本と文具の”かっこうブログ”

本と文具の”かっこうブログ”

PR

×

プロフィール

かっこう2019

かっこう2019

カテゴリ

カレンダー

バックナンバー

2026.10
2026.09
2026.08
2026.07
2026.06
2019.07.20
XML
カテゴリ: 本
​ ​ ​
​ ​​ ​​ ​
私は毎朝、食事の前に神棚と仏壇に手を合わせることを習慣にしている。​​
かつて母親がやっていたことを引き継いでかれこれ14年になる。
母の七回忌のとき仏壇を新しくした。
仏壇は知り合いの仏壇屋さんに相談して宗派にあったものを用意してもらった。
私の家は浄土宗である。
だから、仏壇の中央にご本尊(阿弥陀如来)、その左右には法然上人と善導大師がまつられている。
ご本尊は金色である。
その背景も金色である。
ところが、その仏壇を見て和尚様は、
「もっと金ぴかがいい」
とおっしゃった。
その言葉を聞いたとき、その真意が分からなかった。
何故金ぴかなのか。

​冬の早朝はまだ暗い。
仏壇を照らすのは蝋燭の灯りだけである。
その灯りに照らされて、阿弥陀如来の金色の姿が浮き立つ。
そのお顔ははっきりとは見えない。
その光の具合が絶妙なのである。
​ ​ 陰翳礼讃​​(いんえいらいさん) とは、このことを言うのだと思った。 ​
京都に行くたびに仏像に接するが、名刹にある仏像は、大抵はっきりと目にすることができない。
平成19年11月。
清涼寺に行ったが、その日は運良くご開帳にあたっていて釈迦如来像とお会いすることができた。
たしかにお寺の中は薄暗く、釈迦如来像を鮮明に見たとは言えない。
薄暗い中にぼんやりと見えたのである。
谷崎が言う金色の実用的価値という点からすれば、二尊院の二尊像の背景となる金色が薄暗い堂内をぼんやりと照らしているといってよいと思う。
それでも、二尊像ははっきり見えたわけではなかったのだが……。
その点から言えば、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像・三千院の阿弥陀菩薩像・東寺の日光月光菩薩像などは特別に展示されているので、はっきりとしたお姿に対面することが出来る。

ところで、谷崎は本の中で、 中宮寺の菩薩半跏思惟像 を昔の日本の女性の典型的な裸体像ではないかと述べている。
唐突に思われるかも知れないが、着物を着ていた時代、女性は手と顔以外は人目に触れる事はなかった。
その隠されていた部分は決してて肉厚なものではなかったということを言っているのである。
寸胴の棒という表現もされているが、中宮寺の菩薩半跏思惟像だとすれば、それはそれで美しいと私は思う。

2010.1.11.





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.08.04 13:50:00
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: