大。福。日記

大。福。日記

ゆうちゃんの回復



ゆうちゃん。
ゆうちゃんは、私より2歳上の先輩。
いま、こころの風邪をひいて、療養生活をしています。


ゆうちゃんは、大事な大事なお友達です。
こんなに苦しめたのは、私のせいだとも思います。
必ず良くなる、そして回復を願うから、これからの歩みを記そうと思います。


ゆうちゃんは、群馬県に3人兄妹(兄・本人・弟)の2番目として生まれました。お父さんはアルコール依存症で、肝硬変を悪くして亡くなったそうです。お母さんはちょっと落ち着きがなく、お兄さんが軽度の知的障害があるので、ゆうちゃんをずっと頼ってきたそうです。弟はそんな家族背景がいやで、今となっては落ち着きましたが、暴走族に入って暴れたこともありました。


短大の家政科を卒業後、准看学校に進学し、資格習得後は東京の個人病院で、内科のナースとして活躍しました。同期に仲の良い友達が居て、2人で進学を志し、勤務しながらの受験を乗り越え、見事合格しました。

この進学コース(養成校)で、私たちは知り合うのでした。

進学後は、訪問看護に興味を持ち、訪問看護ステーションで勤務しながら、学生生活を送りました。とても誠実で真剣な看護で、すぐに療養者さんと家族、職場の人々に愛されて、信頼されていました。


そんなある日のこと、油断をして「統計学」で単位を落とし、留年することになります。他の成績は、良かったのに。

入学した年の学年を、仮にひまわり組としましょう。ひまわり組はとても大人の集団でした。ゆうちゃんはひまわり組が大好きでした。

1年後復学した時の第3学年を、仮にたんぽぽ組としましょう。たんぽぽ組は、殺伐としていて、一人ひとりがバラバラで社会の縮図のような集団でした。
ゆうちゃんは、臨地実習に6人のメンバーで臨みました。
真面目なゆうちゃんにとって、いい加減な他の5人(皆、年下)との行動は、ストレスでした。「私がリードしないと」と、一所懸命でした。

どうにかストレスもコントロールしながら、卒業。

就職選びの時、ゆうちゃんはとっても慎重でした。ゆうちゃんが就職を決めたのは、11月でした。「まだ?」って印象でした。

「将来は訪問看護で」
と、決めているゆうちゃんは、訪問看護ステーションのある総合病院に就職することにしました。

この頃です。私は、いつもゆうちゃんに相談に乗ってもらっていました。

「ちゃんとしたナースに育つためには、教育制度がしっかりした病院に就職しないと」とか「プリセプターについて、しっかり土台固めなくちゃ」とか。ゆうちゃんは、いつも聞かされていたから、洗脳されたかな。

そして、ゆうちゃんも訪問看護では一人で行くわけだから、より観察の引き出しを持ちたいと、病棟で修行する道を選んだのでした。

就職。
ゆうちゃんには、6歳年下のプリセプターが就きました。
ゆうちゃんを、「きみ」と呼んで毎日患者さんの前で叱ったそうです。
ゆうちゃんは、毎日仕事の粗を探されては忠告を受け、その裏で、プリのミスをカバーしていました。


職場は消化器外科で、とても忙しく、またターミナルケアにも熱を入れていました。
「麻酔科の先生が週1回しか来なくて、その先生が来ないと、十分なペインコントロールが受けられず患者さんがかわいそう。」と言っていました。

この頃のゆうちゃんは、「あと1年頑張れば後輩も入ってくる。」
「私が先輩になったら、こういう育て方はしない」と言ってました。

ひとつひとつの看護技術はとても上手だったので、2・3年目のナースにいちゃもんをつけられるような、素人ではありません。
あまりの人当たりの良さに、相手のストレスの発散口になってしまう人でした。私がそうだったように。

ゆうちゃんは、1年間勤め上げました。
後にドクターから「5月には発症していたんだろうね」と
いわれる時期に、不眠になるようになりました。
お母さんからも、家庭が大変だから、田舎に帰ってきてと言われ悩んでいました。この頃から、連絡が取れなくなっていました。

ゆうちゃんは一般科のナース。3交替もやってるし、忙しい証拠と、思っていました。ゆうちゃんは、刺激に敏感になり、またクライシスに気づいていました。
でも、「自分がしっかりしていないせい」と、一人で、外部との接触を避けていたそうです。

最後の頑張りで、気分転換に旅行をしました。
箱根、沖縄、そしてロンドン。

7月、ロンドンで地下鉄同時多発テロに遭遇してしまうのです。
言葉の違う国で、閉鎖された地下空間で、真っ暗な中、非難したそうです。

「死ぬと思った」

それから、ゆうちゃんは全く眠れなくなりました。
電車にも乗れなくなりました。

帰国後、休職状態に入り8月、ゆうちゃんは退職しました。
それからの療養はまだ聞いていません。

いつか自分で話したいとき、聴きたいと思います。
知らなくても、ゆうちゃんとは付き合えるのですから。

そして発症から半年たった11月、再会する機会を持てたのです。
私が、お産を通して「助産師になりたい」と決意したのを、聞いてほしかったから。ゆうちゃんは、きっとわかってくれる。

ゆうちゃんに、肯定して欲しかった。してくれるってわかってるから。

「うん、頑張って」ゆうちゃんは笑い声で言いました。
そして、「わたし、頭おかしくなっちゃった。」と。

いっぱいいっぱい、自分にダメ出ししちゃったんだね。
もう十分できるナースなのに、その修行はしなくて良かったのにね。
悩んでる時に、何の役にも立たなくてごめんね。
仲良しの私が、こういう融通が利かない頭でっかちの人間だから、私を思い浮かべると頑張らなくちゃって思ったでしょう?

頑張らなくていいんだよ。
そのままで、ありのままのゆうちゃんで、じゅうぶん。
在宅療養のジジババは、合格サイン出すって。

看護はまだまだ封建的。
そして、養成過程がさまざま。
社会人入試とか、ナースになる年齢はさまざまなのに、教育制度ってば一派一絡げ。プリセプターシップや、メンター制度、OJT…どれがその新人にとっていいのか、吟味がされていない。

患者さんに質の良い看護を提供するには、看護チーム、引いては医療チームの連携がなければ、実現できないのに。
患者さんは、そんなに鈍感じゃない。
看護チームは、誤った教育システムが根付いている。
根性試しっぽいやつ。いつになったら払拭されるんだろう。

18年1月。
ゆうちゃんは、薬物療法で落ち着いています。
見た目普通です。
電車には乗れません。
広場恐怖と、対人緊張があります。
話していると、「あ、うん」の呼吸ではありません。
副作用ですごく眠いそうです。
将来、訪問看護をしようと夢を語ります。
今、ボランティアで乳児院に行ったりしているそうです。

ゆうちゃん、一緒に歩んでいこう。
あなたがいやでも、ずっと。

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: