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皆既日食騒動が終わりましたね。月というものは改めて考えてみると不思議な星です。自分では光を発していませんから、太陽がなければ「ない」に等しい星です。そして太陽があっても「地球」がなければ、常に「満月」です。ところが地球の影により、新月から三日月となり満月と変化していきます。単なる太陽光の投射にしか過ぎませんが、まるで生きているようです。客観的に物の動きを考えられる人には、月は自転していなければなりません。なのにいつも球体なのに月の片側だけを地球に見せています。物理的に言えば、月の自転が地球の回転の半分なので常に片側、すなわち月の表しか見せないことになる。この偶然性が、まあ確かに凄いよなあという感想を物理に強い人は言います。物理学上で考えれば、月も地球も自転していると考えるべきでしょう。しかしながら、天文学を考える人の仲には違う考え方をする人がいます。例えば「バレーボール」をネットに入れ、ネットごと振り回します。自分の体を回転しながら、ハンマー投げのように回してみましょう。ロゴマークの付いた面は常に自分を向いています。これと同じようなことが月と地球の間で起こっていると考えているようです。ネットの相当する何かが存在しているはずだと。又、最近の月の探査の研究が進み月の表と裏では相当な重力の開きがあることがわかってきたようです。片側に強大な引力が働いているとなると、そちら側しか地球を向かないかもしれません。いずれにしても単なる自転の偶然の産物だけで月に「表」と「裏」が存在しているとは言い切れないのではないかと思っています。『お月さん』あなたはいったい何者なのですか?
2009.07.25
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『愛』「宇宙は愛で出来ている」とか「神は愛である」とかは、よく耳にします。あなたはどんな愛を求めますか?「かむなからの神」は私が望む愛などはくれませんでした。国内はもちろん、海内にも行ってくれと無理難題を要求してきました。少しは「病気治し」や「商売繁盛」などのご利益を見せてくれれば「この神様は本物だ」と信者を集められ、お金も集まってくれるのに。ところがやればやるほど体調不良になり、お金は消えていきます。だれがこんな神様についていくでしょうか?それでも心のどこかで、いつかは神様はご褒美をくれる。神様は愛情深くて、必ずや目に見える幸せをくれる。人間は神の宝であると、つねづねおっしゃっている。神様が苦労して早世に成功された人間には、愛情があるに決まっている。どこかに絶対的な「甘え」があるのでしょうね。しかし「かむなからの神」の『愛』はそんなものではなかった。マイナスや暗闇も『愛』であるということを現場神業という体験を通じて教えてくれたのです。<光と闇>私たち人間は、物質の塊です。その元である素粒子は、なにもないと考えられるところからビックバンにより創出された。量子論によれば、今でも何もないとされる真空空間で電子を始めとする素粒子は創成消滅を繰り返しているという。その物質で出来ている人間の視座は、どうしても物質側にあります。これは生きている人間としては当たり前の視座です。この視座が、光と闇を考える時にも適用されます。物質は光と同義であり、真空は暗闇といえます。光は正義であり、暗闇は悪です。それゆえ自分の心の中に「暗闇」を感じれば、罪悪感を感じていしまいます。暗闇を「悪いもの」として隠そうとします。それは光を「愛」とし、闇を「悪」と捉える視座を持つからです。科学的、物理的視座を持てば光は闇から押し出されて初めて、「輝く」ことが理解できるはずです。「闇」がなければ「光」は存在しないのです。「光があるからこそ闇がある」わけではなさそうです。心の中にある「闇」を恥じる必要はないのかもしれません。あるとき、神はこういわれたのです。なあ、あなた、本当に闇を愛せるか?それが出来たら旅は終わりだ。
2009.07.15
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ご承知のように、私は30年間「かむなからの神々」とお付き合いをさせていただいています。よって良い意味でも悪い意味でも、神様情報を無視できない特殊な思考形態を保有してしまっています。科学というのは人間の側からの思考であると言えます。ところが「かむなからの神々」の言うことは、神の側からの思考と捉えなくてはなりません。神の言葉をそのまま人間尺度で理解しようとすることはせっかく教えていただいたことを、正しく理解せずに終わらせてしまう危険をはらんでいると言わざるを得ません。それゆえ私は、もし自分が神の立場であったのならどう考えて行ったかを考えるようになってしまったのかもしれません。つまり見る立場を変えてみるのです。これを 『視座』を変えると言います。人間は長い歴史の中で、視座を変える努力をしてきたようです。「真空」という概念についても歴史がありました。真空の存在については古代ギリシア時代から、論争が繰り広げられてきました。デモクリトスは、万物の根源である粒子アトムが、無限の空虚な空間であるケノンの中で運動しているとして、真空の存在を考えていました、が、アリストテレスは「自然は真空を嫌う」と述べ、空間は必ず何らかの物質が充満しているとして、真空の存在を認めませんでした。