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日本の「忘れ去られた英雄」「フラッシュメモリ」を開発し、世界を凌駕した舛岡富士雄この「忘れ去られた英雄」の悲劇は、アメリカに渡らず日本に留まっていたため起きてしまったのでは。50年前にアメリカに渡り、大学教授にまでなられている方が言われていた「日本で天才は育たない」という言葉を思い出した、いや、それどころか潰しに掛かっているような。以前も何かの記事で読んだことがある情報だが、このタイミングでまた出すということは、今、不正会計問題で揺れに揺れている東芝への当てつけか?。色々と日本のシステムの歪みが見えてきます。一昨日投稿した奮闘する女性監督の記事と比べて、余りにも寂しい記事ですが、ガンバレ日本の思いを込めて。それではまた。
2015/09/09
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日本人も言うべきことは言わないと。本来、政府やマスコミがやらなければいけないことを、日本人女性監督八木景子さんが、正に孤軍奮闘!!!。是非とも見てみたいですね!!!。「シー・シェパード、ひどい」 モントリオール映画祭、日本人女性監督の反捕鯨「反証」作品に熱い反響それではまた。
2015/09/07
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昨晩、遅い夕食を済ませた後、しばしボッ~としてテレビをただ眺めていたら、次の瞬間釘付けに。あのムツゴロウこと畑正憲先生の首にアナコンダが巻き付き、締めに掛かっているではないか・・・トホホ。次には、ライオンから噛まれるは、小象の調教を習っている時には、間一髪で殺される寸前。司会の有吉とマツコ・デラックスの毒舌コンビも、ただ呆然と言葉もなく(笑)。ムツゴロウさん、怖いという感覚がないのかも(笑)。スタッフには、襲われることがあってもカメラは止めるなと言っていたらしいですからね。しかし、小象から襲われた後、しつけ棒で何回となくぶん殴っている場面はさすがに音だけでしたが、その後のムツゴロウさんの顔・・・。この表情が全てを物語っていましたね。まさに闘い終った格闘家の顔でした。残念ながら、その表情は撮れませんでしたが。ムツゴロウさんも人の子、恐怖心はあるのでしょうが、それ以上に探究心が強いということでしょうか。男は度胸というけれど、肩で風切って歩いているような男は、寧ろ弱い。小猿のような顔してヘラヘラ笑っている痩せっぽちのチビが、こんなことしているんですからね。(ムツゴロウさん、失礼を言ってすみません)こんなことは真似出来なくても、強いもの大きいもの相手でも臆せず立ち向かって生きたいものですね。『一寸の虫にも五分の魂』これくらいの気概を持たんとね。それではまた。
2015/05/28
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昨日、用事があり姉の家へ。久しぶりに、舅であるお義父さんにも会ってきた。御年、百一歳!。久しぶりに顔を見た私の名前も間違わず、私の仕事のことも覚えていてくれたのにはビックリ。さすがに耳は遠いし足元は覚束なくなっているが、面倒を見ている姉には感謝しているようなことをことまで言ってくれて、有り難かった。それにしても驚いたのは、入れ歯はなく殆どが自分の歯。二度ビックリで、もう笑うしかなく・・・。ご同輩の皆さん、歯は大丈夫でしょうか(笑)。写真は、百歳の御祝に総理大臣名で贈られた銀杯。他にも安倍首相名で贈られた賞状もありました。最後は、何はなくても健康が一番ということですかね。未だに腰痛が治らず、猫背になって歩いている我が身が情けない・・・トホホ。もっと、摂生に努めないといけませんね。百一歳の大先輩の前で、ぐうの音も出ない私でありました(笑)。それではまた。
2015/04/06
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元巨人軍で、一度スポットライトを浴びた男が、現在用具係。傍目から見れば、「惨めだろうな」などと勝手に勘ぐってしまうが、本人は野球が好きで、その現場にどんな形でも居たかったんでしょうね。腐らず、焦らず、目の前のことをただ黙々とやる。いや~、参りました。私には、真似出来ません。先日、「目の前のことを一生懸命にできない者に夢を語る資格はない」とFB仲間の竹野さんが「働く」とは何かという投稿の中で書かれていましたが、正に彼は目の前のことを腐らず一生懸命にやっていたからこそ、ビッグチャンスが到来したんでしょうね。どうか、正式にソフトバンクのコーチになれますように!。嫌なニュースが多い中で、とても気分が良くなるような素晴らしいニュースでした。入来頑張れ~~~!!!。それではまた。
2014/11/05
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先週末の「中洲JAZZ」は、ちょっと見て歩いた程度だったので、自宅で引っ越しの後まだそのままにしている段ボール箱を物色。私はこう見えてもJAZZを語らせたら・・・何も語れない(笑)。それでも、確か、知人から頂いたCDがあったので探していると、それとは違う懐かしいロバート・キャパの写真が出てきた。かなり前に、キャパの写真の展覧会を見に行った時に、写真集と一緒に買ったものだったと思う。まだ若かった私は、ただの二枚目ではない、男が見ても惚れ惚れするような言葉に出来ない魅力を感じた。10年後か20年後には、俺もこんな魅力的な男になっていたいものだ???、などと妄想?したのを覚えている(笑)。今がどうかと言われれば、トホホ?としか言いようがないが、仕事だけでなく、趣味も遊びも大いにやって、もっともっと磨きを掛けんといけませんぞ、ご同輩。・・・おまえがやろ、という突っ込みはしないように(笑)。まっ、こんなことを感じた一枚の写真でありました。それではまた。
2014/09/19
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四ツ葉のクローバーの声が聞こえる少女!?以前見た時、大変感動したのを覚えています。純真な少女だから聞こえるのか、人間が本来持っていた能力なのか、とにかく凄いです。もし、スピリチュアリティという言葉が、現象として見えるとすれば、こういうことかもしれませんね。ふと、こんなことを思った次第でした。それではまた。
2014/06/17
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週末の夜になりました。皆さん、楽しい週末をお過ごしでしょうか?。私はまだ会社にいますが(笑)。ここ数日の一番熱い話題といえば、プロ野球楽天の田中マー君がヤンキースと7年161億で契約したこと。しかし、それ以上に驚いたのは、ネット上の「蒼井そら」の記事。今や中国で最も知られている日本人の一人、ピンク?女優の「蒼井そら」。おっと、ピンク?女優だからと言ってバカにしてはいけない。私が彼女を知ったのは、数か月前だったか?、テレビで彼女の話題が流れていた時。その時は、私の偏見からか、ただ「へ~???」と思っただけで、まともには聞いていなかった。しかし、記事を見て改めて目が点になるほど驚いた。中国で発信している彼女のツイッターのフォロワーが約1500万人。中国映画でも、中国語の吹き替えなしで主演こなす彼女は、今や中国ではただの「ピンク?女優」ではなく「蒼井老師」(老師とは先生の意)と呼ばれているとか。オークションでは、彼女が得意の毛筆で書いた書道が一千万円で落札。飲料メーカーのCMに起用され、そのギャラがなんと1億5千万。高倉健や吉永小百合でも、絶対無理な金額では?。中国の反日デモの時ですら、こんなプラカードが出現したとか。「尖閣は中国のもの、蒼井そらは世界のもの」ピンク?女優である彼女が、何で「蒼井老師」とまで呼ばれようになったのか、知りたいですね。他の記事に彼女の言葉が紹介されていた。「たとえピンク?女優でも たとえ浪人生でも たとえニートでも どんな職業だろうと 自分の思いがあるなら人が否定するような自分でも 真っすぐな自分でありたいと思う 。私は生きるためにカメラの前で脱いでいる。 服をきちんと着ているあなたは 個人の欲望と人をだますためにカメラの前に立っている」 この言葉は、中国の若者は汚職や権力闘争にあけくれる大人たちへの痛烈な批判と読んだ可能性があるとか。もしかしたら、彼女は徒者ではないかもしれませんね。新聞やテレビの大マスコミはあまり報じませんが、ここまでくると、彼女の影響力は見過ごせませんね。「田中将大」にしろ「蒼井そら」にしろ、今時の若い者は大したものですね。しか~し、ご同輩の皆さん。幾つになっても、若造なんかに負けてはおられませんぞ(笑)。規模や形は違っても、気合を入れて頑張らんとですね!。それではまた。*AとVを繋げて書いたら、公序良俗に反するということで書き込みが出来ませんでしたので、ピンク?女優と書いています。
2014/01/25
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我々の年代しか知らないこの人の凄さ。 自分より大きく強い相手にいかにして勝つか。 練習では「根性」、しかし、試合では恐れを知らない「勇気」が不可欠。 ルールの範囲内で手段を選ばず。 これぞ弱者必勝の戦略。 やはり、これくらいの気概がないとね!。 それではまた。
2013/09/29
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今日の昼、会社でテレビを見ながら食事をしていると、番組のゲストがなんと女優の原田美枝子!。ファンである私は、思わず画面にスマートフォンを向けてパチリッ・・・。な~んてことは、隣に社員がいたのでするわけもなく(笑)。さすがに、ちょっと年を重ねたのが分かりはしても、今でもとても魅力がある。若いころの彼女は、顔と豊満なボディとのアンバランスが魅力だったが、その演技も素晴らしかった。写真は、25歳の時に出演した黒澤明監督の「乱」。彼女の演技は、戦国時代そのもののようなド迫力で、「乱」の中で一番輝いておりました。彼女は、もっともっと評価されてもおかしくないと思うが、おそらく私に賛同してくれる人も少なくないはず。それにしても、旦那さんの石橋凌は本当に羨ましい・・・(笑)。それではまた。
2013/09/27
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上手いな~~~。久しぶりに聞いたけど、やっぱり素晴らしい。この人の「ヨイトマケの唄」・・・聞けるものなら聞いてみたい。それではまた。
2013/08/23
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おはようございます。土曜日の夕方、知人への引っ越し祝を、と思い立ちワイン専門店へ。初めは、焼酎か何かと考えたが、社員から聞いて行ってみることに。早速車を走らせ着いたのは、住宅街にある小ぢんまりとしたお店。入ってみると、とても雰囲気がよく、全くワインのことが分からない私でも丁寧に応対してくれた。ワイン選びは店主夫婦に任せて、私は店を見渡し気になるものを発見。それは、商工会会員50年の表彰状。私は気になり、ちょっと聞いてみた。「50年も商売されているんですね・・・」という問いかけに。「元々普通の酒屋だったんですよ」と奥さん。ここまで聞くと、私の悪い癖?でお店の歴史を知りたくなる。聞けば、普通の酒屋から国道沿いにディスカウントの店も出したことがあるとか。そして、今は息子さんが主となって御両親とワイン専門店として頑張っておられる。私は、失礼だったかもしれないが、思わず「頑張られましたね~」と言ってしまった。すると、奥さんが屈託のない笑顔で「がんばりました~」と返事が。とても素敵な笑顔でした。土曜日の夕暮れ、私は正装である作業着でのお買いものでした(笑)。小売りだけでなく、レストランへの卸などもやっておられるこのお店。なかなか良いお店でしたよ。さっ、今日は晴れ渡った好い天気、今週も張り切って行きましょう!。(写真は、お店の許可を得て撮ったものです)
2013/04/22
