オトキチ日記

革命無罪

革命無罪


昔、王や皇帝がゐた。

権力の頂点に立つと、壮大な城や宮殿を築いた。
それでその時代の人々がみんな城や宮殿に住んでゐたのかといふと、もちろんそんなことはない。

王や皇帝は豪勢な料理を食べて、贅沢な服を着て、宝玉で身を飾つた。
それでその時代の人々がみんな豪勢な料理を食べて、贅沢な服を着て、宝玉で身を飾つてゐたのかといふと、
もちろんそんなことはない。

下々の人間は、雨風もしのげぬあばら家に住み、粗末な食事を食べ、ときにはその粗末な食事さへ口に入らず
飢ゑて死んだ。

それで王や皇帝が鬼か悪魔かといふとさういうことでもない。
王や皇帝といふのはさういふ存在であつて、王や皇帝が贅の限りを尽くすのは当り前であり、その傍らで
下々の人間が飢ゑて死ぬのも当り前だつた。

それが不満であるならば、自らが王や皇帝になれば良いだけの話だつた。
たとへば中国の歴史はさういふ王朝交代の繰り返しがそのまま歴史となつてゐる。

いま北朝鮮は金王朝の治世である。
金王朝二代目の金正日皇帝が君臨してゐる。

であるならば、皇帝が国力のすべてを自らの王朝のために費やしたとて、非難するには当らない。
王朝とは、皇帝とは、さういふ存在なのであるから。

人民が物資の欠乏に困窮してゐやうと、非難するには当らない。
王朝とは、皇帝とは、さういふ存在なのであるから。

それがケシカランといふのなら、王朝を倒し皇帝を廃するしかない。
すなはち(本来の意味での)革命である。
「天命により世を革(あらた)める」

革命を起すことが正しいことなのか否か。
この問ひは実は意味をなさない。
革命に良いも悪いもないのだ。
革命には正も邪もない。善も悪もない。

なぜなら正邪善悪の基準そのものを覆すことが革命であるから。

革命は成就すればすべて正となる。
「革命無罪」(カクメームゼー)とはこの意味で正しい。

それで、北朝鮮の人民は金王朝に対して革命を起すのか?

おそらく革命は起きるだらうと思ふ。
「革命無罪」であつても大義名分は必要で、おそらく以下のやうな図式で語られるだらう。

1 「金日成は偉大であつた」→「しかし二代目の金正日は後継者の器ではなく、偉大な金日成の理想を踏み
   にじつた」→「ゆゑに偉大な金日成の理想を回復させるために金正日を倒さねばならない」

あるいは、金正日の死去後、三代目に対して、

2 「金日成は偉大であり、金正日はその理想を引き継いだ」→「しかし、三代目は・・・」

といふ図式になるのか。

1にせよ2にせよ、革命の主体は軍隊であらう。
北朝鮮は軍人による軍政国家である。
軍が動かずして、革命は成就しない。
物資の欠乏に業を煮やした軍隊がクーデターを起すのだ。

すなはち革命後は本当の軍政国家が出現する。
しかし、軍による統治は短命に終るだらう。
個人崇拝が崩壊したあとでは人民の不満を抑へることはもはやできないから。

そのとき韓国による北朝鮮の併合といふかたちで「朝鮮統一」が実現するだらう。
金日成の悲願が成就するのである。逆のかたちだが。

朝鮮統一後、北朝鮮の馬鹿馬鹿しくも壮大で無駄な建築物の数々は観光の名所として世界中からの観光客を
呼ぶことになるだらう。
よくもまあこんなものを建てたものだと世界中の人が呆れて眺めることだらう。
それらの観光収入は北朝鮮の復興に寄与することになるだらう。

そのときに、もしキムさんがまだガイドをしてゐたら、どんな案内をしてくれるのだらうか。
「覚えてゐますか?」と私。
「たくさんのお客さんを案内してきましたから」とキムさん。
そんなところだらうなあ。

(17.8.30記す)

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