つまりデモクリトスは、無限の空虚な空間、すなわち『なきもの』という『存在』が「ある」と認識していたのでありアリストテレスは、「なにもない」という「存在」はありえないと考えたのです。この両者の世界観の違いは、視座が違うと考えれば両方とも、それぞれに納得のいく考え方であると思いますよね。{真空」という概念。これ4が定着したのは、なんとやっと17世紀にはいってからでした。物質といわれる粒子がひとつもない空間「真空」しかしその虚空である真空の世界が、何かで埋め尽くされているという「量子論」の出現が、またまた私たちの視座を変えなくてはならないことになります。「ある」と「ない」がころころ逆転しますね。視座を変えれば、正解は両方ともにあるのですからやっかいだなあ。
2009.07.13
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これといってテーマがあるわけではないけれど何でも良いからキーボードを叩いてみようという気になりました。支離滅裂なシリーズになりそうですが、よろしかったらお付き合い願います。<あるもの>「神」と称せられる存在は数多くあります。人間はこの宇宙の中で発生し、今現在生きながらえているわけですからその存在を許してくれている環境は、特別な『存在』であると言えます。太陽も月も風も雨も、すべての森羅万象が人間を支えてくれています。存在者を相対する『存在』と区分するとすると「私と言う人間」以外はすべて「神」であると言ってよいと考えます。私が認識する『神』とはそういう存在です。ただ私達人間が混乱に陥るのは、『神』がものを言ってくるからです。人間は長い間病気になるのは「たたり」であると考えていました。しかし顕微鏡などの科学の発展の結果、病原菌なるものを「認識」できるようになったのです。実際の目で認識できないものは「存在しない」と同義でした。しかし科学が発展した今でも、機械による観測で認知されないものは「存在しない」と判定してしまいます。素粒子の研究においても「一番小さい物質」は何かを探しているわけです。「あるもの」「ないもの」を探そうとしているわけではありません。「なきもの」は「ない」からです。しかし「神」と称するものは「あり」ます。認知できる太陽や月はもちろん、霊能力者を通じて発言してくる言葉は「まっかな嘘」であれ「真実」であれ、認識される「存在」となります。言葉として文字になり、絵画として映像となります。空想の世界である「曼荼羅」はその瞬間に「存在」となり、「あるもの」となります。「我は神なり」「我を神と呼べ」こう発言した瞬間に「あるもの」になったのです。「なきもの」「あるもの」じっくり思いふけってみるのも面白いかな?
2009.07.12
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私はある掲示板にトピックを持っています。今日になり何かを書いてみたくなりこんな書き込みをしました。書きあがってみると、これは良い教科書になるぞ思いました。初めて読むお方にはないがなんだかわからない。でもそれで結構ですので読み流してみてください。跡でひとつひとつ解説をしていきたいと考えています。面白い参考資料も見つけてありますのでゆっくり科学の世界を眺めてみましょう。お久しぶりです、トピ主であります。私のアイデアをどうお伝えしてよいのかわからずに皆様の書き込みを拝読させて頂いておりました。いろいろなアイデアが存在することを教えてもらうことになり大変感謝しております。天文学は物理の世界です。ですから虚数を導入した数式は演算であり、実在の世界ではないと言えます。私もその通りだと思います。「実存するもの」の「振る舞い」に虚数の導入は無意味です。波動関数から表現される位相の世界は演算によるバーチャルでしかありえません。そのことは当事者である専門家も「前提」としてバリヤーを張っています。私が大いなる疑問として考えていることは「認識」です。物理学は「実の世界」の科学です。ですから物理学で「虚の世界」を説くことは出来ません。「虚」とは「ないもの」ですから「実の世界」では認知出来るものではありません。実の世界で虚の世界は証明できるはずがありません。ですから「虚」を天文学に導入しようということではありません。問題は「認識」「概念」です。宇宙は「虚」と「実」の混合の世界と考えることはできないだろうか?「虚の世界」の中を「実」が漂っている。この宇宙の基盤を構成しているのは「虚」ではなかろうか?実数と虚数である複素数がはじき出す世界は確かにコンピューターが演算するバーチャルの世界ではあるがそれが描き出す世界を「絵空事」と切り捨てられるのだろうか?「宇宙は無限の三角形で出来ている」と論じた研究者は「このことを紙とペンで説明することは難しい」と言っていました。『コンピューターによる演算は物理ではない』この「認識」「概念」が取り払われる日は来るのでしょうか?もちろんこの概念は正しいのだなどと言う「根拠」はないのですが。ちょっと気まぐれに書き込んでみました。(笑)
2009.07.10
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