです。この感覚で「株」の売買が出来れば決して「破綻」はありませんし例え思ったほど儲からなくても「十分な満足」が得られます。あしたのためにその3「株の真実」とは「自然な心で売買できる」かどうか。全てがその一言に尽きます。「キケンと安全」の臭いを嗅ぎ分ける感性・・つまり「人間の生きていく自然ななりわい」の感性があるかどうか・・それが「株」で成功するか失敗するかの分岐点なんです。なんか難しい、ですって? いやいやそうではありません。実際貴方だって車や食事でその感性に従って日常を平穏無事に送っておられるではないですか? それをそのままに「株」に応用すればよいだけのことなんです。その「応用するということが、どうすればよいのかよく分からない」とお思いの貴方! この欲張りじじいは今後そのことについて懇々とお話を続けていくつもりです。続けて読んでいただければ、必ずやその極意がご理解いただけると思います。・・しかも無料で・・(涙)。ただ会得できるか出来ないかは貴方しだいですが・・・
2004年09月21日
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ワタシには「哲学」があります。そうです「欲張り」にもそれなりの崇高な「哲学」があるのです。申し添えておきますが、ワタシは某超有名な国立大学の数学と哲学を専攻した輝かしい経歴があるのです。デカルト、ニィーチェなんてお手のもの。線形代数学から位相幾何学なんてちょちょいのちょいです。そうです。超天才とはワタシのことを言うのです。そのワタシが引き算を間違えたのです。そのショックたるやあなた方凡人にはとても想像できないでしょう・・そしてワタシはその時、はっきりと悟りました。「天才も歳には勝てん」ということです。その悟りと共にワタシの「哲学」さらに昇華しました。その昇華した成果をこれから皆様にお披露目したいと思います。しかも無料で・・・(悲)世に欲張りはゴマンとござらっしゃいます。ほらほらそこのアナタ、アナタも欲張りでしょ。でもネ、欲張りには2種類あるのをご存知ですか? 中途半端な欲張りと本物の欲張りの2種類なんです。両者の違いをご説明いたしましょう。はてさて皆様はどちらの欲張りでしょう?中途半端な欲張りは、いや中途半端な欲張りほど欲に限りがありません。一方、本物の徹底した欲張りほど限度をわきまえています。えっ、反対だろうって? いえいえそうではないのですね、これが・・。もし反対とお思いなら、貴方、そうアナタは株に手を出さない方がよいと思いますヨ。賭けごと、勝負ごと一切しないで堅実で実直な人生を歩まれることをお勧めいたします。ところがネ、世の中ヒニクなもので株に手を出さない方がよろしい人程、株に手を出すのですね。そして損してくださる。だからこそ儲かる人がいらっしゃるのですが、儲かる人からみればそういう方は良いお客様。大事にしますネ。儲かる儲かると言ってこの世界に引き留めようとしますネ。甘い言葉やいかにも儲かりそうなことを言ったりします。「あしたのために、その1」中途半端な欲張り・・・良いお客様になる素質十分のお方のこと、と心得るべし。もう少し掘り下げて考えてみましょう。中途半端な欲張りとは、欲が先に立つお方のことです。欲が先にたつとは、物事の考え方とか進め方が「自分は儲かる」と思い込んでいることです。この株は多分「値上がりするだろう」と考えて株を買うことです。株には「値上がりする」という確かな絶対的根拠はほとんどありません。根拠がないのに自分で勝手に「移動平均の何々を超えたとか買いシグナルがいろいろな指数に出ている」とかを根拠付けしています。でもアタリます? それ? あたることもありますがハズレることもあります。買う目安としてそれらは確かに有効ですが、あくまで目安程度です。常にハズレることを念頭におく必要があります。これが常に確実に出来る人が本物の欲張りなんです。「この株は多分値上がりするだろう」ではなくて「この株は値上がりするかもしれないけど値下がりするかもしれない」と思って買うことの出来る人のことです。本物の欲張りは「びびんたれ」です。中途半端な欲張りほど一発勝負(それも曖昧なことを根拠にして)を好みます。しかし・・・しかしです。本物の欲張りは「びびんたれ」ですが、常にチャンスを狙っています。「ここ」というチャンスは決して逃さず、大胆不敵とも思える決断をします。「あしたのために、その2」時は金なりはウソ。感情に振り回されず、理屈を盲信せず、自身の感性を研ぎ澄ませ! そして待つことがマネーを産むと心得るべし。そうなんです。本当に欲の皮が突っ張った人は、待つことを知っているものです。
2004年09月20日
