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2006.05.16
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カテゴリ: 大日本帝国興亡史
『5.15事件とその後』

 1931年3月20日から1933年3月27日までの二年間の間に、
 三月事件・満州事変・十月事件・第一次上海事変・血盟団事件・5.15事件が絡み合い
 満州国の承認・国際連盟脱退と進んでいく。

 5.15事件が発生した1932年5月15日頃の陸軍は、
 満州事変に関しては「関東軍へ勅語」で追認され、満州国は建国宣言し、
 「満蒙問題処理方針要綱」が閣議決定されて陸軍の要望が国策となり、
 上海事変は停戦協定が結ばれて一息ついた、問題は日本が満州国を承認していない事。
 一方海軍は、

 5.15事件は海軍の主導で陸軍士官候補生と民間の右翼が参加し行われた。

 犬養首相は憂国的な思想により首相だった理由で殺害された、
 西園寺・牧野は殺害するリストに名前が挙がるが、2.26事件でも殺害されない。

 特権階級は存在しているが元老・藩閥による日本の運営が、官吏による運営に移る。
 2.26事件後に発足する内閣の首相たる広田弘毅は外務官僚出身で元士族でさえない、
 武士は6%ほどだったから、94%の半分にも首相になれる可能性が出てきた。
 戦後、長州藩士を先祖に持つ岸・佐藤が首相になるのは単なる偶然なのか。

 もっと調べてみたいのが、森恪と軍部・伏見宮と陸軍の関係。


●「5.15事件被告減刑運動の概説 内務省警保局 1933.8.21」の抜粋と概要
 (「資料 日本現代史-9」/大月書店 より)

 事件から一年後の1933年7月下旬から陸海軍被告の公判が開廷され詳細が新聞紙などで

 「被告らの行為は社会の実情に対して錯誤・独断があるが、
 私心なく愛国的至情がでたもの」
 として、一般民衆に嘆願運動が全国的に発生した。


●政党政治の崩壊(「重臣達の昭和史(上)」をベースとした)

 西園寺公望は5月19日に「未曾有の警護」の中を原田・近衛を従え上京し、

 鈴木侍従長(2.26事件では重傷・終戦時の首相)が天皇の後継内閣の注文を伝えた。
 (「昭和の宰相-2」では宮廷グループが作った条件)
 1.首相は人格の立派な者であるべし。
 2.首相の人格によって現在の政治の悪弊を正し陸海軍の軍紀を粛清する必要がある。
 3.協力内閣か単独内閣かということは問題ではない。
 4.ファッショに近き者は絶対に不可也。
 5.憲法を護ることが出来なければ、明治天皇に相済まない。
 6.外交は国際平和を基準として、国際関係の円滑に努めること。
 7.事務官と政務官の区別を明らかにし、綱紀を粛正すべし。

 犬養毅首相は政友会総裁だった、新政友会総裁の鈴木喜三郎が首相と思えるが、
 森恪(政友会・内閣書記官長)は平沼騏一郎(枢密院副議長)を押し、
 陸軍は政党内閣に反対、永田鉄山(参謀本部第二部長)は原田に伝える、
 「もし政党による単独内閣の組織せられむとするが如き場合には、
 陸軍大臣に就任するものは恐らく無かるべく、結局、組閣難に陥るべし。」

 青年将校等の殺害標的は特権階級の西園寺・牧野、政党政治家、財閥、天皇側近、
 下手な選択を行うと自分達が殺される状況が存在する。

 西園寺公望は政党政治に日本を託さず、斎藤実海軍大将を首相とした、
 斎藤内閣は挙国一致内閣として発足した。
 政友会からは高橋是清(大蔵大臣)、鳩山一郎(文部大臣)、三土忠造(鉄道大臣)
 民政党からは山本達雄(内務大臣・元日銀総裁)、永井柳太郎(拓務大臣)
 以外は官吏出身者がほとんど、次期内閣の岡田内閣では2.26事件が起る。

 斎藤内閣が軍部(主に陸軍)の主導する国家運営の防波堤になったかは、勉強不足。
 しかし斎藤実が2.26事件で殺害されている事は防波堤に成っていたの感を持つ。

 犬養毅(政友会)後の首相は
 斎藤実(海軍大将)・岡田啓介(海軍大将)・広田弘毅(外務官僚)・
 林銑十郎(陸軍大将)・近衛文麿(公爵)・平沼騏一郎(司法官僚)・
 阿部信行(陸軍大将)・米内光政(海軍大将)・近衛文麿(公爵)・
 東條英機(陸軍大将)・小磯國昭(陸軍大将)・鈴木貫太郎(海軍大将)・
 東久邇宮稔彦王(皇族・陸軍大将)

 官吏出身者が外務1・司法1・陸軍4・海軍4
 華族出身者が1(近衛文麿の第一次~第三次内閣)
 皇族出身者が1(東久邇宮稔彦王・陸軍大将)

 官吏の運営する日本が出現する。


●「新装版 昭和史発掘-3/松本清張」による襲撃とその後(抜粋及び概要)

○襲撃

 海軍将校の主導の下、陸軍士官候補生が参加して行われた、
 首相官邸襲撃・内大臣邸襲撃・政友会本部襲撃・警視庁襲撃・日本銀行襲撃では、
 首相官邸では犬養首相に重傷を負わせ(その後死亡)、警備の巡査を1名死亡させた、
 内大臣邸襲撃では邸内に入らず手榴弾を投げ込み、警備の巡査に発砲し重傷を負わせた。
 警視庁襲撃は警視庁書記と読売新聞記者が撃たれた。
 政友会本部・日本銀行襲撃では手榴弾を爆発させて終わった。

 襲撃終了後、海軍将校・陸軍士官候補生は東京憲兵隊本部に自首した。

 民間の襲撃者の行動は、
 奥田秀夫(血盟団残党)は三菱銀行に手榴弾を投げ逃走。
 愛郷塾頭橘孝三郎の弟子の後藤国彦が指揮をとり東京市内の変電所数箇所を襲撃、
 帝都暗黒化はできず襲撃後逃走、橘孝三郎は満州へ逃れた。
 愛郷塾の川崎長光は西田税に発砲し重傷を負わせた。

○陸軍大臣官邸

 事件夜に陸軍大臣官邸に菅波三郎・大蔵・村中・栗原・朝山中尉が押しかけ、
 「この機会を利用して戒厳令を施行し、軍の監視下に協力内閣をつくる。
 これはインナーキャビネット的な性格で、やがては森格に引き渡す」
 と主張した。
 荒木陸相は、真崎甚三郎参謀次長に対応させ、真崎は自重を説得するうまくいかない、
 真崎は永田鉄山(少将・参謀本部第二部長)等に説得を任せ、
 菅波たちは第一師団に引き渡された。
 この時小畑敏四郎(少将・参謀本部第三部長)は菅波たちに、
 「今夜の事件は残念至極だ。もっといい方法で革新の実をあげるよう森格らと
 着々準備をすすめていたんだ。すべては水泡に帰した」
 と述べた。

○判決

◇海軍軍法会議:「叛乱罪」として禁固15年が1人、禁固13年が1人、禁固10年4人、
 「反乱予備罪」として執行猶予が4人

◇陸軍軍法会議:「叛乱罪」で11名が禁固4年(求刑8年)

◇民間裁判:橘孝三郎以下17名は爆発物取締罰則違反・殺人・殺人未遂
 橘孝三郎は無期懲役、後藤国彦は懲役15年、川崎長光は懲役12年、
 大川周明・頭山秀三・本間憲一郎は爆発物取締罰則違反・殺人・殺人未遂・恐喝
 で起訴され上告、大審院で大川は禁錮15年・頭山は禁錮3年・本間は禁錮4年。

○新聞の社説

 大阪朝日・読売・大阪毎日は5.15事件のテロ行為に対して否定的な見解を述べる。

○金

◇北一輝の生活費は年に2万円三井から出ていた。

◇北一輝の怪文書によると、牧野宮相や宮内庁の高官が北海道の御料林払い下げに
 多大な収賄をした。
 大川周明が金銭的に不自由していないのは牧野の金が流れているの噂がたった。

 大川は牧野襲撃に対して襲撃中止を間接的に指示したとされている。

○その後のテロ未遂

◇大川周明の神武会会員による斎藤首相暗殺謀議は
 兇器購入準備金100円で京都伏見遊郭で遊興したりで発覚し検挙、
 首謀の今牧嘉雄は懲役1年6ヶ月・執行猶予2年。

◇「天行会事件」は児玉誉士夫などにより5.15事件と同様の計画がされた、
 事前に発覚し、児玉誉士夫・頭山秀三が捕らえられた。

◇「神兵隊事件」は天野辰夫・前田虎雄による政府転覆計画で、
 「秩父宮」を首班とした昭和維新の断行を計画したが検挙された。
 計画は警視庁と首相官邸に爆弾を投下し、地上部隊が首相・牧野内府などを襲撃、
 参加人数は「大日本生産党」・「愛国勤労党」などから300人に達していた。





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最終更新日  2006.05.16 22:35:19
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