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師走もいよいよ後一週間足らず。文字通り走っていますが、そんな中久しぶりにスーツを新調!。今着ているのが、余りにヨレヨレに。日頃ネクタイはしても、上着は会社の作業着なので、頻繁には着ることがなく、なんと、10年?、いや、15年?振りか覚えていない(笑)。それも、半額セールのそのまた半額以上をカードの溜まったポイントを商品券に代えて購入。手出しは僅か(笑)。バイクのライダー用ジャケットの方が遥かに高い、という始末。まっ、これでも頑張ったご褒美ということにしておきましょう!!!。写真は、20世紀最高の俳優と言われるボギーことハンフリー・ボガード。決して美形ではないが、その存在が男の美学を感じ、最高の人気を誇りました。よく言われますが、私ではないので、くれぐれもお間違いのないように???。それではまた。
2012/12/22
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昨日、知人が来て置いていきました。政治家橋下徹氏の政策批判ではなく、女性、金、黒い交際、などの暴露記事でもなく、その出自を暴く卑劣極まりない記事でした。差別の問題云々より、橋下徹氏を生理的なまでに嫌いな輩が、彼を貶めるために仕掛けたものでしょう。逆に言えば、反権力などを標榜している連中の強烈な妬みかと。橋下徹氏を全面的に支持するものではないですが、あまりにも卑しい記事でした。正々堂々と政策論議ができないものかと。勝つ自信がないのでしょうね。それではまた。
2012/10/31
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大関日馬富士、優勝おめでとう。また外国人か、という気持ちが正直なところだが、日馬富士のインタビューを聞いていると、昔の日本人そのものではないか。子供の頃見た大鵬、そして、北の湖の時代の雰囲気がある。受け答えを聞いていると、飾らず朴訥だが、言葉に力がある。「失われた20年」と言われるが、日馬富士が何かを教えてくれている気がしてならない。ダサいと言われたようなことが、実はそれがカッコいい。日馬富士、大横綱目指してガンバレ!。これから応援させてもらいますよ。それではまた。クリックしていただけると励みになります!!! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2012/09/24
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あの名門・日立でプレーして五輪候補にまでなった金田典子さんが病に冒され引退したのが二十歳の時。夢にまで見たジャパンのユニホームを着て再チャレンジ。ここまでの道程は大変だったと思いますが、このチャレンジ精神には敬服の外はありません。「人間、1度や2度で諦めちゃだめ」と話している金田さん。本当に素晴らしい!。「シッティングバレー金田選手 病乗り越え」クリックしていただけると励みになります!!! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2012/09/05
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今日はやけに疲れるな?と思ったら、昨日・・・ではなく、今日の午前3時過ぎまで、体操の男子個人総合決勝に釘付けとなっていました。予選の鉄棒で、まさかまさか「猿も木から落ちる」となってしまった内村航平。しかし、多大のプレッシャーの中、気持ちを切り替えて、堂々の金メダル!。圧倒的な強さ、そして、美しさでした。内村航平、あんたは偉い!!!。表彰式で「君が代」が流れた時は、感動しました。それを見ずに寝られるわけがない(笑)。さっ、明日のために、今日はこの辺りで帰るとしましょう。それではまた。
2012/08/02
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昨日までいたマリナーズの本拠地に、ヤンキースのユニフォームで登場したイチロー。そのイチローにスタンディングオベーション!。感動的なシーンでした。理屈っぽいイチローだけど愛されたいたんだな。個人では頂点に立ったが、まだワールドシリーズの優勝を味わったことがないイチロー。引退前に神様くれたプレゼント!・・・になりますように。WBCで勝った時のような大喜びするイチローをもう一度見たい!。それではまた。クリックしていただけると励みになります!!!がんばれ東北!元気出せニッポン!「チーム無駄遣い10%」 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2012/07/24
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私が好きなテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」に時々出演される武田邦彦教授(中部大学)の原発事故に対しての緊急提言が注目されている。以前、武田教授の本を読んだ時は驚いた。『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』第1章 資源7倍、ごみ7倍にするリサイクル第2章 ダイオキシンはいかにして猛毒に仕立て上げられたか第3章 地球温暖化で頻発する故意の誤報第4章 チリ紙交換屋は街からなぜいなくなったか第5章 環境問題を弄ぶ人たち「たかじんのそこまで言って委員会」を見た時、あまりに説得力があった。それでも、異端児、いや、嘘つき呼ばわりされているようだ。しかし、武田教授のこの環境問題に対する提言が、もしかしたら再評価されるかもしれない。再評価どころか、主流になる可能性は・・・どうだろうか?。昨日書いた大前研一氏も武田教授も原発推進派だった。皮肉にも、お二人の今回の原発事故に対する提言が注目され、廃炉を含めて今後の問題に対する解決に繋がるのではないか。今回の大地震は、異端が主流になるという奇跡を、もしかしたら起こすかもしれない。ちなみに、異端の芸能人である人気者のたかじん氏の意向で、「たかじんのそこまで言って委員会」は東京では放送されていないようだ。異端児がすることは面白い???。それではまた。クリックしていただけると励みになります!!! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2011/03/22
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一昨日の夜遅く横浜時代の先輩から電話があった。年に2回くらいは電話で話すことはあるが、こんなに遅く何かあったのか?。「ホリッ~、元気か~・・・」といつもの明るい声だったが、その時まだ食事をしていなかった私は思わず拍子抜けしたような気分に(笑)。「なんですか、こんなに遅く?」と私。「おまえな~、何か迷惑そうな声だぞ」と言われたので一言。「はい、迷惑です。まだ食事もしていないのに」・・・もう二人で大笑い。そして、何があったかと聞いいてみると。「おまえが気にしてたNと偶然あったんだよ」「えっ~~~、Nさんと、どこであったんですか?」Nさんというのは、横浜時代私が親しくしていた人で、いつの間にか年賀状も宛先不明で返ってくるようになり、行方不明?となっていた。元々私以上に勝手気ままに生きている一匹狼なので、もう横浜にはいないだろう、と思っていた。それが偶然、先輩のMさんと会うとは。「それがな、蕎麦屋であったんだよ」「はっ、蕎麦屋???」と聞き返すと。「本当に偶然、目の前で食べてる奴、こいつどこかで見たことある、と思ったら、それがNだったんだよ」これまた二人で大笑い。先輩MさんとNさんもおそらく20年近く会っていなかったはず。それが広い横浜の中の一軒の蕎麦屋で再会するとは。携帯電話の番号を教えてくれたので、早速昨夜Nさんに電話を掛けてみた。「Nさんですか、分かるね俺の声、分かる」「・・・分かりませんが・・・」声を聞くのも20数年振りなので、分からないのか。「HORITAだよ、まさか忘れたなんて言わせんよ」「おっ~~~、ホリか、ホリちゃんか、懐かしいな~」声が全く変っていなかったので、本当に嬉しかった。「年賀状は返ってくるし、一体どこに行ってたんですか、困ったもんだ」「あはっ、俺もよ~、流れているからな・・・」確かに、Nさんに「引っ越しのお知らせ」なんかは似合わない(笑)。それにしても不思議だ。声というのは、老化しないのだろうか。昔と変っていないような気がする。目に浮かぶのは、若きNさんのアフロヘア?。聞けば、私同様見るも無惨に跡形も無いとか(笑)。昔話に花が咲いたが、400万人近い人口の横浜で、住んでる区も離れているのに、蕎麦屋で先輩二人が偶然再会し、その御陰で行方不明?だったNさんとこうして話すことが出来た。世の中、捨てたもんじゃない。「野垂れ死にしている、と思っとった」と私が言ったら、これまた二人で大笑いとなった。横浜に遊びに行く楽しみが、また一つ増えた。それではまた。クリックしていただけると励みになります!!! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2010/10/07
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今日の夕方、会社に帰る前に喫茶店に寄った。最近では珍しくなった郊外にあるその喫茶店には、たまに息抜きに寄ることがある。そこで、コーヒーを飲みながら週刊誌を読んでいると、ある記事が目に留まった。そこには、8月24日に46歳の若さで亡くなったアニメ監督今敏さんの遺書とも言えるファンへのメッセージの一部が紹介されていた。亡くなるまでは自分が病気であることは伏せておられたので、ファンは、いや、ファンならずとも、そのメッセージには衝撃を受け、そして、それ以上に感動したのではないか。私は、先程その遺書とも言えるメッセージを全文読んだ。亡くなる前にスタッフに託されたものだと思うが、周りの人への感謝の気持ちと、死を前にした心境を淡々と語っておられるので、余計に胸に迫るものがある。ご両親にも病気のことは告げておられなかったが、死ぬ前にどうしても一目見て感謝の気持ちを伝えたくなり、札幌から来てもらったとか。寝たきりとなった息子を見たお母さんの一言には言葉もない。そして、亡くなるまで支えた奥さんの言葉も・・・。ご存知の方も多いと思うが、まだ読まれていない方は、私のブログでお二人の言葉を紹介するのは憚るので、是非今敏さんのオフィシャル・サイトへ飛んで読んでいただきたい。今敏オフィシャル・サイト - KON'S TONE2010年8月25日(水曜日)『さようなら』それではまた。ただ淡々と飾りがないメッセージに感動!!!クリックしていただけると励みになります!!!オガチは風に乗る! (写真はローズマリーさん撮影)『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2010/09/14
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私は、河島英五が好きだ。先ず詩が良く、そして独特な歌い方も好きだった。亡くなってしまって、彼の歌を他の歌手が歌っているのを聴いても、やはり河島英五の歌は、河島英五が歌って始めて輝くような気がする。音楽音痴の私が言うのも何だが・・・。しかし、この女性歌手の歌を聴いて感動した。歌唱力では、あの美空ひばり以上では、と言う人も少なくないようだが、本当に上手い。ただ歌が上手いというだけでなく、古くさい言い方かもしれないが、情念の炎を燃やしているような、そんな気さえする。そう言えば、「タンスのゴン」のCMなどでは、茶目っ気も見せていた。1978年に俳優の郷英治と結婚したが、1992年に死別。(英治の英は、本来は金偏に英)郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。それ以降、引退宣言もないまま現在まで、公の場所にも全く姿を現していない。是非、もう一度、現在の姿で、現在の声で聴かせていただきたいものだ。ちあきなおみ 『酒と泪と男と女』それではまた。クリックしていただけると励みになります!!!オガチは風に乗る! (写真はローズマリーさん撮影)『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2010/06/04
