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今日、伴侶が戻ってきました。元気元気。さっそく焼肉食べに行きました。 あー、くたびれた。 あしたからネットに復帰できるかな……
2006年10月19日
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もうろくすっぽネットに繋がる時間が取れなくて弱ったもんです。 お父さんヨレヨレだけど、子どもらがちょっとしっかりするのが収穫っちゃ収穫かな。 PTA会員にご不幸があり、お通夜と告別式に行ってきました。 わたしがPTA始めた頃に学級委員さんやってくれてた、明るくて協力的で親しみの持てるお母さん。本部にも誘ったことあるのですが、そのときすでに大病を患っていて。「元気になったらぜひやらせてもらいます」とおっしゃってくれていたのですが。 病魔に冒されてからも、マンモグラフィー検診の啓発活動などにご活躍でした。 高校のお兄ちゃん、中学のお姉ちゃん、小学校の娘さん。 みんな、とてもしっかりしています。それがまた悲しくて。 お通夜には、それはもうたくさんの保護者、地域の方、子どもたちが集まりました。 お父さんも父親会でおなじみの方で。ふだん快活なお父さん、男泣きでした。 安らかに。
2006年10月07日
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実は、伴侶が入院してるんです。 あ、たいしたことはないんですけどね。二週間ぐらいかなぁ。 なので、家事でバタバタしてるんです。洗濯メンドくさ! 指定都市大会にも行けなくなっちゃいました。 いろんな方にお会いできると思ってたのでちょっと残念です。 そういや、一昨年の日P北海道大会のときも伴侶の入院でドタキャンしたなぁ。 全国大会と伴侶の相性が悪いのかも……。
2006年10月04日
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今日は市P協役員会に行ってきました。 私事にイレギュラーなことがあったりして、日記を更新する余裕がしばらく持てそうにありません。 前回みたいに長い休止にはなりませんので、気長に待ってやってくださいませ。
2006年10月02日
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ヲタクなかいちょーは、もちろん身体を動かすのが得意ではありません。 必死に運動して、ヘトヘトになることの気持ち良さも分からないわけじゃないんで「キライ」とは言いませんが。 でもやっぱり、運動しているよりも、ネットを彷徨ったり本を読んだり、やたら難しい問題についてうんうん唸っているほうが楽しいよー、なのです。 なので、月に2、3回の和太鼓の時間は、苦行でありかつ楽しい時間です。 アスリートなみなさんからすれば“へ”みたいなもんでしょうが、わたしはいっぱいいっぱいです。一時間半で、もう立ってるの嫌! になります。 気持ちE~! 夜は地域の秋祭りの委員会。模擬店をお手伝いいただくたくさんの団体(もちPTAも入っています)の世話係にお集まりいただき、流れの説明と質疑応答。 わたしは学校との連絡調整、来賓接遇などが主任務となっていますが、模擬店担当とか設営担当と違って動きやすいポジションなので、例年、パタパタと走り回ることになります(比較的、若手だし)。 今年もそうなるのでしょう。 主要スタッフ20名、平均年齢40代後半のメンバー、ほとんどは何年もこの祭りを切り盛りしてきたお馴染みさん(わたしも7回目)。 怖いのは、当日の天気と、慣れによる油断、てことになるでしょうか。 気合入れて成功させましょ!(ふくらはぎパンパン、腕が上がりません……を言い訳に、本は読まずに寝ます……)
2006年09月30日
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仕事とかプライベートとかPTAが押し寄せてきてえらいくたびれてます。ネットもほとんど繋がってないよー。 えーと、きのうはふれまちの役員会があって(防災部長さん張り切ってて、2月ぐらいに防災訓練を大がかりにやろうとのこと。叩き台作ってくれてるんだけど、具体的な絵があまり見えてこない……学校との打ち合わせもこれからだし……誰が調整して絵を描くのか……)スポーツクラブの理事会がありました。 今日は国体(あしたからですよ!)の記念イベントとして、スポーツクラブの子どもたち60人ほどが、国体出場選手と一緒にボーリングする、なんて夢の企画があったりして。 貸し切りのボーリング場で、すべて無料で2ゲーム楽しませてもらう、しかも選手と一緒に、、、そりゃ喜ぶに決まってるでしょう。 あと、安全振興会の常任理事会。PTA保険を主な業務としている組織で、保険業法の改正に振り回されて弱っています。20年度からは小額短期保険業者になるか(えらいハードル高いです。現状の事業規模ではとても経費が出てきません)、民間の保険会社に業務を引き継ぐか(これまた、現行の保険料ではやっていけないでしょう)しなけりゃならなくて。 そんな難しいこと、わたしら素人では決められませんよー。 コンサルにいろんな選択肢の長短を調べてもらうことにしましたが……。 従来どおりの共済でやっていけるよう、日Pが金融庁に働きかけているそうですが、難しいようです。学校の子どもたちが入ってる安全互助会もピンチです。 金融庁は利用者を守るため、とか言ってるけど、おかげで格安の共済が運営不能になるって……。保険会社、それも外資系が新たな市場を獲得するための共済潰しという噂もありますが、そうだとしたら日本は終わってます。(本は読めません……)
2006年09月29日
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安倍内閣の支持率70%(讀賣新聞世論調査)ですか……。 小泉内閣支持率87%のときもたいがい驚きましたが、どうもわたしは日本人の中の少数派であるようです。支持も期待もなく、ただただ不安だけがありますもん。 教員免許更新制は、さしたる効果もないのに教員の負担を増やすだけ(わたしたちが望んでいるのは、すべての教員にしっかりした指導力を持ってもらうことでしょう。新卒の、間違いなく教員免許を取り立ての教師たち、みんなしっかりした指導力持ってますか? ありえない……)。 地域・保護者による外部評価は、まあ、やってもいいでしょう。既に全校で外部評価が実施されている大学・短大が、それによってどれほど良くなったのかは大いに疑問ですが。 そして教育バウチャー制。実施されれば、公立小中学校にも、高校と同じような序列化が進んでいくでしょう。教育基本法の改正とセットで行われれば、(国が保証する教育水準は、“児童の能力に応じたもの”になるのですから)底辺校の授業がどうなるかは想像に難くありません。まともな学力をつけさせたければ、たとえ自宅から遠くても、電車通学させてでも人気校に通わせなければなりません。小学校から。 それは現実に合わせた、効率的な対応だという考え方もあるでしょう。 わたしは、公立小学校がこれまで理想としていたことを追い求めていってほしいと願っていますけれど。 今日は月に2回のクラブ活動の日。定刻に学校に行けば、低学年の子どもたちが掃除する中、高学年の部員たちはPCルームに顔をそろえています(昼休みをわずかながら短縮して、通常なら45分のところ、1時間ちょうどの授業時間を確保しています)。 これまでタイピングの練習や絵葉書作り、お絵描きなどやってきました。スキルアップだけ考えるなら、もっともっとタイピング練習して、ワープロを使いこなせるように指導したいところだけれど、クラブ活動はそれを目標にしているわけではなく。 PCを使って何ができるのか、さまざまな可能性をちょびっとずつ体験してもらえたらそれでいいと思っています。 で、今日はチャットをやってみました。「ゲーム」「動画配信」「運動会」「学校への不満」なんて部屋を作って、好きな部屋で好きなようにチャットをします。 わたしは全部の部屋で質問を投げかけたり、煽ってみたり。 ハンドル使用可とはいえ、誰がどんな発言をしているかは丸分かり。なのに……。 個人への誹謗中傷は出るわ、嫌いな先生の批判飛びだすわ、もう目も当てられません。 去年はこうならなかったんだけど、今年は、かなりネット経験豊富な子が何人かいるのが、かえってこうした状況を生んでいるように感じられました。 きみたち。 ネットは、とても素晴らしいコミュニケーションの道具なんだよ。 それを活用して、他で得られない情報を得たり、考えを深めたりすることができるかどうかは、きみたちのネットでの振る舞いにかかっているんだ。 自分で自分の首を絞めるようなことをする大人にならないよう願っているからね。などなど、ネチケットの基本を含めてついつい説教モードになってしまうかいちょーでした。************** 「美しい国へ」ひとり読書会の5回目です。(はじめての方は9月18日の日記の注意書きを読んでください)。★日米同盟の構図●なぜ日米同盟が必要なのか「自国の安全のための最大限の自助努力、「自分の国は自分で守る」という気概が必要なのはいうまでもないが、核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである。」●“行使できない権利”集団自衛権「現在の政府の憲法解釈では、米軍は集団的自衛権を行使して日本を防衛するが、日本は集団的自衛権を行使することはできない。 このことが何を意味するかというと、たとえば、日本の周辺国有事のさいに出動した米軍の兵士が、公海上で遭難し、自衛隊がかれらの救助にあたっているとき、敵から攻撃を受けたら、自衛隊はその場から立ち去らなければならないのである。たとえその米兵が邦人救助の任務にあたっていたとしても、である。」*かなりのページを割いてアメリカの歴史や民主主義についてのお勉強があって(ダークな面は完璧に無視ですが)、日米安保がらみのお話。 アメリカに押し付けられたもの、アメリカの理想を表現した憲法はダメだと匂わせておきながら、日本とアメリカは価値観を共有しており、どう考えても日米同盟を堅持するしかないというあたりが、なんとなく分裂的な印象です。 で、集団的自衛権を行使できないことの不利益として、こういう例を出すかねぇ。だいたい、憲法解釈でたいがいのことはできてきたんでしょうに。上の例みたいな状況なら、それこそ憲法解釈で簡単に切り抜けられるはず。 高い理想を掲げてみたものの、現実論に押されて、憲法解釈で現実論をカタチにしてきたんでしょう。「やっぱこれ理想主義すぎるわ。こんな絵空事やめて、現実路線で行こうよ」ってのはかなりの賛同を得るんだろうけれど、わたしはいつだって理想を頭の隅に置いておくべきだと思ってる。そう思ってる人もけっこういるよ。そういう人の願いを無視しなくたって、今のままだって、かなりのことができるんじゃん。 それをなんとしても憲法改正に持っていこうってからには、憲法解釈ではとても切り抜けられないことをやりたいから、と勘繰られても仕方ないんじゃないのかな。 たとえば集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカが攻撃を受けさえすれば、日本は大手をふって反撃に参加できるわけでしょ? 今だってイスラム原理主義の人たちは対米戦争を仕掛けているわけで(ブッシュさんは対テロの行動を明確に「戦争」と呼んでるよね)。日本はいつだってイスラム主義を殲滅しに出兵できるんだよ(まあ、「できる」のと「する」の間にも、憲法の理想と解釈による現実の落差ぐらいの差があるだろうけどさ)。●お金の援助だけでは世界に評価されない「しかし、湾岸戦争が終わって、クウェート政府が「ワシントンポスト」紙に掲載した「アメリカと世界の国々ありがとう」と題した感謝の全面広告のなかには、残念ながら日本の名前はなかった。 このとき日本は、国際社会では、人的貢献抜きにしては、とても評価などされないのだ、という現実を思い知ったのである。」*いやそれは単純に日本政府が広報に失敗した、ただそれだけでしょうに。 お金くれたら嬉しいよ。お金ないと何にもできないもん。戦争だってお金がないとできやしない。 そりゃ人的貢献は絵になりやすいかもしれないけれど、人的貢献抜きじゃまったく評価されないなんてのは、悪質なデマの類だと思うんですがいかがなもんでしょう。 とかなんとか言いながら、わたしは日本のPKO参加を支持するし、行くからには自衛隊だと思うし、自衛のためにはかなりのフリーハンドが与えられるべきだと思ってるけどさ。 それは憲法の理念に反することなの? んー、反するっていう人も多いんだろうなぁ。(残り3分の1まで来ました……)
2006年09月27日
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文部科学大臣が伊吹文明さんですか……。 ちょっと意外な感じでした。教育基本法改正派ではあるけれど、文教族じゃないよね。 長老議員で、官僚を押さえ込む作戦ですかね。 で、安倍政権の教育改革は山谷えり子・教育再生担当首相補佐官が主導する、と。 山谷えり子さんかぁ……この方、よく分かりません。民主党で当選してもじきに出ていっちゃうし、夫婦別姓を実践していたのに夫婦別姓に慎重なようですし、カトリックだけど統一教会や神道政治連盟と仲良しみたいだし、なんとなく“節操のない”イメージを受けます。【教育】それは子供たちの未来です。●行き過ぎた「ゆとり教育」と「性教育」にストップをかけます。 ● 男女の区別は差別というジェンダーフリー教育をやめ、道徳教育、生命尊重教育、宗教情操教育の充実を図ります。 ● 国を愛し、日本人が大切にしてきた品位、節度、調和、正直、親切、勤勉を重んじる精神が含まれるよう、教育基本法を改正します。 (山谷えり子さんのHP、「政策理念」より)「いいこと言うジャン!」て感じる人も多いでしょうね。 でもさ、道徳教育や生命尊重教育は、これまでも充分にやってきてると思うけどなぁ。 もっともっと? 具体的にどんな感じ? それがわかんない。 宗教情操教育(宗教に関する教養や、多様な宗教観を尊重することを教えるそうです)については確かに公教育では排除されてきただろうから、知識はあったほうがいいでしょうね。統一教会のような個人を食い物にするヒドい宗教にはまらないようにするためにもね。「品位、節度、調和、正直、親切、勤勉を重んじる精神」これまで学校で教えてなかった? もっともっと身につけさせるために、今の教育基本法ではできない、どんなことをするつもり? 注目していきます。(教育基本法については、いずれじっくりと)* * * * * * * * * * * * * 今日は、市P協の役員が集まって、サンバの練習をしてきました。 なんでじゃ?! 来月、指定都市全国大会ってのがあります。全国12の指定都市のPTA協議会が集まって、大都市に特有の問題を意見交換するもの。各都市10数名、全体で200人少々の大会。 その大会の交流会(まあ、飲み、食べ、語り合うわけです)で、例年、各都市が5分ほどの時間で「何か」やることになっていて。歌うところ、寸劇するところ、手品するところ、踊るところ……。 で、神戸なので、サンバというわけです。 うん。「なんだかなぁ」って思う人も多いかも。「PTAの会費使ってバカ騒ぎするんかい!」とかね。 わたしもちょっと思わなくもない。 もちろん、分科会は真剣だよ。他都市の事例を勉強して、なんか真似できること、生かせることないか、吸収してくるつもり(神戸の例も参考にしてね)。 で、交流会では、神戸の仲間との連帯感強め、他都市の知り合いとエールを交換してきます。 アルコールが入って、ワイワイやって、「あの気難しい人、こんなお茶目なところがあったんだ」とか思って、本音も出しやすくなって。 1年こっきりの寄せ集め所帯、こうしたバカ騒ぎを1回やるだけで、そのあとの会議とかが、ぐっと身のあるものになります。よそゆきじゃなく、本気の意見交換ができます。 あと、自分なりに頑張ってるつもりでも、やっぱりくたびれてくるんだよね。会長って、単Pじゃ結構孤独なもの。なかなか愚痴もこぼせません。 で、他所で頑張ってる人とちょっと話をするだけで、自分ももっともっと頑張らなきゃ! って思えるもん。 なので、連Pを活気あるものにするためにも、より良く変えていくためにも、こうした交流会は意義あるものだと思っています。 でも、やっぱり、アルコール含むような会は自腹じゃろ! な思いもある。単Pの飲み会も、いまどきたいていは自腹だよね? ウチだってそう。連Pでも、会議の後、有志が飲みに行くのはもちろん自腹。 ただ、こうした大会の交流会って、ほとんど強制みたいなもんなんだよね。出席はほとんど義務。それを自腹で、って言われるとツライなぁ。会費で賄ってもらえないと、「連Pの役員、好きでやってんじゃないやい」とか「出席しなくてもいいなら、もっと安上がりな店に行くわい!」とか毒づきたくもなっちゃう。「そんな、アルコールつきの集まりなんてやめちゃえ!」って言う意見には、酒を飲まない(でも騒げる)かいちょーとしては、それほど強くは反対しないけどね。でも、たいていの人は、飲んだほうが口も滑らかになるんでないの? と、「言い訳」を書き並べてみましたが、どうなんでしょうね? 時代の流れ、ってのもあるからなぁ。 昔は「あたりまえ」だったことが「非常識」になったりもするわけで、このあたりは「コンセンサス得ながら判断しましょ」ってことになるのかと。* * * * * * * * * * * とにかく、ただただサンバを練習する集まりに、大会参加者14人のうち11人が集まり。 1時間ほども真剣に踊り。 そのあと自腹で飲み食いしながら、バカなことも真剣な話もする。 そうやって、連Pは回っていくのでした。(そして今日もまた、読書はできないのでした……)
