イラン編


―その1 「イラン人は良い人」
 その2 「ペーズリー・・・抽象化・純粋化する精神」
 その3 「シーラーズでの19歳のイラン女性との恋愛未遂」

たった今、イランから深夜便でイスタンブールに戻ったところ。
今夜の夜行バスでトルコ南西部のクシャダスという所に行き、そこから船でサモス、ミコノスなどのギリシャの島を経由してアテネには入る予定。2日連続で夜行なのでかなりきつい。その疲れをエーゲ海の太陽と白い建物の美しい景色で癒そうと思う。
イランでは、首都テヘランを省略して、イラン一美しいと言われるエスファハンと、アケメネス朝ペルシャのBC400頃の壮大な遺跡ペルセポリスに行くための街、シーラーズの2個所だけを回った。
イランでの体験で話したいのは3つある。題して・・・
その1 「イラン人は良い人」
その2 「ペーズリー・・・抽象化・純粋化する精神」
その3 「シーラーズでの19歳のイラン女性との恋愛未遂」

その1 「イラン人はいい人」

予想していた通り、イラン人は親切で人懐っこかった。シリアと同じように街中でキョロキョロしていると、お巡りさんが寄ってきて、道を教えてくれる。すれ違う人も「日本人ですか。ようこそ」と挨拶してくれる。
テヘランに向かう飛行機の中で隣に座っていたイラン人の若い兄妹。彼らはトルコを旅行して帰るとこだったが、妹の方はトルコでも飛行機内でもスカーフで頭を覆っていない。兄の方は、トルコ航空の機内で、悪びれる風もなくワインを、小瓶で赤1本、白1本を飲んでいた。旅先で会った日本人旅行者から、「イスラムの戒律による飲酒をもっとも厳しく取締まっている、イランでも中流以上の家では酒を飲んでいて、自分にふるまってくれた」と聞いていたので、「国に帰っても時々飲むの」 と聞いてみると、「まさか」という答えだった。この辺は人それぞれみたいだが、兎も角、イラン国民が皆、堅苦しく禁酒をしている訳ではなさそうだ。
彼らが英語をほんの少ししか話さないので、僕のイランガイドブックの写真部分を見ながら、「This is good・・・」という程度の会話だったが、十分に彼らの温かさと人懐っこさが伝わってきた。日本のことが好きなようだ。
最後に妹の方が僕に、たどたどしく、「・・・Iran・・・happy・・・you」(「Welcome to Iran」という意味)と言ってくれたのが微笑ましくて、すごく嬉しかったし、これから行くイランのことが益々好きになった。
深夜に着いたテヘランの入国審査官は、2人とも女性だった。いわゆる「真っ黒星人」だが、「サラーム(こんにちわ)」と挨拶するとにっこり笑って「Welcome」といいながら答えてくれた。黒いスカーフの中の素顔は気さくな人々だ。
街では女性の半数以上が「真っ黒星人」だが、その他の人はもっと明るい色のゆったりとした服とスカーフで、下に着ているものを覆っている。スカーフは華やかで明るい模様だったり、花柄が入っていたりで、それぞれの「おしゃれ」があるようだ。家では全部それを脱ぐので、顔立などからして西洋人に見える。下にきているものはジーンズなどのパンツが多い。
トルコやシリアでもそうだが、このイランでも日本人は非常に尊敬され、好かれているようだ。
好かれる理由はいくつかある。
先ず、アメリカ、ヨーロッパ以外の国で、殆ど唯一、欧米を凌ぐほどの経済的成功をしたということ。それも明治維新以後に主に経済的、軍事力で欧米列強を脅かすほど強くなり、戦争に負けた後も僅か2、30年で再び経済大国になった。一度ならず二度もである。特に戦前の歴史についてはアジア諸国に対しての姿勢など批判があるのは当然だとしても、客観的に観て、「強国」であったのは間違いない。特にトルコでそうだが、日露戦争に(形の上では)勝ったということが、歴史的にロシアの脅威に悩まされ続けたこの地域の人々にとって、驚異の目を持って見られ、賞賛を受けたことも理解できる。しかも、日本人の顔つきが欧米人と比べて温和で、彼らに接する態度がなんとなく、丁寧であり、少なくともそう見える、ということもある。「強くて、礼儀正しく、優しい」。こういう人が好かれるのは当然である。
又、イランについては、これらの一般的な理由以外に、一つ特殊な理由もあるのだと思う。
それは、二次大戦後に、イランが自国石油資源についての利権をイギリスから奪い返し国有化した時に、イギリスは他の大国に呼びかけて、イラン原油の不買を行ったが、この時、日本の出光だけが、「日章丸」を派遣して買付けに行ったことだ。このこともイラン人の親日感情を増している歴史的な事情だと思う。
このイラン人の親日感情とあいまって、イランで放映された日本のテレビドラマ「おしん」が80%を超える試聴率を得ていたことは有名な話しだ。
エスファハンでもシーラーズでも街は非常に清潔(日本並み)で、ほとんどの路が豊かに茂る街路樹で覆いつくされている。砂漠気候の多いイランの都市は樹木や花や水を崇拝するように大切にしているようだ。この緑豊かな清々しいイランの街とその人柄が一体になっているよう感じがした。

その2 「ペーズリー・・・抽象化・純粋化する精神」

インド旅行中に、カシミール地方の絨毯やカシミールウールの手織物、紙細工に描れた様々の綺麗なもの、そして、あのインドが世界に誇る建築物遺産のタージ・マハールを見ていて、それらがムガール帝国の時代にペルシャから持たらされたことを知った時から、ペルシャ(イラン)に行きたいと思うようになった。
又インド旅行中に立ち寄った現地旅行代理店に置いてあった「インド三国志」と言う日本語の小説のほんの一部を拾い読みした時に見つけた、次のような一説を見つけて、それがずっと頭に残っていた。

(主人公であるムガール帝国最後の皇帝アウラングゼーブは過激なイスラム思想の持ち主で、多数の神々がごてごてに交じり合って存在し、それらの偶像を節操も無く崇拝するヒンドゥー教は、猥雑極まりなく醜いもので、直ぐにでも退治しなければならないと考えていた)

(彼は窓の外のタージ・マハールの建築構造や樹木や花を抽象化したペーズリー模様を見ながら)
「人間精神もあのように単純で清々しいものでなければならない、と思った」・・・・・・・

ペーズリー(唐草模様)の由来についての僕の知識は曖昧だ。もう少し勉強してから旅に出たらよかった、と何度も悔いている。ギリシャ・マケドニアのアレクサンダー大王が東方大遠征をした結果、東西文化の交流と融合が促進されたものがヘレニズム文化といわれるものだが、この中でペーズリーはギリシャで産まれ、ペルシャを経て更に中国まで伝わり、そこで発展したものが又西方に影響をもたらしたということだったと思うが、ペルシャがペーズリー発明の本家本元だったかどうかは兎も角、すばらしいペーズリー模様を発展させたことは間違いないと思う。
イランの有名なモスクの壁という壁にはぎっしりとペーズリー模様が施されている。又高級な絨毯の模様の多くは綺麗なペーズリー模様だ。
有名なのが、「命の木」と言われる図案で、木や蔦や花、時には鳥や鹿などの動物が対称性や幾何学性を持って、ため息が出るほど美しく抽象化されて描かれている。
それらを見ていると木、花、水、空気などの要素を、人間が生きるために不可欠なものと考え、それらの自然と共存することを道徳の基本に置こうとする考えが伝わってくる。

なぜ抽象化なのか。
抽象化とは純粋化である。
生の現実は不確かで儚い。だから人は現実中にある美しき良きものを抽象化することによって純粋化し、心の中に存在する確かなものとし、それにすがって生きようとする。
砂漠地帯の厳しい自然環境の中に住む人々にとって憧れである、これらの木や水、花などは抽象化することによって「極楽図」として人々の心の中確かでものとして純粋化される。
ペルシャ式の庭園を見ても、抽象化・純粋化するという発送発想が現れている。
イランに来て、いくつものペルシャ式庭園に行って散歩しながら、いつも爽快な気分を味わっていたのは、豊かな樹木、咲き乱れる花々と涼しげに流れる水のせいだが、それらの配置の仕方も、長方形を基本とする形に敷地を区切り、シンメトリーを織り込んだ規則性・幾何学性によってなされていて、それは絨毯の図案の発想と全く同じだ。

ところで抽象化・純粋化の考えと、イスラムの教えの基本である「偶像崇拝禁止」も合い通じるものだと思う。具体的な形を持つものは汚されやすい。たとえば個人が偶像化され政治に利用されて純粋な宗教が堕落するということはよくあることだ。

・・・かなり支離滅裂になってしまった。
もう少し色々勉強しないと、今、頭の中に渦巻いていることは言葉にできないことが良く分かった。
それより、ペルシャ絨毯を一枚買った。前にインドで買ったものの3倍は綺麗なもので、旅行中に時々わざわざ包みを開けて眺めてみてはうっとりしている。帰国したら是非見せたい。
夜行バスの出発時間が迫ってきた。
その3 「シーラーズでの19歳のイラン女性との恋愛未遂」についてはまた今度、たぶんアテネから。

3日前にアテネについて、今日ハンガリーのブタペストに向け36時間の長旅に出発しようと思ったのだけど、汽車の時間を間違えていて乗り損ない、1日遅れてしまった。
トルコの南の街、クシャダスと言う所から、船でギリシャのサモス島を経由して、よく絵葉書に出てくるミコノス島に着き、3日滞在した。ミコノスは特に見物するような所がない。ただ奇麗な海と真っ白い家々、それに反射するエーゲ海の陽光を楽しんだ。気候が暖かく、太陽が明るいということだけで人をのんびりと幸せにする。

イランでのことを書き残したので書こう。


-その3 「シーラーズでの19歳のイラン女性との恋愛未遂」-

シーラーズという所に夜行バスで着き、宿にチェックインして、両替を終えて、バザールをふらふらしながら、裏通りが面白そうなので行方もなく歩いていると、あるモスクに入り込んでいた。そこで知り合ったのが、40歳前後の上品そうな身なりのイラン人女性。黒ではなく、柄の付いたグレーのスカーフとコートを纏った人だった。向こうから下手な英語で話し掛けてきて、「どこに行くんですか?」と聞くので、「あてもなく歩いていたのですが、ハーフェイズ廟(ペルシャで一番有名な詩人の墓)にでも行こうと思っていました」と言うと、「よかったら一緒に行きますか?」というので、やや、ためらいながら、「もしあなたがよければ」と答えて、結局一緒に行く事になった。
イランでは一応、公には恋人同士でさえ一緒に歩くのはあまりよくないこととされているので、ましてや亭主持ちの人と独身の僕が一緒にいていいのだろうか?心配だった。
聞いてみると、彼女の祖父はインド、カシミール地方のマハラジャだったそうで、インド独立の時にイランに逃れてきたそうだ。だから、彼女には気品があると同時に、なんとなく「没落貴族」の寂しさが漂っていた。といっても、いまでもイランではかなりのお金持ちに見えたが。
ハーフェイズとはペルシャで最も有名な抒情詩人で、今でもイランの人々に親しまれているだけでなく、各国語にも翻訳されていて、ドイツのゲーテも彼のいくつかの詩から着想を得た作品があるそうだ。
ハーフェイズの詩を旅行前にちゃんと読んでおけばよかったと後悔した。ハーフェイズ廟で英訳本を立ち読みしてみた。古典英語で僕には難しかったが、平易な美しい言葉を使って、リズムを生かした親しみやすいものであることはわかった。
ハーフェイズ廟も木々や花々が咲き乱れるペルシャ式庭園の中にある。気持ちのいい散歩をした後、「もしサーディ(これもペルシャの有名な詩人)廟にも行くなら、いったん家によって子供たちといっしょに行きましょう」ということで、結局シーラーズ郊外(つまり山の手)にある彼女の家にタクシーで行った。
家にいくと、娘のマリナ(19歳)と息子のアミール(16歳)が挨拶した。家に帰ると母親もブラウスとパンツ姿になり、娘も可愛らしいTシャツとジーンズ姿だった。彼らもあまり英語が得意ではない。お父さんはフランスに仕事に行っていて、6ヶ月しないと帰らない。(なにやら夫婦仲になにかあるよう感じはあった)。
マリナは建築科の大学にいっていて今、春休で帰宅中。清純・可憐で少しワガママで甘えん坊の女の子だ。アミールは16歳で地元の学校に通っている。16歳にしては子供っぽくみえるほど、いい育ちをしていて、姉も同じだが世間知らずなところがある。普通のイラン人社会にやや違和感を持ち、充分に溶け込めていないような気がした。
マリナはモスリンではない。「お母さんはモスリンで、わたしもコーランはすばらしいと思うけど、なんでもかんでもイスラムが全てというところが嫌いだから私はモスリンになりたくない」とのこと。イランにこういう人たちもいるようだ。ちなみに、街のいたる所にある、ホメイニ、ハメネイ、ハタミの写真を指差して、どう思うかきいてみると、「MONKY、STUPID!!」といっていた。これを公でいうとマジで捕まるそうだけど。
その日はサーディ廟には行かずに、夕食をご馳走になり、結局、勧められてこの家に泊めてもらうことになった。自分のホテルまで荷物をとりに行く時に家族全員一緒に着いてきたが、ホテルの人が訝りながら、いろいろ母親に質問をしていた。そして、僕に英語で「君はこの人たちのファミリーなの?」というから、とっさに「そうだ」というと、それで収まりがついたようだ。夫のいない留守宅に見知らぬ男を泊めるのはあまり道徳的ではないから、ということだった。
結局この家に2泊し、家族全員といっしょにペルセポリス(イラン最大の遺跡)やその他のシーラーズの名所に行ってり、家で寛いだりして時間を過ごし、僕は甘く忘れがたい思い出を作ることになった。
2人の子供たちにしてみれば、見知らぬ極東からの訪問者にものめずらしさ、とともに、非常な親しみを感じたようだ。とくにマリナは父親がいなくて寂しい思いをしていた時に、僕がそれを忘れさせてくれた、そして、僕がいなくなるとまた悲しくなるという。
イランでは、「ハーフェイズ占い」というのがあり、ハーフェイズの詩集を持って願い事をし、目を瞑り本を開いたところにある詩がその願い事にたいする答えになっているという。
マリナが僕に願い事させ、目をつぶってページを開いた。「なにを願ったの?」というので、(その場の雰囲気に合わせて)「今度またいつか、君に会えますように・・・」というと、詩に目を落として読んでいた、「声に出して朗読してくれない?」というと、「私の声は悪いから」といっていたが、何度も頼んで、やっと読んでもらった。
ペルシャ語で意味は分からないが、充分に詩の持つ音楽性が伝わってくる。その声のなんと美しいこと・・・・。あの詩を読む声が、シーラーズで彼女と一緒に歩いた美しい庭園の清々しさと結びつき、イラン滞在の最高の思い出になった。
僕の願いごとに対する答えを要点だけ英訳したもらった。
「汝それを見る事はないであろう。だが、それは永遠に汝のものとなるであろう」・・・
「それは、会えないけど、ずっと僕の心の中に居続ける、っていうこと?」と確認してみた。
肯きながら見返す大きな彼女の瞳を見つめながら、年甲斐もなく甘い甘い思いに僕は酔いしれていた。
彼女に、僕も何か詩を朗読するよう頼まれた。最初、古今集の短歌や、芭蕉の句、現代詩などをいくつかの日本語の詩を読んでもあまりうけなかったので、ゲーテの「野ばら」を最初は朗読し、その後、節(シーベルト作曲)をつけて歌うと、これが大変気にいったようで、結局、この後、彼女と別れるまでの間に10回近く歌うことになった。ゲーテの「野ばら」そのものが、ハーフェイズの影響のもとに書かれたのではない、と誰が言い切れるだろう。この偶然を必然と解釈することで、僕はさらに甘い思いを倍増させた。
それにしても、世界にはまだ、こんなにも単純であどけない、お伽ばなしのような恋愛のやりとりがあるんだ、と感心した。
愛しい人の窓辺で、甘い恋の詩を語り、セレナードを歌う。花や贈り物と一緒に恋文を渡す・・・こんなヨーロッパで200年以上昔に流行していたもので、今ではパロディーかお笑いでしかありえないような恋愛の形式が、ここイランではありえるのかもしれない。それは恋愛が表向きには充分に許されていないからこそ、特に女性は20歳近くになっても、うぶな心を持っているからだろう。悪い言い方をすれば、こんな娘をだますのは、すごく簡単なことなのだろう。
僕は彼女のことを半ば妹のように、なかば女として見ていたし、彼女も丁度、逆だったのだろうと思う。兄・妹的な関係が、現実的で深刻な恋愛関係を避けさせて、両者とも遊戯の要素を持ち込んだから、こんな非現実的な甘い恋愛感情が生まれたのだと思う。
僕のことを、「アサレマニー(私の愛しい人)」と呼び、「Do not Go!! You are my prisoner」という彼女の言葉は嘘ではなく、その言葉も確かの甘く甘く響いたが、その中に「遊戯」があったのだと思う。
僕がシーラーズを離れる日に、マリナと一緒に再びハーフェイズ廟に行った。そこで僕はもう一度同じ願いをして、彼女にまた詩を読んでもらった。今度は「汝(マリナ)は今おおいに悲しむが、明日はまた幸せがくるであろう。なぜならそれはもうやってこないが、いつでも望むときに呼び戻すことができるからである」・・・・
最後に、僕に「シャホップ(流れ星)」というペルシャ語の名前をくれた。星に願い事をするのはペルシャでも同じだそうだ。

・・・・
旅は、こういう日常とはかけ離れた世界をももたらす。
「いやー、ホントに旅っていいですそね~」
では、また。


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