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2006.05.05
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カテゴリ: 大日本帝国興亡史
『満州国の建国』(1932.03.01)

 錦州占領(1932.01.03)により張学良の主な勢力は満州から追い出された、
 関東軍は満州国建国へと向う。
 当初満州国建国は関東軍と陸軍の一部によるものだったが、海軍・外務省に拡大し
 1932年3月12日には「満蒙問題処理方針要綱」が閣議決定された。

 少し時間を戻し、満州国建国への概要を調べてみる。
 以下は「太平洋戦争への道-2/朝日新聞社」をベースに作成した。

 満州事変勃発後の満州では、
 吉林・ハルビン・奉天・◆南(◆はサンズイに兆)などに政権が誕生するが、


 関東軍は奉天・長春の占領後、南満州鉄道の沿線を離れ、吉林を占領(1931.09.21)
 ハルビンに対しては参謀本部は関東軍に出兵を取止め(1931.09.24)させた。

 その後日本政府は第一次声明(1931.09.24)に於いて不拡大を表明し、
 日本政府は満州に於いて何等領土的欲望を有しないと声明する。

 国際連盟理事会決議(1931.09.30)では、日本政府の声明を認め、
 支那政府による日本国民の安全・財産保護の責任を追うの声明を了承する。


○1931年10月4日:関東軍は内外に声明を公表した。(抜粋とその概要)

│いまや政権樹立の運動各所に発生し、庶民ひとしく皇軍の威力を謳歌するも、
│旧頭首を推戴せんとすの風微塵もなし。
│けだし積年軍閥私怨の横暴に憤慨せる結果に外ならず。

│兵を養い静観を持しつつあり。
│もとより軍により治安を維持せられある奉天城内に政権を樹立し、
│或いはひそかにここに策謀するがごときは断じて容認せず。
│しかれども満蒙在住三千万民衆のため、共存共栄の楽土を速やかに実現せんことは
│衷心熱望するところにして、道義の上より見る時は速やかにこれが統一を促進するは、

└────────

 関東軍は張学良の満州に於ける仮政府の錦州を爆撃(1931.10.08)し拡大を目指す。


 陸軍中央部では1931年10月8日に「時局処理方策」を陸軍三長官会議で決定した。
 (陸軍三長官:陸軍大臣・参謀総長・陸軍教育総監)

○「時局処理方案」の満蒙に関する新政権樹立の根本方針

│満蒙問題は支那本部より分離して満州に樹立せらるべき新政権と交渉し、
│根本的解決を期す。
│之が為、関東軍隷下部隊は概ね現在の姿勢を保持すると共に、治安の維持に任ず。
│新政権樹立に至るまでの間、地方支那官民との折衝に依り、
│なし得る限り既得権益の実現に努む。

│新政権樹立に対しては、依然我官民不干与の方針を継続し、
│且満蒙が支那本部より分離独立を期待するが如き我が意図は之を秘匿す。

│支那本部所在の政権との間に於いて行う満蒙に関する交渉は、
│支那本部と満蒙との一般関係事項に止め、満蒙自体の問題に関しては絶対に之を避く。
└────────

 10月9日に南陸相は若槻首相に「時局処理方案」を陸軍の総意として提出。


 関東軍では1931年10月24日に「満蒙問題解決の根本方策」が作られた。

○「満蒙問題解決の根本方策」の方針

│支那本土と絶縁し、表面支那人により統一せられ、
│その実権を我が方の手裡に掌握せる東北四省ならびに内蒙古を領域とする
│独立満蒙新国家を建設することを目的とし、
│この間政権の迅速なる推移を促進するとともに、実質的には諸般にわたり、
│我が方の経営を進め、確固不抜の基礎を確立する。
└────────

1931.11.09:「第一次天津事件」、土肥原賢二大佐は10日に溥儀を連れて天津を脱出
 (土肥原賢二大佐は9月20日に奉天市長に就任している)

1931.12.13:若槻内閣->犬養内閣

1932.01.03:錦州政権(奉天から追い出された張学良政権の満州に於ける仮政府)
 のある錦州を日本が占領し、満州各地の政権は張学良と絶縁した。


 1932年1月6日に陸・海・外の三省の関係課長は板垣大佐(関東軍参謀)に
 「支那問題処理方針」を手交した。

○「支那問題処理方針」(要綱の一項目目のみ)