2006年09月26日
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子どもたちが通っていた私設私営の学童保育所――いまはもう辞めちゃいましたが――では、例年、運動会の代休にサンマ焼き会をします。 息子が1年のときから、ずーっと手伝っていました。車出して、買い物したり、火熾ししたり。 なので、もう我が子は通っていませんが、手伝っちゃうのです。まあ、P会長であるがゆえ、その学童の「運営委員」だったりするので、運営を手伝ってもヘンじゃないよね。 徒歩1時間ぐらいの河原に出かけて、ご飯炊いて、豚汁作って、サンマ焼きます。 ご飯は子どもたちにまかせきり。豚汁とサンマは大人が。 炭火を熾し、大きな網にサンマ50匹ほど並べて一気に焼きます。炭だから熱い熱い。たちまちいい香りがたちこめます。 もう一枚の網をかぶせて、ぐるっとひっくり返して。この技は3年目に会得しました。 ご飯は、各班(5、6人)がそれぞれ飯盒1個責任持つということになってるんですが、んー、どこも火熾しに苦労しているような。ま、夏休みに3回飯盒炊爨してるし、任せたんだから任せるんです。 で、みごとにベショベショのお粥もどきが大量にできあがったのでした。おまえら、ご飯ぐらいちゃんと炊けるようになってくれー。 大人のご飯は、子どもたちの炊いたのを分捕る作戦だったので……。来年は大人のぶんは大人で炊くことにするべし。 ご飯なくても、サンマは旨いのです。炭で焼いて、ジリジリ言ってるサンマは無茶苦茶ウマイのです。 豚汁がまた旨いんだ。外で食べるとなんでも美味しいけどね。 サンマ3匹食べて、寝っころがって目を閉じて。 幸せ~。(幸せなので、今日も本は読めませんでした)
2006年09月25日
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秋晴れです。空気爽やかです。みんな良かったね! 本部は8時半集合で、来賓のお茶出しとマナーポスターの掲示。 早めに行ってぐるっと回ってみましたが、去年と違ってシートの場所取りはほとんどありませんでした(そのかわり、お隣の公園にはかなりシートが。まあいいよね)。 イラスト入り案内のおかげかも。絵師の方、よくやってくれました。 来賓の中でも、元校長や教育委員会、地域の重鎮などは校長室へ。 小P連会長なせいか、教委の方が例年よりたくさんお見えになります。みなさん、今日一日で4、5校ぐらい回るそうです。たいへんです。 開会の頃には、トラック(一周110メートル……これが限界)の周囲には児童がぎっしり。その周囲には保護者がぎっしり。敬老席も来賓席もぎっしりの、ぎゅうぎゅう詰め状態ができあがって。 はじめの体操も、1000人近くが並ぶと壮観です。手を大きく振るようなことはできません。 来賓席抜け出して、ぐるり巡回。「次のプログラム出演の保護者のため、前をお開けください」とか言って回ります。脚立なし。日傘ちらほら。 うーん、日傘差してるのは、みなさんお年寄りで。保護者でない地域の方には、日傘禁止とか伝わってないもんなぁ。日差し強烈だもんなぁ。とりあえず前のほうで見てる方には「申し訳ありませんが、周囲のご迷惑になりますので、ここでは日傘はご遠慮ください」とか言って。 徒競走、そりゃもうみんな必死に走ってます。カワイイもんです。低学年は直線(わずか30メートル)、中学年からトラック(カーブが急なので、みんな大変そう)。 各学年、音楽に合わせての演技もあります。けっこう複雑な振り。覚えるだけで大変だー。でも、わずか3週間の練習で、ここまでできるんだね。たいしたもんだ。やればできる。エライです。 組体操、今年も4段タワーが2本、みごとに立ち上がりました。てっぺんに立つふたりの誇らしげな顔! 頑張ったね。スゴい! 昼食は、親子揃って、思い思いの場所で。体育館と教室も開放しています。でも、4階まで上がって食べてると、時間短すぎます。かなりあわただしいです。 でも、これぐらいがいいのかも。ゆっくりのんびりしてたら、午後からダラけちゃうかもね。 ちなみに、PTAの会長は校長室で来賓の方々と昼食を取ることが望まれているようでもありますが、今年もお断りさせていただきました。いつもご一緒させていただいているみなさんですので、お許しくださいませ。 午後はクラブ活動のバトン部の演技に続いて、保護者競技の綱引き。指揮台に立って「全体、進め!」とかやらせてもらいました。みなさん力いっぱいで、見ていて気持ちよかったです。あしたに差しさわりのありませんように……。 縦割りでの対抗戦は大玉転がしや綱引き、玉入れ。玉入れは規定の数をどれだけ早くカゴにいれるかの競争。これなら数えなくてすむから時間が節約できるんですね。で、低学年と高学年が組むんですけど、ふつうに考えて高学年がびしばし入れれば早いんですけど、低学年に譲って応援して。指導されてるんだろうけど、えらいなぁ。で、最後のボールを誰が入れるかでジャンケンしたりして。アホです。微笑ましいです。 ラストは大会の華、6年生のリレー。声援も最高潮。盛り上がります。歯を食いしばって、必死に走って、転倒して泣いて。いいなぁ。精一杯できれば結果はよし。 優勝は赤組(学年ごとにクラス数が違うので、各クラスを4色に分けての対抗戦です)。でっかい優勝旗を受け取って。 6年生の終わりの言葉。タワーのてっぺんに立った女の子。行事委員会でも頑張ったんだよね。そりゃもう立派な挨拶でしたよ。全学年の頑張りをひとつひとつ讃えて、感謝して。たいしたもんだ。 本部は最後の後片付け、掃除を手伝って。 途中、飲酒や喫煙もぽつぽつ見かけましたが、注意すればみなさんそれなりに。 残念なのは、駐車違反がいくつかあったことでしょうか。ウチなんて一番遠いところでも徒歩15分なんだけどなぁ。これまでなかったけどなぁ。来年は7禁が8禁になっちゃうんでしょうか。 お疲れさま!(今日も本は読めません~)
2006年09月24日
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多忙につき、読書会はパス。 中学の運動会に来賓として行ってきました。 ピカピカの上天気。子どもたち元気いっぱい。 マジメに走ります。かなりキビキビしています。服装もきちんとして。 数年前より、「きちん」とした印象を受けました。校長の方針が行き届いてきた? 中学のP(でも、小学校のPでもお馴染みだった)方々に、名札のことをあれこれ聞いてみたりして。 児童ひとりにつき1枚配布。ふむ。子ども多いと2枚とかですか。あ、P会費を児童数で集めてるのかな? 持って来なかった人には、入り口でシールを配布。なるほど。やっぱ委員さんが頑張らなきゃいけないのね。あ、生徒にも手伝わせてるんだ。いいなぁ。 毎年、名札を全部回収して再配布。うーむ。めんどくさいけど意識付けにはいいだろうね。 ぽかぽか陽気に目を開いていられなくなったので帰ります!
2006年09月23日
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運動会をあさってに控え、P室では学年委員会報告の印刷や、名札の作成、マナーアップポスターの作成などが行われています。 かいちょーは最後の練習に勤しむ子どもたちの姿をぼーっと眺め、外に出てタバコを吸い、教頭とダベり、できたプリントを確認し、お母さんたちの邪魔をします。 あさって、天気になりますように。* * * * * * * * * * 「美しい国へ」ひとり読書会の4回目です。(はじめての方は9月18日の日記の注意書きを読んでください)。 2章の後半は主に靖国批判について。安倍さんの主張に特に目新しいものはありません。で、実のところ、わたしは靖国問題について、右寄りの方々に近い考えを持っています。 東京裁判は事後法(B級は除く)による眉唾物だし、すべての戦犯が赦免され名誉回復されているのは事実でしょう。そして、国家の命令で戦争に赴き、命を落とした人たちには、国家の代表者が特に篤い礼をはらうのも、当然だと感じます。 むしろ問題なのは、日本人が、自らの手であの戦争の総括を行わなかった点にあると思います。 あの戦争で国民・国家が受けた甚大な被害に対して(もちろん、国民のほとんどが戦争を望み、後押ししていたという事実はあっても)、何がマズかったのか、誰がどのような責任を負うべきか、しっかり見つめるべきだったのではないでしょうか。 戦勝国の言うがままに裁き(それは仕方なかったでしょうが)、後にすべて赦免する。誰も悪い人はいなかったことになり、何が悪かったのかも曖昧なまま。これじゃ「反省していない」と見られても仕方がないでしょう。(当時の状況の中で、戦争によって領土を拡大しようとしたことそのものは、反省すべき罪ではなかったかもしれません。それでも、勝ち目のない戦いをさも勝ち目があるように見せかけ、勝ち目がないと思いつつも戦争に突入させたことは、許されない犯罪行為だと感じます)。 あと、靖国参拝に関して言えば、アメリカの下院で「モラルの崩壊だ」などと批判されたことに対して、安倍さんがどう応えるのかには興味津津だったりして。中韓の批判に対するのと同じような姿勢をちゃんと貫けるかな。どうかな?★第三章 ナショナリズムとはなにか●「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌「また、「日の丸」は、かつての軍国主義の象徴であり、「君が代」は、天皇の御世を指すといって、拒否する人たちもまだ教育現場にはいる。これには反論する気にもならないが、かれらは、スポーツの表彰をどんな気持ちでながめているのだろうか」「「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴としての天皇である。日本では、天皇を縦糸として歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか。素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。」*いや、これじゃ匿名掲示板の落書き以下だと思うんですけど。自分と対立する主張は「クズ」だ「ゴミ」だと言い募って無視する。それだけ。 それだけでいいの? 理解する気ゼロ? 説得する気ゼロ? いやはや。 で、「ほんの一時期」かもしれませんが、「ついこのあいだの一時期」で、「総括もせずにずるずる引っ張ってる時期」なんじゃないの? しかも、安倍さんが憧れ、その時期の美しさを取り戻したいと願っている時期のような気がするんですけれど……。●「地球市民」は信用できるか「では、自分たちが生まれ育った郷土にたいするそうした素朴な愛着は、どこから生まれるのだろうか。すこし考えると、そうした感情とは、郷土が帰属している国の歴史や伝統、そして文化に接触しながらはぐくまれてきたことがわかる。 とすれば、自分の帰属する場所とは、自らの国をおいてほかにはない。自らが帰属する国が紡いできた歴史や伝統、また文化に誇りをもちたいと思うのは、だれがなんといおうと、本来、ごく自然の感情なのである。●郷土愛とはなにか「若者たちが、自分たちが生まれ育った国を自然に愛する気持ちをもつようになるには、教育の現場や地域で、まずは、郷土愛をはぐくむことが必要だ。国に対する帰属意識は、その延長線上で醸成されるのではないだろうか。」*だいたい同意なんですけどね。自分自身への、親への、兄弟への、隣人への、地域への愛着は、本来、ごく自然の感情だと思いますよ(それは、歴史や伝統、文化がどれほどショボかろうが、立派だろうが、あまり関係ないような気もしますが……)。 で、ごく自然な感情が、今の世代に欠けているように感じられるなら(わたしはそうは思わないんだけどね)、「すこし考えると」それを阻害している要因がどこかにあるという結論になるのが普通でない? なんたって「ごく自然の感情」なんだから、ほっといても持って当たり前。持たないのが異常。 もし郷土への愛着が欠けていると思っているのであれば、それを無理やり「教育の現場や地域ではぐくむ」んじゃなくて、愛着が持てなくなっている要因を取り除こうとするのが自然な態度だと思うんですがいかがなもんでしょう。●「公」の言葉と「私」の感情「六十年前、天皇が特別の意味をもった時代があった。そして多くの若者たちの、哀しい悲劇が生まれることになった。」「国のために死ぬことにを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。彼らの気持ちをつぎのように語る人は多い。《かれらは、この戦争に勝てば、日本は平和で豊かな国になると信じた。愛しきもののために――それは、父母であり、兄弟姉妹であり、友人であり、恋人であった。そしてその愛しきものたちが住まう、日本であり、郷土であった。かれらは、それらを守るために出撃していったのだ》 わたしもそう思う。だが他方、自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠のものにしようとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか。彼らは「公」の場で発する言葉と、「死」の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである。」*「ほんの一時期のことを言挙げして」るのは安倍さんのような……。まあいいや。 「だが他方」から後のことは、安倍さんの勝手な思い込み、願望、だよね? そういうこと願っていた人もいたかもしれないけれど、わたしとしては、特攻隊員の思いは《 》内で充分(いや、その他にもいろんな葛藤がもちろんあっただろうけれど)。安倍さんのつけたしは妄想みたいなもんだと思うけどなぁ。 で、わたしみたいに、「死を目前にした瞬間」「日本という国の悠久の歴史が続くことを」たぶん願わないような人間は、愛国心を持たない不自然な人間ってことになるんでしょうかね。 そして、第三章の最後は、このような美しい言葉に向かっていくのでした。「たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。 わたしたちは、いまの自由で平和な国に暮らしている。しかしこの自由や民主主義をわたしたちの手で守らなければならない。そして、わたしたちの大切な価値や理想を守ることは、郷土を守ることであり、それはまた、愛しい家族を守ることでもあるのだ。」*家族を守るためにいのちを投げ打つのはいいんですけどね。 そのために、郷土や理想を守ろうとするのはありえるかなぁ。 なんにせよ、「家族を守る」のが最優先で、そのためには「国を捨てる」ことだってありえると思うんですが違うんでしょうか。ってか、そんな考え方をするようじゃやっぱり愛国心を持たない不自然人間? あ、いのちを投げ打つかどうかは、どうか自分で決めさせてください。 そこは譲れませんのでひとつよろしく。(ようやく、半分ぐらいきましたよ。どんどんツラクなってますよ……)
2006年09月22日
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今日は読書会はお休みします。やめるつもりはありませんが、時間取られるんだこれ。「共に生きる社会を願って」と題してのシンポジウム。 小P連の会長として、来賓扱いでの出席でした。 数年前までは、このシンポジウムは盲学校・養護学校のPTAだけで行われていて、小Pや中Pには案内が来なかったような記憶があります。 それが、盲・養P連の会長さんが市P協の席で「一緒に考えてもらいたい問題です。どうか他校種のPTAの方々も聞いてください」って言って、小学校全校にも案内が行くようになって。 いいことだよね。これこそ、社会全体の意識が変わっていかなきゃ、障碍者とその周囲だけで考えていても埒があかない問題だもん。 で、今では小Pにも各校1,2名の動員がかかっています。 さてさて、研修会への動員。嫌なもんだよね。単Pのこと必死にやるだけでも大変なのに、一番大変な思いをしている役員の人がさらに出席を強いられる。「自分から出席しようと思えるような研修会を。強制的に動員かけるなんて無意味!」って意見もよく分かる。わたしもそう感じてた。 でも、わたし、「盲・養護学校のシンポジウムがあります。保護者の方の体験発表や、自立支援組織を運営している方の講演があります」って案内が来ても、申し訳ないけれど、自分から行くことはまず考えられない。「お願いだから来てね、何が何でも来てね、各校1人か2人、かならず来てね」と言われて、「しょうがないなぁ」で行って。 で、いいお話を聞いて、涙して、自分にできることは何か考えて、周りの人にもそうした想いを伝えて。 うん。動員も必要。必要な動員もある。 だからこそ、動員かけた上に、居眠りしちゃうような退屈な話を聞かせるのは害悪だと思っちゃう。(いやさ、どんな研修会でも、主催者側には伝えたい思いがあるんだろうけどね。にしても、毎年のルーティンでのやっつけ仕事みたいに感じられる研修会があるのも事実) 障碍児を持つふたりの保護者の発表。絶望し、必死に頑張り、無理解に涙し、それでも「生きてるだけで丸もうけ」と言い切れる。 自立支援法によって、さらなる孤立を、ついには死さえも強いられるたくさんの人たち。何ができるんだろう? 何かできるはず。なんとかしなくちゃ!「わたしの子どもは、たいていの子が1年かかってできるようになることが、30年かかってようやくできるようになりました。だからこそ、その成長のひとつひとつが、100倍、1000倍、1万倍も愛おしく、嬉しい。いろんな人がいろんな成長で、それぞれに達成感を持って生きていけるような社会を」 そうだよね。そうでなきゃいけないよね。「こでまでは、障碍者のマイナス部分をサポートすることばかりに重きが置かれていた。できないところに着目したら、前に進むことはできない。 10のことができる子、5ができる子、0.1ができる子。それぞれのできることを出し合って、助け合って生きていかなきゃ」 こんなの、障碍者に限った話じゃないんだよね。誰にだって苦手なことはある。ダメなところはある。そこにばかり目を向けてたら、イヤな世の中になっちゃうんじゃない?* * * * * * * * * * * さて、「国旗・国歌強制は違憲」という判決がでましたね。 正直、「困ったもんだなぁ」と思います。というか、そもそも教職員が訴訟を起こしたことが「マズイんでないの?」と感じます。 違憲かどうか。 個人的には、都教委の通達は憲法に違反する可能性が高いと思っています。 でもこれは、解釈する人によって判断が分かれるだろうし、おそらくこの訴訟も都が上告して逆転、になるんじゃないかなぁ。 で、何がマズイって、訴えを起こした教職員、世間の共感をさっぱり得ていませんよ。「強制はなんだかなぁ……」と感じる人(それは少なくないはず)であっても、「式典の流れを尊重するのは礼儀として当然だろ!」な感覚に押されて「このトンデモ教員め!」と思ってしまう。それが“和を尊ぶ”多くの日本人の皮膚感覚でしょう。 共感し、応援してくれる人を増やそうとしない、逆に敵を増やしてしまう、愚かな自慰行為に思えてしまいます。 安倍さんは、教育基本法を、憲法を改正しようとしているんですよ。「いや、わざわざ改正しなくても、まあ、そんなに悪いもんじゃないんでないの?」と感じている多くの人たちがいるはずなのに。 その人たちが、「こんな、“内心の自由”を盾にとって自由気ままに、周囲の迷惑顧みず行動するような輩がいるなら、もっと強制的なものに改正するのも仕方ないかなぁ」と感じてしまう。 国歌だろうが、国旗だろうが、心の中で「あかんべえ」したけりゃすればいい。天皇だって、仲間うちで批判したければ存分にすればいい。 そうしたものを尊重する人たちの前で、あからさまにそれを侮蔑するのは、礼儀知らずのお子ちゃまと言われても仕方ない。 訴えを起こした教職員たちの行動は、多くの人たちの反感を引き起こし、安倍さんの憲法改正を後押しした。ただそれだけです。 あなたたちは、自分の理想を貫き、思想に殉じて満足かもしれない。 けれど、あなたたちのような人たちを教壇から排斥するために教育基本法も憲法も改正され、より強制的な、思想統制的な環境のもとで子どもたちが育っていくことを後押ししている。 もっと“上手に”闘ってくださいよ、もう!
2006年09月21日
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今日は「PTA電話相談室」な感じで、本部のメンバーや、お隣の小学校の役員さんと喋っておりました。 初めてだと、いろいろ分かんないことあるよね。そう難しく考えることないんだけどなぁ。相手するのも、同じ保護者仲間や先生。構えることないよ。 と、6年目の余裕で答えてしまうわけですが、1、2年目のことを思い出すとわたしも……(赤面)。 自然体で行きたいもんです。* * * * * * * * * * * さて、自民党第21代総裁が粛々と決まりました。 この方が、日本をどんな方向に導こうとしているのか、よくよく言動に気をつけていきたいと思います(最初の記者会見は、あいかわらず当たり障りのないものでしたね)。 引き続き「美しい国へ」を読んでいきます。(はじめての方は9月18日の日記の注意書きを読んでください)。 ようやく第一章が終わりに近づいてきました。 ここまでに、父、安倍晋太郎に関するエピソードの紹介と外交に関する心構え、自民党の下野と政権復帰のおはなし、自民党の政権復帰後、党の理念や綱領を見直した際に「自主憲法の制定」を党是とするかどうかで闘ったことなどが書かれています。 そして、「わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ。政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ。」という文章に続いて、第一章の締めくくり。●たじろがず、批判を覚悟で臨む(古今東西の政治家の中で、もっとも決断力に富むとチャーチルを評価し、彼のエピソ-ドに続けて)「チャーチルは若い頃から、すぐれた伝統と文化を持つ大英帝国の力を維持するには、国民生活の安定が不可欠だと考え、社会保障の充実を唱えてきた。安全保障と社会保障――じつはこれこそが政治家としてのわたしのテーマなのである。 確たる信念をもち、たじろがず、批判を覚悟で臨む――あらたな決意だった。」*もちろん、政治家が自分の重視するテーマを持っていていいのです。 安全保障と社会保障ですね。とても大切だと思います。 安倍さんはかねてより安保条約が片務的であることを問題にし、双務的であるべきだ、集団自衛権が発動できるよう憲法を改正すべきだと主張してきました。そうした方向で、「批判はもとより覚悟のうえ」「確たる信念」で政策を実現していくつもりなんでしょう。 それにしては、総裁選に向けての政権構想では、『「世界とアジアのための日米同盟」を強化させ、日米双方が「ともに汗をかく」体制を確立。経済分野でも同盟関係を強化』という、なんとも意味不明な言い回し。 とても、「批判はもとより覚悟のうえ」「確たる信念」を持っているように見えません。 まあ、ご自身の信念の正しさを検証しようとしたり、他者の信念を尊重したりする態度はこれまで微塵も感じられませんから、それでもいいんでしょう。「わたしは正しい。正しいことをやる」という姿勢を貫くのであれば、国民の理解を得ようとすることなんてほとんど無意味ですもんね。 にしても、チャーチルが維持しようとした大英帝国、そのあとどうなっちゃったかぐらいはご存知でしょうに。たぶん、チャーチル以降の為政者が「闘わない政治家」だったんでしょう。 で、かつての大英帝国のような、明確な階層社会をわたしたちニッポン国民が望んでいるかどうかは、安倍さんは聞いてくれないんだろうなぁ……。(社会保障については、おいおいと)★第二章 自立する国家●わたしが拉致問題を知ったとき「にもかかわらず(引用者注:拉致という、わが国の安全保障にかかわる重大問題が明らかになったにもかかわらず)、外務省の一部の人たちは、拉致問題を日朝国交正常化の障害としかとらえていなかった。相手のつくった土俵の上で、相手に気に入られる相撲をとってみせる――従来から変わらぬ外交手法、とりわけ対中、対北朝鮮が以降の常道だった。つねに相手のペースをくずさないように協力して相撲をとれば、それなりの見返りがある。それを成果とするのが戦後の外交であった。」*安倍さんが自慢できる(唯一の?)拉致問題というテーマですから、勇ましいのは当然でしょうか。 このあと、こうした「相手のつくった土俵の上で、相手に気に入られる相撲をとってみせる」外交を批判していくわけですが、それはそれでいいと思います。独立国家だもんね。相手の言うがままじゃ外交なんて言えないよね。 えと、岸信介さんは、アメリカに対して、相手のつくった土俵から出て相撲を取ったのかな? 安倍さんは、これから、アメリカに対して、「相手に気に入られる相撲」なんて取らないんだよね? とてもそうは思えないんですけれど……。 まあ、北朝鮮や中国に対する外交がいまひとつだったのはその通りだよね。で、それを批判するのにこうした理屈(?)を持ち出しておいて、対アメリカでは忠犬みたいな態度だと、どうも理屈に弱い、あいかわらず情緒だけの人なのかなぁ、なんて感じてしまいます。●国はわたしたちに何をしてくれるのか「国民がパスポートをもつことによって国家の保護を受けられるということは、裏を返せば、個々人にも、応分の義務が生じるということでもある。 たとえば、タックス・ペイヤーとしての義務を果たす。一票の権利を行使する。自分の住む町を含めた公共に奉仕する――個々人がそうした役割を担わなければ、国家というものは成り立っていかない。」*この文脈で「義務」というコトバを使っていいわけ? 安倍さん、コトバには敏感なのかと思っていたけれど、これはちよっとヒドイような。「一票の権利を行使する」ことが、国家に対する「応分の義務」って読めるんだけど。 いやさ、「義務」というコトバで、こうした“良識のある大人なら当然やるべきこと”を表現するのも可能だとは思うけれど、この文脈で、政治家が「義務」というコトバを使っていいとは思えない。 んー、全体に具体的な主張に乏しい、情緒的な内容の本だと感じ始めていたけれど、言葉遣いまで情緒的なんじゃ、読み解く意味がますますなくなってくるんですけど……。(今日は2割ぐらい進みました。先は長い、、、教育問題にたどりつくのはいつのことやら……)
2006年09月20日
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朝からP室で資料づくり~。 な、なんと、ウチのPTAではこれまでずっと、転入生の保護者に対してろくにPTAの案内をしていませんでした。今年もすでに10世帯ぐらい転入生があって。 ダメじゃん! なので、転入生保護者にPTA活動の説明をし、協力を願い、問い合わせ先を教え、、、な文章をパコパコ。 あと、運動会の「禁酒・禁煙・禁場所取り・禁レジャーテーブル・禁脚立・禁パラソル・禁ペット」の案内文作成。今年の本部には素晴らしい絵師がいて美麗なカット描いてくれますので、「これならみんな読んでくれるだろ!」なものができました。絵が描けるっていいなぁ。 で、できたものはさっそく印刷、配布。 なんだけど、わたしの入力作業のほうが遅々としていて、本部のみなさんにずいぶん時間の無駄をさせてしまいました。 段取り悪すぎ!>ぢぶん* * * * * * * * * * * * * さて、「美しい国へ・ひとり読書会」の続きです。 昨日のペースだと、いつまでたっても肝心な「教育の再生」にたどりつかないので、ペース上げ気味で。●その時代に生きた国民の目で歴史を見直す「だからといってわたしは、ことさら大声で「保守主義」を叫ぶつもりはない。わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。 現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きたひとたちに対しても責任をもつ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守られてきたのかについて、プルーデントな認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神ではないか、と思っている。」*先の大戦について、国の指導者だけでなく、マスコミも民意の多くも、軍部を支持していたでしょ? な話に続いての文章です。 この文章そのものは、「何が言いたいの?」な感じ。安倍さんは「大声ふりしぼって」なキャラクターではないけれど、いつだってかなりきっちりした保守の姿勢で発言してきたよね? その姿勢を「イデオロギー」と呼ばずして、何と呼べばいいのやら。 まあ、「イデオロギー」という手垢のついたコトバを嫌う気分はわからんでもない。コトバに敏感なのはとても良いことです(単なる言い換えじゃ意味ないけど~)。 で、コトバに敏感な安倍さんが、ここで「プルーデント」っていう、いまひとつ人口に膾炙したとは言い難いコトバを使うのはなぜなんだろう? 証券用語の「プルーデントマン・ルール」のイメージ? 単純に「慎重な」とか「思慮深い」とかいったコトバでは表現できないニュアンスを伝えたいんだよね。文脈からすると、「歴史は単純な善悪の二元論では割り切れない。あれこれいろんな側面を慎重に勘案しないと見えてこないよ」ってことなんだろうし、そのこと自体は間違ってないでしょう。 でも、安倍さんが言う「過去に生きたひとたちに対しても責任を持つ」姿勢は、結局のところ「当時の人たちもあれこれ考えて良かれと思ってやったんだから許しちゃれ」にしか聞こえない。 プルーデントマンだって、結局はどこかに投資するんでしょう。いつまでも慎重に考えてるだけじゃない。 過去の歴史に「責任を持つ」からには、どこかの時点の、誰かの行動を「こうすべきであった。これは間違っていた」と判断し、「その過ちは繰り返さない」と言わなきゃいけないんでないの? 一億総懺悔して、「あれもこれも仕方なかった。あの戦争は起こるべくして起きた」なイメージふりまいて、結局は軍部や為政者を免罪しているように思えてなりません。●日本が独立を取り戻すための目標「憲法草案の起草にあたった人たちが理想主義的な情熱を抱いていたのは事実だが、連合軍の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった。」「それから五十年、自民党は政権政党として、第一の目標は、高度成長によって、みごとに達成したといっていい。しかし、第二の目標は、後回しにされてしまった。順番としてはやむをえなかったのだろうが、その結果、弊害もあらわれることになった。損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家族の絆や、生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになってしまったのである。」*自由党と日本民主党が合併したのには大きなふたつの理由があった。第一の目標は「戦争で疲弊した経済力を回復すること」、第二の目標は「日本が本当の意味での独立を取り戻すこと」=「国の骨格である憲法や教育基本法を、日本国民自らの手で、白地からつくりだすこと」である、と述べた後の文章です。 わたしは、このあたりの安部さんの情緒には、かなり共感できてしまいます。 戦後、みんなが復興のためにがむしゃらに働くしかなかった。働いて、豊かになっていくのが面白くてしょうがなかった。働くこと以外は軽視され、地域での人と人のつながりはどんどん希薄になっちゃった。こりゃイカン!と、わたしも感じています。 で、それは、自主憲法を制定すればなんとかなる問題なの? 家族の絆を取り戻すこと。地域の人々と触れあい、ともに地域を良くしていこうとすること。 占領下に作られた憲法は、そうしたことを軽視している? 自主憲法でそのようなことを重視し、強制すれば、みんなが貧しくとも、清く正しく美しい生き方に目覚める? 家族や地域の絆と、働いて豊かになること。 たいていの人は、「どっちも大切」だと、心の底では感じてるんじゃないのかなぁ。 限られた時間の中で、どちらにどれほどの時間とエネルギーを投入するか、悩みながら、どうにか折り合いをつけて暮らしているんだと、わたしは思ってる。 その時間とエネルギーの割り振りを、どうすればもうちょっと「家族・地域」寄りにすることができるのか。 この本で、これから安倍さんなりの回答が見えてくるんでしょうね。 まだまだじっくり読ませてもらいます。(はい、これで1割……ちっともペース上がってないじゃん!)