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ここ数日は、帰宅してオリンピックのニュースを見るのが楽しみだ。一昨日のスピードスケート男子500メートルは、惜しかったですね。あと一息で金メダル。しかし、世界の中で銀と銅ですから、天晴れ!と言わせていただきましょう。大したものだ。今回のオリンピックで今のところ一番印象に残っているのは、モーグルの上村愛子。今回もまたメダルに手が届かなかった。4大会連続出場で、7、6、5、そして今回が4位。悔しさのあまり大粒の涙を流していたが、笑顔が印象的だった。作り笑いとも思えないその笑顔を見て、なんと素直ないい女!なんだ、と思えてならなかった。流す涙が美しかった。童顔でもあるし、私の勝手な思い込みかもしれないが、勝負の世界に生きている女性にしては、素直さが際立っているように見えた。女性でも勝負師ともなれば、朝青龍のような性根でないと。ちょっと、極端過ぎるか?(笑)。勝負は別にしても、久しぶりに素敵な笑顔を見たような気がした。先日、知り合いの女性が、私がバイクを買ったことを知り、この鍛冶屋の息子に鋭い突っ込みを入れてきた。「あれ~鍛冶屋さん、その頭に合うヘルメットがよくありましたね~」思わず「ばかたれっ~・・・」と言いつつも、もう笑うしかなかった。以前、私が数回毒?を吐いたことがあるので、見事にお返しをされてしまった。このユーモアに座布団1枚、いや、2枚(笑)。けれんみのない明るい笑顔でこんなことを言われると、男は敵いませんね。面白い愉快な女性は、違った意味でいい女!・・・ですね(笑)。涙は女の武器と言うより、笑顔は女の最強の武器かな?。それではまた。たまには、こんなことも・・・。まっ、たわごとたわごと、読み流してくだされ!。クリックしていただけると励みになります!!!オガチは、落ちても落ちても飛ぶのを諦めない鳥!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会! 『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2010/02/18
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先日、かなり遅い年賀状が届いた。 立派な年頭の辞ありがたいことです。 まるで経済界の大社長のお言葉。 今年一年肝に銘じて励みます。 九州へ行きたいな。私のカッコつけた仰々しい?年賀の挨拶に対する返事を皮肉たっぷりに書いてあった(笑)。差出人は、若き日の横浜時代の先輩。半年前に引越しの案内をいただいた時に、自由奔放な生活に遂に終止符を打つ?ようなことを臭わせて、答えは年賀状で、と書いてあった。しかし、その答えがないではないか。これは電話しなくては、と思った矢先に先輩から電話があった。「ホリッ、元気か~」「俺は元気ですよ、それより老いらくの恋?はどうしたんですか」「相変わらず口が悪いなおまえは、あれか~、冗談に決まってるだろ~、ハッハッ~~~」もう二人して大笑い。若い頃海外を放浪し、今でも北海道を中心に自由奔放な旅をしているようなこの先輩らしい答えだった。勝手気ままにだけ生きてきた私とは一味違うかもしれないな。最後には、こんな言葉で締め括っていただいた。「横浜は少しずつ良くなってきたから、九州や北海道も良くなってくるんじゃないか。ホリッ頑張れよ。今年は会いたいな」とても有り難かった。それにしても、年明けということもあってか、数人の方と電話で遣り取りしたり、メールで遣り取りしたり、旧友たちとの再会があったりと、驚くようなドラマ?を見聞きさせていただいた。ドラマ?と言ったら失礼かもしれないが、とても勉強になることばかりだった。今年まだ半月しか経っていないのに、驚くばかりだ。ただ、驚いてばかりではなく、昼間は完全に仕事モードに入っておりますよ。エンジン全開です!。しかし、今日の久しぶりにポカポカと感じるような陽気に車を運転していると、さすがに眠くなりましたね。弛んでるわけではないですが(笑)。さて、明日も大いに頑張りましょう。横浜の自由奔放な先輩のように明るく前向きに生きないとね!。それではまた。自由奔放と勝手気まま・・・似ているようでちょっと違うかな???自由奔放に何にもとらわれず生きたいものだ!!!クリックしていただけると励みになります!!!オガチは、落ちても落ちても飛ぶのを諦めない鳥!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会! 『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2010/01/19
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昨日の夜、講演回数は優に6,500回を超える日本一の講演家と言っても過言ではない田中真澄氏の講演会へ。昭和11年福岡県大牟田生まれで、現在73歳。プロ野球球団楽天の監督だった野村克也氏と同じ年と聞いたが、とにかく凄いパワーだった。一昨年初めて講演を拝見して感動し、その時の録音CDは繰り返し聞いたほどで、リピート率日本一というのも頷ける。昨日も、会場は300人近い人で満杯状態。自己実現プログラムの販売会社が主催ということもあるだろうが、それにしてもこの集客力、人気には恐れ入った。因みに、私は自己実現プログラムを購入しているわけではないが、一般として参加させてもらった。講演内容は、経営者として、或いは人としてどうあるべきか、昔から言い伝えられる当たり前のことを、とにかく溢れるばかりの情熱で話される。当たり前のことを話して、これだけ人を感動させるのは、一体何なんだ。司会者が『日本一の熱演家』と言っていたが、大げさではなかった。会場で、今や年100回の講演をしている九州ベンチャー大学の栢野さんと会ったが、彼のような人が師匠として尊敬しているほどだ。名古屋2+大阪+福岡へ(2009年11月12日)(↑ 栢野さんのブログに講演会の模様が紹介されています)もう一人、ブログ仲間でもあるヨガの先生のKakoさんにも会ったが、なんと5年連続して参加しているとか。こういう話のプロたちも圧倒されるような、そんな講演だった。講演の最後に、この言葉を紹介されていた。『今日誠実に真剣に生きることが、未来への唯一の保証である』それではまた。70歳を過ぎてあのパワー!。俺も一歩でも近付きたいものだ!!!クリックしていただけると励みになります!!!オガチは、落ちても落ちても飛ぶのを諦めない鳥!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会! 『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2009/11/12
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X JAPANのリーダーYOSHIKIが頚椎椎間板ヘルニアの手術を今日アメリカでやっているようだ。正式には、頸椎椎間孔狭窄症と診断され頸椎椎間孔切除術という手術が行われる。YOSHIKIが頚椎椎間板ヘルニアとは、全く知らなかった。おっと、鍛冶屋の息子がなんでYOSHIKIなんだ、と突っ込みが入りそうですね。私は、X JAPANはテレビでしか見たことがなかったが、YOSHIKIについては、島田紳助の番組に出ているのを見て意外にも好感を持ったことがある。しか~し、この程度で何でYOSHIKI?。人が聞けばつまらないことだと思うが、私も頚椎椎間板ヘルニアの手術を経験しているので、このニュースには釘付けになった次第。だからどうした?、と言われると身も蓋もないので、その突っ込みはしないように(笑)。この病気は、手が痺れたり、麻痺が起きたり筋肉が落ちたりすることがある。もちろん、同じ症状が足に出ることもある。酷い人は、歩けなくなった人もいる。ネット上の記事を見ると、5月くらいから左手の感覚がなくなり筋力が低下して、右手には痺れがあるという。これは、ピアノを弾きドラムを叩くYOSHIKIにとっては致命的ではないか。病気自慢というわけではないが、私の体験からして、これからが大変だと思う。私の場合、左足が麻痺し右足が痺れて、左手の筋力が低下した。手術をして完全に治ったかというと、残念ながら左足は若干ではあるが麻痺が残り、右足の痺れも残っている。私は、手術するタイミングが遅かったが、YOSHIKIの場合、決断が早かったようなので安心はしている。手術して劇的に回復した人も少なくないので、YOSHIKIの劇的な回復を願うばかりだ。『同病相哀れむ』というが、YOSHIKIの症状と気持ちが手に取るように分かるので応援したい。YOSHIKI頑張れ~~~!!!。あのカッコいい姿をまた見せてくれるだろう!。クリックしていただけると励みになります!!! オガチは、落ちても落ちても飛ぶのを諦めない鳥!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会! 『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2009/07/28
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土曜日の夜、自宅に帰ると一枚の葉書が届いていた。「引越しました」と面白いイラストに→でこんなことが書いてあった。「この中に女性用の服が入っていると思うか?答えは年賀状で」思わず吹き出してしまった。葉書を送ってくれた人は、私が横浜にいた頃、一緒に仕事をしていた先輩のMさん。訪問販売の会社で、奇人変人の枠でさえ納まりきれないようなアウトロー?が出入りしていた。しかし、私やMさんのような真っ当に(のつもり?)仕事している者でないと長続きはしなかった。それでも、Mさんは変わっていた。『巨人の星』のオズマ(黒人の大リーガー)のような風貌なのに、驚くなかれ○○ボーイ。(オズマと言っても、分からないかな?)当然、卒業後は一流企業に勤めたが、全く水が合わず3年ほどで退社。小田実の『何でも見てやろう』に影響を受け、映画『アラビアのロレンス』に感動し、中近東を始め世界を旅したとか。(沢木耕太郎の『深夜特急』は知ってても、小田実の『何でも見てやろう』は知らないかな?)帰国後も、自由奔放に過ごしていたようで、そんな時に私はMさんと出会った。変人?のMさんは、私を何故か?「変わった奴」と思っていたようで、不思議と馬が合いよく飲んだ(笑)。私が横浜から福岡に帰って来た時、一度だけ九州まで遊びに来てくれた。それからは年賀状を出す程度で、電話したのもいつだったか?。その後は、二人とも仕事だけは地道に真っ当にやっていたが、Mさんは自由奔放、私は勝手気ままに過ごし、男やもめという体たらくだ(泣)。そんなMさんからの葉書にこんなことが書いてあるなんて・・・。「この中に女性用の服が入っていると思うか?答えは年賀状で」これを笑わずにいつ笑う(笑)。それにしても、相変わらず少年のようだ。こんなユーモアが書けるなんて、Mさんは今でも少年の心のままではないか。懐かしさと嬉しさが入り交じって、なんと表現したらいいのか?。声を聞きたい衝動を抑え切れず、直ぐ携帯を手にして葉書に書いてある番号に掛けてみた。「もしもし、Mさん。分かりますか?・・・」「えっ、どなたですか?・・・」と、さすがに一声では分からなかったようだ。「引越しの案内をいただきまして・・・」「えっ~~~、もしかしてホリかよ~~~、懐かしいなあ・・・」(言い難いのか、年上の人はタを省いて、ホリとかホリちゃんと呼ぶ人が多い)若々しく全く変わっていない声に、驚いてしまった。今どこにいるか?と尋ねたら、なんと北海道だとか。仕事は地道に横浜でしていても、行動は相変わらず自由奔放、昔のままだ(笑)。そして、いよいよ本題に。「Mさん、葉書に変な?冗談書いてあったけど、あれは何ですか」私が突っ込むと。「ホリッ、失礼なこと言うなよ。目の前にいたら回し蹴りだぞ」さらに私が突っ込む・・・。「もしかして、老いらくの恋じゃないですか?」これには、Mさんも大笑いして。「ホリッ、相変わらず面白いこと言うな、おまえは・・・」私の毒舌にも、昔と変わらず、軽く受け流してくれる。私も、大笑いしてしまった。結局、答えは年賀状で、とはぐらかされてしまったが(笑)。この答え方も、昔と一緒でなかなかのユーモアだ。Mさんと話していると、幾つになっても少年のような心を持っているというのは、素敵だなとつくづく思った。今年は、横浜に行ってみたい。いや、帰ってみたい、という心境かな。1年の前半の締めくくりには、最高の便りだった。それではまた。ちょっと待て?、考えてみたらMさんは、俺が出した年賀状の返事なんかくれたことあったっけっ?。答えは年賀状でって、答えは会うまで永遠の謎ってことかい???クリックしていただけると励みになります!!! オガチは、落ちても落ちても飛ぶのを諦めない鳥!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会! 『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ! 会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2009/06/30
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先週の中日、携帯に登録外の番号で電話があった。誰だろう?。出てみると、10年振りに聞く声ではないか。年賀状の遣り取りだけは続けていて、福岡に来られた時は是非連絡してください、と携帯の番号を年賀状に書いていた。その番号に漸く掛けていただいたわけだ。電話の相手は関東在住のあるコンサルタントで、10年程前に福岡であった勉強会に私は参加していた。今は、かなり丸くはなったが、あの当時はまだ私はかなり突っ張っていた。いい年をして恥ずかしい話だが・・・。その2次会だったか、コンサルタントの先生が言われることが納得できず、口論となってしまった。終いには、一回りは年上と思われるその先生に暴言を浴びせる始末だった。さすがに、これはやり過ぎた。バカもここまでくれば、救いようがない。後日、私はお詫びの手紙を書いた。許していただけるなら、またお会いしたいと。あれから、10年経った。何かの集まりがあっていた場所へ出向き漸く再会できた。私があの時のことを謝ろうとしたら、それを遮り・・・。「連絡しようと思っていて、忘れていたわけじゃないんだけど・・・。でも、会えて私も嬉しいよ」と握手をしていただいた。胸のつかえが漸く取れた、そんな気分だった。この器の大きさに感激し、感謝するしかなかった。そして、折角来たのだから、とその会に参加することになった。周りの数人の話を聞いていると、皆さんかなり優秀な方ばかりで、私にはちょっと場違いな気がした。会社の経営者はもちろん、国家公務員もいる。途中、起業して間もない人が周りからアドバイスを受けているのを黙って聞いていた。中には凄い理論家がいて、私は到底付いていけない(笑)。しかし、ちょっと理屈っぽい気がして、私にも何か一言をということで・・・。「理屈ばかり考えたって仕方がない。まず動いてみらんことには、理屈は後からでよかよ。」こんなことを言ったから、周りはどう思ったかは分からないが、起業間もない人は理解してくれたのではないだろうか。そんな雰囲気の中に、一人私と同年代で朴訥としたキャラクターの人物がいた。私は、自然と親近感を覚えて、初めてとは思えないほど話ができた。あまり経歴を語ろうとはしなかったが、コンサルタントの先生に促され、経歴の一部を披露してくれた。朴訥な語り口ながら、話の内容には、ただ驚くばかりだった。若い時に単身アメリカに渡り、理屈ではなくただ食うために目の前の仕事をやっていたら、それが自然と大きくなり驚くような成功をしたが、途中思わぬ失敗で急転莫大な借金を負ってしまったとか。そして、その莫大な借金の返し方も、これまた驚いた。運が強いというか、何と言っていいか表現し難い。ほんの一部でこれだから、いずれ全体像を本にして出版されるべきではないか、と思ったほどだ。こんな現実の前には、どんな理屈も歯が立たない。百聞は一見に如かず、周りの優秀な人たちもただ聞いているだけだった。ただ、私はその朴訥とした雰囲気に親近感を覚えて、ついつい調子に乗って口の悪さが出てしまった。「鍛冶屋さん、あなたはドキッとするようなことを言いますね。・・・当たっていますけど。」こんなことを笑いながら言ってくれたので、また調子に乗って言ったら・・・。「今度は、心臓に突き刺さるようなことを言いますね。・・・当たっていますけど。」こんなことを言われてしまい、ちょっと言い過ぎを反省。しかし、次の日その人から、思いも寄らないとても丁寧なメールをいただいた。その中に、私のキャラクターと、ともに成長してきた昭和の年代が重なり、奇妙な親近感を・・・。こんなことが書いてあった。私のキャラクターと言われても、どこにでもある平凡そのもののキャラクター(と思っている)なので、ちょっと複雑な心境だ。ただ、スケールや立場は違うが、お互い組織には馴染まないはみだし者?として引かれるものがあったのかもしれない。年が明けたら、早い時期に会うことになりそうだ。その時は、はみだし者同士、毒の吐き合いをやってみたい。この出会いが、どう進展するかは分からないが・・・。こういう切っ掛けを作っていただいた関東から来られたコンサルタントの先生に、改めて感謝するしかない。それではまた。もうじき23時、まだ二人の社員は仕事をしている。慌ただしい年の瀬だが、頑張ってくれている社員に感謝!100番前後を行ったり来たり、愛のクリックよろしく!!!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/12/18
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オリンピックの後、パラリンピックが北京で開催されている。目が見えないというハンディを物ともせず、格闘技である柔道に挑んでいる姿には勝敗を超えて感動する。私にそんな勇気があるだろうか。とてもじゃないが、想像すらできない。こんな感動もあれば、さりげない親切と思えるような感動もある。感動?という表現は適切ではないかもしれないが、私が更新を楽しみにしているブログを紹介したい。『福岡ユニバーサルデザイン鑑定所』 プロフィール「右下肢切断というハンディを持ち、日常生活には義足を使用しています。僕にとってユニバーサルデザインの普及はライフワーク。1人でも多くの人がこの言葉に何かを感じてくれることを願います。」おっと、もうご存知の方も多いですかね。実は私もリンク先の方から教えてもらいました。それは、2年ほど前だったか、障害を持った友人と食事ができる所がないか調べていた時でした。飲食店・公共的施設・交通・など、ありとあらゆるもののユニバーサルデザイン達成率を100ユニバ満点で採点しているブログには料理の写真はもちろん、トイレの写真も一緒に載せてあるが、これが全く違和感がない。自然に見れるから素晴らしい。それに、奥さんやお嬢ちゃんも時々写っているが、顔はぼかして分からなくしてあるのがいい。主役は何か、ということを徹底している。最近、『福岡ユニバーサルデザイン鑑定所(視覚障害者用)』も始められた。ここまでやられるとは、本当に大したものだと思う。それなのに、おしきせがましいところがなく、さりげない親切心のようなものを感じながら自然に読めるので、私はこのブログのファンになってしまった。ただ、コメントの返信をさせては大変だろうと思い、一回しかコメントは書いていない。失礼かと思ったが、勝手に紹介させていただいた次第。それではまた。『敗者復活戦』の物語は、私のライフワークみたいなもの、と言ったらカッコつけすぎですね。おまけに、かなりおしきせがましい???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/09/07
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一昨日、宮崎からわざわざ私に会うために(?)、あの男?ではなく釈円融さんが来てくれました。本当は、九州国立博物館に来たついででしたが(笑)。釈さんとは不思議な縁を感じている。5年前ブログを書き初めた頃知り合い、その後お互いのメルマガで相互紹介したりしているうちに、ブログ仲間を越えた付き合いになった。4年前には、当時都城市職員だった釈さんの強い推薦で、なんと市の工業振興課主催の講演会に招かれたんですね。誰が?・・・私、鍛冶屋の息子がです。出来は間違いなく落第点でしたが、大変貴重な経験をさせてもらいました。その後も、釈さんの自宅まで遊びに行ったりしていましたが、今回は、とうとう福岡に来てくれることになったわけです。当日の午後3時前には会社を出て、いざ、国立博物館へ。そこで合流するつもりが、釈さんは既に館の外に出ており、仕方がないのでそのままホテルへチェックイン。4時近くになったが、折角来てくれたのだから、どこか案内を・・・と思った時は、携帯で この人?に電話をしていました。今日は、事務所で事務処理をやっていたらしいのですが、この暑いなか突然「今から出してくれ?」という無茶なお願いにもかかわらず、快い返事をいただいた。そして、着いたのがつい先日勇壮な山笠が走っていた櫛田神社。この時点で釈さんは、櫛田神社を見て帰るものとしか思っていなかったらしい(笑)。やがて現れたのが、人力屋神谷商店さんの人力車。これには、さすがに驚いたようだが、照れる釈さんを人力車に乗せ、いざ、出陣。人力車での博多観光!。以前から神谷商店の頭(かしら)とは知り合いなのだが、この時が私も初体験。これは面白い、5時すぎとは言えまだまだ暑かったが、それを忘れるくらい面白い。何枚も写真を撮ったが、何故か?人力車を引いている頭(かしら)より私が滝のような汗をかき、薄くなった頭は殆ど河童?。とても人様にはお見せできません(笑)。それにしれも、この暑さのなか笑顔絶やさず案内をしてくれた頭(かしら)には、感心しました。私だったら「この暑いなか呼び出しやがって」と態度にも顔にも口にも出たに違いありません(笑)。皆さん、博多に来られたら人力車で観光!なんていががでしょう。予約をお忘れなく、「今から」なんて無茶はダメですよ(笑)。そして、ホテルへ戻り温泉に入りビールでカンパ~イ!。最初は、人生論などを闘わせた記憶があるが、途中からただの酔っ払いのおっさんとなっていたような。その後は午前様となり最後は布団ではなく畳の上に倒れていた?、という体たらくでしたが、とても楽しい一時でしたね。翌日、宮崎に帰る前に我が社に寄ってくれました。釈さんと話していると、試練を乗り越えてきた人の強さを感じます。そして、優しさを感じます。彼のこれからの人生は、今悩み苦しんでいる人たちを救うためにあるのでは、と勝手に思っています。時間があれば、博多の友人たちに会わせたかったが、今回は叶わなかったので、次回はそんな場を設けたいと思う。それではまた。私が太っているのではありません?。釈さんが細すぎるのです???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/07/31
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解説者が『53歳の夢』と表現した。ゴルフの全英オープンで53歳のグレグ・ノーマンが首位で最終日を迎えた。現在生中継を見ているが、日本では考えられないような難コースで、おまけに強風の悪条件の中スコアを落としながらも頑張っている。出場した日本人選手7人が全員予選落ちというから、かつてホワイトシャークと言われた百戦錬磨の面目躍如ということか。それにしても、この差は何なのか。たとえ負けたとしても、ここまでやれば、50歳の私は「勇気を与えてくれてありがとう」と言いたい。終わるまで寝れそうにない(笑)。それではまた。ノーマンは、3週間前に元テニスの女王クリス・エバートと再婚したとか。それが活力になっているのか。う~~~ん、正直羨ましい???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/07/20