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さて「株も疲れるの法則」で2003年が終わりました。始めたばかりの最初の9月は「思いつき売買法」でまっかっかの赤字。10月から疲れる・・の法則でかたっぱしから売買してトータル黒字になりました。毎年確定申告でお世話になってる税理士さんに「あんた、株をはじめたばっかりで儲けてるやないか!」といかにも自分にもその秘訣を教えてくれと言わんばかりにヒニクを言われました。(とーぜん教えて上げませんでした。)しかし・・しかし、株も疲れるの法則は良いのですが私も疲れます。暇を見てはパソコンにしがみついて値動きを追いかけていましたから、一番に眼に来ました。疲れて画面の数字が見えなくなってきたのです。「こりゃイカン」で日赤に飛んでいってあらゆる眼の検査をしていただきました。私の友人が緑内障にかかって半分失明したと聞いていたのでよけい心配でした。検査を終え結果を聞きに担当医のところに行くときは、死刑判決を受ける囚人の心境ってこんなんだろうな・・としみじみ思いました。担当医の判決が言い渡されました。覚悟を決めて神妙に聞き入りました。「帰って家内にどう言おう・・ショックを与えないような言い方もついでにお医者さんに聞いておこう。」と考えながら・・・「単なる疲れ眼ですネ。異常なしです。」・・・こともなげにお医者さんは言いました。そんなぁーーーーー、そんなひどい・・・それじゃーー私がいろいろ心配したのはなんの意味もないではないか! そんなぁーーーひどい!私は医者のあまりにも事も無げに言うその判決に、ガクゼンとしたのでした。せめて目薬くらい下さいと頼み込んだら医者はシブシブと処方箋を書いてくれました。2週間分の目薬を病院前の薬局で処方してもらい、それを握り締めて帰る時の心のわびしさは、誰にもわからないと思います。気を取り直し次の日からまたまたディスプレイとにらめっこしました。眼が疲れてくると目薬をさしました。目薬は確かに効きました。効きましたけれどせいぜい1週間。それ以後は前と変わらなくなってしまいました。チッ藪医者め! で目薬が無くなりましたけど二度とその病院には行きませんでした。でも、でも・・・・疲れ眼は直りません(当たり前だわなぁーー)こりゃアカン、株が疲れる前にワシの目が疲れ切ってしまう。なんとかせな!株価の動きををじぃーーっと追いかけないでもやれる方法はないんかいな?そういえば数あるメルマガの中に「じことうし・・なんたら」ちゅーのんがあったぞ。あれなら指値で注文出してほったらかしでイケたはず。なにもワシが株価を追いかけることはない。向こうから網にかかってくるのを待ってたらエエんや。じことうしなんたらは、ワシの発見した「株も疲れるの法則」を応用して向こうから網に掛かるのを待つ投資法やった。なかなかうまいこと考えてある。ワシの法則を盗んだことは大目にみてやることにして、いっちょーこれでやってみるか・・・ということで本格的にこの投資法を勉強することにしたんです。週末に送られてくるメルマガを何度も何度も読みました。下げから上げになって、次に予想安値になったら買う???? うーん、分かったような分からんような・・・なになに、上げ2になったら次の週から利食いだって??? うー・・・・・・???分からんけど分かったような・・・とにかく「買え」ちゅーのんを買ってみるか。そしたらなんとかなるやろ。ところが指値注文出してもなかなか買えません。ようやっと買えて「早く芽を出せ柿のタネ、早く上げろよ上げ2まで」・・・「やったぁー上げ2になったぞ! 利食いや利食い、ルン。」いやあわてるな、利食いは来週からや、それまで辛抱辛抱。晴れて週明けとなりました。いよいよ利食いの週です。「なんぼで売るんやったかな?。えーっと予想高値は・・・計算計算・・」で計算して次の日目出度く指値で売れました。儲かりました。ルンルンです。週末メルマガが来ました。あれれ? ワシの売った値段より10円以上も高こう売ってる。なんでや?! 実直で律儀で曖昧なことが嫌いなワタシは(誰や笑うのは・・)徹底的に原因究明です。あぁーーーーーなんてことや!計算するとき時系列の株価を一行見間違えておりましたんです・・眼のせいです。眼がしょぼしょぼしていてそれで見間違えたんです。「アカン、年寄りには無理や。もっと単純に値段が割り出せないことにはこの眼ではついてイケン!」絶望感に打ちひしがれた一瞬でした。このままでは「欲張りじじい」の名が泣く。コケンにかかわる。こんなことで損していては死んでも死に切れん・・・。そうや! ピンと閃くものがありました。 つづく
2004年09月19日