2006年09月19日
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今日も何もない休日。おウチでのんびり。 13日に「安倍政権でこうなる?」ってのを書いたけれど(これ)えーと、「側近」(って、麻生氏を推薦してる一年生議員が側近なワケないだろ! とか思いつつ……)がどんな電波を飛ばそうが、ご本人がしっかりしていれば無問題なわけで。 やはりここは大ベストセラーとなっている『美しい国へ』を読まなきゃいけないかなぁ、と思って買ってきました。『美しい国へ』 (安倍晋三著 文春新書 本体730円+税 ISBN 4-16-660524-0) これからじっくり読んで、感じたことを書いていこうと思います。 奥付見ると第6刷になっていますね。 40万部かぁ……一冊100円前後の印税だろうから……かなりの収入になりますね。わたしも貢献しちゃった。こんだけ売れ行きの“堅い”本なんだから、もっと定価下げられるだろうに……。 党員140万でしたっけ。まだまだ売れるんだろうなぁ。 何日かかけて、かいちょー流にコメントしていきます。 批判的な先入観を持って読んでいくので、どうしても色眼鏡のかかったものになるかと。 で、引用+コメントという形式は、著作権法に抵触する可能性があるかもしれません(引用がかなり多くなるものと思われますので。本当は内容の要約をみなさんに紹介したかったのですが、さすがに二次的著作物になってしまうでしょう)。 わたしとしては、「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で」引用を行っていくつもりではあるのですが、正直、自信はありません。 文藝春秋社、著者など著作権者の関係者から、著作権法上の疑義が提示されれば、すぐに全文を削除する用意があります(その際は、どのような形式の引用であれば許諾いただけるかもご意見いただければ幸いです)。 なお、章タイトル(★印)と見出し(●印)も原文のままですが、見出しはごく一部だけしか書いていません。各章、10から20ほどの見出しがあり、それぞれ1、2ページの文章のリードになっている、という構成になっています。●はじめに――「闘う政治家」「闘わない政治家」「「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。」「初当選して以来、わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スピーク・フォー・ジャパン」という国民の声に耳を澄ますことなのである。」*「闘う」「闘わない」の二分法で、しかも「そうありたいと願っている」レベルなら、どんな政治家だって「闘う政治家でありたい!」と主張するんじゃないかな……。 まあ、安倍さんは昔からけっこう思い切った発言をされていましたので、「闘う政治家」なのは間違いないと思います。 多数の反対意見が予想されても、自分が「日本のためになる」と信じたことは堂々と主張する。素晴らしいと思います。どうか、その態度を貫いてください。(「堂々と主張する」のと、「無理やり強行する」のは別ですよね?)「総裁候補は靖国参拝についての態度を明確にすべき」とか、「ICBMでも核兵器でも、保有することに憲法上の問題はない」とか、昔のように堂々と主張していただきたいと願います。総裁候補になった途端、のらりくらりと言質取られない発言が多くなったような気がするのはわたしだけでしょうか。★第一章 わたしの原点●「保守主義」の言葉の持つ語感「では、お前はどういう考えの持ち主なのか、と問われれば、わたしはこうしたアメリカでいわれる「リベラル」ではない。「保守主義」、さらにいえば「開かれた保守主義」がわたしの立場である。」「小さな頃から、祖父が「保守反動の権化」だとか「政界の黒幕」とか呼ばれていたのを知っていたし、「お前のじいさんは、A級戦犯の容疑者じゃないか」といわれることもあったので、その反発から、「保守」という言葉に、逆に親近感をおぼえたのかもしれない。」*イギリスやアメリカの「リベラル」ではない、わたしは「開かれた保守主義」で行くぞ、の言やよし。 ただ、ご自身がなぜ「開かれた保守主義」なのかを説明するのに、「家族が悪く言われた反発で」と読めてしまうのですがいいのでしょうか? まあ、後からまともな説明があるのでしょう。 文章の流れからすると、「開かれた保守主義」の説明もここにほしいと思うけどなぁ。きっと、この本を読むような方々には自明なのだろうし、おいおい明らかになっていくのでしょう。●うさんくさい気がした「安保反対」の理由「高校の授業のときだった。担当の先生は、七〇年を機に安保条約を破棄すべきであるという立場にたって話をした。」「わたしは、安保について詳しくは知らなかったが、この場で反論できるのは、わたししかいない。いや、むしろ反論すべきではないか、と思って、こう質問した。「新条約には経済条項もあります。そこには日米間の経済協力がうたわれていますが、どう思いますか」 すると、先生の顔色がサッと変わった。《岸信介の孫だから、安保の条文をきっと読んでいるに違いない。へたなことはいえないな》――そう思ったのか、不愉快な顔をして、話題をほかに変えてしまった。」「中身も吟味せずに、何かというと、革新とか反権力を叫ぶ人たちを、どこかうんさくさいなぁ、と感じていたから、この先生のうろたえぶりは、わたしにとって決定的だった。」*家族が悪玉にされりゃ、そりゃ反発しますよね。防御的になって当然。 この勉強不足の教師のように、時代のムードに流されて、ろくに勉強もせずに尻馬に乗る人が多いのは事実でしょう。それは「革新とか反権力を叫ぶ人」に限った話ではありませんよね。 で、この先生の情けない態度が、安倍さんのどのような考えを「決定的」にしたのでしょうか。「中身も吟味せずに声高に叫ぶ人たちは顧慮する必要なし」ってことだったらいいのですが、どうもそう読めない。「思慮に思慮を重ね、中身を吟味して政策を決めているのだ。それに反対する革新勢力やマスコミ、進歩的文化人と呼ばれるような輩の主張は“うさんくさい”」と、きわめて情緒的・印象的な判断で切り捨てているように感じられるのです。 前段の「保守」に親近感を覚えた理由といい、安倍さんは「保守主義」の正しさや、安保反対の主張の間違いについて、理論を積み上げて自説を展開したり、意見の異なる人を説得したりすることを端から放棄しているように思えます。 無論、情緒や感情はとてもとても大切なもので、自己の信念がそうしたものから生まれてきたってかまわないのです。 ただし、政治家が自著で世に問う態度としてはいかがなものか。 理をもって人を説得するのは難しい。難しいけれど、それをやるのが政治家の使命じゃないのかな。 情をもって賛同者を増やすのが日本的政治の日常風景なのかもしれない。けれど、少なくともわたしは、安倍さんの抱いた情緒、“うさんくささ”といったものにたとえ共感できたとしても、その情緒をもとにした政策に理の裏づけがない限りは、説得されたりしません。「わたしはこう感じた。わたしは正しい。わたしに共感できないのは間違っているからだ」と聞こえてくるのは気のせいでしょうか。●隷属的な条約を対等なものに変えた「祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。 間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった。」*安倍さんは、岸信介がなぜ批判され、その政策になぜごうごうたる非難が浴びせられたのか、思いを巡らしたりはしないのでしょうか。 自分が正しいと信じることを、いかなる反対があってもやり遂げる。 とても美しく聞こえます。そうした姿勢を政治家に求める人も多いのでしょう。「どれほど反対があってもわたしは負けない。多数決論理では衆愚に陥るだけのこと。真剣に国を思い、思慮を重ねたエリートたるわたしの考えが正しい。わたしが国の行く末を決める」というのも、考え方としては“アリ”ですよね。 それは、議会制民主主義の、現実の姿でもあるのでしょう。 ひとつひとつの法案を国民投票で決めるとしたら、廃案になるものも多いかもしれない。けれど現実は、政府与党が出した法案が当然のように可決されるわけで。「少数意見の尊重」という大義名分をどれほど尊重しようとするか。ある法案が、もしかすると国民の過半数の反対するものであるかもしれないとき、どのように対処するか。 そうした場面での政治家の姿勢をわたしは重視したいし、議会制民主主義の根底を支える理念だと思うけれど、システムはそのようなものを尊重することを求めていないわけで。 過半数の議席を占める与党が、思い通りの法案を次々通していく。野党の意見など気にすることはない。思い通りの政策を推し進め、結果として次の選挙でもまた勝つことができれば、それでよし。 それが現実なんだよね。じゃあ、やっぱり、選挙で勝たせないことしか、わたしたちにできることはないってことになっちゃう。 そういうことだよね。(ここまでで、まだ1割も読めてないよー。いつまでかかるんだろう。果たして根気が続くものやら……)
2006年09月18日
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寝ました。15時間ぐらい寝てしまいました。 やることいっぱいあるのに……。 きっと低気圧のせいです。 あしたも寝てしまう予感……。
2006年09月17日
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かいちょーはモロ文科系(ヲタク系)なので、身体動かすのは得意としません。 なのでスポーツ系のイベントやクラブでは温かく見守ることを旨としております。 それなのに、ああそれなのに。文科系教室のつもりで世話役をやっている和太鼓教室ったら。 思いっきりカラダ使うじゃありませんか! 高校時代のグリー部合宿で、「腹筋鍛える」とか言って、走ったり腹筋100回とかやったのを思い出します。 1時間半みっちり叩くと、腕は上がらないわ足はガクガクするわ、「勘弁してよもう!」です。 なので直後にやってくるスポ活(フットサルとバドミントンやってたかな?)に参加する気力が残ってません。 P室で作業し、教頭とダベり、運動会のお手伝いの打ち合わせして。 ちなみに、運動会では来賓へのお茶だしがPのお手伝い。 そのほか、禁止事項書いたポスターを貼ったり、注意して回ったり、保護者競技(綱引き)の世話したり、最後の掃除片付け手伝ったりは“自主的”に。 気力が回復した頃、マナビィの囲碁・将棋教室に行ったりするわけですが、小学2年生との将棋対局で、平手でコテンパンに負けてまたも消耗したりして。 んー。みんなレベルアップしちゃってもう。おいらのヘボ将棋では、そろそろ限界です。 夜は父親会。 学校探検&お泊まり会の反省やって(子どもたちの感想文を見せてもらいました。かなり社交辞令はいってるにしても、賛辞に感謝のコトバに心温まります)、11月のお祭りの打ち合わせして(やるべきことが、テキパキさくさく決まっていきます。さすが!)、意見交換をマジメにじっくり(『10年後の父親会はどうなってる?』なんてテーマで。地域との関わり方とか、子どもが卒業してからの心構えとか、みなさんマジメすぎるぐらい考えちゃって)。 ふと気づくと、朝8時半から夜9時まで学校にいた第三土曜日でした。 (で、もちろんさらに飲みに行ったりするんですけどね)
2006年09月16日
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月に一度の国際講座。 神戸の大学で学ぶ留学生を福祉センタ-にお招きして、お国のことをあれこれ教えてもらおうってもの。ふれまち主催ではないけれど、なんとなくわたしが交渉窓口&雑用係&司会のような役回りになってたりして。 今回は韓国からの留学生。アジア史専攻で、一年限定で日本に歴史を学びに来てるってことで。 韓国というと、ちょっと緊張します。ネット見てると、日本と韓国、「どっちもどっち」な怨念や罵倒や侮蔑に満ち満ちてるもんね。 もちろんそんな感じの人が来るわけもなくて。 竹島(独島)の話なんかも出たけれど、歴史的にはどっちのものか微妙(というか日本のもの?)だけど、国民みんな無関心じゃ負けちゃうよ、なんてニュアンスだったし、「小泉さん、好きですよ」なんて言うとぼけたあんちゃんでした。 せっかくネットでナンボでも交流できるんだから、罵倒浴びせあってんじゃなくて、建設的なお話を楽しめるようになろうよ、と思うかいちょーでした。
2006年09月15日
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学期に一度の委員総会。クラス数28×3+本部11+部長副部長6+校長教頭、しめて103名が総数ですので、会議室じゃ入りきらない。 2教室の広さがあるフリースペースも、児童数の増加で普通教室に改装されちゃって。100人集まれるのは、もはや図書室のみです(体育館は……さすがに会議するには寂しかろ)。 図書室備え付けの机や椅子では足りないので、えっちらおっちら運び、ぎゅうぎゅうにレイアウトして、ようやく100人収容。それでも、5クラスの学年は机の周りに15人並ぶわけで、それだけで“ギュウギュウ感”があります。 さて、委員総会の主な機能は「委員さん全てに周知しておきたいことを周知徹底する」ことにあると思っています。 というか、主目的は委員総会の後に控えている部会および学年委員会にあるのかと。 だいたい、100人で意見を交換するような会議なんてできっこないよね。 んでも、せっかく集まってるのに黙って聞いてるだけじゃオモシロくないので、今回のメインテーマである「運動会をスムーズに運営するには?」ってのと、ようやく家庭数で配布した名札について、テーブルごとに意見交換してもらって。 運動会。家庭数800だと、保護者2000人ちかく集まるのかな? とにかく保護者それぞれが譲り合い、協力し合わなけりゃうまくない。 と言っても、良識に任せるだけじゃ、見苦しいこと、迷惑なこと、あれやこれやエスカレートしていくばかりで。 正直、禁止事項とか定めてあれこれ規制するの、イヤなんです。イヤなんだけど、そうも言ってられない。 昨年は、飲酒・喫煙はもちろん、レジャーテーブル&パラソル&椅子、シートによる場所取りも禁止することに、PTAとして定めました。 今年はさらに、脚立と、ペットの持ち込みを禁止。 なんだかなぁ。ペットなんて、いくら可愛い家族であっても、人がごちゃっと集まるところに持ち込まない(動物が嫌いな人も、アレルギーの人もいるんだもん)のは「常識」だと思うんだけどなぁ。言われないとわかんないかなぁ。 脚立なんかも人混みに立ててると危ないよね。 なので禁止。なんでもかんでも禁止。情けないというか、残念というか、でも仕方ない。 とは言え、脚立に上らなきゃビデオも撮影できない状態を放置したままじゃ、不満が蓄積するばかりです。 とりあえず、プログラムごとに「我が子が出演していない保護者の方は3歩下がって、当該学年の保護者の方に前を譲ってください」な案内を出し、腕章をした委員さんにも声がけしてもらうという方向で。 これまた、わざわざ言われないとできないの? なことではあるけれど……。 これでスムーズに観覧できることを祈ります。 名札については、世帯に1枚配布でいいのか? なことを話し合ってもらったんだけど、「夫婦揃って学校に来ることなんてほとんどありません」な声が大多数でした。なので、2枚目以降は実費負担いただくということで決定。 ちなみに、名札には保護者の名字(ひらがな&漢字)と、児童の学年カラー(持ち上がりで6年間固定の色)がプリントされています。運動会や音楽会でも、こんなのぶら下げてたら、あんまり厚かましいことできないんじゃないの? な期待もちらほら。 ウチは開放型の学校ですので、「名札つけてない人は学校敷地に入れません」な方向を厳密に打ち出すのは現実的じゃなくて。 地域のお年寄りや幼児・保護者が気軽に出入りできる学校であることが、学校に注がれる“地域の目”を増やすことにつながっています。それが、子どもたちの登下校時の安全も高めてくれるはずです。学校に出入りする『敷居』はできるだけ低く低く。 名札は「保護者だよー」な証しとして、子どもたちとの、保護者同士のコミュニケーションを高めるツールであって欲しいんです。保護者が「あ、あの人同じ学年の××さんだ」と思って話しかけ、子どもたちに「○○ちゃんのお母さんだ!」って呼びかけてもらって。 とりあえず、名前覚えるのがまったく苦手なかいちょーには、委員総会でさっそく役立ってくれましたけどね。* * * * * * * * * * * 委員総会終えて、すぐに部会を開始。 部会では、わたしは地域交流部内の学校ガイドブック検討委員会の世話役として経過報告や今後のスケジュールなどを確認。 部会後の学年委員会はパスして、P室で作業。 その後の理事会(学級代表+役員、校長・教頭の47人定数)では、部会や学年委員会の報告をしてもらい、運動会や名札についてさらに揉んで方針を決定。 委員総会50分、部会30分、学年委員会30分、理事会40分。 そのあと本部だけで、今日の会議を受けてやらなきゃいけない作業(プリントづくりとか)話し合って。 1時集合、6時半解散の消耗戦でありました。 でも、決めるべきこと決めて、気持ちE!(そのあと、さらに立ち話1時間とかもあったりして……)
2006年09月14日
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いくぶん古い話になっちゃうんですけれど、産経Web【教育を考える】の9月4日付け記事、『安部政権でこうなる 首相主導で教育再生』(これ)を読んで、目が点になっちゃいました。 選良のみなさん(それも次期首相の側近と呼ばれる方々)が、ここまで極端(とわたしには思える)な主張を堂々とできちゃう国だったんだ、ニッポンって。 全文を読んでいただきたいんですが、わたしが特に極端だと思う部分をピックアップします。 この記事は、「新政権に何を期待するか?」というシンポジウムにおける、下村博文衆院議員、山谷えり子内閣府政務官、稲田朋美衆院議員の主張をまとめたものです。――――以下引用(中略多々あります)―――― ≪下村博文衆院議員≫ テーマは10くらいあるが、例えば、子供たちに、1人で生きているのではなく、社会みんなで助け合って生きているのだと実体験してもらうために、奉仕活動、ボランティア活動を必修化しようという案がある。 高校卒業は3月だが、大学入学は9月にする。半年のブランクのうち3カ月間は、介護施設などで奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。 私は文科政務官をしていたが、文科省にも共産党支持とみられる役人がいる。官邸機能の強化には、省庁の局長以上の人事については官僚ではなく政治が任用することが必要だ。 ≪山谷えり子内閣府政務官≫ ゆとり教育は「ゆるみ教育」になっている。中学の英語の必修単語を507から100に減らした。学力が落ちるに決まっている。 カリキュラムを実態に応じて見直すことができるのは、文科省ではなく官邸にきちんとした集団を作ることによって初めて実現する。 ≪稲田朋美衆院議員≫ 真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。 そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。 それから、若者に農業に就かせる「徴農」を実施すれば、ニート問題は解決する。そういった思い切った施策を盛り込むべきだ。 教育基本法に愛国心を盛り込むべきだ。――――引用終わり―――― いくらなんでも、こうした主張がそのまま実現されるなんてことはありえないと思うんだけど、もし、実現したとしたら。 教育の中身を、選挙という、ほんの数年という短いスパンで行われる「人気投票」に委ねることになっちゃうわけで。 教育は現政権にがっちりコントロールされ、現政権が「正しい国民」と感じるような人間を生み出すための教育が行われて。さらには「教育」の名のもとに、現政権が「これをするべき」と感じる労役が課されるってことだよね? (国立大学という、最高の学問を学ぶ場に入るための選抜に、「現政権が指示した労役に唯々諾々と従う人物であるかどうか」という項目が加わるんだもん)。 んー、こうした主張にシンパシーを感じる人がいるのは理解できなくもない。これが実現すれば、政府のやることに文句言う人減るだろうし、国民みんなが同じような思想に統一されて、社会としても安定することでしょう。 んでもわたしには、違和感が強すぎます。教育って、「何が正しいのか、何が間違っているのか、社会はどうあるべきか、自分はどうあるべきか、自分は何をなすべきか」ってのを“自分の”頭で考えることができるようになるためのツール、だと思っているから。 他者の意見も尊重しつつ、自分の意見も主張し、すりあわせ、妥協点を探り。そういう営為を『メンドクサイもの』として切り捨てようとする主張に思えちゃいます。 * * * * * * * * * * * 今日はクラブ活動に行ってきました。PCクラブで電子メールのやり取りを指導。「知らない人からメール来てたらどうする?」とか聞くと、みんな「そのまま捨てる」の回答。 正しい。とても正しい。 んでも、ダメだと分かっていても、面白そうなタイトルのメールはつい開けちゃう。そのまえに必要なデータは全部バックアップ取っておく。 そんなのがいいなぁ、と思うかいちょーでした。
2006年09月13日
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朝、きのうの日記を書いて投稿したら、また眠ってしまいました。徹夜はツライよ。 昼前に電話で目覚めて。「かいちょー、名札たりません!」 って、一枚だけなんだけどね。 ヘンなソフト使って作ったので、まだ誰にも作り方教えてなくて。 そそくさと近くのケーキ屋さんに行き、マカロン買って登校。 目をつけてた新しい店なんだよね。いっぺん食べようと思ってたんだ。 ちゃちゃっと名札つくり、本部でいちばんPC詳しい人にソフトの操作教えて。 ついでにプリントづくりしたり、あれやこれや。 さて、みんなでオニギリ食べて、デザートにマカロン。 実は、マカロンってあんまりそそられなかったんだ。 だって、あんなにちっこいのに、けっこうなお値段でしょ?(この店のは1個140円とリーズナブルでしたが) んー、いけるじゃん! このねとっとしたクリームがなんとも……。 P室でみんなとわいわい、マカロンを食す昼下がり。 いい感じだと思わない?
2006年09月12日
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娘と一緒に登校して、運動会の全体練習のにぎわいを耳にしながらさらにカタカタ。 やがて本部メンバーも集まって、打ち出した名札の確認&修正、添付文書の作成などやっているうちに、もう下校の時間が近づいているじゃありませんか。「やるやる」言って抱え込んでるから、最後にドタバタするんだよね。みんなを巻き込んで申し訳ない限りです。 さて保護者の名札、どれほど定着するんでしょう。ウチみたいにあけっぴろげな学校、「名札してないと学校に入れない」体制を確立することはとても難しくて。「保護者はみんな名札してる」な雰囲気を作り出すには、最初が肝心なんだろうけれど、はてさて。 まずは役員がしっかり名札する、名札してない人にはせっせと声かける、こまめに文書で啓発、ぐらいしか策ないかなぁ……。 帰宅して、あれこれして、9・11の番組を見て……気づくと朝でした。ブログの更新時間がヘンになっちゃってスンマセン!
2006年09月11日
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日曜なのになぜか、朝から夕方までP室にこもって入力・印刷やってました。 ずーっと引っ張ってきた保護者の名札、ようやく配布できそうです。 名簿見ながら750世帯の名前と学年を入力。目がショボショボします。 P室にいると、日曜日に活動しているスポーツクラブの指導員や保護者が次々やってきて。 しっかりクラブのお手伝いしてる保護者の方、PTAでおなじみの方が多いです。 やるべきことをちゃんとやる。あたりまえなのに、特定の人に偏っちゃうんだよなぁ。 お知り合いと喋って息抜きできるので、わたしは助かるんだけどね。
2006年09月10日
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ふれまち(ふれあいのまちづくり協議会)では、エコタウンまちづくり事業の一環として、昨年からバザーを行うことにしました。 で、それに合わせて折り紙サークルの発表会をやっちゃえ、お客さんのためには喫茶を、展示をにぎやかにするために子どもたちの環境ポスターも貼ろう、なんてわけで、タイトルも「ふれあい文化祭」となったわけであります。 バザーですが、「不用品(ただし新品)の提供をお願いします」の案内で集まるものだけですので、それほど大がかりではありません。 それでも、集まった品々に値札をつけ、並べ、売り、残ったものを値引きし、投げ売りし、引き取り、捨てる、なんてバザーの醍醐味は共通ですから、ふれまち事業交流部(Pからは3名参画)のみなさんはきりきり舞い。 4年生のポスター160枚、折り紙作品、マナビィ華道教室の子どもたちが活けた花などの展示もイイ感じにできて。 みなさま、朝9時から夕方4時まで、お疲れさまでした!(わたしはお茶飲んで喋って、ちょこっと片付け手伝っただけ) お客さんもたくさんで、いい文化祭でした。 夜は地域の秋祭りの実行委員会。 震災で暗くなった町を元気にしよう! ってことで小学校OBを中心にはじまったこの祭りも、今年で十回目。例年以上に元気いっぱいのものにしなくちゃね。 十周年記念ということで、会場である学校に何か記念の品を贈ろう、ってことになりましたが。 記念植樹が第一案だったけれど、仮設校舎が立ち並び、あまりいい場所がなくて、校長先生あまりいい顔しませんでした。植えるとしたら日当たり悪く、土もカチカチの場所。記念植樹となると枯れるときまり悪いし、いい顔しないのも当然ですね。 なんで、予算お伝えして、なんでもいいからカタチとして残るものを学校に決めてもらうことになりました。なにになるのかなぁ……。
2006年09月09日
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昼間、ふれまち文化祭の会場準備。4、5年生が描いた環境ポスター160枚を展示します。みんな頑張って描いてくれているので、張り出すのも気合を入れて。 その横ではマナビィの華道部がお花を生け、婦人会のみなさんが折り紙の展示をし。 3世代が力を合わせて作り上げるイベント。いいでしょ?(わたしは途中退席しちゃったけれど)。 レジュメを必死に作って、教育センターでコピーして、滑り込みセーフで小P連役員会の開始。 毎度のことだけど、小P連は活気あります! みんなどんどん情報も意見も出してくれるので、会議やってて気合が入ります。 給食懇談会の報告から、あるべき給食の話がふくらみ。 小P連だよりは、年度末の報告書じゃいまイチなので、各区の研修会や取り組み、活発な単Pの話題などどんどん原稿にしてもらい、まとまったら発行ってことになり。 会長・副会長情報交換会では、各区で二つずつテーマ持ち寄って、20にテーブルで意見交換することになり。 放課後子ども教室の報道と、横浜・大阪の事例を報告したら、「ウチのPTA、毎日4時半まで図書室に子ども集めて読み聞かせだのなんだのやってる」なんて話が出てきて。 時間がナンボあっても足りませんっての! よって、二時間半の会議の後、場所を変えてさらに二時間半、会議は続くのでありました……。
2006年09月08日
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ウチでは一昨年に保護者講習を、昨年から4年生向けの講習を開始しました。 助成がもらえるとはいえ、単Pの負担もかなりのもの。しっかり役立てなくちゃ。 子どもの講習には、教員向け講習と、保護者向け講習がセットになっていて。 午後から授業参観+学級懇談のある日の午前中に設定して、4年生保護者には「できるだけお越しください」、その他の保護者にも「できれば来てね」の案内出して。 それで、4年生保護者の約半数、その他からはちょびっと、の出席です。うーん。 まあ、それでも90人ぐらいにはなっちゃうし、体育館は運動会の準備でスケジュールぎっしりだし、地域福祉センターを借りてほぼ満員だから、運営的にはラクなんですけどね。 9時から会場設営、30分に講師の方お見えになって。ちょっと喋ってから、わたしはP室で作業させてもらいました(わたしは2年連続で聞いているので……ごめんなさいです)。 同じように2回参加している本部メンバーもコソコソやってきたので、保護者の名札のデザインをいじくりながらお喋り。 講習が終わる頃に会場に戻り、講師に挨拶してから土曜日のイベント(ふれあい文化祭)の会場準備をして。 授業参観では、いつものように全クラスぐるっと回って。たくさんの保護者が後ろや廊下から見ていても、ぴしっと先生見つめて話を聞いているクラス。誰か通るたびに、たくさんの子どもたちがそっちに向いちゃうクラス。ふだんの授業を粛々と進めるクラス。保護者も巻き込んでにぎやかにやってるクラス。いろいろです。 保護者も学年ごとにカラーあり。総じて、学年が上になるほど大胆にお喋りしてますねー。 授業参観は静かに聞きましょう! 娘は学年合同で運動会の組体操を練習していました。なんとも危なっかくてヒヤヒヤです。みんな身体の硬いこと。あと二週間で仕上がるのか? 誰もいない娘のクラスで、夏休みの自由研究の展示を見て。 作品の説明文に、娘は「(おとうさんが)苦労したところ」を書いておりました。しっかり見てるなー、と言うべきか、ちゃっかりしてると言うべきか……。 学級懇談は伴侶にまかせて、今日のPTA活動はおしまいっ!
2006年09月07日
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学校についてなんもかんも解説してしまおうというガイドブック。 来年度の末に(新入生説明会に間に合うように)発行しようという方向で話が進んでいます。理事会でも承認得なきゃいけないけれど、まずは順調な流れでしょうか。 もちろん、PTAが作るからには、保護者が「知りたいこと」が書いてなきゃ意味ないわけで。学校としてはお茶を濁したい(濁さざるをえない)ことでも、PTAとしてできるだけ切り込んでいきたいもんだなぁ、などと思っています。 実際の編集は来年度のメンバーで行うとしても、タイムスケジュールを考えると、今年度のうちにできるだけのことはやっておきたいわけで。 書いてなきゃいけないこと。書くべきこと。知りたいこと。 データ的なことは学校が出すプリントをまとめるような形でもいいだろう。取材しなきゃいけないことは何か。誰かに原稿依頼しなきゃいけないことは? そういう、ガイドブックの中身に関すること、ホントは来年度のメンバーでイチから「やっさもっさ」もんでいくほうがいいような気もします。でも、100ページ(A4)ぐらいのガイドブック、白紙から作り上げるには半年じゃたぶん足りません。来年度はメンバーも多くなることだろうし、企画を煮詰めていくだけで大変なことになっちゃうような。 とりあえず、少人数の今年度に中身のアウトラインを決めてしまう。来年度はそれに従って、まずは作ってみる。 ラフ~な初校をみんなで見て、「こんなことも知りたい」「ここは物足りない」「こんなのいらない」な話し合いをじっくりできるといいな、なんて考えています。もちろん、今年度のメンバーにもできるだけ残ってもらって、編集・校正の主力になってもらえれば……。 なんていうか、ちょっと蛇道な気がしなくもなかったりして。来年度のメンバーが「押しつけられた!」感を抱けば失敗。叩き台を(原型がなくなるぐらいに)叩くところを楽しめれば成功。そんな感じかなぁ。うまくいきますように。
2006年09月06日
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サンマです! まだちょっと高いけど、北海道物、たっぷり脂が乗ってます。 サンマ焼くと、とんでもない煙が出ますよね。 学生時代、アパートでサンマ焼いていて、あまり煙たいので窓も玄関も開け放していたら、火災報知機鳴るわスプリンクラー噴きだすわ防火シャッター下りるわ、そりゃもうとんでもない騒ぎになったことを懐かしく思い出しつつ、サンマを焼きます。 ひとり一匹でじゅうぶん。ゴハン3杯いけます。中骨はあぶってセンベイにします。頭しか残りません。 秋はサンマだね!
2006年09月05日
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P室に新しく棚とファイルキャビネットが入ったので、みんなでお片づけ。二学期の初仕事ってこともあって、本部10人が狭いP室にぎゅうぎゅう揃いました。 まずは宮崎土産のお菓子など食べながら、休みの間の報告会。って、毎週誰かしらと会ってたりしたけどね。もちろん日P宮崎大会のこともいっぱい喋りました(わたしが思ってたより、夜回り先生への関心はそれほど高くありませんでしたが)。 棚は高さ185センチぐらいあるでしょうか。わたしでも「よっこらしょ」な感じにならないと手が届きません。しかーし! 今年の本部の女性陣は、平均身長で勝負すればどこのPTAにも負けなかったりするのです。でも、この棚の高さだと、来年から本部役員の選考基準に「身長」を盛り込まないといけないかも……。 段ボール製手作りキャビネットの中身を新品のキャビネットに移し、古いものを整理し。たくさんの表彰状と額も、表彰状だけ取り出して額は捨てることにしました。で、40年前の資料とか出てきたりするのをついつい読みふけったり。 その昔は4年「14組(!)」とかあったんだーってびっくりしたり。 シュレッダーはフル回転、でもふと気づいたら11人中まじめに片付けてるのは2人だけ、残りは喋るお茶する読む、なんて状態にもなってたりして。サボリですみません。 みちがえるようにすっきりしたP室で、明日から頑張りましょう! 夜は市P協の役員会。 宮崎大会の報告はごくごくさらっと。 県警の「サイバー犯罪対策係」の方から、「ネットリテラシーについての出前講座しますよ」なお話があったり。 特別支援教育シンポジウムの出務依頼があったり。 日Pや近畿ブロックの会長表彰者の確認や、ブロック大会の分科会、人権研修会や市P協フェスティバルのことなどさらさらっと。(「来年の表彰者は、今年度のメンバーで決めましょうよ」な提案をさせていただきました。だって去年の活動に“顕著な功績のあった”単Pとか言われても、新年度のメンバーじゃさっぱりわかんないんだもん) 今年度からの新事業、「家庭教育標語」を広くアピールするために何をするか? な話はじっくりと。結局、大賞作品『あいさつは 心をつなぐ 愛ことば』のシールをたくさん作って子どもたちや地域に配るとともに、役員の名刺や市P協の封筒などあちこちに印刷して広報しましょうってことで。(「標語のはいったデザインのコンクールしましょうよ」は却下されました。時期的に難しい。そりゃそうだ) 専門委員会や連P、校長会からの報告などなどあっての2時間半。 そのあと宮崎大会について、シュレッダーの危険について、研修会の内容についてなど熱く語りかつ飲みの1時間半。 くたびれてます。(あ、「放課後子ども教室」についてですが、今月のうちにしっかりした説明会があるとのことで。たぶん、神戸は“じっくり”進めていくことになるのでしょう。それでいいと思っています)
2006年09月04日
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きのうの続きです。 さてわたしは、娘に小学校を休ませて海外旅行に行くことに、かなりの抵抗を感じています。 昔の(PTAをはじめる前の)わたしだったら、「学校、いかほどのもんじゃ!」で平気で休ませたでしょう。 子どもたちが保育所に行ってたときは、「今日はお天気なのでどっか出かけるかー」で休ませたりしたもんです(学校と保育所じゃ、いくぶん違いますけどね)。 そのわたしが、なんでこんなに抵抗を感じるようになっちゃったのか。 教師(のほとんど)は、それはそれは頑張っています。 必死になって「○年×組」というコミュニティがスムーズに運営されていくよう努力しています。 30人だか40人の生徒全員が揃って、ひとつのコミュニティを作り出していくんですよね。 もちろん、子どもたちが欠席することは日常の風景ではあるけれど。 できることなら揃っているほうがいいに決まってる。 生徒ひとりひとりが、自覚を持って自分の果たすべき役割を果たし、その結果としてコミュニティが正常に回っていくことを体感していく。社会の一員としての自分を意識する。 誰かが欠席することは、そのぶん、果たされるべきだった役割が宙に浮いたり、誰かが肩代わりしたりするってことでしょう。 病気ならもちろん仕方ない。忌引きとか、理由があればよし。 誰かが休んでもちゃんと回っていくように、コミュニティは弾力を持っているんだから。 でも、遊びのために休むのは……うーん、「いいのか?」と思っちゃう。 現実問題として、学級の運営、何人か休んだからってどうなるもんでもないわけで。 いろんな理由で休んでかまわない。ズル休みだって、たまにはいいよね。 「晴れた日は学校を休んで」なんて、西原理恵子の名著もあるぐらいで。 休んでもいい。ズル休みしてもいい。ただし、「ホントは行かなきゃいけないんだけど……」「休むのはみんなに悪いなぁ」な罪悪感を持っているべきだと思います。 そういう意識をちゃんと持ってないと、大人になってから困ることありそうだよね。 ついでに。 わたしがPTAの会長をやらせてもらってることも、この抵抗感に多少は影響してるわけで。 息子を進学塾に通わせていたとき、言われたことあります。「あ、会長さんも私学受験賛成派なんですね。安心した~」とかなんとか。 わたし、息子に中学入試受けさせることに、思い切り悩みましたよ。悩んで悩んで、それでもやはり、息子は私学に行ったほうが個性を伸ばせる可能性が高いと思って、受験させたわけで。 公立と私学を比較して、単純に私学の方が優れてる、なんてことはちっとも思ってないんです。 なのに「私学受験賛成派」とみなされるは、「PTAの会長も受験させるんですって~」とか免罪符のように扱われるは、ちょっと勘弁してよー、と思ったもんです。 で、「PTA会長、海外旅行するために学校休ませたんですってー」とか言われるわけです。 言われるのは仕方ない。しゃーなかろー。 でも、しっかり受け止めるべき罪悪感を、「みんなやってるから。会長もやってるから」なんてことで軽減するようなことは、あまりよろしくないかなー、なんて感じるわけです。 気にしすぎ?
2006年09月03日
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今日は和太鼓思い切り叩いて、教頭とちょっとお喋りしただけで、あとはおウチ。父親会の打ち合わせもあったんですが、眠くて身体が動きませんでした。スマン。 このあいだ伴侶が東京に行っていたのですが、とある所で友人に頼まれた買い物をしたところ、くじ引きで特賞を引き当てました。「グアム3泊4日ペア旅行」だって。 まずは、くじ引きにちゃんと特賞の当たりが入っていることにびっくり(係員も「ホントに入ってたんですねぇ」な感想だったとか)。 せっかくなので親子4人で行くか、な気分になったのですが、出発日の指定が厳しくて、三連休とか冬休み入ってからはすべてアウト。娘の学校を休ませない限り、行くことができない仕様になっています。 12月20日出発ならOKですし、なぜか息子の学校は20、21が「試験休み」になっていたりするので、「どうせなら一週間ぐらい行っちゃえ」が伴侶の意見(海外に三泊とか行くのは、仕事の自由が利かない方は止むをえないとして、あまりにももったいないですよね)。 昔のわたしだったら、「三日ぐらい学校休んでも、なんてことあるかー」で躊躇なく休ませちゃったでしょう。 で、今のわたしは、迷ってしまうわけです。 はてさて、どないしよかなぁ……。
2006年09月02日
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したけれど……わたしは夏休みの宿題が終わりません。書かなきゃいけないこと山盛り残っています。 なもんで、しばらくは首が回らないのでありました。 そうそう、小学生の計算力は、10年前とあんまり変わっていない、なんていう調査結果が出てきましたね(MSNニュースより)。 こういう、印象や思い込みに反するニュースは、スルーされちゃうんだろうなぁ……。
2006年09月01日
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自由研究の工作がぜんぜんできないってか!>娘よ くー、おとうさんも忙しいんだけどなぁ……。 しゃーない、朝までになんとかしてやろうじゃないの。 …………細かい工作は老眼にはキツイっちゅーの! 果ててます。
2006年08月31日
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今日は一日おウチ。あれこれ焦ってます(子どもと同じ?)。 きのう「誤報のたぐいじゃないの?」と書いた『来年度より全公立小学校で放課後も児童を預かる』ってニュースですが、毎日新聞にも同様の記事が掲載されていました。―――――以下30日付朝刊29面より引用―――――『全公立小学校で「放課後教室」――来年度から 退職教員らが指導』 文部科学省は29日、ほぼ全公立小学校に相当する2万校で、放課後や週末に児童を預かる「放課後子ども教室」を来年度から設ける方針を明らかにした。来年度予算の概算要求に約138億円を盛り込んだ。空き教室などを利用し、退職した教員や大学生らが勉強やスポーツを無料で教える。 放課後子ども教室では、平日と土曜日に2人の「安全管理員」とボランティアが待機する。スポーツや文化活動、地域住民との交流活動に取り組むほか、教職を目指す大学生や退職教員らを「学習アドバイザー」として平日は1人、土曜は2人配置し、補習などを実施する。教室は午後3時から午後5~6時ごろまで開く。(以下略。放課後子ども教室の終了後は従来(ないし新設)の学童保育に引き継ぐこと。このため厚生労働省は学童保育の5900ヶ所増のため190億円の概算要求を盛り込む方針について記載)―――――――――引用終わり――――――――― 読売が1000億規模の事業と書いていたのに比べると、138億ですからさらに小規模ですね。 月曜から土曜の実施、有償の人員は2人配置ということで、たとえば横浜市の「はまっ子ふれあいスクール」事業(「放課後キッズクラブ」事業のほうがより近い?)や、大阪市の「児童いきいき放課後」事業に似たものをイメージすればいいのかと。 はまっ子ふれあいスクールの場合、常勤職員の年間給与が約300万円、時給職員がひとりあたり約100万円(登録児童30名ごとに約1名配置。最大4名)です。若干の保護者負担(はまっ子では午後5時以降に利用する登録者は月額5000円。他は無料)と運営経費が相殺するとして、1単位平均600万とすれば(はまっ子の場合で、登録児童は全児童の4割ほどになるそうですから、時給職員が4名配置になることが多いでしょう)……なるほど、1000億規模で全公立小学校で実施可能ですね。138億の概算要求だと、全体の2割ほどで先行実施ということになるのかな?(国の助成だけで実施するなら)。 いくら予算をつけたって、それぞれの小学校・地域で体制が整わなければ、実施できるもんじゃないでしょう。横浜でも大阪でも、モデル校の試行から全校実施まで10年かかっています。 まあ、こうした都市の実績を踏まえて文科省は「全公立小学校での実施」に踏み切ろうとしているんだろうけれど、それにしても読売さんの「来年度より全校で」の記事は飛ばしすぎでしょうね。 そして何より、先行して実施している都市で問題視されているいくつかのポイント ・児童の安全対策 ・専用の活動室がない学校が少なくない ・指導員の不足なんてあたりに、それなりの答えを持って各自治体にお達ししてもらいたいもんだと思います。どうなってるのか、今度市教委に聞いてみよっと(神戸市って慎重派だから、まだまだ、な気はしますが)。
2006年08月30日
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ネットをさまよっていて、びっくりしました。「文部科学省と厚生労働省は、来年度から全国すべての公立小学校で、放課後も児童を預かることを決めた」というYomiuri Onlineのニュース(これ)。 ホントですかぁ? そのような動きについては聞いたことがありますが(横浜とか、もうやってるよね)、来年度から全公立小学校で実施? いくらなんでも拙速でしょう。 1000億規模の事業ってことだけど、全小学校にコーディネーターを配置とか、「学び」を教員OBや教職を目指す大学生による「学習アドバイザー」が指導する(いずれも有償)とか、そんな金額じゃできっこないじゃん。全国2万2千の公立小学校、1000億まるまる現場に投入しても、一校あたり500万円弱だよ? いくら放課後だけの時間賃金にしても、子どもたちの安全にまでしっかり責任持つ体制がこれで取れると思う? 一ケタ足りないでしょう。 少なくとも児童40人にひとりぐらいは大人の指導員を配置しなきゃいけないだろうけれど、たとえばウチだったら、毎日3時間から5時間、年間200日以上、20人以上の無償ボランティアを確保しなきゃいけない。半年後にその体制を整えろって? 無理。まったく無理。 たぶん読売さんが“抜いた”記事だと思うけれど、さすがにこれは誤報のたぐいだと思うなぁ。このあいだの「学校に通信簿」の記事といい(これだって、まだまだ議論の段階でしょう)、このところ読売さん飛ばしすぎなんじゃない?* * * * * * * * * * * さてさて、しつこく水谷修さんの講演中止について考えてみたいと思います。なんでか? 他人ごとじゃないんだもん。わたしだって、規模は違えど講演や研修会を企画運営する立場。もしわたしが日本PTA全国大会を運営する立場だったとして、なにせ素人ですから、同じような事態に陥る可能性はじゅうぶんにあるわけで。 わたしはこの大会のインサイダーではありませんし、限られた情報の断片だけからあれこれ推測を重ねても不毛な気もするのですが、自分の中で一応の折り合いをつけたいので。 まず、サテライト会場への中継について。 主催者側が、当初から複数会場に講演を中継する予定だったことは間違いありません。 募集案内や参加証に複数会場が記されています。常識的に考えて、複数会場の聴衆に、同時に直接語りかけることなんてできっこありません。 ただ、それが水谷修氏に伝わっていたかどうかは疑問です。主催者側は「何度もFAXなどで告知した」と言っていましたが、それが大会要項などのパンフレットを送りつけたことを指すのであれば(わたしが主催者だと、そんな手法を取ってしまいそうです)、確実に「伝えた」とは言えないでしょう。 ただし、水谷修氏の側から、事前に「モニター中継を行わないように」などの条件が提示されていた可能性はほとんどないと思っています。 水谷修氏が以前にも講演を中止した経歴を持つこと、厳しい条件を提示してくることなどは衆知の事実であり、いくらなんでも主催者側がそうした条件を無視したり反故にすることはありえない。 もし中継禁止の条件が提示されていたら、講師を変更するだけのことです。8000人を集めること、全体会は複数会場で行うことは数年前から決まっていた(日P全国大会は、おおむね、開始の5年前から準備がスタートします)動かせない条件なのですから。 というわけで、モニターでの中継については、・主催者側は伝えたつもりでいた・水谷氏は聞いていなかった。ただし、禁止するとも言っていなかったということになるのではないでしょうか。水谷氏は年間に200件も講演を行ったいた時期もある(現在どれぐらいかは分かりません)ほど多忙な方。確認を取らなかった主催者側のミスでしょう。 けれど、こんなことが講演中止の理由だとは、わたしには思えません。いまどき、大スクリーンに映像を映し出すことや、会場の外にモニターを置くことはごく普通。水谷氏がそれを嫌うとしても、事前に条件としていなかったのであれば、講演中止の理由にはなりません。 水谷氏は、「水谷は、ウソは、嫌いです」と言いました(報道によれば「わたしは嘘つきは嫌いです」)。 複数会場での講演になることを明確に伝えるのを怠ったことは「ウソ」でしょうか? 違いますよね。「8000人を前に、直接語っていただきます」と言えば嘘になるけれど、主催者側がそんなことを言うはずもない。 だから、別会場に中継をすることそのものは、講演中止の理由じゃないとわたしは思っています。 