│満蒙はこれをさしあたり支那本部政権より分離独立せる一政権の統治支配地域とし、
│逐次一国家たるの形態を具有するごとく誘導す。
│右目的の為、満蒙各省政権の迅速なる確立安定をはかり、
│ことに従来より一段積極的にこれを援助す。
│成立せる各省の政権して逐次、連省統合せしめ、
│かつ機をみて新統一政権の樹立を宣言せしむ。
└────────

1932.02.17:満州の各政権により東北行政委員会が設立された。
1932.03.01:満州国の誕生(執政:溥儀)

1932.03.12:「満蒙問題処理方針要綱」は「閣議決定/犬養内閣」された。

1932.05.15:5.15事件により犬養首相は殺害され、斎藤内閣へ

1932.09.15:満州国の承認(日満議定書による)


●関連資料

○満州国執政溥儀の関東軍司令官宛書簡

 1932(昭和7)年3月10日

 書簡を以て啓上候此次満州事変以来貴国に於かれては満蒙全鏡の治安を維持する為に
 力を竭され為に貴国の軍隊及人民に均しく重大なる損害を来したることに対し
 本執政は深く感謝の意を懐くと共に今後弊国の安全発展は必す
 貴国の援助指導に頼るへきを確認し茲に左の各項を開陳し貴国の允可を求め候

1.弊国は今後の国防及治安維持を貴国に委託し其の所要経費は
 総て満州国に於て之を負担す
2.弊国は貴国軍隊か国防上必要とする限り既設の鉄道、港湾、水路、航空路等の
 管理並新路の敷設は総て之を貴国又は貴国指定の機関に委託すへきことを承認す
3.弊国は貴国軍隊か必要と認むる各種の施設に関し極力之を援助す
4.貴国人にして達識名望ある者を弊国参議に任し其の他中央及地方各官署に
 貴国人を任用すへく其の選任は貴軍司令官の推薦に依り
 其の解職は同司令官の同意を用件とす
 前項の既定に依り任命せらるる日本人参議の員数及参議の総員数を変更するに当り
 貴国の建議あるに於ては両国協議の上之を増減すへきものとす
5.右各項の趣旨及既定は将来両国間に正式に締結すへき条約の基礎たるへきものとす

 以上

 大日本帝国関東軍司令官 本庄繁 殿

 大同元年3月10日

 溥儀 花押

『日本外交年表竝主要文書(下)』より
┗━━━━━

○満蒙問題処理方針要綱(1932.03.12:閣議決定/犬養内閣)

1.満蒙に付ては帝国の支援の下に該地を
 政治、経済、国防、交通、通信等諸般の関係に於て帝国存立の重要要素たるの
 性能を顕現するものたらしめむことを期す
2.満蒙は支那本部政権より分離独立せる一政権の統治支配地域となれる現状に鑑み
 逐次一国家たるの実質を具有する様之を誘導す
3.現下に於ける満蒙の治安維持は主として帝国之に任す、
 将来に於ける満蒙の治安維持及満鉄以外の鉄道保護は主として
 新国家の警察及警察的軍隊をして之に当らしむ、
 右目的のため之等新国家側治安維持機関の建設刷新を図らしめ
 特に邦人を之か指導的骨幹たらしむ
4.満蒙の地を以て帝国の対露対支国防の第一線とし外部よりの攪乱は之を許さす、
 右目的の為め駐満帝国陸軍の兵力を之に適応する如く増加し
 又必要なる海軍施設をなすへし、新国家正規陸軍は之か存在を許さす
5.満蒙に於ける我権益の回復拡充は新国家を相手として之を行ふ
6.以上各般の施措実行に当りては努めて国際法及国際条約抵触を避け
 就中満蒙政権問題に関する施措は九カ国条約等の関係上出来得る限り
 新国家の自主的発意に基くか如き形式に依るを可とす
7.満蒙に関する帝国の政策遂行の為速に統制機関の設置を要す、但し差当り現状を維持す

『日本外交文書』より
┗━━━━━

○日満議定書(1932.09.15:調印発表・公布)の概要

 日本国は満州国が住民の意思に基づき自由に成立・独立した国家である事を確認した。
 満州国は中華民国の有する国際約定は尊重する。
 日本国と満州国は対外に領土権を尊重する。

1.満州国は領内に於いて日本国・日本国臣民が有する一切の権利利益を確認尊重すべし。
2.日本国と満州国は其々の脅威に対して共同で防衛する、日本国軍は満州国内に駐屯する。
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最終更新日  2006.05.05 15:29:38
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