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皆さんは「順張り」それとも「逆張り」が得意ですか?わたし・・?私は「欲張り」が大の得意なんです。それで皆が「欲張りじじい」と言います。じじいと言うからにはそれ相応の立派な年齢です。孫が5人いますです・・。寄る年波には勝てません。体力知力精力・・どれも減退の一途を辿ってます。特に○力は見るも無残な情けない姿に成り果ています。若い頃のあの勢いはどこへ言ったの?・・と涙ながらにじっと**を見ながら優しく労わるのです。(泣)。もし人間に投資する人がいたら、決して私に投資しないでしょうね・・典型的下降トレンドですから、それも急降下・・・。ところがです、ところがオナゴさんにはモテモテなんです。それも若い年頃の娘さんから年増の元娘さんまで・・どうしてか自分でも不思議なんですが、困っているんです・・それで・・。ウソだろって? いえいえホントなんです。まっ、その真偽の程はともかくとして、○力が衰えても出来る「究極の楽して儲ける欲張りの極意」、・・と考えまして、最近株をやりはじめました。アホか! 株で楽して儲けるなんて考える奴はカモネギの超お得意さんだ、ってある人からコテンパーに叱られましたけど・・。私のオヤジはなかなかの人物だったそうです。だったそうですというのは、私はその頃「このクソ親父」と思っていましたので・・。自分は賭け事やオンナで遊びほうけていたのに私には、賭け事遊びごと一切禁止。勉強勉強でごごとの毎日でした・・。亡くなって20年程になりますがそのオヤジが株をやっていました。その昔、株は何を持っていても2倍も3倍もあるいは10倍にもなりまして大儲けできた時代です(そんな時代もう一回こんかな? こんだろな・・。)。儲けたことをさかんに私に自慢していました。それで私は株はあまり好きではないのです。オヤジが亡くなって母親がそれらの株を全て処分してしまいました。(儲けるだけ儲けて処分できた最高の時代でした。)5年ほど前から母親が痴呆になって、それまで母親が管理していた若干の資産を私が管理するようになりました。その中に亡きオヤジ名義の数十株単位の端株が数社ありまして、なんにも知らない私は「確か株というのは1株50円くらいと聞いた。全部あわせても10万くらいか。相続手続きしてお金に換えてもたいしたことはないか・・。」とうっちゃっていたんです。証券会社から配当の小切手みたいのが送られてくるのですが、たいした額でもないしハンコは無いし・・でそれもほったらかし。ところが去年、母親が特別養護老人ホームに入ることになり部屋を整理していてふと株価を新聞で見て見ました・・・・それが、キャノン、カシオ、トヨタ・・それにたった数株のNTT・・50円って誰が言ったの??・・どひゃーとびっくりの金額です。全部でン百万になったのです。そそくさと相続手続きをして現金に換えたのは言うまでもありません。(微笑)どうせないものと思っていたお金。これで株でもやってみるか・・と長年想い焦がれていた「究極の欲張り法」をやってみることにしたのが去年の9月のことなんです。さぁーいざ「究極の極意」を始めることになったのですが、のっけからハタと行き詰まってしまいました。「株のいろは」の「い」も知らないのです。欲のためなら例え火の中水の底・・なんでもやってみてやれ、と、とりあえずメルマガを片っ端から取り寄せ、なんにも分からないのにさっさとネットの証券会社に口座を開きました。株のMLに参加もしまして、トンチンカンな変な質問を撒き散らして皆さんに大いに笑っていただきました。「あなた、株はお止めになったほうが・・」とご親切なご指導もいただきました。(感謝)チャートを眺めながら自分勝手に売買しました。それがなのです、超、ちょー、チョー初心者の私が、売買するたんびに儲かって儲かって・・・ンなワケないか・・・・ホントは(涙)(涙)です。ある日あまりにも情けない結果に売買する元気も失せ、ただジーッとチャートを眺めていました。山あり谷ありの連なったローソクを見て「ふぅーーーん。ワシも疲れたけど株も疲れるんやなぁー」と思いました。それは上がり始めた株が一度二度と休憩しながら上がっていく姿でした。「そや、この株が休憩した時に買うたらかなりイケそうや。」と思いましてそれからはそこを狙って売買するようにしました。皆さんはもうお分かりですネ。そうです、押し目を買ったのです。私は難しい本を買うのが得意です。株の本も沢山買いました。その中でも一目均衡なんたらは高かった割にいまだに良く分かりません。買うのは得意なんですが読むのと理解するのは不得手なんです・・わたしは。「休憩した時に買う」これはイケル! と自分で「株も疲れる理論」を作りましてワシは天才やな、大変な発見をしたぞ、しめしめ誰にも言うまい。と密かに思ったのですが・・・株の入門書の最初に出てくる売買法であることを後で知って、「先を越された」と大いに悔やんだのでした。
2004年09月18日
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