では、なぜ? 水谷氏は「昨夜、参加者のひとりから、『講演を生で聞けると思っていたのに、そうでなくて残念』との話を耳にした」旨の発言をしています。正確なコトバを覚えていないのですが、一部報道では、その参加者が水谷氏に対して「嘘つき」と言ったとの表現もあります。 神戸から参加したわたしは、特に会場を指定されるでもなく、本会場に入ることができました。 この“参加者のひとり”は、サテライト会場に行くよう事前に指示されたことになりますから、おそらく地元宮崎県、あるいは九州ブロックからの参加者だったのでしょう(主催者側がそのような案内を行うだろうことは――地元の方々には申し訳ないけれど――やむをえないことだと思います)。 この「嘘つき」というコトバは、誰に向けられたものなのでしょう? 主催者側? ありえます。 たとえば神戸で全国大会を行うとしたら、おそらく各単位PTAに10人は動員がかかるでしょう。会長であるわたしは、役員のどなたかに、「二日間、どうかお手伝いお願いします。あとで埋め合わせするからさ。そうそう、記念講演のときには仕事ないはずだから、水谷先生の話が聞けるよ」とか言うでしょう。それを聞いた人は、直接聞けるものだと思うはずです。参加証が届き、記念講演はサテライト会場で聞くように指示されていた。「会長の嘘つき~!」です。 水谷修氏? ありえます。 大会初日の夜に水谷氏と話をしているのですから、かねてよりの知人なのでしょう。それ以前にも話をする機会があり、「おう、今度PTAの大会で宮崎行くんだよ。聞きにおいで」とか言うこともあるでしょう。そして、サテライト会場に案内されたその人が、「生で聞けると思ってたのに。センセの嘘つき~!」と言う可能性はある。 このどちらか。それが、水谷氏に講演を中止させた決定的な理由なのだと思います。 前者であれば、主催者側にとっては「なんじゃそりゃ!」です。 参加者全員が生で聞けるなんて言ったことは一度もない。サテライト会場に案内されることもあるのは何度となく告知済み。それで「嘘つき」呼ばわりされたんじゃたまりません。というか、嘘なんてついていません。「ちゃんと案内読まずに勝手に思い込んだだけじゃろ!」です。 でも、水谷氏ほどのビッグネームとなれば、生でそのお姿を見ることができるかどうか、天と地ほどの差だ、と感じる人がいるのも当然。これはやはり、「複数会場です」だけじゃなくて、それぞれの参加者が講演をどのような形で聞くことになるか、事前にはっきり伝えておく必要があったんでしょう。 後者であれば、主催者側にとっては「水谷氏の思い込み、誤解」ということになります。 水谷氏にとっては「ちゃんと詳細を伝えてこなかったから、わたしが嘘つきにさせられた」ということで、水谷氏のようなキャラクターの持ち主には我慢できないできごとでしょう。 なんにせよ、しっかり講演の詳細を伝えておこうね、というごく当たり前の教訓が導き出されるだけではありますが。* * * * * * * * * * * 長々と書いてきましたが、「これが正解!」だと思っているわけではありません。なにせ舞台裏が見えませんから。 それでも、これから講演会などを企画する場合は、とにかく講師との綿密な打ち合わせと、参加者への正確な告知を欠かすなかれ、な結論が出てきたのでよしとしましょう(当たり前だけどね)。 記念講演は残念だったけれど、その他の点では混乱もなく、また地元の方々の暖かい歓迎に触れることができた大会でした。 運営に携わったすべての方に「ありがとうございました。お疲れさまです!」と謝意を表して、この大会についての記述は終わりにしようと思います。
2006年08月29日
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金曜日に終わらなかった印刷の残り5000枚ほどをやっつけて、あとはおウチで息子・娘ともども宿題をあせあせと(二学期に向けて片付けないといけない書類がいろいろとあるのです)。 きのうの日記がらみで、PTA関係ではない方もたくさん訪問いただいているようなので、基本情報をいくつか補足しておきます。 まず、参加者ですが、原則として一泊二日の大会に事前に申し込んだ8000人の大人たち、ということです。水谷修氏の講演会だけを聞きに来る、という参加形態はありません。 全国各地のPTA協議会それぞれに何名参加、の割り当てがあり(たとえば、神戸市PTA協議会なら15名)、役員が嫌も応もなく参加しています(ほとんどは、小中学校のPTA会長たち)。 参加者8000名のおよそ半数が主催地である宮崎県を擁する九州ブロック協議会から(さらにその半分ぐらいが、宮崎県の協議会から)参加したものと思われます。残り半数が九州ブロック外からの参加でしょう。 というわけで、参加者8000人は、水谷修氏の講演があろうがなかろうが集まった8000人だということ。ついでに言えば、二日間の参加料は5000円ですが、それで弁当も出ますし、会場費など考えれば参加料収入は運営経費の半分にもならないでしょう(足りないぶんは、社会教育団体助成、広告収入、主催地の協議会やブロック協議会の持ち出し)。 神戸市から参加したわたしの場合、全体会(水谷修氏の講演を含む)は本会場であるワールドコンベンションセンターサミットに行くように案内されています。 これは推測ですが、おそらくサテライト会場(本会場から徒歩5分ほどのサンホテルフェニックス)には、地元宮崎県や九州ブロックからの参加者が誘導されたものと思います。地元からの参加者には申し訳ないですが、わたしが主催者側ならそうします。 本会場の入場定員は5000名となっていましたが、椅子の数は3500ぐらいだったでしょうか。開会式の直前(水谷修氏の講演は1時間半後)に会場入りしたのですが、座席にはまだ若干余裕がありました。 わたしは開会式の途中、所用でいったん会場を抜け出し、講演会開始前に戻りました。その際は、「本会場は満席です。サテライト会場に行ってください」との案内がなされていました。 本会場に戻ったときは、椅子席はもちろんびっしり、後方の立ち見もかなりありました。 通常、こうした大会では、参加者数から考えると会場がすいていることが少なくありません。飛行機の都合などで途中退席する方がかなりありますので。 本会場5000人(その一部は、中会議室などに誘導されていたように思いますが)、サテライト会場3000人の収容能力ですから、サテライト会場がガラガラ、なんてことも当たり前の光景です。今回はサテライト会場も満席だったようですので、それだけ記念講演への期待が高かったということになるでしょう。 さて主催者側による講演中止の涙の報告があり、水谷修氏の乱入(主催者側にすれば、水谷修氏の登壇はもはや予定外であり、乱入ということになるでしょう)と「水谷は、ウソはキライです」発言(わたしの記憶では。一部新聞報道では「わたしは、うそつきは嫌いです」と言ったことになっていたりしますが、「うそつき」というコトバは出なかったはずです)、代理講演、梅田日本PTA全国協議会会長の説明という流れについてはきのうの日記のとおりです。* * * * * * * * * * * * わたしは、水谷修氏が「大人げなかった」と思います。 でも、この人はもともとそういう人なんですよね。「大人の対応」が期待できる人じゃない。 わたしたちの常識で図れない感性を持っているからこそ、常識ではできっこない活動ができるんでしょう。 であるからこそ、主催者側には、それこそ細心の、絶対にトラブルが生じないような事前の準備が必要だったと思っています。 きのうの日記には書きませんでしたが、日P会長の説明の中に、「うそつき呼ばわりされるような非はなかった。土下座してまで、とは思わなかった」旨の発言がありました。 わたしは、たとえ自分たちにまったく非がなくても、土下座してでも講演者の機嫌を取り、なんとか講演してもらうのが主催者の務めだと感じます。それが参加者に対する礼儀なんじゃないでしょうか。 もちろん、大人の対応ができなかった水谷修氏も批判されるべきなのは言うまでもありませんが。
2006年08月28日
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全体会場はワールドコンベンションセンターサミット(シーガイア内)。宮崎は初めてなんですが、なんともまあ、立派な施設ですねぇ。スゴイです。 小中学生のブラスバンドと合唱は素晴らしく。(とても小中学生とは思えません!) 開式のことば・国歌斉唱・主催者あいさつ・来賓祝辞・祝電披露・大会宣言決議・PTAの歌斉唱・感謝状贈呈はつつがなく。(今年も文部科学大臣は公務により欠席……PTA、軽く見られてる? あと、「感謝状を受け取る大会実行委員長の表情が固くて、なんか違和感あった」などと、スルドい方は言っていました) 大会旗引継ぎ・次期開催地あいさつは元気よく。(滋賀県のみなさん、よろしくお願いします。頑張ってください) 閉式のことばがあって、さあ水谷修さんの記念講演、というところで、固い固い表情の実行委員長が登壇して。「たいへん残念なお知らせがあります……」 一瞬、水谷さんが倒れたのかと思いました(水谷さんの健康状態知っていれば、誰でもそう思うよね?)。 でもそうじゃなくて。 んと、かいちょー、記憶に頼って書いています。正確じゃありません。その点はしっかり認識しておいてくださいね。●九州ブロック協議会会長(*)の本部仁俊氏、「事実関係だけを申し上げます」に続く説明(*当初、「大会実行委員長」と書いていましたが、かいちょーの間違いです。お詫びして訂正します。9月8日訂正)・水谷修氏より、昨夜、講演できないとの申し出を受けた・水谷修氏は、7000人の参加者一同を前にして講演を行うものと思っていた。一部の参加者はサテライト会場でライブ映像を見るとは思っていなかった・大会スタッフは誠意をもって水谷修氏の誤解を解こうと努力し、なんとか講演してもらえるよう方途を探ったが、誤解を正せなかった・この場では話せないことも多々あるが、とにかく水谷修氏に理解してもらえず残念・よって、水谷修氏の講演会は行えなくなった。たいへん申し訳ない●その直後、客席を通って水谷修氏が登壇し、・まず、講演ができなくなって申し訳ない・きのう、参加者のひとりから、『講演を生で聞けると思っていたのに、そうでなくて残念』との話を耳にした・7000人の方々を前に、わたしの話を直接聞いていただけるものと思っていた・「水谷は、嘘は嫌いです」・PTAの方々が今後どのように考えるかは分からないが、このような状態で講演はできない●代理で文部科学省の生涯学習政策局長、田中壮一郎氏の講演が行われた後(あの雰囲気の中、とても気さくに、いいお話をいただきました。会場からは大きな拍手が沸き起こりました)、日本PTA会長 梅田昭博氏より説明・本部九州ブロック協議会会長(*9月8日訂正)は九州男児であり、言い訳は一切しなかったが、どうしても最後に補足しておきたい・大会側としては、これまで何度も、水谷修氏の講演会の形式(サテライト会場でライブ映像を流すこと)については、水谷修氏にお知らせしてきた・また、大会案内や、各地方協議会を通じて、参加者には講演会の会場がひとつでないことを告知してきた。・そうしたことを、昨夜より、全体会の直前まで、水谷修氏に説明しようとしたが、話し合いを拒否された。・さきほど水谷修氏が登壇して、大会実行委員会を「嘘つき」などと言ったが、これまでの経緯に、大会実行委員会側に非があったとは考えられない・公演中止の説明もわたしたちが行うと言うことになっていたが、いきなり水谷修氏本人が客席から無理やり登壇し、困惑している 九州ブロック協議会会長(*9月8日訂正)、そして日本PTA会長も、嗚咽に言葉をつまらせながらの説明、お侘びでした。 ほんとうのところ、どうしてこんなことになったのか、わたしには判断できません。 水谷修氏は、非常に原則に厳しい方であり(以前にも、無料であると思っていた講演会が参加費を取るものであったためドタキャンした、なんてことがありましたよね)、講演に際してはかなり細かい条件を設定するようです。 実行委員会もそんなことは百も承知だろうし、細心の注意を払っていただろうと信じたいです。 大会案内(5月に送られてきた要項)には、記念講演の行われる全体会が、「メイン会場」「サブ会場」のふたつで行われることが書かれています。 事前に送られてきた参加証にも、「メイン会場:ワールドコンベンションサミット」「サブ会場:サンホテルフェニックス(国際会議場)」とあります。 たぶん、どこかで、ほんのちょっとした行き違い、誤解があったんでしょう。 文書での告知は、本人が読まなければ、本人にとっては「知らないこと、教えてもらわなかったこと」でしょう。 でも、とりあえず、知った範囲内で考えれば、実行委員会のみなさんがお気の毒だと感じます。 水谷修氏の講演があるから参加したという方も多かったでしょう(わたしも楽しみにしていました)。そうした方が不満を感じるのも当然だと思います。ただ、その不満を運営側にぶつけるのは……どうなんでしょう? とにかく、残念なできごとでした。* * * * * * * * * * * 閉会後、おいしい宮崎牛をいただき、温泉につかり、土産を山ほど買い、ヘトヘトになって帰宅しました。 実は、この土日、伴侶も東京に出かけていたので我が家には子ども2人だけが残されていたのですが(そう知らされたときの、子どもたちの嬉しそうなことと言ったら……)、思いがけず、家の中が片付いていたので驚きました。洗い物もちゃんとやって。 昨夜はピーマンと肉を炒め、卵焼きを作り、オクラを茹でて食べたそうで(妹が!)。今日もラザニアを作ったんだって(説明書どおりに作るとは言え、茹でたり重ねたり焼いたり、けっこう難しいものです)。 立派に成長してるんだね。おとうさんはとても嬉しいです。言われないのに宿題もちゃんとやっていれば、もっと嬉しいんだけどね……。
2006年08月27日
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朝も早くから電車に乗り、バスに乗り、飛行機に乗り、やってきました宮崎市。 神戸からは総勢16名の参加。ウチ小P連からは(わたしを含めて)5名。 小P連は揃って特別第一分科会「学力低下克服と地方の教育改革」に出席しました。 まずは陰山英男先生の基調講演。 いわゆる陰山メソッドの内容と、その実践によって何が得られたか、なお話でした。 わたし、陰山メソッドについては「7割ぐらい同意」な感覚かなぁ。 わたしが理解している範囲では、陰山メソッド(岸本メソッド?)ってふたつの柱からできていて。 ひとつは、いわゆる「早寝、早起き、朝ごはん」(生活習慣の向上、テレビやテレビゲームの制限など) もうひとつが、百マス計算や漢字学習のモジュール授業。 で、ひとつめの「早寝、早起き、朝ごはん」については、そりゃもう、心ある人だったら誰でも当たり前のように言うことだよね。で、それを実際に子どもたちと保護者に実行させるにあたっての方法論てのが、いまひとつ良くわかんない(わたしが勉強不足なだけかな)。 これまで「早寝、早起き、朝ごはん」ができていなかった子どもたちや保護者にそれを行わせるための方法論があって、それが陰山英男というキャラクター(カリスマ)を抜きにして誰でも実践できるという条件があって、はじめて「メソッド」という名に値するんだろうと感じます。 モジュール授業については、それは子どもたちの脳の活性化を目標とするものだと理解しています。で、脳の活性化なら、他にもいろんな方法があって、それぞれの学校でそれを目指した活動が行われているはずです。モジュール授業は脳の活性化に確かに大きな効果のある方法論だろうと思うけれど、それが唯一絶対の解決策のように話されると、違和感があります(これまた、わたしの受け止め方がヘンなだけかもしれません)。 で、今日の講演でもいろんなデータやグラフが出てきて、子どもたちが現在置かれている状況が危機的であること(それは激しく同意)、陰山メソッドがどんなに素晴らしい結果を残しているかを教えていただいたのですが、なんていうか、おおむね同意できる、でもそれってホントにホントなの? な感がするのです。 子どもたちの成績や体力の経年変化を見せて、シンクロしてるねぇ、とか。 睡眠時間や朝ごはんの摂取の有無に応じた成績の表見せて、やっぱりシンクロしてるねぇ、とか。 そういうのって、わたしには信用できないんです。ええ、そりゃ相関関係はあるでしょうよ。ないほうが不思議。 でも、因果関係があるの? 因果関係があるかどうか調べるなら、もっと綿密な調査が必要なんじゃないの?(たとえば、毎日朝ごはんを食べている子どもたち100人の成績を調べ、そのうち50人は3ヶ月朝ごはん抜きにして、それぞれのグループの成績の変化を見るとか)。 いや、朝ごはんは食べたほうがいいよ。でも正直、朝ごはんを食べるか食べないか「だけ」を抜き出したら、それほど強い因果関係があるのかどうか、見せてもらったデータからは読み取れない。読み取れないはずなのに、さも因果関係があるような説明をするってのは、どうなんだろう? いろんなデータを、とても恣意的に、陰山メソッドの正しさを実証するために使っているような気がしちゃって、なんだかなぁ、なんです。 午前中の2時間の基調講演、お弁当休憩をはさんで午後は陰山メソッドを現場に取り入れようとしている二つの自治体からの実践発表。 まだ実践をはじめたばかりですが、これからの成果がとても楽しみです。 そして和歌山大学講師の小河先生も迎えて、4人でのパネルディスカッション。4人とも陰山メソッドの素晴らしさを提唱する側ですから、なんとなく予定調和だったりしなくもありませんが。 全体的に見ると、いろんなデータを見れたし(個々のデータはとても興味深いものでした)、たいへん面白いものでした。でも5時間ずーっと聞いてるのはなかなかにツライものであります。 ホテルに移動し、男衆と一緒に宮崎の繁華街をぶらぶら。大会スタッフのみなさんが、目抜き通りで焼酎と焼き鳥をふるまってくれるのです。行ったり来たりするうちに、みんないい調子。チンドン屋のアトラクションなんかもあって、宮崎県PTAさん、大いに頑張ってくれています。ありがたいことです。 神戸市の16人で居酒屋の夕食。地鶏だの馬刺しだの宮崎牛のレバーだのたらふく喰い、飲み、喋り。そのあとカラオケで大いに飲み、歌い。 連P役員の結束が、がっちり固められた一夜でありました。
