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遅くなりましたが旅先で食ったものの記録なぞ。1日目新幹線内。崎陽軒の「チャーハン弁当」名古屋駅の喫茶でちょっと一服してから弥冨へ。ドーナツは黒糖味。一日目夕飯。味噌カツ丼ときしめんのセット。ハシゴしないで楽でした。この後喫茶店で「小倉トースト」とコーヒーと行きたかったけどお腹いっぱいでコーヒーだけいただきました。(写真なし)。二日目朝、ホテルの朝食。みそ汁はちゃんと赤だし。お昼前に食べてしまった「ももの木」さんのマンゴーロールケーキのセット。弥冨駅前の定食屋さんの肉じゃが定食。赤だし汁は名古屋人の血液です。二日目夕飯。さんざん歩いたのでエネルギー補給に奮発しました。名古屋名物「うなぎ櫃まぶし」。ここのお店はうなぎ以外にもとり、牛など変わりものの櫃まぶしが選べます。食後の一服。全国展開しているし近所にもあるという事でコメダ珈琲には立ち寄りませんでした。あそこはいつでも名古屋風喫茶を楽しめるし。アイスコーヒーとアーモンドなんとか。三日目朝、ホテルの朝食。三日目はお土産買って帰るだけだったのですが、優柔不断なために11~13時ごろまで何を食べようか迷いまくってました。結果喫茶店で「鉄板ナポリタン」に落ち着きました。ナポリタンを熱した鉄板に乗っけて周りに溶き卵を巡らせるのが名古屋流なのです。以下は名古屋~弥冨で見たもの。近鉄電車の連結部分。人が絶対に入りこめないように凶悪そうな仕掛けをしてあります。弥冨のゆるキャラさん。金魚には「きんちゃん」の名があるのに相棒はそっけなく「文鳥」と呼ばれてるだけだそうです。ちゃんと名前つけて欲しいのは全国の文鳥ファンからの願いです。きんちゃんは着ぐるみまであるのに。又八地区の田園風景。道路に車は多かったけどひと気のない静かなところでした。かつては駅に降りるだけで文鳥の鳴き声がお出迎えしてくれたそうです。最後は家に帰ってからいただいた銘菓「文鳥の里」。文鳥のイラスト?は焼き印で押したのでしょうか?粗削りな雰囲気ですがもうちょっとシャープでもいいかなぁと思いました。
2015年08月30日
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洋菓子店「ももの木」を出て直線距離で10分ほど歩いて「弥富市歴史民俗資料館」へ。こちらは「金魚の泳ぐ資料館」の別名の通り、現在の弥冨の特産物である金魚の生きた姿(20種類)を見ることが出来ます。中には宇宙飛行士の向井千秋さんとともにスペースシャトルへ乗った「宇宙金魚」の子孫もいるそうです。しかし今回は金魚関連は一切パスしました。金魚だって文鳥並みに歴史があるというのに関係者の方々ごめんなさい。二階へ通じる階段の壁には金魚と文鳥のレリーフがあります。白を基調としているのは白文鳥へのごひいきと思いたいです。弥冨の文化人や「その昔は信長に楯突いたために領地では女子供まで皆殺しにされた」という凄惨な歴史を大まかにすっ飛ばして(ごめんなさい)文鳥関連の資料へ。こちらが文鳥飼育の農家が使っていた道具類。手乗りに育てるための「いずみ」と呼ばれるワラの容器や、出荷時に使われた「通い箱」、「庭箱」と呼ばれる飼育カゴなどが観られます。写真の説明はなかったけど、ヒナたちの出荷のためにチェックをしている様子と思われます。「弥生出荷所」の中の風景でしょうか?木製の「通い箱」から使い捨て出来る紙製の出荷箱へ。おそらく最盛期の頃に切り替わったのだと思います。展示室の外のロビーには映像展示が。 弥冨の歴史や金魚のボタンが並んでますが、当然迷わず白文鳥の映像を選びました。「縮小しているけどまだ頑張ってますよ!」という内容でしたが、これでもまだ数年前の様子みたいで、今は生産者の規模はさらに小さくなっているようです。文鳥をはじめとするフィンチ類の人気がインコに押されているという今、フィンチの再評価が切望されます。残念だったのは「節電のため一部の展示に電気を入れてません」と書かれていた一文を忘れていた事です。頼めば電気を入れてくれる展示物に「文鳥の立体映像」があったようなのです。これから行かれる方は忘れずに見てやってほしいです。この後、先ほど「ももの木」さんで手に入れた弥富市紹介のパンフレットに、たった2軒まで減ってしまった文鳥飼育農家の住所が載っていたのを見つけ、遠くからその様子だけでも見てみようとその住所まで歩いてみました(携帯の地図アプリで大まかな場所は特定出来た)。が、この思い付きが良くありませんでした。実際は弥冨と隣の佐古木駅の間ぐらいまで歩いてゆくことになってしまいました。冷静に考えれば連絡もなしによそ者がフラリとやって来て「文鳥見せて」というのも無礼な話です。ましてや売り物の文鳥を買って帰ることも出来ない冷やかし客では申し訳もありません。電話番号も記載されていたのですが、どうすべきか葛藤しながら『どうやら鳥がたくさんさんざめいてる声が聞こえるな』というところまで近づいた時点で、踏み込むのを止めにして半分まで来た足で佐古木駅へ向かい、この日の探訪を終わりにしたのでした。この辺りは写真なんか撮ってると不審者と間違えられそうなので撮影はしませんでした。そこまでの道すがら、市営のコミュニティバスが通ったりそのバス停をたくさん見かけたりしたので、これから行かれる方はコミュニティバスを利用した方がスマートに回れると思います。
2015年08月29日
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二日目は資料の見学をメインにしました。まずは再び近鉄弥富へ。昨日と打って変わって雨模様。コンビニへ行ったら傘が売り切れていたものの、店員さんのご厚意で一本骨の曲がった傘をゆずっていただきました。文鳥電話ボックス近くのファミリーマート店員さん、大変に感謝いたします。三日目に傘を電車に置き忘れてしまい申し訳ありません。時折激しく降る雨をぬって弥富市役所となりの図書館へ。入口には巨大看板が!あまり大きくて1枚に収まりませんでしたが「日本一の金魚と文鳥のまち 愛知万博やとみの日 平成十七年九月九日~十一日」と書かれています。愛知万博は今からちょうど十年前で、この日に弥富の催事が行われたようです。周辺を見てもその催事がどんなものだったかは知る事が出来ませんでしたが、まだ文鳥組合があった頃なので、金魚と並んでそれなりの大きなPRをしていたのではないでしょうか。図書館へ行ったのは「弥冨文鳥盛衰記」を読みたかったからです。弥冨文鳥組合が解散した2009年に、組合長の大島氏がまとめたものです。もう一冊はちょうど見つける事が出来た「お爺ちゃんの玉手箱~語りべ小劇場」。これは弥冨の昔の風物を詩にしたためたもので、大島氏や弥冨の長老ともいうべき方々が当時の生活の様子を書き記したもの。「~盛衰記」は組合内で内々に配っただけの本なので、よそ者はこの図書館で閲覧するしか読む手段がありません。(貸し出しも禁止です)。そんなにページ数がないのですぐ読み終わりましたが、弥冨白文鳥と文鳥組合の辿った道をたどるには欠かせないものでした。図書館を出るとすぐ近くにこんな看板が。ショッピングモール「ウィングプラザ・パディー」の名前とマークからして、今や数少なくなった「文鳥推し」な物件です。ここでは後述するお菓子屋さん「ももの木」の銘菓『文鳥の里』を買う事が出来ます。ここからまた歩いてゆける距離に、その『文鳥の里』を生産している洋菓子店「ももの木」があります。こちらの屋根には白文鳥の屋根飾りがありました。やっぱり一つがいの仲の良さそうな文鳥でした。こちらで『文鳥の里』を買い込み、まだ昼食前ですが喫茶コーナーのケーキセットで一服して、次の「弥冨市歴史民俗資料館」へ向かいました。長くなったので続きます。
2015年08月28日
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文鳥について勉強すると必ず行き当たる、文鳥マニアには必須とも言える場所が「愛知県弥富市」です。ピコちゃんに巡り合って始まった文鳥との関わりを深めようと、夏の終わりにこの聖地へ行く決意をしました。まずは旅の起点となる名古屋市へ。中京へ降り立つのは初めてです。名古屋は平日でも人でごった返しです。お昼時についたため旅行者やサラリーマンなどでどこのお店も混雑してました。いわゆる「名古屋メシ」と言われるソウルフーズは決して観光客向けのものではなく、地元の人たちは並んでまでして食べていました。私はその前に新幹線で食事を済ませてしまったのでお昼に名古屋メシをいただけませんでした。弥冨市は名古屋から近鉄線に乗って行きます。まずは「近鉄弥富駅」の一つ手前の「佐古木駅」に降りました。 ここの又八地区は文鳥生産の農家が集中していたところです。町のあちこちに、今は縮小してしまった文鳥生産の往時の面影があります。駅から歩いてしばらく行ったところの「白文鳥発祥の碑」。昭和45年建立です。白文鳥は明治初期に突然変異でこの地に生まれたもので、以後弥冨の生産者さんが苦心努力の末品種として固定化され、文鳥といえば白、白といえば弥冨というくらいに普及したのだそうです。そしてこの石碑はまさに手乗り文鳥の人気がピークの頃に建てられたという事です。弥冨は昔から干拓で土地を増やした場所だったためにこのように海抜より低く、1959年の伊勢湾台風で壊滅的な打撃を受けたそうです。いまだに語り草になる伊勢湾台風と、戦後間もなくの物資の欠乏は弥冨文鳥にとって厳しい試練の時でした。その二つの試練を乗り越えて、この地の白文鳥は生産量日本一を誇ったのです。しかし70年代のピーク以降、それらの試練よりも厳しい波が少しづつ積み重なって文鳥生産は勢いを失ってゆき、今では1/100まで農家の数は減ってしまいました。その新しい波で決定的だったのは「子供の小鳥飼育離れ」と「鳥インフルエンザの風評被害」だったといいます。又八地区には「白鳥」という地名がつけられ、小学校などの名前になっています。この白鳥は当然白文鳥から付けられたものです。この辺は通称「文鳥村」とも呼ばれていたそうです。となり駅の「近鉄弥富」へ行きました。駅のロータリーには市の特産物である金魚と文鳥をあしらったモニュメントがあります。そしてここにしか見れない全国の文鳥マニアの聖地であるこの電話ボックスが、歩いて10分ほどの国道1号線沿いに鎮座しているのです。高村光太郎の文鳥のように右の背の高いのがオス、低くしている方がメスと思われます。道路沿いの駐車場の一角にポツリと立っていて周囲に何もなかったので一周まわって写真を撮りまくりました。道路は車ばかり通って人通りもなく、車の運転手は「なんでこんなもん撮ってるんだろう?」と思っていたかも知れません(でもいいのです)。このボックスはこれ一つだと思われますが、これや弥生地区にあったという「文鳥出荷所」やキャラクターを起こしてのアピールや「文鳥まつり」などで町を挙げて販路拡大を頑張ってたのが想像できます。それでも文鳥販売の規模は今に至るまで回復する見通しがなく、とても寂しい現状となっています。 ブームで生き物の命が振り回されることは許されませんが、文鳥の、そして弥冨の白文鳥の血筋が絶えてしまわない事を願わずにはいられません。続きます。
2015年08月27日
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我が恩師であり、武蔵野美大彫刻科の名誉教授の加藤昭男先生が4月30日に87歳で亡くなられました。恩師と言っておきながら卒業後にロクに連絡も取らず、その後彫刻家としても大成していないという恥ずべき身の上ではありますが、一番いろいろな事を教えていただいた思い出深い教授でした。作品も「母と子」というタイトルがつきながら、全然ほほえましくないグロテスクな表現のものがあって魅力的なものでした。どうか安らかにお眠りください。志はズレてしまいましたが、もう少し誇れるような人生を歩みたいと思います。
2015年05月09日
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今日の仕事は暖かい中、マンションの定期清掃でした。そしてこの季節は彼ら、いや奴らの襲来が始まる季節であります。そう、花粉です。暖かかったのと風が強かったせいで現場では100連発ぐらいのクシャミをまき散らしてました(大げさ)。これからツライ労働環境となりますが、めげずに頑張って暖かい春を迎えたいものです。※近いうちかどうか分かりませんが、当ブログの執筆形式を少し改めたいと思ってます。どうなるかはお楽しみに。
2015年02月23日
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わかる方々にしかわからない事を描きますが。キヤコン2015に不参加することを正式に決定してしまいました。年末からのスケジュールが無謀だったのと、この数日の間で体調を崩したのが敗因です。思えば途中で組み立てが思うようにゆかなくなって急きょキットを変更した辺りから無茶もあったかもしれません。寒い時期に缶スプレーで基本塗装をしたのもダメでした。参加のためにかなり高い「ビットマンのティガー」のキットを買ったりしたのですがそれも無駄に終わってしまったのが痛いです。というわけで模型の戦友の皆様、「キヤコンで逢いましょう」を実現できなくてホントに申し訳ありません。来たる春のイエサブコン辺りでお逢い出来るように頑張ります。
2015年01月27日
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新年のあいさつを控えさせていただきます。今年は歳男でもありますので、新しい物事への準備などをして人生を切り替えてゆきたいと思っています。ゆえにあまり派手な事をせず、先を見越して地道な積み重ねを大事にして行きたいと思います。今年も日に影に宜しくお願いします。
2015年01月01日
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今日はお休み。約束通りピコちゃんのお弔いです。2日も骸を晒していたとはいえ、ピコちゃんは待っていてくれました。生前もそうでしたがピコちゃんは小鳥を飼う上で必然的な匂いを発することがありませんでした。飼ってるうちに気にならなくなったのではなく、通常は香しいメープルみたいな香りがするだけでそばにいる間は生きていてもそうでなくても悪臭を放つことは全くなかったのです。偶然だったのかもわかりませんがこれもピコちゃんの家族に対する気遣いだったと思いたいです。兄と私の間で土葬か火葬かで少し悶着がありました。私は「鳥は空を行く生き物だから煙にして空に還してあげたい」そして「骨も残さないのはかわいそう」と思ったのですが「せっかく庭もあるし土にこそ還してあげるべき」という主張もあり、少し残念ではありますが土葬となりました。庭は母主導でいろんな木が植えられています。その中でナンテンとモクレンの間の小さな空間を選びました。どちらも野鳥がお目当てにする木であり、また入口に近いので、お客や野鳥をお出迎えしてくれると思っての決定です。そこへ穴を掘り、庭にあった石を墓標に選び、骸を埋葬しました。この石はピコちゃんとは縁がなかったかもしれませんが、白文鳥生誕の地で日本の文鳥飼いの聖地でもある「愛知県弥富町の記念碑」に似た形だったので選んでみました。手前の猪口は大きくてアンバランスかもしれませんが、これはしばらくはお水を上げるために置いておきます。このあと調度品を洗ってリビングを掃除してひとまとめにしてしまえば、ピコちゃんがいた痕跡は心の中になってしまいます。本当なら、そんな風に「片づけてしまう」ことは辛いです。でもそうしないとピコちゃんはいつまでも安らかではいられないでしょう。「サヨウナラ」なんてとても言いたくありません。だからいつまでも心にとどめておけるように、心の中に帰ってきてくれるように身辺を整理して、マイナスに落ち込むことのないようにこれからを過ごしてゆきたいと思います。ピコちゃん、巡り会ってくれて本当にありがとう。また、ピコちゃんを通じて知り合えたたくさんの縁にも深く感謝いたします。
2014年12月04日
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本日、12月2日午前6時20分、シナモン文鳥のピコちゃんは私たち家族の元から離れ、天へ旅立ちました。昨日は兄と二人そろってお休みだったので看病していたのですが、その間はとても気丈にふるまっていました。思えばそれはピコちゃんなりの親孝行であったのかも知れません。そして私たち家族の手のひらをずっと頼りにしてくれていました。気丈とはいえご飯を食べてる時などもちゃんと目が見えているかわからないような様子でしたし、もう首にも力が入ってないくらいぐったりもしていたのですが、ピコちゃんは今朝の今際の際まで頑張って生きていてくれました。調子を悪くした部分(生まれながらの脚弱、頭のデキモノ治療の時にむしられた羽、目の上の腫れ、全体の羽根の荒れ具合など)は結局のところ何一つ快方へ向かってくれませんでした。これは「一度罹った病状は取り返しがつかない」とでも言うべき事実だったのでしょうが、ピコちゃんはそれに負けることなく、私たち家族を信頼して、愛してくれていたと思います。呼べば応えてくれる、帰宅すればドアを開ける前から鳴いてくれる、手に包んで居眠りしてしまった時もじっとしててくれるなど、人の気持ちを読んでくれる本当にいい子でした。これからどういう方法で弔うべきかで迷っているところではありますが、早急に決めてしかるべき事をしてやりたいと思います。ピコちゃん、それまでもう少しだけ辛抱してください。こちらは在りし日の姿。
2014年12月02日
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毎年とは行かないもののたびたび参加している「秋葉原イエローサブマリン」の戦車模型コンテスト。今回はもうすぐ公開の戦車映画『フューリー』にちなんだテーマで開催されます。今年の私の模型事情は、まだ完成作がゼロというどうしようもない事態で、これではあまりに情けないと思い一発奮起して10月からチビチビと進めていました。キットはドラゴン社「シャーマン火炎放射戦車(朝鮮戦争)」。主砲の横にもう一本「火炎放射筒」が付いた珍しい車両です。塗装に配慮したパーツ構成やサスペンション可動など、一見親切なキットと思いきや、組み立てに結構頭を使う難しいものでした。例によってまた提出のギリギリまで手間がかかり、やろうとしていた事の何割かが出来なかった上に、写真もこの一枚しか撮れませんでした。こんな不完全な状態で提出するのですから、本気で賞を取ろうと努力している方々には失礼かも知れません。今回は結局見切り発車で提出しましたが、組み立てが苦労した分愛着もあるのでコンテストが終わったら地面を作ったり途中まで作った人形を加えるなどして本来の構想通りに完成させたいと思います。今年はコンテストや展示会参加はこれで終わりです。12月は毎年一番の繁忙期なので参加する暇を作ることはまず無理でしょう。それならば戦術的撤退として春ごろのコンテストへ向けて構想を練りたいと思います。製作に時間を割く習慣もついてきたので、このテンションを維持してもう少し模型いじりを続けてゆきたいものです。
2014年11月20日
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ピコちゃんお迎えから6年目。この年の秋は変化があって現在予断を許さない状況となって来ました。写真でわかると思いますが、目の上が腫れて輪郭が変わるくらいになってしまい、お医者へ何度も通う事態となっています。原因は体に悪い菌が繁殖しているという事です。この腫れで、ただでさえ普通の文鳥よりも小さいピコちゃんの鼻の孔が塞がってしまう事もありうるのです。加えて温度管理が甘かったせいで寒くしてしまい、このような症状を治す抵抗力が落ちてしまい、一時期かなり重篤になってしまいました。~食欲がなく、体を丸めて活発な動きもなくなり、脚力が衰えてしまうなど、いいところはひとつもない事態でした。そのために電車で1時間のY市にある小鳥専門病院へ、可能な限りの時間を割いて通い詰めていたわけです。お医者からは「ご飯、温度管理、薬」の3つをしっかりチェックするようアドバイスを受けましたが、いただいた抗生物質がピコちゃんのお口に合わなかったせいもあって、なかなかスムーズに治療開始とはいきませんでした。ともかく初めのうちは、薬を水に混ぜたらその水を一切飲まず菜っ葉の水分でしのごうとするし、直接薬液をクチバシにしみ込ませても首を振って吐き出すし、全く水を摂らないせいで余計衰弱をするしでろくなことになりませんでした。幸い3度目の薬液(なんとイチゴの匂いが付いてる)はおいしかったらしく、ちゃんと喉を動かして飲んでくれるようになり、やっと回復のめどが立ってきました。ただ、元気さや目の上の腫れは抗生物質で回復しても、脚力については歳相応な衰えはあるようで、こちらは元に戻るかどうかが心配です。もともと脚の悪い仔ですし。現在はとりあえず投薬は続けて週に一度注射を受けに病院へ行くというサイクルとなっています。電車代や診療代などでかなり痛い出費ではありますが、ピコちゃんの命には代えられません。暖房に関しても灯油代などをケチらずガンガン暖める事にしています。あったかい⇒食欲が出る⇒薬が効いてくるのサイクルでやっと回復してくるのですから、この冬は気の抜けない冬となることでしょう。
2014年11月19日
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大変にお久しぶりです。あまりに放置して編集の仕方を忘れてしまってまいました。放置の理由は、歳のせいか仕事や趣味などの対応力が著しく低下して何をするのもおっくうになってしまったということです。ここまでの間何もなかったわけではないのですが、いろいろ綴るにはエネルギーが沸いてきませんでした。本当に申し訳ありません。それはさておき。本日9月23日は我が家にシナモン文鳥のピコちゃんをお迎えした日です。やってきたのが2009年で丸5年を経過し、6年目に突入です。ピコちゃんにとって我が家の生活が本当に快適であるかどうかは随分疑わしい限りではありますが、我が家はもはやピコちゃんがいなかった頃の事を思い出すことが出来ないくらいピコちゃんは家族に溶け込んでくれました。あと何年この幸せが続くかはわかりませんし、その間に何が起こるかは予想がつきません。でもこれからも家族みんなでピコちゃんの幸せを一番に願って生活してゆくことでしょう。ネットで写真を上げているため、遠くの見知らぬ方々からも愛されています。そういう縁を大事にしてピコちゃんとお付き合いしてゆきたいと思います。これからもよろしくね!
2014年09月23日
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先日ETVで一躍話題の人になった広島の画家「ガタロさん」。そのガタロさんの展覧会に行ったのですが、その話は後日。今日は節分なのですが、うっかり当日まで鬼打ち豆を買ってくるのを忘れていたため近所のスーパーへ買いに行きました。しかし、毎年余る程売っている鬼打ち豆が今年は全然見つからず、時間をかけて3軒も回ってやっと最後の店の最後の1個だけを買って帰る始末でした。お店の中でも豆を探してずいぶん歩かされているお客が多かったように見えました。その分、恵方巻きやら恵方スイーツやらのニューアイテムはここぞとばかりにムチャクチャな量で売られていましたが、そっちははっきり言ってダブついてました。私もそんな珍奇なアイテムのご利益にあやかろうとは微塵にも思いません。数日前のニュースでは「豆をのどに詰まらせて死ぬ事故が多くなった」などと報じられていて(対策として「袋に入れた豆を撒こう」とか「ピーナッツに切り替えよう」とかやってたけど)どうにも大豆での伝統的な豆撒きにケチをつける方向になっているようです。一方の恵方巻きの方が一気食い等でのどに詰まらせる確率が高そうな気がするのですが・・・。円安傾向で大豆の確保が厳しくなっている中、情報操作で消費を抑えようと政府あたりが企んでいるのではないかと邪推してしまうのは、果たしてゴルゴ13の読みすぎでしょうか??ともかく3軒目の最後の1個の鬼打ち豆です。「残り物には福来たる」のとおりご利益を期待したい今年の節分でした。
2014年02月03日
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2014年スタートです。ピコちゃんを授かった年の年始から始まった、Y市の伊勢山皇太神宮参りを今年も済ませました。今年は母がリタイヤした代わりに弟の家族から代表で姪のRちゃんがゲストで来てくれました。道中すぐに軒を並べる成田山新勝寺別院が改修工事を始めたのでちょっと勝手が変わり、ずいぶん歩かされましたが境内は昨年の入場規制よりは少しだけ行きやすかったようです。ちなみに今年のおみくじは末吉。あまり派手な進展などを望むより地味に生きろというお告げでした。その後はまたいつものコースで中華街で新年会がてらのお食事。母は来れなかったけど今年も我が一家は平穏無事でのどかなスタートとなりました。さて、それから仕事も平常にスタートしてあまり年末から変わらない日常が戻ってきましたがここしばらく会社は早出出勤が続いてて強制的に早起きしてばかり。目覚まし時計を早起き状態でセットしているうちに「朝の1時間が結構有意義な時間になる」ことに気が付き、いっその事これを習慣化して「早起きは三文の徳」にあやかろうと思いつきました。視覚的に達成感がわかるように一枚モノのカレンダーを業務スーパーからもらってきて早起きした日には必ず印をつけるようにもしました。これまでなら貫徹できなかった場合バツが悪いので、こういう良い習慣の宣言はしない方が普通だったのですが、今年のお告げの事もありますし、自分を奮い立たせるためにも、今回はここで「何もない日でも朝5時に起きて1時間は家の雑事をこなす。」「一年かけて部屋の大規模な片付けを貫徹する」事を宣言いたします。消費税が上がるのが悔しいけど運気を上げてパソコンやTVを買いたいのでそれを具体的な目標(というかご褒美)にしたいですね。こういう片付け本にまたしても手出しをしたのが原因でもあるのですけど。日本の八百万の神と生活習慣の関わりがわかりやすく書いてあって面白い本です。神さまがやどるお掃除の本 汚い部屋がみるみる片づく!ともあれ、今年は地味でも着実にラッキーな年にしたいものであります。今年も日に影によろしくお願いします。
2014年01月15日
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10月からだいぶホッタラカシにしていたのでログインの方法を忘れて往生しました。以下十大ニュースにもなりませんがホッタラカシ期間からの出来事の箇条書きです。・ピコちゃんは頭のカサブタみたいなものは(おそらく)薬の力で除去できました。しかし羽根のボサボサはあまり快方に向かわず、あまり飛べない文鳥となっています。我が家に来て5年目に突入して高齢化しつつある中ですが大事にお付き合いしたいものです。・模型の方はコンテストに玉砕したり、東京AFVの会に参加出来なかったりで、今年もドタバタした一年でした。2014年は趣味/ホビーであることをもう少し意識してリラックスして作ってゆきたいと思ってます。それといい加減買うよりも完成品を増やさなければ。・発達障害については薬をだいぶ長く飲んでいるにも関わらず状態は改善しません。当分惰性で投薬が続くのみになるでしょう。・今年も鬼籍に入られた方々がいろいろいて寂しくなるばかりです。特に昨日大瀧詠一氏が亡くなられたのは大変残念な限りであります。・大学の時に借り入れてから長年付き合ってきた奨学金を今年やっと返済し終わりました。これからはバンクマンも駆使して「新しいこと」のために資金を集めねばなりません。新しいことについてはまだナイショ。・今年は両親の旅行を工面したり液晶TVを買うなどで、少しは親孝行が出来たような気がします。一昨年から始めたmixiにかまけてこっちの楽天ブログをおろそかにしていましたが、来年はもう少し記事を増やせるようにしたいと思います。政治関係では情報統制や憲法改正などでキナ臭い空気になってきていますが、来年も皆様に実りの多い年になりますよう切に願うばかりです。
2013年12月31日
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まずは台風26号の被害に遭われた方のお見舞い申し上げます。さすがに「10年に一度クラスの台風」と言われただけあって天気図などでもその姿は禍々しいものでした。我が地域は川が近いながらもちょっと高台に位置しているので浸水などの被害はほとんどありませんが、その近い川でも今回はひとり死者が出ました。それはさて置き、こんな天気でも仕事に出なければならないのがサラリーマンやアルバイトの辛いところで、今日は暴風雨への装備をよく考えての出勤となりました。といっても出勤間近の頃は雨が止んできたので(風はあった)裸足にサンダル履き程度で電車で行く事にしましたが、ここからが誤算の始まり。会社へはY線とO線の2本の電車を乗り継いでゆかねばなりません。第1関門のY線は突風による速度規制があって混雑していたものの、なんとかクリアしました。が、第2関門のO線の駅へ行くと何やら様子が変です。 なんとこっちは冠水で前線不通になっていました。あとたった一駅分の距離で立ち往生です。 仕方なしにバスなどでその一駅となりに行こうとして乗り場を探して驚いたのですが、その隣の駅へゆく路線バスは一本もないのです!。ここはひとつタクシーに乗ってでも会社へ向かおうと決断したものの、タクシー乗り場は長蛇の列な上にタクシー自身もみんな出払っているらしく全然来ない有様。しからばY線へ取って返し、もうひとつのバスターミナルに期待を寄せたのですが、こっちも頑として目的の駅への便がありません。という訳で最後の最後の手段として、サンダル履きのままで一駅分の距離を歩いて会社へ行く事となったのでした。幸いにして?徒歩20分ほどの距離だったので大遅刻とならずに済みましたが、長年住んでおきながら、O線が不通になるだけでこれだけ通勤が困難になるとは全く想定できませんでした。このような非常時には移動方法などもよくシミュレートしないといけない事を痛感した次第です。
2013年10月16日
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秋になったとは言え、記録を更新しながら夏日が続くという異常な天候のせいで温度管理が難しい毎日です。ともあれ、シーズンが変わったこととピコちゃんの頭に硬いデキモノが出来たことを理由に、またいつもの「横浜小鳥の病院」へ連れてゆくことにしました。デキモノが出来ている/目ヤニが目立つという外見はあるものの、ご飯の量や元気等はあまり変わりはないので、忙しさもあってなかなか診せにゆくことができずここまで引っ張ってしまいました。診断の結果、やはりこの異常気象の影響はあったようで、気温の上下に疲れたところに真菌が入り込んだのが病状の原因だったようです。そして、その日の治療はいろんなことをやりました。管をクチバシから突っ込んでのそのう検査や、目ヤニを除去するために目薬を射して周辺を拭いたり、デキモノをきちんと診るために頭部の羽毛を刈り込んだり、果てはお尻(の上の辺り)に注射まで打たれました。後で聞いたところでは小さい生き物への注射は負担やショックが多くてそれなりの覚悟がいる治療だったそうですが先生は注意深く、しかも手馴れた様子でやってくれて、負担は最小限だったようでした。ピコちゃんも掴まれるのはキライながらも目薬や注射にもがく事なくよく耐えてくれました。それから注射の効き目を確かめるために飲み水に薬を混ぜて2週間投与し、また診せに行くという事にして帰宅したのですが、ピコちゃんはこの有様です。刈り込んだおかげで河童ハゲ状態です。また、投与の薬水がよほど口に合わないのか、飲むのを断固ボイコット。この写真のように手を洗った雫や汗や豆苗、水浴びの水や菜っ葉を入れてる入れ物の水まで口にしています。薬を飲まないまま2週間後を迎えてはどんな治療になるのかわかりませんのでなんとか飲んでもらって治療を進行させたいのですが、イヤなものはイヤなんだろうなぁ。次の診察までにどうなっているかが心配です。
2013年10月11日
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10月3日より同居の両親が北海道へ旅行に行き、その間あまりウマの合わない兄と共同生活をする事となりました。いい歳して洗濯や食事を両親にまかなってもらって数年経ってますがその両親がいなくなった事も予測しながらの生活です。細かい事は書くまでもありませんが、多少食事作りで好き勝手があったものの兄弟二人で話し合いながらなら、問題は割と適当に受け流すように心がけてゆけば生活が破綻するほどの事にはならないのがわかった感じです。これで両親が戻ってきたらまた元の生活へ戻る事にはなるでしょうけど心構えなどは今回の経験で少しは変わってゆくのではないかと期待しています。それにしても食事についてはかの兄の趣味が丸出しで材料を買い込んでは刺身定食/魚のカレー/豚ハツの中華炒めなどを作りましたが、もう少し家にある食材を活かして欲しかった。
2013年10月06日
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今夏は地獄のような暑さや忙しさで更新ごとをする気力がすっかり失せていて、未だにその影響が尾を引いています。そんな中、今現在は台風がエライ事になっているので記録しておきます。ともかく全国いろんなところで「経験したことのないような」台風被害が起こっているとのことです。我が家は川に近いですが水が上がってくることはほとんどない地域なので風害に心配する程度ですが(あと、安普請なので雨漏りが心配)、そんな程度なのでこのあと11時頃に仕事へ行かねばなりません。学校じゃないけどこんな日ぐらい家で休んでいたいものです(仕事はもう10日間休みがない)。関東地方は午後には風雨も収まるそうです。ともかく被害が出ないことを祈るばかり。
2013年09月16日
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本日、我が家にようやくデジタルテレビがやってきました。思いおこせば2009年頃にブラウン管テレビが壊れて映像的情報源が絶たれてしまったのですが、まるで入れ替わるように我が家にはピコちゃんがやってきました。その為にテレビを必要としない、テレビの100倍は楽しい生活を家族みんなで満喫していたのです。恐るべきことに東日本大震災の頃の、ACのCMが異常に繰り返し放送されていた事も、震災直後の混乱した世の中の様子も、直接的には全然体験していないのでした。今の生活でもそれほどテレビの必要を感じはしないのですが、全く映像的情報源がなくなってしまうのもちょっと不便だろうということもあって、4年のブランクを経てようやく入手するに至りました。でも世の中暗いニュースばかりだしオリンピックとかの大イベントは当分ないしピコちゃんと遊んでる方が楽しいしで、「買ってよかった!」と思える事がこれからあるのかがちょっと心配ではあります。なんとか衛星放送が見れるほどになりたいのですが。
2013年07月29日
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今月は休みが極端に少なく(たった2日間だけだった)、また連勤による疲れでの失策が多いため大変強いストレスに苛まれています(まだ継続中なのですが)。で、13日に盟友W氏とお買い物をした時のアイテムも含めると、気が付けば模型関係の出費で15,000円オーバー!資料本等は本来高いから買い控えをしているものなのにひと月3冊(月刊誌含む)は明らかに買いすぎでした…。まだ通販でキット2個と本1冊が控えているので買えた喜びよりも行先の不安の方が大きくなりそうです。あーどないしよう。
2013年06月29日
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用事があって21時過ぎに大型ショッピングモールへ買い物に行くと、学習塾帰りと思しき小学4~5年生がお酒売り場に走りこんできてかくれんぼを敢行。あまり客がいないから入り込んできたのだろうけど、チョロチョロ走る様は大変危険なので一人の首根っこを捕まえ(前からというのがまずかったけど)「こんな所でかくれんぼをするんじゃない!」と一喝しました。その時の子供の顔は明らかに遊びに夢中になったハイな状態でしたが、ビックリして何も言わずに走り去ってゆきました。後から「店員に突き出せば良かった」とか「足を引っ掛けて転ばせば良かった」とか「酒瓶がひっくり返って大惨事になってから捕まえれば良かった」とか正邪入り混じった感情が色々こみ上げてきましたが、不快な感情が残ったまま帰宅、風呂に入って頭痛止めの薬(数日前から偏頭痛が再発している)を飲んでようやく気持ちが落ち着きました。正義を貫くのも簡単ではない時代になっちまって(親が出てきたり子供が嘘をついたりしたらこっちが不利になる)やるせない世の中です。それでもまた見かけたらやってしまうんだろうなぁ。
2013年06月18日
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この日、盟友である横浜のW氏に近所で買えた限定版キットのプラモデルを渡すために、いつも決めている待ち合わせ場所へ電車で向かいました。ところがここ連日はろくな休みがなかったせいか電車の中で居眠りをしてしまい、大きな箱であったにもかかわらず網棚(最近は網じゃないけど)へ置き忘れて慌てて下車してしまいました。電車が出たあとに気付いて慌てて駅員に問い合わせてみましたが、「次の駅で車椅子の人を乗せるために駅員が出払って探してるヒマがない」という信じがたい対応が。「今出た電車は折り返して12:30頃に戻ってくるから自分で回収してきてくれ」という、見つからなかったらどうするんだろうと思うような扱いを受けました。仕方なく時間を待って折り返してきた電車に乗り込み無事にキットの袋を発見、ドアが閉じる前に素早く回収して元のホームへ降りることができましたが…居合わせていた乗客からはどう考えても置引きにしか見えなかったでしょう。結果オーライとはいえロクでもない事になってしまい、W氏にもご迷惑をおかけしました。
2013年06月13日
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今年も5ヶ月が経ちますが、ここしばらくは全国的に寒暖がデタラメに切り替わってるかのようでピコちゃんの生活もなかなか安定してくれません。具体的にいうと換羽の進みがいまいちで羽のボサボサが一向に解消されなかったり、日によって活発さにバラつきがあったり。人よりデリケートな部分もあるのか、思ったより温度の数字に振り回されているようでもあります。今月は幸か不幸か仕事の休みも多いので、思い立ったこの日に電車を乗り継いで「横浜小鳥の病院」へ連れてゆくこととなりました。のっけから電車が人身事故で遅れるというアクシデントもありましたが、車内では私がバスタオルにくるんで持っているモノが鳥かごであることを目ざとく見つけたオバ様が声をかけてきて、時ならぬ文鳥自慢を披露する事になったりしました。シナモンはやはり世間では珍しいようで、ボサボサながらも「綺麗な色ですねぇ」と絶賛して下さいました。 余談ながらそのオバ様は昔はセキセイインコを、今は何故かアゲハの幼虫を飼っていらっしゃるのだそうです。なぜそんな変節に至ったのかはついぞ聞きませんでしたが。結局病院には5分遅れで到着。ここへの通院は4回目ということもあって主治医の先生もスイスイとピコちゃんの診察を進めてゆきます。今回はいつもの糞便チェックに加えてそのう検査、鼻づまりの開通、爪切りなど、ピコちゃんが拒否するスキも与えぬままテキパキと検査してゆきました。 そのうに至っては細い管を喉の奥にあるそのうまで押し込んでの検査で、見ているこっちのほうがビックリするような内容を苦もなくやっておられました。毛並みのボサボサ加減や、下クチバシの突出は換羽期が低温だったせいで体の形成より保温の方へカルシウムなどの栄養が取られていたのが原因だったようです。(毛引き症にあるような神経の問題ではない)。 なのでもう少し高温安定をキープしてあげれば解消されるとのことです。我が家の暖房装備はあまり細かな調節が出来にくいのですが、一応方針が決まったので、出来る限りの気遣いで対応してゆこうと思ってます。しつこいようですがケージ内は高温(28度が最適)で維持して治癒力をサポートできるように計らわねばなりません。ともかく「温度管理の徹底」を主軸にして夏までに元気なピコちゃんになってもらいましょう。追記:城生さま、大変なご労力によるアドバイスありがとうございます。特に先生の方からは毛引き症対策として襟(商品名エリザベスカラー?)を取り付ける治療法は出てこなかったので、この方法は取らずにゆきたいと思います。犬用 エリザベスカラーファンタジーワールド ペット用エリザベスカラー VETカラー Sさすがに小鳥用は自作するしか方法はありませんね。
2013年05月15日
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人形を使ったコマ撮りアニメーションの大家、レイ・ハリーハウゼンさんが5月8日に亡くなられました。ハリウッドで人形アニメと言ったらまずこの人抜きには語れない程の大巨匠で、特撮映画ファンや映画監督にとって神のような存在でした。見たことがない方はいないとは思いますが、もしそうならYouTubeなどで検索してその職人技をご覧頂きたいです。偉大なる映像のパイオニアに謹んでお悔やみ申し上げます。DVD3枚で3000円セール対象商品【DVD】シンドバッド7回目の航海カーウィン・マシューズ [TSAD-10214]この映画の骸骨剣士との戦いは特に有名です。
2013年05月08日
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という訳で、我が相模原市での定期イベントと化した「アフリカヘリテイジフェスティバル」へ、横浜の盟友W氏を伴って行ってきました。当日は穏やかな快晴ながらも初日ということで人の入りは6~7分程。実にのんびりした空気です。 こういったステージでのライブはアフリカンなイベントでは欠かせない存在です。三つの打楽器だけで実に表情豊かな演奏をされていました。しかし見物の日本人はみんな直立不動や芝に座り込んでの鑑賞なので、そのノリの悪さにミュージシャン氏はちょっと落胆していたようです。こちらはステージを降りてのセッション風景。民族衣装の先生の指導の下、次第にリズムが組みあがってゆく楽しいひと時。やはり外務省が主催する「アフリカンフェスタ」に比べると規模が小さいので、料理の屋台も種類が少なく、それを補うかの如くアフリカ以外の屋台が助っ人に駆けつけていました。トルコ・メキシコ・インド・ブラジル・韓国から果ては相模原の名産品までがフェスティバルを盛り上げようと参加していました。主旨としてはこれでいいのかと思いますがバラエティに富んでいるのでまぁよしとします。ちなみにW氏と最初に食べたのは「チャイとタンドールチキンとシシュケバブとサモサ」というインド料理コースでした。売り子のオッチャンが強引だったので。あらかた食べてしまった写真ですみません。これはガーナのブースで食べた「クスクスのピーナッツカレー」(右)と「ヒツジのバーベキュー辛みソース添え」の残骸です。これをマンゴージュースとともにいただきました。この先は写真を撮るのを忘れたのですが、アフリカのアート、ファッションの紹介コーナーなどもあり、素朴ながらも高度な表現力を誇る絵画から怪しげな「パラダイススパイス」なるものや鮮やかな織物、アクセサリーなどが展示販売されていました。(今回はあまり予算を用意しなかったのでお買い物はほぼパスしました)。春の穏やかな空気の下、不思議な食べ物を食べながら不思議な音楽を聴いて過ごすのはとても気持ち良いものでした。あまり大規模にならないままでいいので、毎年続いて欲しい楽しいイベントでした。ヘリテイジフェスティバルは4/28・29まで開催されていますので、お近くの方は是非足を運んでみてください。
2013年04月27日
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わが街相模原市(過去はS市と表現してましたが)はここ数年民間主導でアフリカ文化イベントが開催されています。今まで紹介していた「アフリカンフェスティバル」は外務省とアフリカ系大使館が主催でしたが、この「ヘリテイジフェスティバル」はNPOと市内にあるエスニックレストランが中心になって今回が3回目となるのです。日時は4月27・28・29日の3日間。場所は小田急線相模大野駅から徒歩数分の公園。出し物は例によってですがアフリカの風物として食事に音楽にファッションについでに支援事業の紹介など、アフリカンフェスティバルと似たような内容です。自転車距離でアフリカ文化を体験できるという絶好のロケーションなので、久しぶりにイベントを楽しみたいと思っております。お問い合わせ アフリカヘリテイジフェスティバル2013公式サイト http://africah.web.fc2.com/
2013年04月20日
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ひとつ前のブログで「4月発売のアーマーモデリングに掲載されるでしょう」と書いたらなんとキヤコンから3日後の3月13日発売のAM誌に超速のカラー記事で結果が掲載されていました。たった3日で出版までこぎつけるなんてすごいぞ大日本絵画!・・・おそらくコンテスト締切が2月10日で、そのあとの審査直後の半月のあいだに編集をしたと思われますが。
2013年03月17日
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2月に作品を持ち込んで参加した日本一ハイレベルの戦車模型コンテスト「キヤコン」。その発表会が行われました。私の戦友周りでは横浜のW氏、茨木のM氏、立川のW氏もそろい踏みでの参加で、毎年の東京AFVの会で交わす約束「次はキヤコンで会いましょう」がやっと果たせました(果たせなかったのは私一人のせい)。総勢80作の作品は審査員の方々が言うに「点数はどれも僅差で誰がトップでもおかしくない」程の接戦だったそうです。私の未完成作もその数に入っているかは疑問だったのですが、それを審査員や入賞者の方々に聞いて回る度胸は今回ありませんでした。版権の関係でこういう場所へ写真を掲載することができませんが、トップレベルの作品群は一見の価値のある素晴らしい物ばかりでした。(4月発売のアーマーモデリングで記事が載るはず)。ところで、今年はこの模型業界の周辺は初旬からちょっと寂しいニュースが相次いでいまして、2月には戦車模型に強かった老舗「オリオンモデル」が、そして4月にはこの「キヤコン」を主催している「おもちゃクラブ・キヤ」が閉店してしまうというのです。少子高齢化だとか子供の趣味の多様化だとか、いろんな要素がありそうですが、戦車模型に関して言えば10月に始まってた「ガールズ&パンツァー」なる戦車アニメが好評で、新しい潮流も出初めていただけに、その流れをもってしても閉店や縮小の流れが食い止められないというのがなんとも残念でなりません。どちらのお店も完全消失ではなく、ネット通販に主軸を移すということなので、これもまた時代の流れなのでしょう。とはいえ弱者から切り捨てられてゆくような世の中や流行り廃りに振り回されるような世の中はとても残酷で寂しいことだと思うのです。以前にも書いたと思いますが、戦車模型づくりも文鳥飼育もどうも世の中の流行りのピークを過ぎてから本腰を入れて楽しんでいる傾向があるようで、これではこの先も寂しい思いをするばかりであります。ともあれ、キヤホビーさま並びにオリオンモデルさまの前途が明るく開かれてゆく事をぜつに願うばかりです。戦車担当のGさま、長い間お疲れ様です。新体制になったキヤコンに、また参加させていただきます。
2013年03月14日
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仕事に明け暮れて黙祷の一つもやっていられませんでした。仕事の車中のラジオでは震災特集がずっとやってて、建前だけかもしれないけど前向きなメッセージが溢れていました。直接的な被害がなかった上にTVを全然見ていないので、東北の惨状をほとんど知らないままで今を生きています。あの頃の混乱も一所懸命に思い出さない限りまるで夢のように感じます。この先あの震災とどう関わってゆくのかは獏として定まりませんが、無関心なまま忘れることのないようにしたいと思います。追記:キヤコンと模型関連の記事はもう少しかかりますのでご了承下さい。スミマセン。
2013年03月11日
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職場の都合で3月10日の仕事がなくなり、キヤコンの発表会&懇親会に参加できるようになりました。キヤコン自身には数回参加していますが懇親会はまだ一度も参加していません。関係者の皆様、当日会場でお会いしましょう。あぁ良かった。
2013年03月01日
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3月10日のキヤコン発表会及び懇親会はまた仕事の都合で参加できなくなりました。関係の皆さま毎度申し訳ありません。ともかく土日は却って仕事が殺到しているものでして。
2013年02月19日
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毎度お馴染み「全国戦車模型コンテストの最高峰」とも言われる荻窪のキヤホビー主催の『キヤコン』に拙い作品を持ち込むことに成功しました。「成功した」というのには訳がありまして、今回作ったモノは完成度としては不完全だったので、参加するかどうかはギリギリまで迷っていたのです。この日は盟友の「横浜のW氏」とも待ち合わせをしていたのですが(彼はちゃんと完成品を持ち込んでます)、ともかく未完成ながらも彼に見てもらおうと一部の未接着なパーツも全て持って来て、場合によっては提出しようという折衷策を取りました。未完成ではありますが基本塗装や、ディテールを際立たせる「スミ入れ」まではやってあるので、一通りは見てもらおうとパーツをとりあえず全部持ってきたのは大正解でした。W氏から「ここまで見れるものならせっかくなんだし提出した方がいい」と後押しされたのでしたが、ここでパーツが揃っていなかったらどんな出来栄えでも提出は無理でした。迷いを吹っ切ったのはともかく、出すならバラバラのモノをちゃんと接着しなければ受け付けてくれません。大急ぎで(慌てる必要はないのに)キヤホビーさんから接着剤を買い込んでビルの屋上で接着作業を強行。他人様に見せたことのない組立て作業を披露する羽目になってしまいました。それで完成したのがコレ。トランペッター社の「シュトゥーラ・エミール」という対戦車自走砲です。車体の上下、車内の大砲の基部、砲身、箱状の戦闘室、その他細かいパーツを分割していましたが、それを周囲の目を気にしながら接着して完成させました。未完成な部分とは「使い込まれた車両」らしく塗装をするウェザリング/エイジングといった作業まで間に合わなかった事だったわけです。 コンテスト応募用紙にもその未完成をきちんとアピールして審査をしてもらう様に配慮したつもりです(W氏のアドバイス)。最高峰のコンテストにヤッツケ仕事の作品を持ってゆくこと自体大変な無礼かも知れませんが、とりあえずは達成できたということで自己満足させて下さい。ひとまずは肩の荷が下りた気分です。これで悔いなく3月の繁忙期の仕事ができるというものであります。
2013年02月09日
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冬に入っていろいろあったのにろくに書かなかったのでちょっとまとめ書きします。1産卵12月5、6、7日と立て続けに3個。1月も散発的に2個産んで今シーズンは合計5個となりました。これ以上産まないように注意したいのですが、どういう刺激が悪いのかはいまだよくわからんままなのがツライところです。2通院産卵もさることながら外見上「羽がボサボサ」「下クチバシが突出して伸びてきている」のが気になるので1月に「横浜小鳥の病院」へ連れてゆきました。短期間の産卵や相変わらずのストレスが原因のようで、クチバシはニッパーでカットしてもらいました。しかし2週間ほどでクチバシは元通りの長さ(つまり伸びすぎ状態まで)戻ってしまい、現在また連れてゆくか放っておくかで迷っています。(以前も突出があったけど放置しているうちに治ったことがあった)。容姿としてはよそ様の同じ年頃の文鳥に比べても、飼い初めの頃に比べても、ちょっと荒れた状態に見えるのでどうにかならないかが心配であります。翼の外縁がボサボサです。広げると翼全体もボサボサです。今年はみかんがアタリだったようで、与えると貪るようにグビグビ飲みます。(目の後ろの毛が抜けているのがわかりますでしょうか?)見ている方としてもボサボサが毛引き症まで発展しないかが心配なので早いところ換羽シーズンになって荒れた羽毛が一掃されて欲しいものです。普段は元気で調子悪いところなんか見かけないのだけどなぁ。
2013年02月03日
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アンチエイジング効果を狙ってゴボウ茶を作成しました。 泥付きゴボウを洗ってササガキして半日日光に晒し、カラカラになるまでフライパンで煎ると完成します。 毎日一杯飲んで若返りの習慣にしたいと思いますが、習慣として定着するかな?
2013年01月18日
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テスト
2013年01月15日
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あけましておめでとうございます。2013年がスタートしました。昨年末より当ブログは写真登録が限界に来てしまい、すっかり写真掲載ができなくなってしまいました。今後なブログの内容も少しづつ変えてゆく可能性が出てきますが、変わらぬ御愛顧をよろしくお願いいたします。今年は何をしようか、片付かぬ部屋に寝転がって模索中であります。今年も日に影によろしく。
2013年01月01日
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イギリスの特撮番組「サンダーバード」等で活躍したプロデューサーのジェリー・アンダーソンさんが26日に亡くなられました。プラモ好きな男の子たちが夢中になった番組「サンダーバード」は、子供のみならず特撮番組に関わる全ての人々が熱く注目した驚異の番組でした。精巧なミニチュアのメカニックを作る上で、彼の編み出した技法は未だにお手本とされ続けているのです。またしても時代を切り開いた方が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
2012年12月27日
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マンガ「はだしのゲン」で有名なマンガ家中沢啓治さんが19日に亡くなられました。原爆の惨禍を生き延びて世にその悲惨さを伝え続けた功績は死してなお語り継がれてゆくことでしょう。ご冥福をお祈りします。
2012年12月25日
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言わずと知れた太平洋戦争の開戦日なのですが選挙の喧騒に紛れて新聞などでも全然記事にしなくなってて戦争体験者の父は嘆いていました。戦争やりたがりの武器持ちたがりがデカイ声を出して目立つようになってきましたがせめて両親が亡くなるまでの間でも平和憲法を維持して欲しいものであります。
2012年12月08日
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先日、タミヤのミリタリーミニチュアシリーズに特化したジオラマ作例集「ミリタリーミニチュアワークショップ(MMWS)」が発売となりました。この間の東京AFVの会でも紹介されて気になったので給料日に購入しました。【送料無料】ミリタリーミニチュアワークショップ模型として敷居が低いながらも奥深いタミヤMMシリーズの魅力を引き出そうとけっこう手の入った作例が10点収められています。もちろん製作過程のトピックも載っててジオラマ作りのヒントが満載ですがそれは他の専門誌でも同じような見所。この本には「内部資料」的な、ちょっと驚く項目があったのでした。それは全国規模の戦車模型コンテスト最高峰「キヤコン」の審査基準が特別公開されていることです。ジオラマ部門と単品部門の二つのみですが、これだけでも審査員が何を基準に作品を見るのかが判るというもの。試験前の「傾向と対策」が載ってるようなものです。『この審査項目をキヤコン応募の参考にするだけでなく、自分の作品を客観視する指針にしてはいかがだろう』と締めくくられていて、一番ためになったページとなりました。編集さんへの配慮や敬意からその項目をここには記しません。コンテストの傾向と対策、自分の作品に何が足りないのか気になる方々はぜひ一読しておくのがよろしいかと思います。
2012年12月01日
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戦車模型ファンの集い「東京AFVの会」が今年もやってきました。今回も下北沢の北沢タウンホールでの開催です。今年は会場の都合で多少手狭となったスペースですが密度はいつも以上でした。(その訳は後述)。会場の様子と今回一番作品数が多かったと思われるT氏のシャーマン軍団。実在のものから映画に出たものまで、さらにシャーマン以外のものも大量に持ち込んでの参加です。実車の詳細なども丁寧にコメントされていて本気度が違いました。こちらはガレージキット部門。やはり大量に持ち込まれての参加で作るための量力や資料で大変なレジンキットがたくさん。ご苦労様であります。毎回参加者が少ないのが難点のテーマ部門。今回は「季節を感じさせる」というお題。その中で『今が旬』とばかりに、秋にスタートした旬のアニメ『ガールズ&パンツァー』の登場戦車が早くも登場。季節の解釈も人それぞれです。そのテーマ部門で私が気に入ったのはこの作品。狙撃兵が建物内に潜んでいるのですが、外からはダミーのカカシしか見えません。戦場の緊張感がユーモラスに表現されています。戦友「立川の」W氏は「ワルシャワ蜂起」をテーマにした車両をグループで持ち寄って参加しました。これはワルシャワ市民がドイツ軍から奪ったパンテル戦車。資料の少なさに苦労なされたそうです。最後に私の参加作「金門之熊」。中国国民党軍が使用したアメリカ戦車です。たった3両で金門島を守り抜いた車両の限定キットを使いました。コンテスト結果は物量作戦の前には印象が薄かったせいか、何の評価ももらえませんでした。今回は特定の参加者の物量に押されて他の単体作品がかすむ事態が起こり参加の意義を少し考え直さねばならないと思いました。無論繊細な完成品を大量に壊さず持ち込むことも、数をそろえること自体も大変な労力によっているのですから一概に否定は出来ませんが「会場が狭くなったところに10~20もの作品を持ち寄ったのが3人もいた」というのはちょっと悪い偶然が重なったような気がします。あと、運営にケチをつけるなら、同じ部門を指しているのに「インジェクション部門」「プラキット部門」「単体部門」と呼び名が不統一なのはどうにかして欲しいところでした。ともあれ、今年はイベント参加はこの辺で終わり。年明けまでしばらくは模型ごとはお休みです。来年はどうやってゆこうかな。