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昨日、野茂英雄がとうとう引退を表明した。村上雅則氏以来31年ぶり、2人目のメジャーリーガーとなった彼だが、今日メジャーリーグで日本人選手が活躍できる道筋ができたのは、彼の存在なくして有り得なかったのではないか。実質的なことを考えれば、パイオニアと言ってもおかしくはない。野茂は「引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」と言ったらしい。野茂らしい正直な言葉だと思う。引退に際し、カメラの前でグローブをマウンドに置くような計算尽くのパフォーマンスは、彼はしないのではないか。そんな真似は、『無愛想なヒーロー野茂英雄』には似合わない。だからこそ、彼はパイオニアになれた、と私は勝手に思っている。今日、そんな野茂の生き方を思い出させるような男が我が社にやってきた。10年ほど前、ある勉強会で知り合ったYさん。3年ほど会っていなかったが、数人のブログ仲間で始めた勉強会(飲み会?)に私が誘い、また付き合いが始まった。彼の職業を人に紹介する時は、『農業コンサルタント』と言うしかない。彼が独立する時に偶然知り合ったので、いろいろと見聞きしているが、やはり食べていくために大変だったようだ。しかし、ここに来て、漸く時代が彼に付いてきた。10年前、見向きもされなかった『農業』が、現在見直されている。いや、見直されているどころか、国の将来を左右するくらいの大問題となっている。しかし、左右されるような問題にも関わらず、一向に国は有効な策を打ち出せないでいる。そんななかの孤軍奮闘ではあるが、残念ながら彼の懐が十分に暖かくなることはないようだ。先日、九州ベンチャー大学での若き日本一の出版プロデューサーの講演CDを聞いたが、こんなことを言っていた。徹底しているものは伝わり、一貫性を持っている者は支持される。『一貫性のある変態』の立場を取り続けること。野茂英雄も農業コンサルのYさんも、『一貫性のある変態』と言えるのではないだろうか。余談だが、講演の参加者が感想を寄せている。その中に、同じ勉強会仲間の人力車を引いている神谷商店さんの名前があった(笑)。この方も立派な『一貫性のある変態』だろう。最後に、『一貫性のある変態』であるYさんの今後に期待したい。そして、私も『一貫性のある変態』と呼ばれるようになりたいものだ。それではまた。常識人と言うか、至ってノーマル?な私の周りに、何故か変態?変人?が多い???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/07/18
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昨日の夜、久しぶりによびりんさんの会社へ。神戸からよびりん学校が縁で知り合ったUさんが来ていると聞き、飛び入りで山笠を見る会に参加させてもらった。恒例となっていた山笠ビール会は、年ごとに人が多くなり、とうとう昨年余りに人数が多くなりすぎ許容の範囲を超えてしまったようで、今年は中止となっていた。しかし、自然発生的に、まるで嗅ぎ付けるように勇士?が集まったようだ(笑)。まさか、神戸からの参加者がいたとは。昼過ぎから始っていた会なので、私が伺った夜は皆さん既にお疲れ気味?だった。そんな中で、一人でバカ騒ぎしていたのでヒンシュクを買ったかもしれない(笑)。よびりんさん、幹事のsfpさん、MIWAKOさん、参加の皆さん、ありがとうございました。会が終わりUさんと私、そしてマイスターさん、たなこやさんの4人で博多中洲へ行き、雑炊を食べ、そしてBARでカクテル。このマッチングが素晴らしい?。途中、櫛田神社へ立ち寄りましたが、追い山の前の静けさが勇壮な本番と比べると何とも対照的で良かったですね。飾り山も幻想的でした。今日は、午前中Uさんと一緒にドライブ?に。おっさん二人、車の中という密室で話は弾みました。1時間近く走って海が見える喫茶店で、おっさん二人でコーヒーを(笑)。昨晩とは打って変って、ビジネスについて、生き方についてなどなど、同じ年ということもあってか話が尽きませんでした。昼過ぎに、再会を約束し博多駅で別れました。こんな時でないと、なかなかこんな話はできないでしょうから、Uさんにお付き合いすると言うより、私が楽しませてもらいました。Uさん、またお会いしましょう。最後に、Uさんあなたは『偶人』ではなく『貴人』がよく似合う。それではまた。そして神戸?・・・なぜこのタイトルか分かる???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/07/13
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今日は、20年以上のお付き合いがある得意先の社長に御歳暮を持ってご挨拶に。私より丁度一回り年上なのだが、いまだ事業欲旺盛で、そのバイタリティーにはいつも圧倒されそうになる。まだまだ私など青い、ということか(笑)。昨日書いた『さいとうたかを』氏の言葉「違う脳みその相手にうまく伝わるかどうかなんてわからないのだから、とにかく言いたいことを言えばいいのだ」の良い意味の見本だと思う。こういう方と出会い、20年以上もお付き合いがある幸運に感謝しなくてはいけない。ところで、よびりんさんのブログで私の写真を見て、以前何回か営業で私と会ったことがある、という方が現れた。大きな声では言えませんが、あの?写真を見る度に冷汗が出そうになるほど恥ずかしく「勘弁してくださ~~~い」と心の中だけで叫んでいる私であります(笑)。ダイエットしなくてはいけませんね(笑)・・・。しかし、偶然とは言え世間は狭いと改めて実感した次第。いずれお会いできると思いますので、その時を楽しみにしていますよ、ゆきさん1122さん 。それにしても、私の顔はあまり特徴はないはず?・・・だが(笑)。今年は、色々な方との出会いや何年も会っていなかった友人や知人と再会出来た年でした。このブログのリンク先の島根のスーパー投資家さんや東京の行政書士の横須賀さんに、まさか今年会えるなんて思ってもいませんでした。よびりん学校でも亞さんやハリーさんを始め数人の方とお会いすることが出来ました。そう言えば、1週間ほど前に、韓国で仕事をしていた知人から「日本で出直すことにした」と電話があり、近いうちに会おうと約束をしましたし、その1週間前には、転勤で5年ほど会っていなかった知人が「福岡に転勤で帰ってきた」と突然会社にやって来ました。先月も、5年以上連絡していなかった知人から、ひょっこり電話があったり、10年以上も音信不通だった人から電話をもらったり、と不思議なことが続いている。夏には、四半世紀の時を越えて会いたかった友人との再会も果たせた。それに、確執があった恩師とも、ゆっくりお話を聞かせていただくことが出来て、こんな嬉しいことはなかった。若い頃から歯に衣着せぬ言動ばかりで、多くの友人や知人には迷惑を掛けたかもしれないが、今でも連絡があることに感謝しなければ罰が当たる、というものだろう。それではまた。応援のクリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/12/17
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失礼ながらタイトルに若造と書いたが、弱冠28歳の青年にボコボコ?にされKOされてしまった。先月の30日に九州ベンチャー大学のプレセミナーに参加。講師の行政書士の横須賀さんの話を聞き、呆れるほどの予想外?の内容に唖然とするほど驚かされた。ご存知の方も多いと思うが、横須賀さんはベンチャー企業をリストラされた時、預金残高30万円程度だったらしい。この時、横須賀さん24歳。それでも、就職は考えず大学時代に取っていた行政書士の資格で「食っていく道」を探るも、資格だけでは「食えない」ことにこの時初めて気付く有様だったようだ。先輩の行政書士のお手伝いで何とか「食い繋ぐ」も電気や電話料金を払えず止められたこともあったとか。そんな中、九州ベンチャー大学の栢野さんの影響で楽天ブログを始めて、如何に注目されるかを研究しカウント数を稼ぎ、そして最初の著書『小さな会社の逆転戦略 最強ブログ営業術』を世に出すことになる。それから、28歳になる現在で既に10冊の本を書いている。いやはや、もう言葉が出ない。実は、私がメルマガを始めた4年前、「相互紹介をしませんか」と最初にメールをくれたのが、何を隠そう横須賀さんだった。その時、彼はまだブログはやっていなかった。ブログを始めたのは私のほうが早かった。何の自慢にもならないが(笑)。当然の如く楽天ブログでは相互リンクをして一時期コメントの遣り取りをしたり、メールの遣り取りもしたこともあったが、その後横須賀さんは主戦場を移したため、どれほど活躍されているかは深く知らずにいた。それがどうだろう、あの当時500部程度のメルマガだったのが、今や殿堂入りの24,000部発行のメルマガの著書となっている。メルマガ『横須賀てるひさの100倍稼ぐ天才マーケティング』今回のセミナーは、無名だった頃の横須賀さんとの遣り取りが懐かしくて参加したが、正直に言えば話の内容は失礼ながら余り期待していなかった。ところがどっこい、お世辞抜きで凄かった。講演家でありながら年間100回は人の講演も聞いている栢野さんが、「今年のベスト3に入る」と言うくらいだから間違いないだろう。弱冠28歳、横須賀てるひさ恐るべし。『資格起業家・行政書士横須賀てるひささんの公式サイト』この数年、講演会やセミナーに行くことを意識的に極力避けてきたが、この2ヶ月で4人の講師の講演会に出席し、現在の自分が『井の中のかわず』になっていることを思い知らされた。止めが28歳の横須賀さんだったわけだ。私のような凡人が学ぶことを忘れたら何の進歩もありゃしない・・・ですね。おっと、肝心なことを書き忘れそうでした。横須賀さんは、驚くなかれ毎朝4時半に起き、平均の仕事時間が14時間。講演会やセミナーで名刺交換した殆どの人に今でも葉書を出しているとか。葉書を出せない時は、メールを出すようにしていると聞いたが、このセミナーの翌日午前7時過ぎにお礼のメールが送られてきていた。今まで、講演会やセミナーに出席して、講師から先にそれも翌朝にお礼のメッセージが送られてくるなんて初めての経験ではないだろうか。殆どが受講者から講師にお礼のメッセージを送り、それに対して返事が来るというのが定番となっているのに、こんな泥臭い地道なことをやっている、やり続けていることに感激した。それだからこそ、私が受講したセミナーの翌日本人が主催した博多でのセミナーに人が集まり、その翌日の大阪でのセミナーに人が集まるということか。本当にこの地道な努力は凄い。50歳になった私だが、28歳の青年に教えていただいたことに感謝するしかない。応援のクリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/12/06
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手抜きばかりのこのブログだが、前回の「渡れない石橋?」に対して、とても味わいのあるコメントをいただいた。その返事をコメント欄ではなく、今日のブログとして書かせていただこう。これも手抜きか?(笑)。7777ハリーさん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今の時代、、情報が氾濫していて、、どの情報が正しいのか、、どの情報が自分に必要なものか、、それを見極めるしかないんですが、、そこが難しいんですよね!!だから、、石橋なんて叩かずに、、まずは、、石橋渡ってから考えるってのはいかがでしょうか?渡ったら、、私のようになります(爆)朝夕、寒くなりました。お体ご自愛くださいね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・波瀾万丈という言葉は、ハリーさんのために考えられた言葉ではないか。文字通りそんな壮絶な人生を送られてきたハリーさんのこのコメント・・・>渡ったら、、>私のようになります(爆)失礼ながら実に面白い。元極道の妻が「私のようになります」と、ブラックユーモアとも受け取れるこの突っ込みに脱帽し、もう笑うしかない。私ごときでは、どうあがいてもハリーさんには敵わないですね。これからも、ハリーさんは石橋を叩き割って歩まれるような気がする(笑)。*著書『人生、なめたらあかん・刺青かあさん奮戦記』『自分の人生を変える方法』ワインレッド2001さん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人生の中で一度だけ、石橋を叩かず駆け抜けたことがあります。石橋がちゃんと対岸まで届いていて良かった。もう2度と石橋は渡らないつもりですが、自分を生かす為なら・・・・・どうでしょう?昨年、あの映画を劇場で見た時、周囲が泣いているのを幸いに私もボロボロ涙をこぼしましたよ。あの時代を私たちは間違いなく歩いてきましたよね。あの映画の中で走り回っている子供達は私達です。(^^) 小雪ちゃんは、とてもいいですね。うん。(^^)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・社会保険労務士であるワインレッドさんと話していると、自分の教養の無さはもちろんのこと、品が無いことまで思い知る時がある(笑)。>石橋がちゃんと対岸まで届いていて良かった。>もう2度と石橋は渡らないつもりですが、自分を生かす為なら・・・・・どうでしょう?そうですね。自分を生かす為なら、対岸まで届いているか分からなくても、思い切って渡ることでしょう。但し、私もハリーさんと同様に何回となく自爆を経験しています(笑)。>あの時代を私たちは間違いなく歩いてきましたよね。>あの映画の中で走り回っている子供達は私達です。(^^)ほろりとしてしまいそうなコメントですね。確かにつぎはぎだらけのズボンで、走り回っていましたね。それに・・・あららっ?・・・せっかくいい気分だったのに、飲んだくれて道端で酔いつぶれている親父を、御袋に付いて迎えに行っていたのを思い出してしまいました(笑)。開拓父ちゃん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕の場合、石橋叩くとろくな事無かったなあ。(笑)叩きたいと思ったときは既に腰が引けてたというか、だから、渡れる石橋も渡れないんでしょうね。上手くいくときは勢いがあるので橋の存在さへ気がつかない。なんだ結局僕は馬鹿と言うことか。(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森林を開墾し、100万円で家を建ててしまった男『開拓父ちゃん』。以前にも紹介してことがありますが、凄い男です。・・・ちょっと変人ではありますが(笑)。そんな父ちゃんのコメントは、とても味わいがあって面白いですね。思わず笑ってしまいました。お米や手作り味噌が評判のおっと・・・これまた思い出してしまった。ちょっと?変人と思っていた開拓父ちゃんに電話で「鍛冶屋さんは、ほんと変わってますね」と言われた時は、何と答えていいか分からなかった(笑)。クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/11/05
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土曜日は、よびりん学校の同窓会へ行ってきました。今回は勉強会はなしでしたので、ただただしゃべって飲んで楽しんできました。よびりん学校では、多くの方とご縁が出来ましたが、この年齢で新たに友人が出来るという幸運に、感謝しなくてはいけませんね。今回は、よびりんさんはもちろんですが、楽天でお馴染みの亞さんの乱入もあり、いつにも増して盛り上がりました。居酒屋では、美女に囲まれ、ついつい鼻の下を伸ばしながら飲んでしまう、という紳士?の私にしては珍しい体たらくで、とてもその時の写真は、ここには載せられません(笑)。写真の代わりに、この時感じたあることを書くことにしましょう。数年前ですが、ある大企業の創業者の息子である社長と名刺交換した人の話を聞いたことがあります。その社長は、名刺交換した相手が名も無き零細企業の人と分かると、嫌な顔をしたというではないですか。それを聞いた時、この会社は必ず駄目になる、と確信しました。確信?という言葉は適切ではないかもしれませんが、私だけでなく多くの人がそう思ったはずです。それから数年後には、絵に描いたように凋落の一途をたどり、創業者一族はその会社からいなくなってしまいました。何故こんなことを書くか?。よびりんさん、亞さんに共通するものは、相手の地位や身分で態度を変えない、差別をしない、と言うことでしょう。亞さんが、初めて会う人に接する態度は、相手の顔を見て名刺を見て「どういうお仕事なんですか?」とあくまでも自然体なんですね。多くの著名人ともお付き合いがあるような方が、私ごときにも自然に話しかけてこられるので、随分と失礼なことを言ったような気がします。但し、オブラートに包まず、はっきりと言われる一言には、怖さもありますので御用心を(笑)。いずれにしても、一見敷居が高そうなよびりん学校ですが、決してそうではなく、敷居は低すぎて穴を掘りたい?ほどですので、興味のある方は、覗きに来てもらいたいですね。ところで、居酒屋を後にしてカラオケに行ったのですが、私は呆れ果ててしまいました。よびりんさんと亞さんの歌の上手いこと。正にプロ顔負けです。おそらく、お二人は仕事はあまりせず、カラオケにかなりの授業料を払っておられる、と勝手に推測した次第です(笑)。他のメンバーは、ワインレッドさん、nextさん、豹柄さん、それに私だったのですが、皆さん自分好みの歌を見事に歌い上げていました。私の上品?な歌に始まり、 ロマンチストのnextさんは情緒あふれる歌を、元ボクサーの豹柄さんは、もちろんアリスの「チャンピオン」、そして極め付きは、ワインレッドさんの「ワインレッドの心」。まるで、ワインレッドさんのための歌のように感じましたね(笑)。気が付けば、時計は午前零時を回っており、本当に時を忘れるほど久しぶりに楽しいひと時でした。皆さん、そして新たに参加される皆さん、また次の機会にお会いしましょう!。それではまた。次回は、一次会からカラオケかな???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/10/15
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一昨日、夜には台風が接近すると予報が出ていたその日の朝、聞き覚えのあるちょっと甲高い声で電話があった。「○○ですけど、今福岡に来てるんですよ・・・」最初は誰か分からず言葉に詰まったが、聞き覚えのあるその声に、あの『青年よ!百姓を目指せ!』のスーパー投資家さんだと分かった。彼はベンチャー企業を20代で辞め、何を思ったか?百姓になった青年だ。彼自身がメルマガ『青年よ 百姓を目指せ! 脱サラ百姓の経験記』を以前発行し、百姓と名乗っていたので、ここでは百姓と書かせていただこう。スーパー投資家さんのことは、実は3年程前にこのブログで書いている。2004/07/17『青年よ!百姓を目指せ!!!』リンク先繋がりで彼の存在を知り、それから卵を送ってもらったり、電話でも話をしたことがあり、一度会いたいと思っていた。スーパー投資家さんの凄いところは、ただ脱サラして田舎暮らしがしたかった、とかそんなことではなく、夫婦で出来るビジネスとして百姓になり、現在有精卵を直売する養鶏場を経営し、見事に専業農家として黒字経営を続けていることだ。東京でのサラリーマン生活は、朝早く出て帰宅するのが深夜という状況だったので、奥さんのために一緒に出来るビジネスを、ということで百姓を目指したと言うのだから、もう言葉がない(笑)。私は田舎育ちで、今も田舎暮らしなので、農業だけで食べていくことの難しさを子供の時から見たり聞いたりしている。それを、ベンチャー企業に勤めていたようなキレモノが、冷徹に分析しビジネスとして選んだのだ。人がやりたがらない仕事には、もしかしたら盲点としてのビジネスチャンスがあるのかもしれない。しかし、東京から島根に移り住み、それから5年以上一日の休みもなく働き続け、漸くここに来てパートさんたちに任せて2日間だけでの休みを取り、奥さんの実家がある福岡に里帰りを兼ねてやって来れたらしい。起業したばかりで、やたら口実を作ってオフ会などに参加している諸君よ、これが起業の現実というものだ。成功したかったら、見習い給え!。私も、彼の年には独立していたし、稼いだ金を貯金して・・・せずに飲み歩いていた(泣)。今更ながら、かなり反省しております(笑)。今や卵の数が足りないほど売れている有精卵専門の『空の幸』(↑クリックしてジャ~ンプ!)そんなスーパー投資家さんが、福岡に来ていると知り、これは是非会いたいと思い、私の都合で会社まで来てもらった次第。電話で話したことがあるせいか、ブログを読んでいるせいか、初めて会ったとは思えず、投資家さんが持参してくれた御寿司の弁当を食べながら、男二人なのにとにかく話が弾みました(笑)。話を聞いてみて、彼だったら他のことをやっても成功するな、と感じました。理屈だけ立派なことを言うのは、ゴロゴロどこにでもいますが、彼は理屈を形にして実践できる知恵と、そして何よりも折れない心を持っているようです。一言で言えば、根性がありますね。古い言い方かもしれませんが、これは事業をやり続ける以上、必要条件だと思います。ここで忘れてならないのは、リンク先繋がりで私と投資家さんを結びつけた当人をお呼びせねばなりません。そのお方は、我が社のロゴマークを作ってくれたパワールックMIWAKOさん。私の強引なお誘いにもかかわらず、お忙しいなかご主人と長男のT君も一緒に来てもらいました。MIWAKOさんも、まさか島根のスーパー投資家さんと会えるなどとは考えていなかったようで、ご主人共々喜んでいただいて、私にとっても嬉しく楽しい一時となりました。一回り以上年下のスーパー投資家さんのエネルギーに圧倒されそうでしたが、とても有意義な時間を共有できた気がして、印象深い一日となりました。スーパー投資家さん、ご訪問ありがとうございました。パワールックMIWAKOさんご夫妻も、お忙しいなか来ていただいて、ありがとうございました。思いがけずスーパー投資家さんに会えたので、まだお会い出来ていない方たちにも、会えそうな気がしています。それではまた。スーパー投資家さんの奥さんは5年以上休みもせず、そして今ではホームページの運営もしているとか。エライッ!!!、この奥さんあってのスーパー投資家さんだ。今回会えなかったけど次回はお会いしたいですね。それにしても、こんな奥さんがいるスーパー投資家さんが羨ましい???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/08/04
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先日のビール会で、2年振りに長崎でフレンチレストランを経営されているあかだまさんとお会いした。あかだまさんと最初に会ったのは、3年前の第1回目のよびりん学校だった。あの当時は、私はいわゆるどん底?状態で、これから先どうやって生きて行こうかと模索していた。どん底という言葉が当てはまるかは別にしても、悩んでいたのは事実だ。そんな私を、長崎から来たあかだまさんは、黙って遠くから見ておられたような気がする。何を話したかは、あまり記憶がない。そして、それから1年後である2年前のビール会で再会した時、こんな言葉を掛けてもらった。『いい顔になりましたね』一瞬驚いたが、正直に嬉しかった。1年前は、悩んでいることを悟られまいと、自分ではポーカーフェースを気取っていても、心の奥底を見透かされていたのかもしれない。その1年後に『いい顔』になったというのは、自分では気付かなかった悲壮感が、かなり消えていたのだろうと思う。・・・と言っても、元々『いい顔』とは、よく?言われる(笑)。それから2年が経ち、今回も意外な言葉を掛けてもらった。『以前は生き残ることだけを考えておられたようですが、今は上を目指そうとされてますね』私を励ますための御世辞だとは思うが、それでも今回も正直に嬉しかった。あかだまさん、ありがとう!。あかだまさんは、レストラン&ホテルのオーナーとして、客に張り付くようなサービスではなく、客が寛げるよう一歩引いたサービスを心掛けておられるようだ。それだからこそ、多弁でなくても一言で相手を喜ばせるツボが分かっておられるのだろう。日頃、口が悪い人たち(誰だ?)と接することが多いので、新鮮な驚きさえ感じた(笑)。私も、少しでも見習いたいが、なかなか出来そうもない。・・・人の揚げ足を取るのは旨いかもしれないが(笑)。いつの日か、あかだまさんのレストランに是非とも行ってみたいものだ。一緒に行く人募集中?。それではまた。フレンチ島宿 「オーベルジュ あかだま」 口が悪い人は誰だ?・・・おまえに言われたくない、とは言わないでね???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/07/16
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これほどまで凄まじい半生を過ごした人がいるだろうか?。壮絶、波瀾万丈、どの言葉を当て嵌めていいか私には分からない。結核を患い殆ど行けなかった小学生時代を皮切りに、その病からも解放され中学生となるも、ここで言葉に出来ないような事件に遭ってしまう。『死んだらいかん、、、死に急ぐ人たちへ・・』2006年11月28日この事件は、ご自身の著書にも書かれていない。否、執筆当事は書けなかったのだ。(↑『人生、なめたらあかん』 刺青かあさん奮戦記)*追記 現在残念ながら品切れのようです。楽天さん、なんとかしてよ!。その後、呪われているかのように交通事故にも遭ってしまい後遺症に悩み、自殺未遂・・・。10代でこれだけの苦難を経験しておきながら、大人になって愛してしまった男が極道だった。それからの体験も、筆舌に尽くし難いことばかりで、書き始めたら終わりがない。ご自身のブログで公開されているので、敢えてほんの一部を紹介させていただいたが、これほどまでの体験をされているのに、ご本人のなんと明るいことか、呆れるくらいだ(笑)。その人は、昨日よびりん学校の2次会でお会いした7777ハリーさん。今回の勉強会には、当初は忙しく行く予定ではなかったのだが、ハリーさんが来られると聞き、2次会だけでもと思い、参加させていただいた。幸運にも隣の席でお話を聞かせていただいたが、中学校時代に遭った事件の犯人たちも許せるようになったその『愛の心』には、よびりんさんをも脱帽させてしまうのだから、私などは正にぐうの音も出なかった。しかし、ハリーさんの印象をどう伝えたらいいか、なかなか適切な言葉が出てこない。ただ言えるのは、人間というのは行き着くところ来てしまうとチャーミングになる、ということかもしれない。私が、チャーミングという表現を使うと笑われる方もいるかもしれないが、この言葉がピッタリなのだ。2次会が終わり、nextさんとハリーさんの3人で、博多の屋台でラーメンを食べて、その後ホテルまでお送りしたが、別れ際に手を振ってくださった。その顔は、正に『天使の笑顔』のような気がした。この出逢いに感謝。よびりんさんを始め、皆さんありがとうございました。それではまた。口が悪い鍛冶屋の息子は、『天使の笑顔』のハリーさんに向かって、岩下志麻と家政婦は見たのあの女優?と足して2で割ったようですね、と言ったら、手を叩いて笑ってくれた。岩下志麻より、あの女優の大ファンである鍛冶屋の息子なので許してね???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2007/03/11
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昨日は、宮崎県都城市で友と語らい美味しい酒を飲み・・・と言うより、何の遠慮もせず私一人ガブガブ飲んで、直ぐバタンキュ~と寝てしまった、という体たらくでした(笑)。現在、リンク先の釈円融さんのパソコンを借りて、書き込んでいます。連休中に、いきなり押しかけて御馳走してもらう、という私のずうずうしさにに我ながら呆れております(笑)。釈さん、ありがとう。そして、駆けつけて料理を作ってくれたJUNさんありがとう。昨日は、日頃聞けないような話が出来て、とても楽しかったです。内容は、とても書き尽くせませんが、ただ言えるのは、『釈円融』という男は近い将来「世に出る」、と確信したことです。釈円融恐るべし、と言ったところでしょうか。さて、今日はゆっくりと福岡へ帰ります。それではまた。次回は、私がお返しをしないとね!・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2006/05/04
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ADSLも無事復旧したので、いつものペースで日記を書きます。また繋がらなくなることは、あると思いますが、適当に付き合うしかないようです。地理的に基地局から距離が問題なのと、事務所が本来賃貸のために建てられたものではないので、かなりノイズを拾っている可能性があります。いよいよになったら、引っ越しますか?。ところで、今日客先に訪問した後、水軍2004さんに会ってきました。6月に一度伺ったのですが、その時は、驚かせてやろうと何の連絡もしていなかったら、なんと水軍さんのお休みの日(笑)。今日は、事前に電話して行ったので、お会いすることができました。店長をされているレストランの玄関の戸を開けたら、目の前に笑顔の水軍さんが立っていました。『水軍さんですか?』『鍛冶屋さんですね』こんな感じでした(笑)。ネットで何回も遣り取りしていると、初めて会ったとは思えないのが不思議です。水軍さんは、スーパーバイザー(レストラン運営の指導)として全国を飛び回っていたのですが、単身赴任で家族と会う暇もなかったそうで、その会社を退職し、何の当てもない福岡にやってきた人です。その経験を活かして、あえて赤字のレストランの店長になりました。集客のために、レストランがあるショッピングモールの中を、看板を持って歩くサンドイッチマン作戦も平気でやる人です。楽天には、こういった奇人?・・失礼しました、サムライがいますね(笑)。お互いの現在の状況を話し、やろうとしていることに対して、意見の交換ができたのは、本当によかったですね。水軍さん、アドバイスありがとうございました。楽天日記は、なんのためにあるかと考えると、人脈?、いや、どちらかと言うと大人になってからの友達を作る場ですかね。もちろん、他にもいろいろとありますが、私にとっては、これが一番楽しいことです。お会いしたい人もたくさんいますので、皆さん、いずれお会いしましょう!。
2004/08/05
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さて、昨日の『魔性の男?』の続編です。飲食店で集めた会費をネコババしたのを皮切りに、持って生まれた素質が開花して、やることが巧妙に尚且つ大胆になっていき、最後は数千万円のネコババを遣って退けました。『魔性の男?』は、ある時会社には黙って個人会社を作りました。そんなことをしても、会社から商品は買えませんから、彼はお客さんを利用します。彼は、ルーズなので一部の客先からは評判が悪いのですが、人が好く寛大な客先には、見事に心の隙間に入り込みます。私が在籍中に彼と一緒に客先に行った時、彼がやっていることを見て驚いてしまいました。彼は、客の許可もなく奥の冷蔵庫に近づくと、なんと扉を開けて中から缶ジュースを取り出して飲んでいるではないですか。私は思わず怒鳴って止めさせようとしました。すると、お客さんの方が笑いながら私に言うのです。「鍛冶屋さん、怒らんで良いよ。いつものことだから」はっ~、これにはさすがに驚きました。客に好かれることは大切ですが、この行為は全く意味が違います。会社に戻ってからも、かなり厳しく叱ったのですが、私の目の前ではやらなくても、一人の時は、またやっていたかもしれません。これは、『魔性の男?』の一面です。客先の冷蔵庫から、黙って缶ジュース取っても文句を言われないような関係を作るのは出来ませんし、常識としてはやりません。これを自然と出来るのが凄いところです。こういう関係が出来た客先の中には、見事に彼に利用された会社がありました。在籍していた会社から直接買えなくても、その客先を通して、彼の個人会社に商品を流すのです。工業用の電機部品はもちろんですが、一般にも売りやすいパソコンも含まれます。パソコンは、売れなければバッタ屋などに売りさばいて、とにかく換金したようです。二つの会社を通して、積もりに積もった金額が、な、な、な、なんと5千万円。A社は千五百万、B社は3千5百万。ここまで膨れ上がって、当然のように破綻して、ここで漸く会社に発覚するのです。それまでは、売上至上主義の会社から見れば、最高の営業マンとしか見えず、部品の流れのおかしさを気付かなかったのでしょうか。その後、在籍していた会社とB社は訴訟合戦になり、B社は負けて、最後は倒産しています。A社には借金だけが残りました。『魔性の男?』は、一体どうやって二つの会社を騙したのか。正に世渡りの天才、人を騙す天才の本領発揮ということでしょうか。未だに理解できません。しかし、ここで考えなくてはいけないのは、昨日の日記の掲示板に、ぶっちー☆さんが書かれていることです。 『悪いことをしている感覚もなくゲームだと思っているのです。』正にこれなのです。この通りなのです。よくニュースで犯罪を犯した人の印象を周囲の人が言っているのを耳にします。『あんな良い人がなぜあんなことを?』これは正確には『良い人だけど悪い事をしている感覚がない』です(笑)。彼は今度ばかりはクビになりましたが、警察のお世話になっていません。社長が、会社の恥を世間に晒したくないということで、訴えなかったらしいのですが、一昨日先輩から聞いた話では、それだけではないようでした。先輩は彼から土下座して頼まれ百数十万円貸しているらしいのですが、その前は、お札が入りきれないように膨れた彼の財布を見た事があったと言うくらいですから、もしかしたら知っていたのではと思いました。それに今営業部長になっている男は、彼の個人会社に、これまた百数十万円出資していたと言うのですから、これは『同じ穴のムジナ』です。会社も、もし彼を訴えたら騒ぎが大きくなりすぎると判断したのではないでしょうか。『魔性の男?』恐るべしです。皆さん、『良い人だけど悪い事をしている感覚がない』こんな人がいることを頭の隅に置いといてください。今は、どこにいるか分からない『魔性の男?』ですが、彼のことだから逞しく生き抜いているような気がしています。『悪い奴ほどよく眠る』ですね(笑)。
2004/07/15
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昨日は、独立する前在籍していた先輩の話でしたが、今日はその時の後輩の話をしましょう。以前メルマガにも書いたことがあります。人は良い人悪い人といるのですが、それを正確に分けるのは難しいですね。何が基準か、ということにもなりますし、一人で両面持っていることもあります。今日の主役の後輩は、第一印象は非常に好感を持たれるタイプでした。私が第一印象が悪く、マイナスから人付き合いを始めなければいけなかったのに比べたら雲泥の差です(笑)。そして、人の顔色を見て、ご機嫌を取ったり離れていったり、正に世渡りの天才でした。これまた上司とケンカばかりしていた私とは、上司の受けのよさも比較にはなりませんでした(笑)。但し、欠点としてはとにかくルーズでした。お客さんとの約束、時間、特にお金の面では、入社して半年程経った頃から、サラ金から督促が会社にあったりで、他の社員は呆れていましたね。しかし、天性の世渡り上手で、お客さんも上司も彼のペースにはめられ許してしまうのです。これをどちらかと言うと、意識せずに自然に出来るのですから、正に『魔性の男?』という感じでしたね。サラ金の借金は親が立て替えたと聞きましたが、そのうち会社の金も少しずつ手を付け始めました。最初は、社員から集めた飲食店の会費をネコババすることから始まりました。会費だけ集めて、飲食店には附けにしておくのですから、直ぐには分かりません(笑)。そして、次は集金の金を数万ですが、ネコババしました。これで万事休すと思っていたらそうはならず、上司が直接管理することになり、いつの間にか上司のお気に入りとなっていました(笑)。『魔性の男?』恐るべしです。最初は小さかったネコババも、持って生まれた素質が開花して、巧妙に尚且つ大胆になっていきます。私は、この時期は既に辞めていたので、噂だけで具体的には知らなかったのですが、昨日、先輩から話を聞いて、改めて成長した『魔性の男?』を知りました。次に考えたのが、制御盤などの装置物を受注した場合、会社とは関係なく、彼個人で商売をするのです。装置物は、物によっては下手すると赤字になりますから、直ぐに赤字を出し、困った彼は、ある外注先から50万借りて穴埋めしました。会社には内緒にです。この事は、私も後にこの外注先から直接聞きましたが、今も貸した金は戻ってきていません(笑)。しかし、こんなことでおとなしくなる『魔性の男?』ではありません。次は、いよいよ数千万円のネコババ事件が発覚する事になるのです。巧妙に尚且つ大胆に、『魔性の男?』はどこまで成長するのか?。・・・続きは明日。今日はこれにて帰ります。
2004/07/14
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サイコウくんおめでとう!。神奈川から大分県別府の子供ためのホームに歩いていたサイコウくんが、今日午後5時頃、無事に到着したようです。先程電話で少しだけ話しましたが、元気そうでした。彼にとっては、これからが本番だと思いますが、この行脚は後々生きてくるでしょうね。人間、一時期狂ったようなことをするのも無駄ではないでしょう。人からバカと言われるようなことを、捨て身でやっていれば、何時かは報われるはずです。もちろん、一人で出来る事は知れていますので、周りの協力は不可欠なのですが、その点サイコウくんは、見事と言って良いくらい周りを巻き込んでいます。それも無理強いではなく、こちらから手を差し伸べたくなるのは、彼の人徳でしょうか。人徳も然る事ながら、先日も書きましたが、裸になって自分をさらけ出した人の魅力には敵いませんね。私は、独り善がりのところがあるので、大いに見習いたいと思います。本当に、一人でやれることは、たかが知れていますからね。話は違うが、人からバカと言われるようなことを、捨て身でやってきた人が、イラクで襲撃されたようだ。フリージャーナリストの橋田信介さん(61)と、おいの小川功太郎さん。◆「安全なら行かない、危険なら行く」近著で語る◆橋田さんは、近著「イラクの中心で、バカとさけぶ」(アスコム刊)で、イラク入りの決意を「齢(よわい)61歳、残り少ない人生を立派に有意義に生きるのだ。心にも体にもヤキを入れる決意をした」と宣言。「あとがき」には「(自衛隊員と違って私が)死んでもビタ一文出ない、自分で葬式代を負担せねばならぬのだ」と記したうえで、家族に向けて「お父さんは行ってまいります」と書いている。 また、戦場取材に出かける理由について「ドラマチックだからですよ。そこに人が生きて、あるいは死んで、(中略)一歩間違えば自分も傷つくわけですから、それはもうエキセントリックだし」と強調し、「次から次へいろんな難関が出てくるから、その場その場でいろんな機転を利かして切り抜けていく、それがすごく面白いですね」と語っている。30年も戦場取材を続けたきた人だが、『残り少ない人生を立派に有意義に生きるのだ』という言葉は、何かを暗示しているように思えてなりません。亡くなられたという情報があるけれど、どうかご無事でありますように。サイコウくん、橋田さん、全く立場は違いまが、『裸になって捨て身でやる』ということは、共通しているように感じました。対照的ですが、似たような魅力がある二人です。【追記】残念ながら、橋田さん、小川さんは亡くなられたようですね。どうか安らかに御眠りください。(トラックバックに誰か広告のページを入れたようなので、削除しました)
2004/05/28
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昨日は、サイコウくんに会いに行き、夕方一緒に小倉駅まで戻り、宿探し。男二人でネットカフェに入り、隣同士でネット検索(笑)。皆さんもご存知だと思いますが、『旅の窓口』本当に便利です。サイコウくんは、知らなかったらしく、直ぐに登録して、インターネットが出来るホテルに直ぐに予約。それで5千円以下ですから、助かります。その後、ホテルの近くの居酒屋で10時近くまで、話をしていました。前日は、時間が足りなかったですが、昨日は、かなり突っ込んだ話も出来て、本当に有意義でした。車だったので、ウーロン茶を飲みながらでしたが、これは、私には何よりの修行になりましたね(笑)。せっかくですから、本人の許可をもらったので、サイコウくんの写真を載せておきます。私に勝るとも劣らない?好い男です(笑)。 追記以前も書きましたが、もう一誌メルマガを出そうと考えています。 敗者復活戦が終ってからと考えてはいたのですが、終るまで我慢出来なくなってきました(笑)。 【今日の解説・教訓】土曜特別編のようなものを、別な形で出来ないか、検討中です。 ○タイトルは、既に幾つか考えています ☆敗者復活戦(実践編)! ☆失敗は成功のもと!『最後は裸になれる者が勝つ!』 ☆失敗は成功のもと!『人生に無駄はない!』 ☆失敗は成功のもと!『敗者復活戦(実践編)!』 ☆人生迫力勝ち!『負けるが勝ちの精神で、敗者復活戦(実践編)』 ☆人生迫力勝ち!『失敗は成功のもと!敗者復活戦(実践編)!』 ☆『明るく楽しく元気に!人生復活戦!』 これは、私の講演!の原稿のような気持ちで書くつもりです。 読んでいただいている皆さんで、もっと良いタイトルがあるとか、この中ではどれが良いとか、ご意見を頂ければ有り難いです。 『明るく楽しく元気に!』なるようなメルマガにしたいと思っています。 一日二誌発行というのは、私には不可能なので、発行のサイクルも検討中です。 どうぞ、ご意見よろしくお願いします!。
2004/05/24
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昨日、九州入りしたサイコウくんと会ってきました。正直なところ、一体どんな男なんだろうという好奇心が先で、彼が目指すものを、理解していたわけではありませんでした。門司港駅で会うつもりだったのが、途中で連絡が入り、既に、この日お世話されている加来不動産さんに到着とのこと。私もUターンして、そこに駆け付けました。そこで、彼に色々と失礼ながら個人的なことも含めて質問させてもらいました。彼のプロフィールにこう書いてあります。『2002年~揺ぎ無い生涯目標を定める。世界の子供たちのスーパーヒーローになることを(自身の経験をプラスに活かし、子供たちにとんでもない人生の脱線をさせないようにと第1ステップは国内にネイチャーランドをつくることです)』ネイチャーランド?・・・彼の夢です。子供達に自分が歩んだような道を歩ませたくないという正義感から、恵まれない環境にいる子供でも、夢を持って目標を持って歩んで欲しい、そして、それを教えたいということでした。まだ夢の段階で資金の問題とか、具体的なものになるのには、何回も壁にぶつかると思いますが、彼だったらそれさえも楽しむことが出来るかもしれません。彼の話を聞いてみて思ったのは、裸になったもには敵わないな、ということです。彼を特別な人間扱いにして、褒め称えようとは思いません。この行脚のために会社も辞め退路を断ち、恥も外聞もなく、過去も現在も全てさらけ出して、協力を呼び掛けているのです。よびりんさんが、日頃言われている『人生迫力勝ち』『吼えたものが勝つ』というのを、そのまま実践しています。私よりも一回り程年下だと思いますが、この姿勢は勉強になりました。とても澄んだ目が印象的でした。ところで、昨日は、夜にお世話になった会社の関係者を集めた勉強会があって、彼がその会に呼ばれていたため、話が途中で終りましたので、また今日も会いに行きます。話もあるのですが、今日の宿が決まっていないようなので、それが気になります。行って宿まで送り届けたいと思っています。明日からは、大分で手を上げている方がおられるようです。・・・続きは後で。追記 (PM 06:33)只今、サイコウくんとインターネットカフェでホテル検索中です。北九州代一ホテルに決定。今から送り届けます。
2004/05/23
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『北九州市近郊の方(他の地域もOKですが)よろしくお願いします』私も週末会いに行きます!昨日、少しだけ書いたのですが、虐待撲滅のために、神奈川県~大分県(1320km)を歩いているサイコウくんに電話しました。最初は、面白い人がいるな、と時々日記を見ている程度でしたが、段々九州に近づいてきて、かなり気になりだしました(笑)。そんな時に、山口の宿泊先に、リンク先のガラスのおまわりさんの名前が!。居ても立ってもいられなくなり、ガラスのおまわりさんに電話しました。ガラスのおまわりさんは、4日連続して夜話したというのですから、サイコウさんの魅力が伝わってきます。彼は少年時代非行に走り、鑑別所まで経験しているようですが、今では、子供達を自分のような目に合わせたくないと、一大決心し、その活動の一環がこの行脚のようです。彼の日記のトップのページにこう書いてあります。『今回はコミュニケーション能力も学ばさせていただくため、無銭にて行脚を行います。皆様から共感を得られるよう説明をし宿泊先のご提供と活動費・募金を頂戴しながら参ります。ご理解いただける皆様、是非ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。』彼の行動の感銘を受けた人たちが、数多く彼に協力しているようです。私も驚いています。joe猿並さんの日記に、スケジュール表があります。現在、既に山口まで来ています。今週末にも九州に上陸するようですが、宿泊先の提供者を探しているようです。 就きましては、北九州市近郊の方で、泊ってもいいよ、と言われる方、いらっしゃいませんか?。 サイコウくんの日記を見てもらえれば、私が何でこんなことをお願いしているか分かっていただけると思います。私も、この週末に会いに行くつもりです。よろしかったら私と合流しませんか。連絡お待ちしています。
2004/05/19
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私は、20代前半に横浜にいたのだが、その際訪問販売やスーパーでの店頭販売を経験した。メルマガにも書いているので、極一部の方は、ご存知だと思う(笑)。スーパーでの店頭販売は、約一年間しかやっていないが、今思い出しても恥ずかしくなるような生意気な若造で、業者として入っている大手スーパーの親子ほど年が違う副店長に、『本部に言うぞ』と文句を言われると、『言うなら言うてみろ』などと暴言を吐く、バカでした(笑)。そんなバカな私の世話をして、後始末?をしてくれていたのが、当時40歳くらいの女性マネージャー。本当に迷惑をかけました。その会社は、社長も人格者で本当に『いい人』だったのですが、降って湧いたような合併話に見事?に騙されて、社長は財産を処分して、会社は解散してしまいました。社長は、東京の山の手線の沿線に土地と家を持っていたが、それを処分して、殆んど人には迷惑をかけていない。騙された被害者なのだが、それでも人には迷惑をかけなかった。そういう人だった。残念ながら、その社長とは現在連絡も取れなくなっているが、女性マネージャーとは今でも交流がある。私が首の手術で入院した時など、何回もメールや電話を頂いて励ましていただいた。あれから20年以上経ち、もう60代半ばか後半か?。その間一度も会う機会がなかったので、今お会いしても分からないのではないか(失礼)。おそらく30キロ近く太った私も分かってもらえないかも(笑)。たった一年だったが、不思議な縁ではあると思う。今では、悠悠自適で、山や海へ趣味の写真を楽しみながら出かけておられるようだ。昨日、梅を見に行かれて、撮ってきた写真をメールで送っていただいた。忙しくしておられる皆さん。まあ、ちょっと一休みして梅でも見ていってください。お茶は出ませんが(笑)。 【追記】楽天日記が、いよいよ繋がりにくくなってきたような?。日記のその他に、数日間開設したばかりで、1万カウント以上の日記がいくつかあったが、間違いなく『仕掛け』ていますね。中には、まだ日記を一日も書いていないのに、1万カウントあるのですから(笑)。こんなことが続くと、いよいよ楽天日記も有料ですかね?。無料でこれだけ楽しませてもらっているので、高額でなければ、有料も仕方ないのではと思います。先日、ネットでの仕掛けのことを書いたが、ここまで度を超すと問題です。ネットは、功罪が同居する不思議な魅力があって、そして怖い世界ですね。
2004/02/24
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私が以前よく行っていた居酒屋の大将の名刺の裏に書いてある言葉を紹介します。私の周りには必ず 学べる人(師) 語れる人(友) 学ばせる人(後輩)がいるこの居酒屋の大将は、以前は地元の焼酎のCMにタレントとして出たこともある個性豊か?な人だ。殆どの人はマスターと呼んでいるが、親しみを込めて大将と呼んでいる。彼はCMに出ていた頃は、体重が110から120キロで、九州場所が開催されている時は、タクシーに乗ると関係者?と間違えられると言っていた(笑)。とても話題が豊富でうん蓄があり、話していて面白い。初めに書いた言葉は、人への接し方でもあるので、学ぶ必要がある言葉だと思っている。この大将は、見た目は怖いのに、とても人から好かれるのは、この言葉そのままに人に接しているからではないだろうか。私は、第一印象が悪いようで?、人にとっつき難いと言われることが多い。付き合えば、噛めば噛むほど味が出る『するめ』だと自分で思ってはいるのですが(笑)。やはり人と接するときは、まずは学ぶつもりで接することが大事だと感じています。自分で壁を作っているのかもしれませんね。この大将は、その後、椎間板ヘルニアの手術、そして糖尿病となり、大変な時期があったが、現在は70数キロの体重を食生活だけで維持して、インシュリンのお世話にはなっていない。大変な酒豪だったが、酒は一滴も飲まずに元気でいる。そして、その人と接する姿勢は、変わっていない。忘れていましたが、もう一つ見習うことがあります。それは、食生活だけの体重管理です(笑)。糖尿病になった人から、その自己管理が一生必要だと聞くと笑い事じゃないですね。
2004/02/10
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