2006年08月26日
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今日は午前中にCAPの先生向け講習があったので挨拶だけして、P室をちょこっと片付けて、午後は4時間かけて9200枚表裏の印刷をしようとして、印刷機の調子が悪くて7割しかできなかった、なんてことがあったけれど、ウチの可愛い猫について書いてみようと思う。* * * * * * * * * * ウチにはいま二匹の猫が暮らしている。 一匹は、片目のつぶれた三毛猫の「ノラ」(三毛だからとうぜん雌だ)「人形の家」のノラのように解放された女であれよ、とか「ノーラの箱舟」のノーラみたいに自由にのびのび生きろよ、とかいうのはこじつけで、野良で拾ってきたから「ノラ」 家の近くの教会の前でミィミィ鳴いていた生後3週間ぐらいの「ノラ」は、器量が悪いから捨てられたんだろうか。猫のことなんか何も知らなかったおいらは、仔猫に牛乳はあまり良くないなんてことも知らずに牛乳を与え、3時間ぐらい彼女の前を行ったり来たりしてから連れて帰った。 病院に連れて行ったら、片目はどうしようもなくて、もうひとつもちゃんと見えているかどうか怪しいと言われて(けれどちゃんと見えていた。どちらかと言えば嗅覚に頼って暮らしているように思えるけれど)ウチの猫になった。 もう一匹は、真っ白な雄猫の「ナガ」 山道を散歩していたとき、どこからかまたミィミィという声が聞こえてきて。 深い草むらの中に段ボール箱があり、そこから聞こえていた。 段ボール箱は1m半ほどのフェンスの向こう側にあって「なんでわざわざそんなところまで持っていくんだバカ」とか思いながらフェンスをよじのぼって箱を見に行った。 生後間もない仔猫が5匹。真っ白な4匹と、キジトラが一匹。 どいつも全身に蟻が群がっていたから、たぶん羊水とかもそのままだったんだろう。「あ。こりゃ助からないな」とか思いながら、とりあえず町中まで箱を運んで、家の近くの空き地に放置した。 誰か奇特な人が拾っていってくれないかな、なんて甘いことを考えて1時間ほど置いておいたけれど、そんな人いるわけがない。 連れて帰って身体を拭いてやり、医者に連れていったり猫ミルクをやったりしていたら、5匹とも元気になってしまって後悔しきりだった。 真っ白な4匹はてんで見分けがつかなくて、とりあえず尻尾の一番長いのを「ナガ」、短いのを「ミジ」なんて適当な名前で呼んでいたら、そのまま名前になってしまった。 ネットで(当時はまだ“パソ通”だった)里親探しをして、キジトラの子は器量良しだったので、トイレのしつけがすんだ頃にもらわれていった。 真っ白な4匹はそのままウチで暮らしていたが、出入り自由にしていたため、2匹は近くの公園暮らしが気に入ったらしく、帰ってこなくなった(避妊もしていたのに)。 一匹は、車に撥ねられて死んでしまった。息子と一緒に山に埋めに行った。「ナガ」だけは、デブネコだったためかほとんど外出せず、今も足元でナゴナゴ言っている。 それ以降も何匹かの猫を拾ったけれど、「避妊・去勢はする。餌はやる。出て行くのは止めない」な飼い方なためか、みんな死んだりいなくなったりしてしまった。「ノラ」は14歳。食事するか、排泄するか、寝ている。チーズやグラタンが大好きで、たまにそんなものを食べるときだけウミャウミャ鳴く。さいきん毛がごっそり抜けてきて、お迎えの日も近いんだろうなと感じさせる。「ナガ」は12歳。まだまだ元気な甘えん坊だ。とにかくたくさん食べ、たくさん吐く。勘弁してほしい。 彼女と彼が幸せなのかどうか、おいらにはさっぱり分からない。 おいらは彼女と彼のおかげで、けっこう幸せだ。 そんだけ。 これから、日P宮崎大会に行ってきます。
2006年08月25日
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午前中、ふれまちの役員会。に持っていくための広報誌作りをぎりぎりまでやって。 年に4~5回の広報誌発行。A3両面です。 わたしが部長になったのは4年前。それまでは年に1回、行事の報告をまとめたものを出していた(行事ごとの原稿と写真を印刷屋に渡しておしまい)のを、「せめて3回、行事の予告を載せるものを」ということで引き受けて。 最初のうちは広報部員さん(PTA役員+幽霊の地域のエラい方)と企画練って、取材して、編集会議して出していたのですが、、、 ごめんなさい。正直、会議を重ねる余裕がまったくもってありません。ここ何号か、一人でやっつけてしまっています。せめて年に1回ぐらいはマトモなものを作りたいんだけど、去年も今年もさっぱり。 みんなで作るほうがいいに決まってる。みんなで作らなきゃいけません。 でもこれ、マジメにやったら最低でも1号につき企画2回、取材、編集2回、校正の会議は必要でしょう。それを年に4回……。無理です。 無理なら広報部長を誰かにお願いしなきゃいけません。それもサボって。なんとも情けないことです。 言い訳するなら、わたしにはPTAの活動がメインであって、ふれまちはオマケみたいなもんで。余力でできるお手伝いはします、の余力の範囲では、ちゃちゃちゃっと一人でやっつける(これなら、1号につき6時間ぐらいの作業)ことしかできない。PTAを卒業したらマジメに作りますので、それまで勘弁してください。 うー、あんまり言い訳にならないなぁ。 とにかく役員会にできたての広報誌初校(そして最終校)を持っていって、ちょこっと修正いただいて。あした印刷です。 夜は給食懇談会の3回目。他都市の給食献立表を見せてもらいました。神戸より2割ほど給食費の高いある都市、毎日デザートついています。そこまで贅沢させなくてもいいような……。 どんなメニューで、価格がいくらぐらいであれば「適正」なのか。そもそも学校給食の目指すところは何なのか。あれこれ考えさせられる懇談会です。 わたしとしては、「学校給食は教育の一環」であることにこだわりたい気分ですけれど、じゃあどんな内容がいいの? となるとあまりにも難しい。もちろん、みんなが楽しく、しっかり、バランス良い食事ができて、その中で食育もしっかりできる、ってのが理想ではあるのでしょうが。 朝はコーヒーだけ、夜中にごそごそラーメン食べてるわたしなんかがいていいのか? なんてことも考えてしまうのでありました。
2006年08月24日
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パトロールと言っても、地蔵盆でふるまわれるお菓子をもらいに群がり集まる子どもたちの整理、なんですけどね。 地蔵盆そのものについては、昨年の日記(ここ)とまったく同じ。 そして、群がりやってくる子どもたちの数がどんどこ増え、マナーも悪化しつつあることも昨年と同様です。 さてさて、いつまで続くことやら。このあたりも、自治会ができると良い方向に変わっていく、なんて期待も微かにあったりしますが……。
2006年08月23日
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青少年補導センターの指導員としてのパトロール。区内で数人の指導員が集まって、ですからわたしの守備範囲とはまったく違うところを回ることもあるわけで。今回はJRで一駅以上離れたところのパトロール。しかも6時半からスタート。まだ明るいです。これでも「いつもよりは遅めのパトロール」(ふだんは6時から)なんですって。 んー、やんちゃな子どもたちも、さすがにまだおとなしくしてる時間です。なんだかなぁ。 ま、数少ない指導員が歩きながら交流するための活動ってことで、これはこれで意味があると思います。 近畿ブロック大会の発表原稿とか、ふれまちの広報誌とか、wordで書いてるウチにまた気絶してしまいました。最近、椅子で寝ること多いなぁ。 あしたはちゃんと眠ることにしよっと。
2006年08月22日
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新学期に向けて作らなきゃいけない資料がてんこもり。首が回らなくなってきました。あいかわらず記憶力も大いに怪しかったりするし。マズイなぁ。 だいぶ前、ウチには町内会も自治会もありませんよーな話(ここ)を書きましたが、そのあと「もしかしたら、形骸化した町内会はあるのかも?」な印象を抱くできごともあったりして。で、とにかくあまり触らないようにしていたのでした。PTAで手一杯で、そこまでやってる余裕ないよー、だったりするのです。 んで、やっぱりありませんでした。自治会も町内会もございません。「今度、自治会作ることにしたので説明会の資料作って」なんて頼まれたぐらいですから、ないったらないんです。「まずは地域のみなさんに自治会の役割など説明し、意見を聞く」会を行うってことで、その案内文を書きました。行政が出してる『自治会設立ハンドブック』なんて本を見て、雛形パクってさらさらっと。(なんでわたしが? 設立準備会のメンバーでもないし、なんかあやふや~。ま、いいけどね) 前途多難な気がします。ゴミステーションの清掃、なんてあたりが焦点になるのかなぁ。なにせ住民のほとんどにとっては、「これまでやらずにすんでいた」ことなんですよね。それは、ごく一部の心ある方々に支えられていたわけで、住民すべてが協力し合ってやるべきことなのは当然なんですけどね。当然なんだけど、ほとんど人はこれまで不自由感じてなくて、これからは会費を収めた上で労力も提供しなきゃいけない。「これまで」が異常で、お金も労力も提供するのが正常だってことをみんなに説明し、納得してもらうことを思うと気が遠くなります(自治会を作ろうとしている範囲には、4000世帯ほどのおうちがあって)。 とりあえず、自分はどこまで首を突っ込むのか。悩ましいなぁ……。
2006年08月21日
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椅子で気絶していて電話で起こされるのって、自分がどこにいるのか、何がしたいのかしばらくわかんなくて、オモシロイ感覚を味わえます。 なわけで、あわてて顔洗い、服を着て出かけるのです。昨夜はPTAの夜間パトロールに行く予定だったのをスコーンと忘れてスッポかしてしまいました。真剣に自分の記憶が心配にもなります。マズイです。どうすりゃいいんでしょう。 さて、今日は子育てコミュニティの親子工作教室が行われていたのですが、当然、まったく間に合いません。かなり精巧な昆虫から大きな箱まで、いろんなものを木で作ったそうです。楽しかったことでしょう。 次回の打ち合わせでは、10月の野外活動の内容を。みなさん積極的ですので、とんとんと煮詰まっていきます。ペットボトルで作った船で競争をしながら、近くの川を河口まで下っていくという企画。天気さえ良けりゃ楽しいに決まっています。 ところで、今週末には日本PTA全国研究大会みやざき大会が行われます。かいちょーは、初日の分科会は特別1分科会(陰山英男先生の講演)を聞く予定。せっかくの機会ですので、PTA関係ブロガーのオフラインミーティングなどできればいいなぁ、などと思っております。分科会は場所が分かれますので、二日目の全体会でいかがでしょう。直メールをお待ちいたしておりますです。
2006年08月20日
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朝から太鼓を真剣に1時間半叩くと、足腰がヘロヘロになります。 昼から将棋を真剣に指すと、脳味噌がヨレヨレになります。 夜は学校探検の反省会という名の飲み会が深夜に及び、カラオケで熱唱してフラフラになりました。 暑い夏の一日です。
2006年08月19日
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ふれまちの事業です。暑くても夏休みでもやります。 今回はベトナムから神戸外大に「日本アジア言語文化」を研究に来ている青年にお越しいただきました。 とても真面目に(留学生のほとんどは、とてもとても真面目に勉強しています)ベトナムの歴史や文化、現状について教えてくれました。時間が足りなくて困っちゃったくらい。 1972年にハイフォンの近くで生まれたそうですから、まさに北爆のさなかに生を受けた彼。「日本人についてどう感じていますか?」と問えば、「反戦運動をしてくれたたくさんの若者に感謝しています」と答えてくれました。 うーむ。 なんだかいろいろいろいろ考えさせられる一時でありました。
2006年08月18日
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二泊三日、伴侶の故郷は土佐の国に行ってきました。 親戚めぐりして(おこづかいもらって大喜び)、美味しいもの食べて(子どもらはフレンチのフルコース初体験)、川でくたくたになるまで泳ぎ、野菜を収穫し……。 夜は山中のキャンプ場のバンガロー。涼しい~。ぐっすり10時間以上眠りました。 お父さんくたくた。子どもらが楽しんだのでよし!
2006年08月17日
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って、学校にはないんですよ。知ってた? 今日も小学校に行ったら、先生たくさん仕事してました。(わたしはP室の片付けをちょこっと)。 長い夏休み、先生にとってはごく普通の勤務日です。 ただし、夏季特別休暇を3日だけ取ることができるそうで。学校がカラッポになることのないよう、みなさんスケジュール調整して休暇を取るようです。 わたしの仕事にもお盆休みってありません。ということは、出版社にもない? よくわかりませんが、編集さんには休む人もいる、休まない人もいる。休んでも自宅から電話かけてきたりする。というわけで、ぐだぐだですね。 あしたあさっては、日記お休みさせてもらいます。 いろんな思いをこめて「合掌」です。
2006年08月14日
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えーと、28時間のゲーム会で、3時間ほど眠り、10種類のゲームやりました。 寝ますー!
2006年08月13日
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