2012年11月24日
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某元都知事の立ち上げた「太陽の党」に苦言を呈したらみんな思ったことは同じだったようでした。しかも他の政党と合流することにより党そのものは3日で消滅したというのだから物笑いです。これで「タイヨウノトウ」は『太陽の塔』として名を残すことになりました。良かった良かった。
2012年11月17日
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都政投げ出して新党を旗揚げした某都知事さん。その彼が今日「太陽の党」という名前を付けたのですが『太陽の塔』を崇める私にとっては大変不愉快であります。(もともと作家らしからぬ下品な発言が多い人なので好かないし)。最近聞いた事によると、私の崇める『太陽の塔』も、この某都知事に浅からぬ因縁があったそうです。これは1970年の大阪万博当時の姿を模したものです。大きな透明の屋根を突き破るかのように太陽の塔がにょっきりと顔を出していました。このデザインを岡本太郎氏が打ち出した時にはまだ塔には名前が付いていなかったのです。そしてこの「大屋根を突き破ってにょっきり」の姿(模型)を見たプロデュースの小松左京氏が「まるで『太陽の季節』(某都知事が有名になった小説)の一説みたいだね」という感想を述べた為に、名前が決まっちゃったのだそうです。この小松氏が言う一説は、小説の中で一番印象的ですが大変下品な場面でもあるのでそんな連想で名前がつけられた事を知った時は軽い嫌悪感が走りました。名前が付いちゃったのは仕方がないけど「タイヨウノトウ」といえばこの下品な新党ではなく荘厳なるこの塔の方がこれからもポピュラーであり続けて欲しいものです。
2012年11月13日
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寒くなってきて人間様も冬支度の準備となりました。我が家は保守的に「暖房といえばストーブ」です。反対にストーブ以外の暖房の備えがないので、状況の変化もそれなりに考えねばなりません。その状況の変化を即す原因であるお方。ピコちゃんの羽根のスカスカ加減は結構深刻で飛行に支障が出る事態になってしまいました。来て1~2年目に出来てたホバリングや高いところへの飛翔が出来なくなり、飛ぶのはもとより着地が不安定になっています。ドテッとコントロール不能で落ちて脚を挫く事や、失速してストーブに飛び込んだりする事なども想定に入れねばならなくなってきました。そこで今年はストーブに防護策を施すことになりました。【冬の安全対策】★スライド扉付き★簡単設置★グリーンライフ NSG-PY ストーブガード市販のストーブガードに【送料380円】尾上製作所(ONOE)バーベキューネット500×800 CZ-5080★全品ポイント10倍!(P10倍)★★総額5250円以上で送料無料★【07dw11】激安祭大型のバーベキューネットを針金でつないでこのような全周防御型のフェンスをこしらえました。後方1辺だけを針金で縛って開閉可能にするのがミソです。もっともこのような巨大物体はピコちゃんは警戒して近づかないので、大げさな杞憂の産物でしかないのですが、金で安心を買ったと思って納得することにしております。姪っ子の来訪もこれで安心だし。しかしピコちゃんのバーベキュー防止のためにバーベキューネットが必要になるというのがなんとも皮肉な話です。
2012年11月08日
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このところ当ブログではおくやみ以外ネタがなくなってるようで情けない限りです。10月26日に、ミュージシャンの佐藤博さんが亡くなられました。山下達郎、細野晴臣その他私の好きなミュージシャンたちからその腕前を絶賛された佐藤氏は自宅のスタジオで座った状態で亡くなられていたそうです。まさに音楽家冥利に尽きるという死に様に思ったのは私だけでしょうか?ソロアルバムをコンスタントに出していたものの、世間のいわゆる「Jポップ」という粗製乱造音楽に埋もれてなかなか見かけることの出来ない、アルバムの買いにくい作家でした。が、玄人ミュージシャンがこぞって絶賛する「ミュージシャンズミュージシャン」でありました。軽やかできらびやかなピアノテクニックやすばらしい構成の楽曲、ちょっとハワード・ジョーンズっぽい声のボーカルが大好きでした。また思い出のミュージシャンが一人逝ってしまい、さびしい限りです。ご冥福をお祈りします。
2012年10月27日
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昔の記事を読み直しても夏を呪うネタが多くありましたが今年の夏も暑かった上にずいぶんしつこかったです。今週はじめになってやっと秋の風物詩である金木犀の香りを楽しみました。中秋の名月の直前まで香ってこなかったなんて記録的に遅いのではないでしょうか?このスピードではすぐに冬がやってきそうな気配ですが(それでもまだ日中は汗ばむほど)、穏やかな秋が長く続くことを祈らずにはいられません。
2012年10月06日
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東京現代美術館へ「館長庵野秀明 特撮博物館展」を見に行きました。総合プロデュースの庵野秀明監督がこだわって用意した特撮映像の貴重な大道具や小道具の展示、数々のアイデアで撮影する映像技術など、私たちが子供のころからハマったヒーロー番組の舞台裏が余すことなく展示されていました。改めて見るに、特撮映像とは常識を超えた発想の結晶であることが痛感されます。これらの映像技術も、押し寄せるCGワークの勢いや予算の縮小から、うっかりすると「失われた技術」と成り果てる可能性があり、そういう危惧から今回の展示会が企画に上がったそうです。一通り特撮の歴史を勉強した後はいよいよ「最新の特撮技術」を駆使した短編映画『巨神兵東京に現る』関連の展示へ。こちらは現在第一線で活躍する特技監督・樋口真嗣氏によって作られた迫力の短編映画の展示です。現場での苦労やアイデアも垣間見れる大変興味深い内容でした。そして出来上がった『巨神兵東京に現る』も、当然のことながらこだわりぬいた映像表現が凝縮された大迫力の作品でありました。他にも模型製作においての参考になることなど、見て感じるものは一杯ありましたが、それをここで書ききることは出来そうにありません。会期は10月8日まで。チャンスがあったらご覧になってみて下さい。
2012年09月29日
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我が家にピコちゃんがやってきて4年目になりました(9/23)。もはやピコちゃんのいなかった頃は想像できないほど遠い過去になってしまったかのように、長いこと家族に馴染んでくれていると思ったらまだ4年しか経っていないのです。とはいえ人の4年は文鳥の40年。1年で10年分の時間を使っていることになっています。昨年は平気だったことが今年は困難になってしまった事も少しずつ増えているのです。今日は3月以来再びY市の小鳥の病院へ行き、以前から気にかかっていた羽根のヨレについて診察してもらいました。事態は思ったより深刻で、内臓器官に問題はないものの羽根のダメージはストレスが原因の自傷行為によるものではないかというのです。毛引き症の場合は羽毛を引き抜いて丸坊主になってしまうのでそこまで行ってはいないのですが、それに近い状態のようなのです。なぜそんなストレスを抱えているのか見当がつきませんでしたが、どうやら外見で判断すると私たちが思った以上に、ピコちゃんは脱臼や骨折等を繰り返しているようで、その痛みや不自由さがストレスを引き起こしているらしいのです。(そこまで推察されたのにその場でレントゲン撮影をしてもらう決心が付かなかったのが悔やまれます)。この冬からは飛べなくなった立場を良く考えてピコちゃんが快適に過ごせるようにいっそう頭を使わねばなりません。我が家の主力暖房はストーブなので、寒くなって実働する前に対策を採らねばなりません。そんなに知らない間に脱臼やらなにやらで体を痛めているのにそういう素振りも見せなかったピコちゃんには本当に申し訳ない気持ちです。
2012年09月25日
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