国民と天皇と大日本帝国

国民と天皇と大日本帝国

PR

×

プロフィール

kamuy_nupe

kamuy_nupe

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

バックナンバー

2026.08
2026.07
2026.06
2026.05
2026.04

お気に入りブログ

電波帝国 MJ-12さん
帝国陸軍好きの読書… 五年現役兵さん
むうみんの脳内妄想 むうみん@ぶたぢるさん
くまのつれづれにっき 森のくまさん4877さん
2007.12.05
XML
カテゴリ: 大日本帝国興亡史
 「日米諒解案」は日米の外務省・国務省ではなく岩畔豪雄(陸軍大佐)・井川忠雄・ドラウト神父などが作成、日本が受け入れやすい内容になった、しかし「日米諒解案」を日本案として米国に送っても米国が承認するとは限らない。

○「開戦前夜/児島襄」よりの抜粋・概要

 米国人のウォルシュ司教とドラウト神父は1940年12月5日に松岡洋右外相の私邸を訪問、松岡外相は二人に以下の内容を述べた。

───
 米国と平和条約を結びたい。
 その平和条約で、日本は「日独伊三国同盟からの脱退」「支那大陸からの日本軍撤退と領土保全」を約束、米国は「通商協定の締結と石油その他の物資供給を保障する」事にしたい。
 満州を支那の一部とは考えていない。
───

 大橋次官は松岡外相から聞いた限りでは「三国同盟からの脱落や支那撤兵は、そうでもすれば米国は満足するかもしれぬが米国側の一方的見方」と述べている。



 「我国策を相当思ひ切つて変更するに非ざれば、米と了解を付け、以て太平洋上の和平を確保し進んで世界平和克服の為提携策動する事、所詮不可能也。」

 で始まるが、「日独伊三国同盟は遵守」「日本には侵略の意思はないのだから米国も大東亜共栄権に協力すべき」が続く。

 「右諸点、米大統領、国務長官始め米国朝野有力者に徹底を記せられ度」

 野村大使が矛盾を質問しようとすると、松岡外相に補足は必要ないとして部屋を出て行った。

 駐日米国大使ジョセフ・グルーの回想録(1940年11月8日)では、
 「松岡は再三私に、彼自身こそ駐米大使として理想的だが、東京を離れるわけにはいかないのだといった。」
 が記されている。

└──


 松岡外相は欧州各国を訪問し、ソ連では日ソ中立条約に調印し帰国するが、日本で待っていた「日米諒解案」は松岡外交とは関係ない所で作成されていた。

 「日米諒解案」に否定的な松岡外相、独白録では其の辺りの不満が述べられている。

○「昭和天皇独白録」に於いて(抜粋)



 一体松岡のやる事は不可解の事が多いいが彼の性格を飲み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格をもっている。

◇日米交渉

 日米交渉は三国同盟成立の頃から非公式に話が始まつたのでカトリック僧と岩畔大佐(豪雄・軍事課長)等の人物のことは聞いてはいるが、それ以上の事は知つていない、最初は非常に好調に進んだが大切な時に松岡が反対したので駄目になつた。

 日米交渉が纏まりうる機会は前後三回あった。
 第一回は十六年四月、野村大使の案に基いて米国から申し出たときである、先方の条件は日本に採り大変好都合のもので陸軍も海軍も近衛も賛成だったが、松岡只一人自分の立てた案でなものだから、反対して折角のものを挫折せしめた。




〓勝手に独断と偏見〓

 「日米諒解案」は日本側に送られる前に、米国側で検証され、日本案として出すことにハル国務長官は合意している。
 そして、1941年4月17日に野村吉三郎(駐米大使)により近衛文麿(外務大臣臨時代理)に電報で送られた。

 1941年3月11日に武器貸与法(連合国への軍事援助に関するアメリカ合衆国の法律で、第二次世界大戦中に米国は総額約500億ドルの物資やサービスを連合国に提供した、当初は英国に対して)が可決され、4月28日には日ソ中立条約が公布(調印は4月13日)されている。

 米国は中立法の改正と武器貸与法により殆んど欧州戦争に参加している状態、「日米諒解案」の「日本政府は枢軸同盟に基く軍事上の義務は同盟締約国が欧州戦争に参加していない国により積極的に攻撃された場合に於いてのみ発動する。」は其の辺りを考慮したと思える。

 米国側は米国の欧州参戦に日本が口出しする事ではないのスタンスだが、大西洋と太平洋の両面作戦は避けたい、だが「満州国の承認」「欧州戦争への不参加」などを承認する気はなかったと思える、日本にプレッシャーを与え米国の下に付くか米国と戦うかの選択を求めていたのだろう。

 日米交渉が始まった時点ではドイツは欧州で成功しており、ソ連は連合国側ではない、しかし米・日では「ドイツのソ連侵攻」の可能性が高い事が認識されている。

 独ソ戦の趨勢と米国の欧州戦参戦に対する判断と対応が欧州戦後の国の立場に大きく反映する、この時期の松岡外相はドイツに踊らされていたの感を持つ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.12.05 22:11:49
コメント(1) | コメントを書く
[大日本帝国興亡史] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: